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ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
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33 魔法瓶

 翌々日。
「もしもし、柏原です。調子はどう? 昨日の晩はせっかく電話くれたのに悪かったな。ちょっと客が立て込んでて。用件は例の話がどうなったか、だろ。すまん、すまん。報告が遅くなって。あのブログな。あれは違うぞ。朱里のじゃなかった。今、生駒もいるぞ。代わろうか? ……じゃ、僕から言おう。頼みがある……」

 柏原が電話をしている横で、生駒はひそひそと優と話していた。
「今晩、あいつの都合がつけばいいのにな。明日か明後日かもしれないってんじゃ、身動きが取れない」
「そうやね。でも、きっと今日中に」
「ああ。大阪府警に柏原と仲のいいやつがいて助かったな。いざというときになったら……。それにしても、こんな頼りない作戦で大丈夫かいな」
「ま、いいんじゃない? 他に方法はないし、場のセッティングとしては最高やと思うし。きっとうまくいくよ」
「最高のセッティングか……」
 仲間を「はめる」ことになるこの作戦。生駒もうまくいくだろうとは思っていた。
 しかし、どうしようもなく落ち込んでしまうのだった。
 中道隆之から借りているアルバムに挟んであった写真を取り出して眺め始めた。

 柏原はまだ話している。
「……この週末から海外に行くってさ。その直前に会おうという気はあるようだ。向こうも話したいことがあるらしい。まあ、どうなるかわからないけどね」
 ようやく夕方になりかけている。
 オルカのドアは開けてある。秋のさわやかな空気が流れ込んでいた。

「ノブ、ほらこれ。食べるもの、買ってきてるよ。それからこれ、念のために」
 優が出来合いのものを袋から出し、最後に懐中電灯を三つ、カウンターに乗せた。
「おいユウ、まさかこれ、おまえの分じゃないやろな」
「もちろん私のん。変な男気を出さないこと」
 柏原が電話をしながら優に含み笑いを向けた。

「一気に展開しそうな気がする。……ああ、連絡する。そっちからもくれ。長電話ですまなかった。そんじゃ」
 柏原が携帯電話を胸ポケットに落とし込んだ。
 グラスの水を一息に飲み干し、大きく息を吐き出してから、準備万端、と首筋を揉んだ。
 後は、待つだけ。

「あのさ、昨日、変なことを思いついたんだ」
 優が緊張感をほぐすような話題を用意してくれていた。
「あの伏流水のミステリーに気になるフレーズがあってね。ほら、牧師がどうかなって呟くシーンがあったやん。変なタイミングで。あれって、弓削さんの口癖の真似とちがうかな。牧師の名前はスチムやし。弓削と湯気をもじってたりして」
「なるほどなあ」
 一応は反応したが、今から起きるかもしれない出来事を考えると、さすがに生駒はこの話題提供に気持ちが乗らなかった。
「優の考えでは、あの作品は今回の事件に関係ないんやろ」
「そう。でも、あの人の心情を考えると、なんだかさ」
「ん?」
「自分を苛めすぎやと思うけどなあ」

 柏原の電話が鳴った。
 上野からからだった。
 電話に出た柏原の声に緊張感がある。
「そうか、早速な。で、どんな感じ? ……わかった。思ったとおりですね。昨日の打ち合わせどおりにしましょう。それで、どういうことになりました? うんうん……、やはり今晩か。それで……、ええっ! 生駒山! うーん、ドライブウェイか。ちょっと厄介かな。……いや、むしろ好都合か。……そう、大丈夫ですか。よし、オーケーしてください。ただ、現地には八時以降に着くように段取りを。くれぐれもそれまでは始めないように。いいですか、気をつけてくださいよ。大阪のおばちゃんは怖いものなしとかいう気にならないように。フフ、いいですね。詳細が決まったら、折り返しすぐに電話をください」

 十分後に上野から再び連絡が来た。
 柏原はその電話を切るなり大阪府警の知人に事情を伝え、すぐに態勢を取ることを依頼した。
 生駒達も出発する。生駒のシビックの後部座席に柏原を押し込み、優が助手席に座った。

 柏原の携帯に上野から三度目の連絡が入ったのは、大阪側から生駒山へ向かう一般的なルートである阪奈道路にさしかかったときだった。
 今、住道駅から電話をしている、相手はもう来ている、まず食事をとることにする、という連絡だった。
 生駒は無意識にスピードを上げた。

 阪奈道路の長い登りを終え、久しぶりの信号を右に折れ、生駒山ドライブウェイに入る。
 少し先の料金所で、先に来ていた警察官と合流する。大阪府警と書いたパトカーが一台、覆面パトカーである普通乗用車が二台並んでいたが、赤色灯は回っていない。
 男達が生駒の車に近寄ってきた。

「柏原先生、お久しぶりです」
 知人の柳警部だという。
 柳は動けない柏原と話をするために、後部座席に乗り込んだ。
 生駒と優は遠慮して車から出て、入れ代わりにふたりの私服警官がシビックに乗り込んだ。

 西畑刑事が話しかけてきた。
「生駒さん、ご苦労様です。あなたが考えていたとおり、やはり中道さんは自殺ではなかったようですね。皆さんに脱帽です」
 生駒は、よろしくお願いします、と頭を下げた。

 これからの動き方は、柏原と警察の指示を待たねばならない。
 生駒と優は車の脇に立って、作戦会議の内容を聞いた。
「柏原先生の携帯電話に連絡が入る手はずになっているんですな」
「そうです。次に上野さんから連絡が入るのは、どこかのレストランからでしょう。食事が終わるころ、そろそろ出発するというときに掛けてくるように言ってあります。さっきはまだ住道駅からでしたから、たぶん今から早くて三十分、遅ければ一時間くらいしてからでしょう」
「なるほど。車はシルバーのアコードで、ナンバーはこれで間違いないですか」
 柳が小さな紙切れを柏原に渡す。
「ええ、そうです」
「了解。では、ちょっとこの地図を見てください」
 柳が生駒にもコピーしてきた地図を手渡した。

 駐車候補地にAからTまでのナンバーがふってある。それぞれの連絡ミスがないようにという配慮だ。
 夜の生駒山ドライブウェイに来る客は夜景を見ることが目的で、カップルが圧倒的に多い。
 しかしドライブウェイ沿いには木が茂っていて、ほとんどの沿道では夜景はきれいに見えない。夜景鑑賞のポイントは何箇所かの駐車場と、いくつかのコーナー部の路肩だけだ。
 渡された地図によれば、生駒山上遊園地の駐車場までの道路沿いに一カ所だけ印があって、Aと記されている。遊園地の駐車場は眺望がないので無印。それ以降には順にBからTまでの印が記されている。それぞれのポイントが駐車場なのか路肩の待機スペースなのかの注も記入されている。最も広くて視界もよく、人気のスポットはD駐車場で、ジャングルジムのような展望塔まである。その先のHやI以降になると遠いので、カップルはほとんど行かない。生駒も行ったことがない。

 柳が地図の上に指を突きつけた。

「今、我々がいるのはこの地点です。上野さんとは、どのあたりでと打ち合わせされていますか?」
「会って話したわけではないので、ちゃんと通じているかどうかわかりませんが、できればこのFの駐車場に入るように伝えてあります。ここなら、不自然なほど遠くはないし、静かですから。それでいいでしょうか。電話がかかってきたときに、他に聞いておくこと、言っておくことはありますか?」
「F駐車場ですか。いいでしょう。くれぐれも遊園地の駐車場や、人の多いD駐車場、それからあんまり辺鄙な道路脇などはやめてくれるように言っておいてください。それから、一応ふたりの服装とか、帰りの予定などを話しているなら、それも聞いておいてくれますか」
「わかりました。駐車場に入ったら、彼女の方からこちらにダイヤルしてずっと携帯を繋いだままにしておくことになっています。カーステレオはつけないように言ってありますし、生駒と私が今ここにいることも伝えてあります」

 柏原と柳は、抜かりなく段取りについての意見交換をしている。
 柳は目指す車にはすでに尾行が付いていることを伝え、逐次連絡が入ることになっているという。
 行き先を変えた場合のために覆面パトカー一台と生駒が料金所に残ることになる。
 そして、上野の乗った車が通過したら、柏原に連絡した上で追跡を始める。覆面パトカーがまず追尾し、その後ろから生駒の車が追いかけるのだ。覆面パトカーの助手席には、カップルに見せかけた私服の婦人警官がすでに乗り込んでいた。

 やがて柳が部隊に指示を出した。
 生駒は、作戦司令室である覆面パトカーに柏原が移乗するのを助けた。
 すぐに指令車は他の警察車両とともに山頂に向かって出発していった。
 これらの車は、いくつかの展望場所などで待機する手はずになっている。柏原の乗った司令車は、F駐車場を通りすぎたH地点で待機する予定だ。F駐車場には、婦人警官が乗り込んだ覆面パトカーが待機する。F駐車場であれどこであれ、上野の乗った車が乗り入れた駐車場に、あわてて集結するようなことはしない。もっといい夜景を見ようと、あるいはカップルならもっといい雰囲気のところを探して、あちこちに移動することはままあることだからだ。
 そして、いよいよ完全に駐車したということに確信が持てた段階で、指令車や生駒の車が目立たないようにその場所まで移動することになる。

 上野には、完全に我々が集結するまで作戦を開始しないようにと伝えてあった。
 繋ぎっぱなしの携帯で聞こえてくる会話を頼りに、ここぞというときに登場するという、いたってシンプルかつ行き当たりばったりの作戦だった。

 現在時刻は七時五十分。
「私達の出番はなさそうやね」
 優がつぶやいた。
 生駒たちは料金所の駐車場に目立たないように車を停め直して、監視を始めた。生駒がヘッドランプを点けるのを合図に、覆面パトカーが追跡を始めることになっている。
 運転席に座った生駒は、黙ってドライブウェイを睨んでいた。

 携帯に柏原から連絡が入った。
 もうすぐ来るはず、以降の連絡はしない、必要があれば優の携帯にするとのことだった。

 生駒が車のヘッドライトを点けた。
「ノブ! 今のがそう?」
 生駒は隣の車に、行け行けと手を大きく振り回して合図を送る。そしてエンジンをかけた。
 隣の車がゆっくりと発進していく。生駒もそれに続いて車を出した。
「どういうことかわからんが、予定を早めたみたいやな」

 アコードは比較的ゆっくりとしたスピードで、生駒山ドライブウェイを山頂に向かって登っていく。
 少し離れて、覆面パトカーと生駒の車が追尾していく。
 アコードは遊園地の大駐車場前まで来てさらに速度を緩めたものの、そのまま通りすぎた。
 後ろに続く二台の車は離隔距離を維持している。
 ドライブウェイはアップダウンとカーブを繰り返す。生駒の前方にきつい下りのヘヤピンカーブが現れ、すでにカーブを曲がり終えたアコードが眼下を下って行くのが見えた。
 その先にF駐車場がある。

「さて、いよいよやな」
 生駒は冷静さを保って独り言のようにいった。
 カーブを曲がり終え、ゆっくりと下り坂を進んでいく。
 駐車場が見えてきて、視界に大阪の光の海が広がってくる。

 しかし先行する覆面パトカーは駐車場をやり過ごしていった。
「げっ! どういうことなんや。止まらなかったんか」
 生駒はスピードを落として、駐車場を確かめた。
 空いている。アコードはない。
 そのまま生駒も駐車場をやり過ごしていった。

「ちょっとこれはまずいことになったな。どこで転回するんや。同じところでわざとらしく転回できないぞ。えーい、どうするよ」
 前を行くアコードが視野に入った。
 アコードは一定のスピードでゆったりと走っていく。
 H地点も通り過ぎる。駐車していた指令車の中に柏原の顔が見えたが、目を交わすまでもなく通り過ぎた。

「ちきしょう、それにしてもゆっくり走りよるなぁ。ついて行きにくい」
「ノブ、ここで待ったら? これ以上行くと転回するのに困るよ。きっと戻って来るはず」
 生駒はわずかに広い路肩で車を停め、何度か切り返して車の向きを変えた。
 F地点から1.5キロ、H地点からでもすでに1キロほども来ている。

「いったいどこまで行くつもりなんかな。普通、夜景を見るだけなら、こんなに遠いところまで来ないのに」
「どこかで転回して帰って来てくれよ。信貴山まで行くんと違うやろな。そうや、検問はどうするんやろ」
「検問はもっと先。ノブ、落ち着いて待ってよ」
「まさか、感づかれたんとちがうやろな」

 木々の間に大阪平野の明かりがちらついていた。
 生駒は車のランプを消した。
 月明かりなのか、街の明かりなのか、外は案外明るく感じられた。

「ねえ、ノブ」
「ん?」
「私達がここに来たとき、雨が降ってたよね」
 優と付き合い始めたころ、大阪の夜景を見にドライブした夜のことを思い出した。
 途中で雨が降り出し、夜景どころではなかった。
 あのときもFの駐車場に車を停めた。
「あの日、あそこには誰もいなかったね。私、不安やった」
「そうか?」
「雨が、じゃないよ。こんなおっちゃんと付き合っていいのかなって」
「なんじゃい、それ」
「でもさ、あのときの熱いコーヒー、おいしかったね。……そういや、あの魔法瓶、どうしたんかな。最近見かけないよ。捨てたん?」
「おいおい、ユウ、思い出話をしてる場合じゃないやろ」
 そう言いながらも、生駒はあの夜、生駒・三条・優・延治、「いこまさんじょうゆうえんち」という言葉遊びを発見して、大笑いしたことを思い出した。

 それからふたりは黙りこくって待った。
 ここから先を通行する車はほとんどない。
 優が、七分経った、とつぶやいた。
 ようやく信貴山方面から車が来た。
 生駒たちは、こちらを見られないようにシートを少し倒している。顔を腕で隠しながら、横を通っていく車の中を見つめる。
 違う車種。
 優が、十分、とつぶやいた。

 ようやく優の携帯が鳴った。
「…えっ、はい。…はい、…わかった」
「ノブ、たいへん。アコードはそのまま信貴山方面まで進んでいるそうよ。追跡してくれって。でも柏原さん、迷ってる」
 停める駐車場がわからなかったのか、それとも、もう少し先まで行ってみようというだけのことなのか。
 それとも予期せぬ手違いがあったのか。
 あるいは別の考えがあってのことなのか。
 アコードが信貴山の検問まで行きつくのに、まだ数分はかかるだろう。
 そこで停めるのか、そのまま行かせるのか。

 目の前を通り過ぎて行ったとき、助手席の上野は平然としているように見えた。
 この芝居は今夜がもし失敗でも、またやり直せる。
 しかし、もしばれていたらどういうことが起きるのか。

 すぐにまた、柏原から連絡が入った。
「検問で止めるそうよ。ただ、一応免許証をみるだけで、ふたりには関係のない検問だということにして通すって。ふたりの様子を確認するのと、万一のことを起こさせないための抑制という意味だって」
「尾行は?」
「そのつもりだって」
「OK。じゃ、俺たちも行くか」
「待って。え、うん……、はい」

 優が携帯に耳を押し当てている。
「そう、Uターンした。どこで? ……了解」
 優がニッと生駒に笑いかけた。
「信貴山料金所のちょっと手前で、転回したって。こちらに向かってる。一応、予定通りということね。Fの手前の適当なところで待機しよ。後は最初の手筈どおりでいこうって」
「よし」
 生駒は車を発進させた。
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