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ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
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8 氷

「昨日の夜、朱里の弟さんと電話で話した。姉の日常を教えて欲しい、という連絡があって。隆之という人」
「案内状をくれた人ですね」と、弓削はまだどことなく不安げだ。
「そう。でも、俺の方からはあまり話すことはなかった。で、彼が言うには、警察もあまり突っ込んでは捜査しなかったらしい。一応は、俺たちはじめ関係者に聞いてまわったらしいけど、殺されるほど人に恨まれているわけでもない。一方で自殺の動機になりうるようなこともつかめない。でも遺書はある。ということで最終的には自殺ということに落ち着いたらしい。しかしご両親や弟さんにとっては、なんとも釈然としない話なわけや。そらそうやろ。娘が自殺したと聞いて、はいそうですかと納得する親はいない。ただ彼らも、娘を大阪に残して新潟に引っ越してからは日常的な付き合いをしていなかったらしい。だから、なんとも言えなくて、結局は警察の結論を受け入れるしかなかった。ただお母さんは、せめて娘の日常をもう少し詳しく知りたいと思ったんや。それで隆之さんに、娘の生前の様子を、友達や仕事関係の人に聴いてまわってくれと頼んだということらしい。彼はいろいろな後始末をするために、しばらく大阪に残っている」

 柏原が鶴添が注文した二杯目の水割りを作っている。佐藤も自分の空のグラスを掲げてアピールした。
 優はグラスに付いた水滴を指で撫で落としていた。

「前置きが長くなったな。でも、隆之さんにも気になることはあったらしい。重要なことじゃないと言ってたけど」
 メンバーの視線が再び生駒に集まってくる。
「どういうことかというと、朱里は子供のときから乳製品が大の苦手で、というよりアレルギーに近かったらしい。ところがあいつが倒れていた近くにチーズのお菓子が数個、転がっていたそうなんや。あいつが死んだ山の斜面に」

「警察署で遺留品を見せられたときは、隆之さんは気が動転していて気がつかなかったらしいけど」
 恵が眉間に皺を寄せた。
「さすがに母親はそれを聞いて、あれっと思ったらしい。しかし彼らも娘の好みが変わったのかと思って、警察にチーズアレルギーのことは言わなかった」

 バー・オルカに生駒の声だけが流れていく。

「それからもうひとつ。子供のころはまだしも、大人になってからの姉は、山登りに全く興味はなかったはず。暑い時期に汗をかいて山に登ったり、海水浴で日焼けしたりする人の気がしれないと朱里はよく言っていたらしい。そんな姉が自分の死に場所として、あんな険しい山の中を選ぶのは変だということやな。しかしこれも、姉が近頃のブームに乗って山登りを始めたのかもしれないと考えると、なんとも言えなくなる。いずれにしろ、お父さんとお母さんにとっては、娘が死んだだけでもとんでもないショックなのに、自殺ともなればなおさらで、葬式のあとすぐに新潟に帰って寝込んでしまわれたらしい」
 蛇草がグラスを揺らし、氷がカラカラと音をたてた。

「ただ隆之さんは、引っ掛かる気はするけど、あえて問題にする気はない、そんな口ぶりやった。まさか殺されたんやないか、なんて思ってもいないんやろう」
 恵が、殺された?とつぶやいた。
 生駒はかまわず話し続ける。
「自殺説に疑いを持っているとしても、親の取り乱しようを見て、ややこしいことは言わないでおこうと思っているのかもな。まあ、電話で話しただけやから、彼の気持ちをどれくらい正確に説明できているか、自信はないけど。ま、そんな感じや」

 生駒は、氷がなかば溶けてしまった薄いハイボールをぐっと飲んで、改めて全員を見まわした。
 弓削がつられたようにグラスに手を伸ばした。

 ここで鶴添が突然、そういえば、と切り出した。
 生駒が比較的静かな声で話していたので、鶴添の声は大きく聞こえた。
 顔がいっせいに鶴添の方に向く。皆の反応にあわてたように、医者は二の腕を片方の手で揉んだ。

「コナラ会の二次会をここでやったとき、チーズの話題が出ましたよね。ほら、柏原さんがベルギー産だと言って珍しいチーズを出してくれたとき。赤石さんと僕以外は誰も食べなかった。ひからびたブルーチーズみたいなもので、よほどの好きでないと手が出せないやつ。あのとき、中道さんは乳製品アレルギーとかなにか、言ってましたか?」
 鶴添の質問の答えは誰も覚えていなかったが、蛇草が話を引き取った。

「確か朱里はあの後、すぐに帰った。おまえと赤石は酔っ払っていて、皆にそのチーズを食えとうるさく言うもんやから、なんとなく場がしらけてしまったんや。俺は彼女と話していたから覚えている。そして彼女、家が近くやからと弓削を無理に引っ張って帰った」
 弓削は手を頭の後ろに組んで首を後ろにそらせ、顔を天井に向けていた。
 生駒はそれ以上誰も発言しないことをみて、話を先に進めた。できるだけさりげなく聞こえるように注意しながら。

「俺はあいつと高校の同級生やったこと、コナラ会の仲間やということ以上の特別な付き合いはない。しかし、独り立ちしようと一生懸命のあいつが、もし殺されたのなら放っておけないと思う」

「殺された……。さっきから、物騒な話になってきたな。いったいおまえら、どういうことなんだ?」
 佐藤の戸惑いに、今度は柏原が口を開いた。
「生駒が言うように、仮に自殺ではなかったとしよう。そうしたら、なぜ遺書があるのかということが問題になる。もし自殺ではなかったとしての話ですよ。単純に考えると、その遺書はにせ物。ということは、誰かが何らかの意図で遺書を用意したわけですよね。で、その意図とは、朱里を殺して自殺に見せかけるということ」
 恵が息をのんだ。
 振り返ると、優は身じろぎもせずに前の壁を見つめていた。

「ほかにも、例えばこんなケースも考えられる。その遺書は以前に朱里が書いていたものであって、朱里が死んだのはたまたま事故だった、とかね」
 と、柏原が続けて言う。
「柏原の言うとおり、いろいろ考えられると思う。俺たちにはほとんど情報がないから、ここではどんな結論も出しようがないかもしれない。だから、今日はとりあえず自殺ではなかった、つまり殺されたと仮定して、もう少しお互いに情報交換をしてみたいんや。いいかな」
 弓削が頷いている。柏原もそれでいいというように生駒を見ている。

「俺たちのしようとしていることが、必ずしもなにかをはっきりさせることにはならないかもしれない。しかし、あいつのことを酒の肴にして飲もうとしているわけではない。これはわかって欲しい。どこにおかしな点があるのか、それをどう考えたらいいのか。思っていること、知っていることがあったらお互いにオープンにする。そうしたら見えてくることがあるかもしれない。そう思っている」

 蛇草がぼそりと口を開いた。
「生駒、もうちょっと突っ込んだ話にならないのか。情報交換? その程度の目的で、俺達を集めて朱里の話をしようというのか。俺も今日の集まりの目的はわかっているつもりや。確かにおかしいと思っているからな。ところが、たいした情報も仮説もない。おまえがさっき話した程度の情報で、推理ごっこみたいなことをするのか?」
 蛇草の言葉には棘だけではなく、怒気が含まれていた。
「そんな言い方をするんやったら、知ってることがあるんやな。厭味な言い方してないで、それを披露したらどうです」
 生駒はくってかかった。
 蛇草は、フンと鼻を鳴らしてグラスを手にする。鶴添が従兄を押さえるように手を伸ばした。
「真治さん、なにをいらついているんです。そんなに噛みつかなくても。まだ始まったばかりですよ。生駒さんが一番よく知ってるようなんだから、お任せしたらいいんです」
 弓削も加勢する。
「そうですよ。せっかくの会合をぶち壊さないでください」
 蛇草は弓削を睨んで、グラスを揺らしてから口に持っていく。
 生駒は収まらない。

「おい、蛇草さん。推理ごっことはどういう言い草や。あんたに考えがあるんやったら、自分で進行役をやったらどうや。俺はな、自己満足でこんなことをやろうとしてるんやないぞ!」
「フン、俺はおまえにもうちょっと真剣になって欲しいだけや。いい加減な気分の推理ごっこなら、しない方がまし」
「いい加減にしろ! あんたはいつもその調子や。自分からはなにもしようとしないくせに、文句だけはつけたがる。それを卑怯というんや!」
「なんやと!」
 蛇草が乱暴にがたりとグラスをカウンターに置くやいなや、佐藤が割って入った。
「ふたりとも、興奮するなよ。お互い、なんのためにここにいるんだ?」
 そのとき、扉が開いて赤石が入ってきた。柏原が快活に声をかけた。

「おおっ、遅かったじゃないか。話はこれから佳境に入るところだ。盛り上がってるぞ。さ、そこに座れ」
 赤石は入り口に一番近い鶴添の隣に座った。
 ビールが注がれる。
 柏原に促されて鶴添が優を紹介し、今までのおさらいを赤石に聞かせ始める。

 柏原が蛇草に話しかけた。
「確かに一歩間違えば、酒の肴のような話だけど、今は確かなことはなにもわからない。生駒と弓削の印象だけで話してるんだから。お遊びにならないように互いに自覚しながら話すことが大事。それもみんなわかっている。いいですね、蛇草さん」
 蛇草は黙ったまま、空になったグラスを柏原に押しやる。
「フン、相変わらず不愉快なやつや」と、吐き捨てる生駒の腕に、恵が手を置いた。
「ところでみんな、お替わりを言えよ。酒が進んでないぞ。しっかり飲んでくれないと商売にならん」

 柏原は水割りを作ったりビールを出したりし始めた。
 赤石に話している鶴添以外は、誰も口をきかずにグラスやつまみを口に運んでいる。
 弓削が難しい顔をして、赤石が頷く様子を見つめている。
 恵は皿のおかきに手を伸ばしかけてやめた。

 ハイサイ叔父さんでなくショパンが流れていてよかったと生駒は思う。
 動悸が少し収まってきて、蛇草があれほどむきになった理由を頭の中で整理しようとした。

 生駒がアーバプランに入った当時の蛇草は、仕事にきびしくはあったが、気さくな男だった。ところが辞める直前から、時として不機嫌な態度をとるようになった。アーバプランでの仕事に嫌気がさしたから、という理由だけではないようだった。
 生駒は蛇草の不機嫌が、妬みからくるものだとうすうす感じていた。生駒に続いて弓削や佐藤、竹見沢らが次々に辞めていったのに対して、蛇草がアーバプランを辞めたのは三年もたってからのことだった。

 生駒は蛇草の横顔を見て、アーバプランでのひとつの出来事を思い出した。
 特別な事件ではない。
 単に、今日の連絡がつかなかった上野月世が気になっていたのかもしれない。
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