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蜘蛛ですが、なにか? 作者:馬場翁
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S2 第4王子

 温かい、ぬるま湯に浸かったような感覚。
 ぼんやりと、自分を包み込む温かな感触に、安心感を覚える。
 それもしばらくすると終わり、狭い穴を通って外に出る。
 さっきまで自分を包み込んでいた温かさが失われた不安と、それ以上に、外に出た開放感を味わう。
 それが、今の俺の一番古い記憶だ。




「殿下、そんなところにいると、風邪を引きますよ?」

 窓枠から外を眺めていた俺の耳に、侍女の声が届く。
 言われてみれば、確かに寒い。
 外の景色は雪に覆われている。
 その雪景色を眺めて楽しんでいたが、つい夢中になって随分長い時間ここでじっとしていたようだ。
 どうも、このところひとつのことに集中してしまうと、時間が経つのを忘れてしまう。

「はい。戻りましょうね」

 侍女は俺を持ち上げて(・・・・・)、ベッドまで運んでいく。
 一人で使うには大きなベッドには、先客がいた。
 まだ幼い赤ん坊だ。
 気持ちよさそうにぐっすり眠っている。
 俺はその赤ん坊の隣に優しく横たえられる。
 そのベビーベッドは、俺ともう一人の赤ん坊が並んで使えるように作られた特注品だ。

 ここまでくればわかるだろう。
 俺は、赤ん坊だった。

 赤ん坊である俺が、どうしてこんなにはっきりと思考できるのかというと、俺には前世の記憶があるからだ。
 前世、俺は何の変哲もないただの高校生だった。
 それが、気が付いたら赤ん坊になっていた。

 転生、というやつだろう。
 死んだ人間が、別の人間として生まれ変わる。
 そうなると、前世の俺は死んだことになる。
 前世の俺の最後の記憶は、古典の授業を受けているところだ。
 その時、教室の上に、空間のひび割れがあるのを見つけて、そこから先の記憶がない。

 空間のひび、そんなもの、地球では普通起こらない。
 多分、あれが原因で、俺は死ぬことになったんだろう。
 そして、どういうわけか、前世の記憶を持ったまま生まれ変わった。

 前世に未練がないかと言われると、ないとは言い切れない。
 どころか未練だらけだ。
 まだまだ青春真っ盛り、友達とももっと遊びたかったし、年齢イコール彼女いない歴を脱出することもできなかった。
 それに、両親どころか、じいちゃんばあちゃんよりも先に死ぬなんて、とんでもない不孝ものだと思う。
 もう二度と家族と会うことはないんだと思うと、気持ちがどこまでも沈んでいきそうだった。

 俺が死んだ後の学校の様子も気になった。
 あの空間の亀裂、あれが破裂したところまでは覚えてる。
 あれで俺が死んだということは、他のみんなはどうなったんだろう?
 京介や叶多、隣の席の長谷部さん、みんな、俺と一緒に死んでしまったんだろうか?
 そう考えると、怖くなる。
 あの日の朝までなんともなかったのに、今ではもう会うことはできなくなってしまったんだ。



 転生してから今までの間、俺は押しつぶされそうな不安と戦い続けてきた。
 わけもわからないまま、気づいたら赤ん坊になっていたのだから、不安になるのも当たり前だ。
 しかも、俺が生まれ変わった国は日本じゃない。
 それどころか、地球のどこでもなかった。
 ここは、地球ではない、異世界だった。

 最初はそれがわからなかった。
 言葉もわからないし、俺は今いる育児室から外に出ることがほとんどなかった。
 だから、色々と分からないことが多かった。
 初めはどこかヨーロッパの国だと思っていた。
 けど、魔法を見た瞬間、そうじゃないことを知った。

 この世界には魔法がある。
 一番最初にそれを見せられたのは、教会の偉い人が、祝福というものを俺に施した時だった。
 キラキラとした光が俺を包み込み、体に力が溢れてくるのがわかった。
 トリックだとか気のせいだとか、そんなレベルの話じゃなかった。
 俺は魔法があるということを、身を以て実感した。

 魔法がある、その事実に最初は興奮した。
 けど、そのあとまた不安になった。
 魔法なんてものがある世界で、俺は果たしてうまくやっていけるんだろうか?
 俺は前世では本当に平凡な男だった。
 日本にいたときはそれでもなに不自由はなかった。
 けど、この世界では、俺は平凡でいることは許されない。
 その期待に応えることはできるんだろうか?
 不安になる。

 必死になって言葉を覚えた。
 言葉がわからないというのは、想像以上に恐ろしかった。
 相手が何を言ってるのかわからない。
 それがこんなにも心細いものだとは思わなかった。
 世界で一人、自分だけが孤立しているかのような錯覚をした。

 異世界に生まれて不安。
 言葉がわからなくて不安。
 今後やっていけるのかどうか不安。
 何もかもが不安だった俺を救ったのは、俺の隣で安らかな寝息を立てる妹の存在だった。
 この腹違いの小さな妹は、不安の一つも抱えていなかった。
 まるで世界には不安に思うものなんてないというかのように、伸び伸びとしていた。
 まあ、赤ん坊なんだから当たり前か。
 何をするのも人任せ、すべてを世界に依存した弱々しい存在。
 本来赤ん坊はそういうものだ。
 俺がこんなにも不安に思っているのは、前世の記憶があるからだ。

 そして、気づいた。
 俺は前世の記憶があるから、少なくとも精神的には妹より上のはずだ。
 それなのに、その妹がこんなにも幸せそうにしている横で、俺は何をうじうじ悩んでいるんだろうと。
 俺はこの子の兄だ。
 兄が妹に情けない姿を見せてどうするんだと。
 兄なら兄らしく、格好良い姿を見せるべきなんじゃないのかと。

 ただの見栄といえばそれまで。
 けど、俺は、それからは悩まなくなった。
 まだ不安が全部なくなったわけじゃない。
 けど、この無力な妹を守るくらいのことはしたい。

 言葉を覚え、聞こえてくる話し声からこの世界のことを少しずつ知っていった。
 少しでも早く動けるようになるために、赤ん坊の体に鞭打って動き回った。
 そのおかげで、普通よりだいぶ早くにハイハイができるようになった。
 こうして俺は、妹への見栄からやる気を出した。
 妹に誇れる兄になるために。

 それが俺、アナレイト王国第4王子、シュレイン・ザガン・アナレイトの出発点だった。
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