挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
38/38

37 エピローグ

「俺はその時点で、あることに気づいていた。上野さんが朱里と高校時代からの知り合いじゃないかと」
「ん? 生駒と朱里は高校の同級生じゃないのか?」
「そう。今言ったのは、朱里が恵比寿高校に転校して来る前の高校、ということ。アーバプランにいたとき、俺は朱里の同級生として、みんなからある種の保護者扱いをされていたよな。お目付け役みたいな」
「ああ」
「上野さんがあるとき、私もそうなんだけどな、と言ったことがあるんです。俺はそれを思い出して、ピンと来た。朱里が前の高校にいたときの写真。吹奏楽クラブの集合写真。クラリネットを持っている女の子達が数人写っていた。朱里の隣に写っていた子。上野さんにそっくりで、イニシャルはTUだった」
「へえ! でも、だからといって……」
「そう。きっかけはそれだけのこと。俺たちは、上野さん自身が、俺たちに思いもつかない新しいヒントをくれることに一縷の望みを繋いだ」

 いつのまにか柏原がチェイサーを用意してくれていた。
 グラスについた水滴が流れ、グラスの下に溜まっていた。
 生駒の言葉は途切れがちになった。
「あるいは、もしも……上野さんが犯人だとしたら……、告白してくれることを……」
「そんな……」と、恵の口から言葉がこぼれた。
「しかし、上野さんは、画像のことについては知らないと言った」
「上野なら朱里の部屋に忍び込めたと……」と、蛇草が唸った。
「そう」
「でも、上野の住まいは住道じゃなく、城東区。ブログの話と矛盾する」

 生駒は鍵を取り出した。
「これは朱里の部屋にあった鍵です。でも、朱里の部屋の鍵じゃないし、事務所の鍵でもない」
 久しぶりに恵が目を上げて、生駒の手にある鍵を見つめた。

「朱里の部屋に入った犯人は合鍵を持っていた。合鍵の交換をするくらい仲がよかったということ。ただ、上野さんの部屋にも合わなかった。しかし上野さんのアパートは空室だらけ。春に住道に引っ越しして、数ヵ月後に戻って来るということは十分可能だった。不動産屋に確かめたわけじゃないけど。これから警察が調べるでしょう。それから、ごめん」
「ん?」
「白状すると、弓削の部屋も確かめさせてもらった。奥さんのいる自宅の方じゃなく、事務所の方。これも合わなかったけど」
 沈黙が流れた。

「それで、生駒山ヘ……」
 佐藤がそう言って、急に元気がなくなった弓削に目をやる。
 罠か……、と蛇草がつぶやいた。
 柏原が毅然とした口調で言った。
「そう。はっきり言ってしまえば罠。僕が考えた。上野さんには弓削が怪しいから追求してくれといい、弓削には上野さんの尻尾を掴めと頼んだ」
「そんな……」
「僕らの推理は、とても万全という代物ではなかった。間違いないとは思いつつも、決め手がない。上野さんが話してくれるお膳立てが必要だった」

「僕に話をさせてください」
 弓削が口を挟んだ。
「柏原さん、自分を責めないでください。蛇草さん、罠というのは、ちょっと違います。上野さんは、誰かに打ち明け話をしたかったんです。つまり、その……、好きな人に。うまく言えないけど、今度の事件の背景となったあの人の想いというか……、いてもたってもいられなかった気持ちを」
「好きな人……」と、恵がつぶやいた。
「はい、そうです。好きな人です。それは、赤石さんであり、佐藤さんであり、生駒さんであり、蛇草さんであり、僕であり……、つまりコナラ会のみんなでした」
 弓削の目には光るものがあった。

「弓削……」

 上野さんが誰を好きだったのか、ということはあまり重要ではないと思います。
 あの人は寂しかった。
 上野さんのブログ、あれ、どう思われますか? 大人がなぜあんな遊びをしますか?
 いつも寂しかったんですよ。寂しいっていうより、彼女にとっては、もっと切羽詰ったものだったのかもしれません。
 なんていうか、上野さんの存在に、僕たちはもっと敬意を払うべきだったと思うんです。
 僕は、いや、たぶん皆さんも彼女の気持ちを、実は感じていたでしょう。十年、二十年にもわたってです。
 今思えば、時々上野さんは自分の気持ちをメッセージとして発信していたと思います。それは朱里さんへの競争心というニュアンスの言葉がほとんどでした。
 しかし、僕たちはそれを正確に受け止めようとはしてこなかったんです。

 弓削の声は震えていた。
 恵は涙をもうこらえてはいなかった。

 僕は……、申し訳なかった、と心から思います。
 謝りたい気持ちです。
 朱里さんを突き落としたことは決して許されることではありません。
 でも僕は、今度の件を、どうしても上野さん自身の口から話して欲しかった。その背景も含めて。
 そして、もっと開けっぴろげに、僕たちを非難して欲しかった。
 彼女を半ば無視し、傷つけ続けた僕らに、その行いを気づかせるような言葉で。彼女自身の言葉で。
 なんていうか……、僕はその場を作りたかったんです。

 弓削は言葉を切って、きつく口を引き結んだ。
 弓削の言葉がみんなの胸に浸透していく。

「僕は始めて彼女を、月世さんと呼びました。そしたら……、上野さん……、月世さん、体の力がすうと抜けて、穏やかな顔になって、目から……」

 蛇草がすっと背筋を伸ばし、天井を仰いだ。
「そうか……。俺たちはいつも朱里、朱里と……」
 佐藤が弓削の背中をぽんと叩き、おまえの分は俺がおごってやる、柏原、なんか出せ、と言った。

「で、生駒山ではどうなった?」
 生駒は肩に入っていた力が抜けていくのを感じ、意識的に朗らかな調子で蛇草の問いに答えた。

「揚げ足をとるような、そんなことは重要やなかった。上野さんは俺達の作戦にきっと気づいていたんや。俺達も、それをある程度は見越していた。弓削になら彼女は話してくれるんやないかと。でも彼女は、弓削に対しても、開けっぴろげには話すことができなかった。最後まで弱さを見せられなかったんや」
「そうだったのか……」
「あの人らしいと思うよ」
「で、結局は……」
「こういう言い方を許してもらえば、決定打は、上野さんが画像のレタッチソフトがデジカメの達人だと断言したこと。ちなみに、朱里のパソコンに入っていたレタッチソフトはフォトショップ。俺や弓削が使うのもそう。そしてもう一点。ブログのフォルダがディスクトップやマイドキュメントじゃなく、Dディスクに入っていたことを知っていたこと……」
「それだけ……」
「あまりに……」
 生駒は、つまらなすぎるという言葉を飲み込んだ。
 蛇草もがっくりと肩を落としてしまった。
 恵の涙声が静かなオルカに流れた。
「かわいそうに。朱里さんも上野さんも」
 佐藤が肩を抱いてやった。

「でも……、でも、上野さんは自分らしい言葉で、締めくくったんでしょうね」
「ごめんね、せっかく、こんなに夜景のきれいなところへ連れて来てくれたのに」
 そう言ったんだと、生駒は潤んできた目を大きく見開いて天井を仰いだ。

 後日、面会に行った柏原に上野月世が語った。

 中道さんに常に対抗心がありました。
 というより、自分が常に彼女より劣っていると見られていることに、我慢がならなかったのです。
 その気持ちは誠光学園高校時代でのクラリネットから始まっていました。彼女が難関大学に進んだことを聞いたときも、心にさざなみが立ちました。
 アーバプランに彼女が出向して来たとき、私は彼女にすぐに気がつきましたが、彼女は私が高校の同級生だと気がつきませんでした。
 そして今だに気がついていないのです。

 アーバプランを辞めて、個人的に付き合うようになって、彼女への対抗心はいつしか懐かしい思い出となり、一緒に旅行したりするようになりました。仲良くなって。
 周りにはそう見えていたことでしょう。私もそうだと思っていました。
 しかし、今思えば、私は仲良くすることに努力していたのかもしれません。中道さんと自分とを比較してしまう、習慣ともいうべき自分の心の弱さを克服したかったのだと思います。

 何回目かのコナラ会でのことでした。
 赤石さんに夕食に誘われたのです。
 お酒に盛り上がった勢いだったのですが、私は彼に在職当時から好意を持っていましたから、喜んで会いました。
 でも、新婚生活が早々に破綻していた私に比べて、彼は奥さんを愛していました。私が少し寂しい気持ちになったことは事実です。彼と会ったのはその一度きりでした。

 今年の春、別れた夫と借りたアパートから引越すつもりでいました。
 どうせならばと思って、弓削くんや中道さんのいる住道に移りました。
 弓削くんは在職当時から、いつも私のことを気遣ってくれるやさしい人でした。赤石さんがいなければ彼に想いを寄せていたかもしれません。
 ですが、そうした私の弓削くんへの関心が実を結ぶことはありませんでした。弓削くんは奥さんを愛しているし、中道さんともフランクに付き合っている。
 そのことが、私の心にブレーキをかけていました。住道に引越したことを中道さんには言えても、弓削くんには言えませんでした。
 どうしてなのか、今もわかりません。
 そして弓削くんの事務所と、中道さんの家がとても近いことにも気がつきました。
 そんなつまらないことにさえ、私は少し落ちこみました。

 それが嫉妬であることに気がついて恥ずかしくなった私は、自分の気持ちを封印しようとしました。
 しかし同時に、心の中にくすぶっていた中道さんへの対抗心が、まだ消えていなかったことにも気がついてしまったのです。

 そんなとき、ブログ遊びを思いついたのです。
 竹見沢さんからホームページの楽しさを聞かされて触発されたことは言うまでもありません。
 ばかなことをしたものです。
 弓削くんが一番に連絡をくれるだろうという、淡い期待を抱いていました。
 内容が、どうこうというより、早く私に気づいて欲しい、ただそれだけでした。

 ところがそんなある日、住道駅で中道さんと赤石さんを見かけてしまったのです。
 びっくりしました。
 ふたりは親しそうでした。
 付き合っているもの同士、ということがすぐにわかりました。
 中道さんが弓削くんばかりか、赤石さんも自分のものにしていると感じました。
 思わず写真を撮りました。こそこそと隠れて。

 中道さんが私に見せびらかしている。
 私はそう感じました。悲しい嫉妬は怨念に変わりました。

 ところであのブログは、中道さんには最初から教えていました。
 彼女は、うまいうまいと言っておもしろがっていましたが、そこに私は軽蔑の響きを感じました。
 もちろん、あの遊びの馬鹿さ加減を、私自身がわかっていましたから。
 寂しさを紛らわすだけの、浅はかで情けないブログ。
 それでもそれを続けようとした私は、すでに自分を見失なっていたのでしょう。
 そしてその延長に、安手のミステリーを書くようなつもりで稚拙な仕掛けをちりばめ、大切な仲間を殺し、友情を裏切ってしまった私がありました。
 こんな私を誰も許してはくれないでしょう。

 行者還岳を選んだのは、赤石さんのホームページを見て興味を持ち、以前登ったことがあったからです。
 遺書に生駒くんの名を書いたのは、私の心のどこかに、殺人犯である私を探して欲しいという気持ちがあったからなのでしょう。

 オープンカフェを包む空気には、キンモクセイのすがすがしい香りが含まれていた。
 暖かな日差しを浴びて、生駒と優はホットケーキにシロップを塗りたくっていた。

「ねえ、ノブ。あの水霊の巫女のミステリー、上野さんは朱里さんのパソコンから削除しなかったんやね」
「犯行を隠すという意味では、上野さんはあれを削除する必要はなかった。伯爵が自分の娘を引き落としたように、上野さんが行者還岳の崖で、事前に細工しておいたロープで朱里を引っ張り落としたとしても、そして、コティとガリーと同じように、朱里と上野さんが同い年だったとしても」
「そうやんねえ。でも、行者還岳の登り口の地名は狼横手。四風亭がかつて建っていたのも狼横手。偶然の一致やと思う?」
「さあな」
「上野さんは大峰に実際にある地名を拝借した。私も、ただそれだけのことやと思う」
「ん? ちょっと待て。あれは朱里の作……」
「あれ? 言ってなかった? ごめん」
「違うのか?」
「朱里さんの手荷物には、登山用地図がなかった。朱里さんは狼横手って地名、知らなかったんやないかな。それにさ、なんてたってミステリ倶楽部の各作品には、作者と読者が意見のやりとりをする掲示板があってさ。事件の後でも、水霊の巫女の作者は返事を書いてるよ。もう書けないけどね」
「え! まさか、上野さんの?」
「なぜ、まさかなん? それって上野さん、かわいそうやん」
「う、そうか……」

「いい作品書けるのに。上野さんはあの作品ができたとき、朱里さんにも原稿を送って見せたんじゃないかな。ブログも見せてたんやから」
「あれは上野さんのミステリーやったのか……」
「たぶん。筆名はユーアイ、UIだしね」
「おい」
「私も間違うことはあるよ。JULIYのUIじゃなかった。UIとKOTY。足すとTUKIYO。違うかな? それにガリーのGULIYは並べ替えるとGIULY。朱里。掃除婦のメグは恵さん。たぶんノブはFINECOLTの若い馬で、柏原さんはそのものずばりオルカバ。赤石さんは剛志だからWILLSTRONG」
「あ、そうか。弓削はスチムやといってたな」
「きっとそう」

「あの作品を書きながら、上野さんは厭な子コティに自分を、いい子のガリーに朱里さんをなぞらえていたんやね。恵さんのメグもいい子」
「なんとも……」
「彼女、常にそんな気持ちがあったんやね。そこまで自分を苛めなくてもいいのに」
「悲しいな」
「上野さんも、自分のミステリー作品が、真相解明するんだっていうノブの意欲に火を灯し続けることになるとは、思わなかったやろうね。もしかして、それも計算ずくで、朱里さんのパソコンから削除しなかったんやとしたら、すごいけど」
 生駒は返す言葉がなかった。

「それにしても、これでよかったのかなあ。上野さん、柏原さんが面会したとき、サッパリした感じやったんでしょ?」
「よかったなんて、これっぽっちも言えないけどな。でも、弓削と夜景を見ることができて、うれしかったって」
「食事も一緒にすればよかったのにね」
「とても喉を通らなかったんやろ。ふたりとも」
「あのブログ、弓削さんが分ったよって、上野さんに連絡していたら、今回のこと、どうなってたかな」
 生駒はこれにも返す言葉は出てこなかった。
 ホットケーキにナイフを入れた。
「さ、冷めないうちに食べよ」
「うん」

 生駒は、自分がホームページやブログをやってみようという気に、もう絶対にならないだろうと思った。
「上野月世さん……。ね、ノブは朱里さんや恵さんは名前で呼んで、上野さんはなぜ上野さんなん?」
「ん? なぜって……年上やから……かな」
「そう? じゃ、結婚したときの名前、思い出してあげた?」
「いや……」
「みんな、なんだかなあ、って感じ」
「そうやなぁ、悪いことしたよなぁ」
「嫉妬かぁ」
「長い間付き合っていても、そして仲良く見えていても、周りからは見えないなにかが積もっている、ということがあるんやなあ」
「怖いよね。中途半端な期間が長すぎるってことは」
「はぁ?」
「ううん、なんでもないよ。それでさ、あのkouda―7はどういう意味やったって?」
「まだ覚えてたんか。知らん」
「あれはさ、『doukana』の並べ替え。弓削さんの口癖。ちがうかな」
「……そうかもな」
 生駒の口から、思わず口笛が流れ出た。
「アーナータニ、サヨーナラッテ、イエルーノハ、キョーウダケ」
 ちっ、柏原に毒された、と生駒は忌々しく思った。
 優が生駒の二の腕に暖かい手を乗せた。
「スティング。朱里さんの身代わりでもいいから、私を誘ってくれたらよかったのに」



最後までお読みくださり、ありがとうございます!
いかがでございましたか?

拍子抜けの結末でごめんなさい。
(友人たちには、お前には女の気持ちがわかるかい!といわれます)
ただ、私にとって、この作品は記念作です。
というのも、かれこれ10年ほど前、私が初めて書いた長編ミステリーであり、また角川書店のNEXT賞に応募して、ありがたくもCランクを頂戴した作品です。
Cランクということで舞い上がってしまい、それからも長編ミステリーを書いていくきっかけになったことは言うまでもありません。
一向に上達しないのですが、自分の書いたものを読んでもらって、少しでも楽しんでもらえることが何よりうれしいことだと思います。
なお、ちなみにこの作中のグランプリを取ったミステリー作品というのは、このサイトに別途掲載させていただいている「水霊の巫女」という短編です。できましたらコチラもお読みくださいませ。

ありがとうございました。
感想などいただけると、幸甚の至りでございます。
cont_access.php?citi_cont_id=645017835&s

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項をご確認ください。

名前:

▼良い点
▼気になる点
▼一言
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ