裏通りの歌姫
平凡な顔を綺麗に見せるために厚く塗りたくった化粧。
寸胴である体を隠すために、フリルを沢山使ったドレス。
頭の先からつま先まで、もとの素材をうまく隠すために、盛りに盛ったものだから、近くで見るとバレてしまう。
だから、私は舞台上から降りることなく、歌い続ける。
『神に捧げるべき歌声』
と言われているようだけど、歌っている場所は裏通りにある地下のお店。
集まる人は神殿に顔向けできないような素性の人たちばかり。
でも、裏通りにある中でも高級店であるため、警備はしっかりしていて、荒れた客は入ってこないから有難い。
「お疲れ~。今日も澄んだいい声だったよ。」
5曲歌ったところで、今日の当番である別の女の子と交代しようと袖に下がったところ
もうすでに準備万全の状態で控えていた、『天使の歌声』と呼ばれる少女に声をかけられた。
「ありがとう。」
私が働くこのお店は歌声を聞きながら食事やお酒が飲めるというのが売りの飲食店だ。
現在このお店で働く歌い手は10人。
特別貸しきり日以外は1日4人が担当してローテーションでまわしている。
「ねえ。今日のお客の中にファジル伯爵っていた?」
舞台から降りることのない私には何十人といるお客の顔一人ひとりの顔を判別することは難しいことだったけど、ファジル伯爵は遠目からでも分かるほどの縦と横に伸びた体格をしているため、答えることが出来た。
「うん。中央の前寄りの席に座ってたよ。同席してたのは側室の方かな?」
私の言葉に少女はキラリと獲物を確認する目になる。
「どんな人?私より綺麗?」
伯爵はよく側室と思われる女性を伴って、この店に食べに来ていた。
一応、言っておきますが、このお店の評判は貴族にも知れ渡っているらしく、時々お忍びで来ている人がいるのだ。
まあ、神殿に顔向けできる人かどうか、私には判別付かないけども。
とにかく、そんなお忍びで来る人の一人であるファジル伯爵にこの目の前にいる少女は狙いを定めているらしい。
「貴方の方が勝ってるから安心していいよ。」
仲間だからとかそんな考え抜きで判断しても少女のほうが勝っている。
金の糸の様なキラキラした髪と宝石のような青い瞳、18歳という若さに、すらりと伸びた手足。
彼女が『天使の歌声』と呼ばれているのは、”見た目が天使のような綺麗な女性が歌う声”という意味らしい。
そのことを本人も自覚している。
「ふふふ。だてに天使と呼ばれていないからね。よし!行って来る。」
そう言うと少女は舞台の中央へ歩き出した。
その様子をしばらく舞台袖で見ていたが、この後入れている予定を思い出し、すぐに自室へと小走りで戻っていった。
歌い手10人で共有している洗面所で、厚く塗りたくった化粧を落としていると、後ろから声がかけられた。
「晩御飯どうする?もう日が変わりそうだけど。」
泡まみれの顔で振り返ると、歌い手の一人である背の高い男が寝起きの顔をして、どうする?と首を傾けていた。
この男は低く深い声で女性たちを虜にしている人で、歌声と同じように深くやさしい性格をしている。
私を含めて9人の歌い手達は、目の前の男に言わせると、どこか抜けててあぶなっかしいらしい。
だから、先ほどのような気遣いをかけてくるのは日常なのだ。有難い。
作ろうか?という声に首を横に振る。
「今日は約束してるから大丈夫。お隣で食べてくるよ。」
お隣は私たちのお店のような高級店ではなく。地元の人から愛用されるような店だ。
私の言葉に困ったように眉を下げた男はここ最近、よく聞く言葉を出してきた。
「その男、大丈夫だろうな。メーアもお前も浮かれすぎると地に落ちるぞ。」
メーアとは舞台袖で交代した少女のことだ。
少女のことはファジル伯爵のことを指しているのだろう。
そして私のことは今から会う人のことを指しているのだろう。
「大丈夫だって。すごく平凡で地味でいい人なんだ。」
泡だらけの顔で幸せそうに笑う私の顔を見て、肩をすくめた男は「気をつけろよ」と言い残し部屋へ戻っていった。
それから、私はもとの黒髪に黒色の瞳を持つ地味な顔、平凡な服に戻って、隣へ向かう。
お隣のお店は細い路地側に入り口があるため、見つけにくいお店になっている。
月日がたってよれよれになってしまった暖簾をくぐって、がたつくドアを開けて、中を確認すると
入り口左側の隅の席に探し人がいた。
相手もこちらに気づいたらしく、手を振ってくれる。
「お待たせ。もう頼んだ?」
「いや、まだ。一緒に頼もう。」
私のたずねた声に、少し微笑んだような声で返事がかえってきた。
目の前にいる男は目を覆い隠すような野暮ったい黒髪に、大きな丸いめがねを掛けている。
背が高く鍛えられていそうな体をしているのに、体を丸めて猫背にしているため、威厳がない。
おまけに声が小さいため、いっそう弱弱しく感じる。
だけど、そういった点があるおかげで、平凡で地味な自分にはお似合いではないのか、と嬉しく感じているのだ。
話も合うし、一緒にいて安らぐし、沈黙も苦じゃない。
こんな理想のタイプと偶然出会えたのは神のお導きではないだろうかと運命さえ感じている。
彼と出会ったのは、数ヶ月前。
昼の買出しに出かけていて、両手がふさがって目の前が良く見えない状態で歩いていた私は曲がり角で彼とぶつかってしまった。
彼は悪くないのに、しきりに謝ってくれて。しかも、お詫びまでしたいと言い出したのだ。
その時、何か用事の真っ最中だったらしく、散らばった荷物を拾えないことに対しての謝罪らしいが。
こちらが悪いから気にすることは無いと断る前に一方的に約束を取り付け、彼は去っていってしまった。
無視してしまおうか悩んだけど、約束した時間は昼間だし、知っているお店だったし、待ちぼうけ食らわせるのは悪いし。
で結局、約束場所に行ってしまったら、何故か意気投合して、こうして時々ご飯を食べる仲になっていた。
「ミア?」
ボーっといままでの経緯を思い出していたら、運命の彼であるラントから声がかけられた。
”運命の彼”なんて言ってますが、実際は友達どまりです。
「何?」
私が彼に視線を向けると、ラントは下を向いて視線をずらしてしまう。
恥ずかしがり屋だから仕方ないとしても少し傷つく。
「ミアは今週の休日にあるお祭りに行く予定は?」
あれ。もしかして、お誘い?だったら嬉しい、と思って急いで肯定する。
「じゃあ、騎士隊の行列は見たりする?」
どうやらお誘いではないらしい。
「えーと。どうだろう。やっぱり、部屋で寝てるかも。」
もとからお祭りなどに興味はない。ラントが一緒に行ってくれないのであれば、部屋でごろごろするのが一番だ。
そう思って返事をしたのだけど、なぜだかラントがそわそわしだした。
「え。見ないの?なんで?」
「なんでって言われても。興味ないから。」
そうとしか言いようがない。
「女の人は騎士隊の人が憧れって聞いてたけど。ミアは違う?」
「憧れって言えば憧れだけど・・・。」
手が届かない、違う世界の人たちだと思っている。
身分が高く、キラキラした世界に住む人達。
裏通りに住んでこそこそと暮らしている自分が見るとなぜだか逃げ出したくなるような、隠れたいような気分にさせられる。
微妙な気分になって私はやや気持ちが下がってしまったが、ラントは何故だか気分が上がっているようだ。
「だったら見てに来て。普段よりいいもの着てるから割り増しで格好良く見えるはず。」
どうだ。といわんばかりに何故だか祭りの、騎士隊の行列を進めるラントを半目で見る。
「なんで、ラントが勧めるの?」
「え。」
「騎士隊に何かあったりするの?」
私の質問にラントは手を開け閉めしだした。どうやら緊張しているらしい。なぜだ。
「・・・あの、さ。騎士隊の人で、ミアに、紹介したい人が、いる。」
!?
ラントの言葉に一瞬動作を止めた私にさらにラントは続ける。
「会うだけでいいんだ。会ってくれるだけで。」
ラントの必死さに飛ばしかけていた意識を戻す。
「・・・もしかして、誰かに女紹介しろとか脅されてる?」
私の言葉にラントは瞬時に首を横に振る。
「違う!」
その必死さが逆に怪しく思えてしまう。嘘を隠すために、必死になっているように見えたのだ。
それならば、ラントの助けになるのなら。
「・・・なら、いいけど。」
ほれた弱みか、助けてあげたいと思ってしまうのだった。
**************
「怪しすぎるだろ。気をつけないとお前、気づいたら殺されてるかもしれないぞ。」
そう忠告する同僚をなだめて、祭りに足を向ける。
先日、ラントと分かれる前にもう一度、祭りに行くよう勧められたので、しょうがなく参加することになった。
一人で。
普段、来ることのない表通りだけど、裏通りより十分安全だし、昼間だし、人も一杯いるから一人でも平気だった。
出かけたついでに、皆のご飯も買って帰ろうと、出店を物色していると。
どこからか、女性達の歓声が聞こえてきた。
その方角へ視線を向けると、旗を掲げ馬に乗った集団が小さく見えた。
騎士隊の行列だろう。
先頭の黒馬には騎士隊の隊長が、その斜め後ろには白馬に乗った副隊長が続く。
その後ろにはずらりと栗毛の馬に乗った隊員達が続き、行列の真ん中にはメインである、王様と王妃様が乗った馬車がいた。
私の感想としては、「さすが世界が違う人たちだ」これだけである。
一行は長く、これすべて見るのはさすがに時間がかかるし、最後尾まで見るのはめんどくさいので
先頭の隊長、副隊長を見て帰ることにした。
2人だけでも、騎士隊を見たことには変わりないし、約束はちゃんと守ったことになるだろう。うん。
そう、自分に言い聞かせて、人の壁に突っ込んで行く。
ぎゅうぎゅう押されながら顔を上げると、少し遠いが顔は確認できる距離を確保することが出来た。
先頭にいる隊長は黒ずくめの人だった。黒い馬に乗った黒髪の短髪、青い瞳に黒い服。
噂で夜のように冷やりとする人だと聞いたことがあるけど、姿と雰囲気を見ると納得できる。
背筋を伸ばし、行く先のみを見つめて、淡々と馬を進めていた。
対して副隊長のほうは周囲を警戒するためだろう。きょろきょろと辺りを見回して、確認を取っていた。
別の見方をすると、何かを落として探し物をしているのではないか、と思うぐらい
見落としなんてするものかというほど真剣に周りの様子を見ている。
白い馬に乗った副隊長は銀髪で緑の瞳をしていた。
隊長と同じように黒い服を着ていて、2人並ぶと女性達が興奮するのも頷ける。いい目の保養だ。
じっと見つめすぎたせいか、一瞬誰かと重ね合わせそうになったが、こんな見た目派手な知り合いはいないのですぐに意識を切り替える。
さて、もどって今日も仕事をしますか。
**************
その数日後、ラントと会う約束をしていつものお店で待ち合わせをしたところ、明らかに日常とは異なる存在の人がいた。
ラントが座っている席の向かいに急いで座り、疑問を小声でぶつける。
「なんで、この店にこんな時間に隊長さんがいるわけ!?」
そうなのだ、店の隅にあきらかに場違いである存在。騎士隊の隊長が普段着で一人でお酒を飲んでいたのだ。
「もももも、もしかして。紹介したい人って・・・。」
「違う!」
どもりながら、ラントに確認を求めると。即座に否定してくれた。
よかった!というか、ないよね。うん。ないない。
「じゃあ、なんでいるの。あの人。」
私の疑問に今度は直ぐに答えてくれないようで、何かをぶつぶつ呟いていた。
まあ、ラントも知るわけないしね。
「あんまり。見ないほうが良い。」
ちらちらと隊長のほうを窺っていると、ラントから止められてしまった。
そうか。いちゃもん付けられたら困るしね。
「でもさ。あっちも、なんかこっちチラチラみてるんだけど。ラントもしかして知り合い?」
まさかね。でも、騎士隊に知り合いがいるらしいから、一応聞いてみる。
「・・・今日は別のお店にしよう。」
帰ってきたのは答えでなく、別の提案でした。でも、私も落ち着いて食べたいからその提案に乗ることにした。
移動しようと立ち上がると、黒髪の人が前を通り過ぎ、ラントにぶつかる。
「ああ。悪い。」
そう言った隊長の顔はニヤリとしていて、いたずらが成功したような子供の顔をしていた。
そして、私は見てしまった。
隊長にぶつかって、ラントの髪がとれかけた瞬間を。
どうやらラントの黒髪はカツラだったようで、ずれて銀色の髪が一瞬見えたのだ。
「・・・見た?」
隊長が店から去って、続けて無言で店を出た私達は次の店へ移るために足を進めていたのだけど
その途中で、ラントが小さく声を出した。
見たといえばいいのだろうか。若白髪を隠すために、カツラを被っているのだろうか。もしかして、若ハゲだったりするのだろうか。
などなど、悶々としてしまったが。返事を待っているラントへ顔を向けて首を横に振る。
「ううん。ていうか何を?」
とぼけてみた。本人が告白したら受け止めてあげようと思う。それまで知らないフリをしてあげることに決めたのだ。
「そ、そうか。」
ラントは私の答えに安心したような残念なような声を出した。
**************
「ミア、ファジル伯爵が今日はどんな洋服着てるか見て教えてくれない?
合わせてみようと思うの。1曲歌った後の休憩は部屋までさがって教えに来てよ。ね。お願い。」
いつも休憩は舞台袖にある椅子に座って休むのだけど、時々部屋まで戻ったりする。
だから、メーアのお願いを受けても問題はない。
「いいよ。でも、合わせて意味なんてあるの?」
私の答えにメーアは感謝をして、質問に答えてくれる。
「そろそろ。追い込みを掛けてみようかと思ってね。
私、皆みたいに歌で借金返済できるなんて思ってないから。
店長もそう考えてるし。」
私達、歌い手は実は皆、売られているところを店長に買って貰っていたのだ。
その買ってもらった金額を2倍にして店長に返済すれば自由の身となる約束を交わしている。
私はお客さんからのチップや個別で歌ったりなどしてすでに返済は終わっているので、ここに囚われているわけではない。
ただ、他に働く当てが無いことと、意心地がいいので継続して働かせてもらっている状態だった。
メーアは1年前に入ってきた子で、どうやら声で引き抜かれたのではないらしく
店長は、メーアに対してだけ、歌が終わったら舞台から降りてお客の話し相手をするようにと言っていた。
メーアもちゃんとそのことは分かっているようで、積極的にお金持ちそうな自分好みの相手を物色して回り、ファジル伯爵に目をつけたという流れだ。
ファジル伯爵はお金持ちで女性を多く囲っているので、身請けしてもらってその仲間に加えていただこうとメーアは考えている。
他にもメーア目当ての独身金持ちはいるけど、メーアはファジル伯爵がいいと決めてしまったのだ。
「わかった。休憩になったら直ぐに行くよ。」
「ありがと。」
舞台には照明が当たっているが、客席に明かりがほぼない状態で人を観察するのは難しい。
じゃあどうすればいいか。
舞台に向けていた足を止め、裏に回り、照明担当の男を捕まえて少し無茶な要求をしてみる。
「いくらミアさんの頼みでも、今日の設定を変えるわけにはいかないよ。」
ひょろりとした男は困ったような顔をしているが、何を求めているのか直ぐに分かったミアはポケットに入れていたお札を数枚、男の手に握らせる。
「ちょっと、客席の照明を明るくするだけじゃない。ね。」
手の中のお札を数えた男はしょうがないなあと肩をすくめるとOKを出してくれた。
身支度を軽く手で整えた後、舞台へ上る。
お客の席を見るといつもより顔が良く見え、小さく微笑んだ。
照明から外れている舞台袖にいる奏者の2人が曲を弾き始めたのに合わせて、呼吸を整える。
私の声に合わせて、他の人より演奏者は少なく、聖歌のような曲が中心となる。
歌っている本人も聞いている人たちも、全然聖なる存在ではないのに、この時だけは澄んだ空間となれるよう、思いをこめて歌い上げる。
擬似的なものでしかないけど、聖堂にいるような、少しでも罪が拭い去れるような気持ちになればいいと思う。
歌っている間は余裕が無いため、周りを見渡すことは出来ないけど、1曲目は間奏が長い曲であったため、この隙にと
客席を遠慮なく眺めてみた。
いつも来てくれている常連さんに、見たことのない新しい人、そして、前列にはおなじみのファジル伯爵。
今日はどうやら黒色に赤いネクタイらしい。連れの女性はいない。メーアにとってチャンスといったところだろうか。
そう思いつつファジル伯爵から目を横のテーブルに向けると、見知った顔がそこにいて、鋭い真剣な視線をまっすぐこちらに向けていた。
銀色の髪に緑の瞳。来ている服装はいつもの騎士隊の服ではないが、きっちりしたものを着ている。
というか、なぜここに副隊長が!?
足を一歩後ろに下げたところで、間奏が終わりに差し掛かっていることに気づく。
いけない。今は仕事中だ。歌に集中しなおさないと。
目を閉じて歌だけに集中する。
余計なことは考えない。余計なことは考えない。
この後はちゃんと予定通りメーアに服装の内容を伝えることが出来て、歌もいつもどおりきちんと歌えた。たぶん。
**************
「ねえ。ラント。この町は騎士隊に何か目を付けられるような何かが起こったの?」
そりゃあ、色々と物騒な町だけど、今まで国からは見向きもされなかったじゃない。
それなのに、最近は隊長や副隊長が姿を現すようになった。
一夜の春を求めてというなら分かるが、そことは通りが少し違う。
私の質問にラントは逆に聞き返してきた。
「何でそう思う?先日の隊長の件で?」
「それもあるけどね。実は先日、職場で騎士隊の副隊長を見たの。」
私の言葉にラントはかなり驚いたらしく、飲んでいた水を気管に入れてしまいむせ始めた。
それを横目に私は続ける。きっと耳は傾けているだろうことを期待して。
「じっとみられててね。思いつめたような、何かあるんだぞって雰囲気だったの。
ねえ。何だと思う?」
そういって、ラントに目を戻すと、むせたからか、顔を真っ赤にさせていた。
「み、見えたのか?客席見えないって話してなかった?」
ラントには度々私の愚痴を聞いてもらっていたため、職業はばれている。
「ファジル伯爵を見ようと思って照明をいつもより明るくしてもらったの。」
「え。」
「あ。これ内緒ね。」
お客の情報をいったところでラントにどうこうする事はできないと思うけど一応釘を刺しておく。
「「・・・。」」
なぜだかその後はお互いあまり言葉を発せずにいた。
何も、不機嫌にさせるような会話じゃなかったはず。と思い返していると。
帰り際にラントが一言呟くように言った。
「・・・ファジル伯爵には余り近づかないほうがいい。」
私はラントの言葉をあまり重く受け止めず。もしかして、嫉妬してくれたとか!?と浮かれてしまっていた。
**************
先日言われたラントの言葉をまったく忘れていた私は、メーアと共にファジル伯爵のお屋敷のパーティーに、のこのこ参加をしてしまっていた。
大きな広間で数十人ほどの女性達が集められ、皆煌びやかな格好の美しい少女達だった。
何基準で招待されたのか分からないけども、妙にいやな胸騒ぎがした。
だけど、いまさら帰るなど言えないし。メーアを残して去ることも出来ない。
もんもんと考えているうちに主催のファジル伯爵が現れて、皆の手元にはおいしそうなお酒が配られた。
「乾杯!」
そう合図があったので、グラスを上に掲げ、たったの一口飲んでみたところまでは覚えている。
意識が戻った時には両腕が縄でくくられ、目隠しをされて床に転がされていた。
人の気配があったので、きっと会場にいた少女達も一緒なのだろう。
だけど、誰も目を覚ましていない様子で、寝息は聞こえるけども声を出している人は一人もいなかった。
きっと、私は一口だけだったのでそこまで薬が効かなかったのだろう。
といっても、すでにどこかへ監禁されている様子なので手遅れだったが。
さてどうしようかと、芋虫のように動いてみたけど、どこかの角に頭をぶつけたので、おとなしく紐が抜けないか手足をバタつかせるのみにした。
そうこうしていると、どこからか争っている音と爆音と悲鳴が聞こえてくる。
その音を一つでも逃すまいと、耳を済ませていると、バタンっとドアが開く音が間近で聞こえた。
「いました!1、2、3、・・・20人います!」
若い青年の良く通る声を聞いたとき。助かった。これで安心だと胸をなでおろした。
青年が一人一人の縄を解いている音を聞いていたら、戦う音はいつの間にか止まっていて、複数の足音がこちらへ向かってきていた。
「ミア!ミアは・・・。ミア!」
その複数の足音の内の一人が部屋に入ってくるなり、大声で私の名を呼ぶ。
ていうか、この声。
「ラント?」
私が声を出したのと男が抱きついたのは同時だった。
「ミア!よかった・・・。よかった・・・!」
未だに目は隠されたまま、手と足は縄で繋がれたままで、身動きが取れない状態だったのでラントに身を任せるしかない。
「でも、なんでラントがここに・・・?ちょっと、これ取ってくれない?」
疑問符だらけの私を総無視して、ラントはひょいと私を担ぎ上げると周りの人たちに命令を出し始める。
「女性達は全員丁寧に扱え。参考人と被害者として城に来てもらう。1隊と7隊はここに残れ、2隊は逃げたものを追え。
3隊は女性達を、4隊はファジル伯爵を含めた誘拐犯を連行しろ。残りは周りを見回り、異常が無ければ城に引き上げろ。以上だ。」
私はラントから発せられる言葉の内容とラントの関係を結びつけることが出来ず、少し混乱した状態となってしまう。
というか。ラントって騎士隊なの?何なの?
私を抱き上げたまま、どこかへ移動しているラントに小さく尋ねる。
「ラントって・・・何?」
「・・・ただの人だ。ミアはミアだろ?」
なぞ掛けですか。なんですか。
ひょいと降ろされたと思ったら、唐突に目の前が見えるようになった。
最初に目に飛び込んできたのは、いつか見た銀髪。騎士隊の行列のときと、カツラが一瞬取れて見えたとき。
そうか、行列の時に副隊長を見て、思い出したのはラントだったんだ。
と、頭のどこかでは冷静に思いながらも、大部分は混乱に陥っていたため餌を求める魚なの様に口を開け閉めするしか出来なかった。
目の前にいる、黒いカツラもメガネも猫背でないラントがそこにいた。
銀髪で緑目で騎士隊の服を来た副隊長。
「な、何。ラントが副隊長・・・?」
「そうだ。」
「わたし、えと。勘違いしてた?会ってくれてたのはこのためだった?ていうか、騎士隊の人・・。」
「いや。違う。潜入捜査をしていたのは確かだけど。ミアのことは数年前から知っていた。」
なぜか私の手足が震えてきた。
「そ、そうなんですか。なんか、失礼なこと言ってたら、ごめんなさい。」
「ミア。目を見て。」
震える両手を握り、視線をさ迷わせていたら、ラントが大きな手で頬を左右から挟みこみ顔を固定して、数センチほどの距離で顔を合わせてきた。
そこには、恥ずかしがり屋のラントはいない。
きっと、顔を正面から見てバレるのを恐れていたのだろう。
声もあんなにもよく通る良い声をしているのにワザと小さくしていたんだ。
「あの。・・・私、騎士隊の人だって知らなくて、色んなことを」
「騎士隊に所属してたら、ミアとはもう会えないのか?」
会えない?頭が混乱していて無礼だったことを詫びなければ。と瞬時に思いはしたけど。
もう会わないなんて発想は出てこなかった。私が固まっていると、ラントは続けた。
「何が違う。ミアだって、あの舞台では女神だ。騎士隊なんかよりずっと手が届かない存在だった。
でも。普段のミアも舞台にいるミアも同じ、人だ。」
その言葉にはっとする。
確かに、着飾って舞台に立ち、一部の人から賞賛を貰い、『神に捧げるべき歌声』なんて言われてお金を貰っている歌い手ミアも私だ。
「でも、私は、ただの平民で。手が届かない存在なんてものじゃなくて。」
そう言うと、目の前のラントが苦笑する。
「ミアは俺の努力を知らない。」
その言葉に少しむっとする。
「知らないわよ。」
「俺だって、ただの平民で。手の届かない存在なんてものじゃない。」
ラントの言葉に私は目を見張る。え。平民!?目の前のキラキラした人が!?うそでしょう。
「ほら。何が違う。」
両頬にあったラントの手がいつの間にか片方外れていて、薄汚れた私の髪をなでていた。
おかげで気分は落ち着いたが、何か言い返さないと気がすまない気分になった私は大きく息を吸い込んだ。
だけど、言葉を発する前に頭を何かに殴られた私は両手を当ててうずくまることになってしまった。
「いちゃついてないで。さっさと城へ引き上げろ!あとはお前ら2人だけだぞ。
さっきから聞いてりゃ、貴族をまるで人でない言い方しやがって。
知ってるか。そう言うのを差別ってんだ!」
顔を上げると、鬼のような顔をした黒髪の隊長がいらっしゃった。
というか、普通一般人を殴りますかね。
「あの人。見た目あんなだけど、中身子供だから。ごめん。」
そういって、やさしく頭をラントがなでてくれたので、まあ許してやろう。
その後、城で数時間取調べを受けた後、私達は無事解放されることとなった。
メーアは大層落ち込んでいたけれど、次の日には別のお金持ちに標的を変えていた。
「でも、なんでまた側室持ちにするの?」
次の標的はこれまた側室を沢山持った貴族だった。
独身の貴族だって、お金持ちだっている中からなぜ妻がすでにいる男性を選ぶのだろうか。
「だって、絶対いつかは捨てられるんだもの。変な期待は持ちたくないじゃない?
それなら、平民を娶ったことのある男性を相手にしたほうが、色々面倒くさくないと思うのよ。
まずは、自由の身になることが目標よ。今回のことを教訓にして、今後は下調べまで徹底的にやってやる。」
生きることが第一で、恋愛なんてただのオプション。と言い切るメーアは下向きに言い張っているのではなく。
この時代を生き抜くために上を向いて進もうとしているようだ。
それが正しい方法であるかどうか、私には分からないけど、彼女からは何かを諦めたような悲壮なものは感じなかったので、今後も私が手伝える部分は手を貸そうと思う。
さて、私とラントのその後ですが、対して変わらず。週3ほどの頻度で食事をする程度。
ただ、最近はラントが家の自慢をするようになったことが少し変わったことだろうか。
「家に部屋を増やしてみたんだ。」
「ミアの好きな白色をメインにしてる。」
「食器を少し増やしてみた。」
などなど、ふーん。と私が適当に相槌を打つと残念そうな顔をするので、出来るだけのってあげている。
「食器ってどんなやつ?」
するとラントは嬉しそうに笑う。
以前は下を向いて視線をずらしてしまっていたが、今はちゃんと目を合わせて微笑んでくれる。
以前と変わらず、裏町にいるときは黒髪のカツラとメガネを付けているけど、何かが微妙に変わっていた。
「こだわりある?なら一緒に買いに行こう。」
「え。うん。いいけど。」
「裏町じゃない、表通りの食器店だから。この姿じゃないけど。」
それでもいいのかと、訊ねる視線に一瞬詰まってしまった。
だけど、姿が違っても彼はラントなのだ。
「いいよ。」
色んなハプニングが起こってしまうかもしれない。けど、それは起こった後で考えよう。
私の今の目標はラントという名の人と一緒にいる。ただそれだけのことなのだから。