挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
33/38

32 合鍵

「昨日はおまえのおかげで散々や! へとへと! アキちゃんに聞いたら、おまえは赤石の家に行ったというし、今日は赤石が出張や。いったいどういうことやったんや、えっ、柏原。今日はちゃんと説明するんやろな!」
 オルカでの生駒の第一声だ。時刻は昼の二時。
 優も追いかけるように店に入ってきた。
「腹減った。出前を取ってくれ。餃子一人前とミニ酢豚とチャーハン。おまえが払え」

 ついに事件をはっきりさせるときが来たと、生駒は興奮していた。
 気分は最悪だったが、無理にはしゃいだ口調になる。
 柏原はにこりともせず、落ち着いた様子で、おまえが飯を食ってから始めようか、という。
「何をいう。餃子を食いながらでも話はできる。さっさと始めんかい」
 そうやな、と柏原は出前の電話を掛けてから生駒の頭越しに、後ろの壁を睨み始めた。
 そこには白馬岳の写真が架かっているはずだ。生駒はじれた。

「なんや、黙り込んで。なんなら俺から話そうか」
 優が、柏原に任そうというように小さく首を振った。
 ようやく柏原は吹っ切れたという様子で、生駒に目を移すと話し始めた。
「これまでの整理の意味も含めて話していくぞ。繰り返しになるけど」
 生駒は頷く。

 まず、自殺説を否定する論拠の整理だ。
 現場にはチーズ菓子が転がっていたが、彼女が今もチーズアレルギーだったとすれば、誰か他の人のためにそれを持って行ったんじゃないかと考えた。
 つまり誰かと一緒に登っていたか、その予定だったということだ。
 しかし名乗りをあげた者がいないことから、その人物、つまり朱里がチーズのおやつを用意してやった相手は、怪しむべき者であるということになる。
 ただ、その人物が行方不明とか、死んでいるとかで名乗りをあげられない事態になっている、あるいは朱里の死を知らない、ということも可能性としてはある。

「おい。そんなところまで遡らなくてもいいぞ。わかっている」
 優が、聞こうよ、と生駒をなだめた。

 じゃ、はしょって話そう。
 次は遺書の件。
 朱里が殺されたという前提なら、この文書は彼女が書いたものではなく、犯人が自殺に見せかけるために用意した細工と見るのが妥当だ。
 そして犯人は、なぜそこで生駒の名前を出したのか。
 遺書を本物らしくするための更なる小細工か。
 とはいえ、そんな小細工はわざとらしいし、朱里と生駒の日頃の関係が希薄なことからすると、成功したとは言い難い。
 逆に、生駒の名前を出すことで、犯人像が絞られてしまうことがうれしくないだろう。
 ということで、なぜ犯人は生駒の名前を出したのか。これがわからなかった。

 柏原が溜息をついた。
 生駒はいまさら何を言い出すのだという顔をしていた。優は手帳を開いてメモを読んでいた。

 僕らは暗中模索で、コナラ会の連中のアリバイを聞いた。
 三好や大迫らが犯人だとは思えないということになって、ますますコナラ会メンバーに注目することになったのは、消極的ではあっても、当然の成り行きだった。
 遺書に生駒の名前が出ている以上は。

 柏原が目の横を人差し指で掻いた。
 つまらなさそうな生駒を見て、おまえが話すか、と聞いてくる。生駒は、どうぞ、と先を促した。

 柏原がゆっくりと話す。

 次は犯行日の件。
 遺書の日付は四日の日曜の早朝一時半。
 遺書を根拠にした警察は、朱里が自殺した日を四日あるいは五日という結論を出したが、僕らの見解は違った。
 遺書は犯人が朱里を殺してから書いたものであるという仮説に立てば、犯行日は三日の土曜。
 山から帰ってきて、犯人はその夜に彼女の部屋に入り込んだ。合鍵を使って。

 次は例のブログについて。
 張り付け直された男の謎。
 食堂の夫婦の証言によれば、朱里はその店に男性を連れて行ったことがあるとのこと。
 しかし、朱里が住道駅のあの写真を撮りえないことがわかった。つまりブログは朱里のものではなかった。

 出前が来た。
「重要なデータを整理すると、これくらいかな。雑多なことは他にもあるけど」
 柏原が、湯気で内側に水滴の付いた餃子のラップを剥がす。

 さて、三日のアリバイが成立したのは鶴添さんと紀伊。
 竹見沢さんも福岡で女子学生とよろしくやっていたと思われる。竹見沢説は蛇草さんの思い過ごしだったわけだ。
 一方で赤石、佐藤草加カップル、弓削、蛇草さん、上野さんのアリバイはなし。
 その中で赤石のことが気にかかった。

 柏原の表情には何の変化も見られない。

 状況的には、最初から竹見沢より怪しいんだ、こいつが。
 チーズが好物。山登りが好きで行者還岳にも行ったことがある。
 草加が言ったように、朱里の年齢を勘違いしたままだった可能性まである。遺書には節目の年齢なのでって書いてあったことが変だったよな。こんなことは何の証拠にもならないとしても。
 それから、事件に関して僕らを避けているようでもあった。
 朱里と親しかったはずのあいつがだ。おかしい。まあ、なんというか、僕としたら正直言って、えらいことになってきたなと思ったよ。なにせ親友かつ義理の弟だからな。
 しかし、決定的な証拠はない。
 赤石だという証拠も、赤石ではなくて犯人はこいつだという証拠もな。
 僕は考えに考えた。
 生駒には僕の様子がおかしく映っていたことだろう。

 生駒の心臓が高鳴った。
 柏原はちょっとおどけたような表情を作って、生駒と優の顔を見比べるようにして、餃子が冷めてるぞ、といった。

 僕は妹に、最近の赤石の様子をそれとなく電話で聞いたし、赤石をここに呼んで話もした。報告したよな。だいぶ前のことだ。
 あの夫婦の仲については推理と関係ないので、詳しくは話さなかったけど、どうも妹の様子がおかしかったんだ。妹のやつ、旦那に不満があるんだな。さすがにはっきりとは言わなかったけど。
 要するに、旦那が浮気しているんじゃないかと不安になっていたんだ。

 オルカにはバーらしからぬ臭いが充満していた。
 優が、さ、食べよ、と三人分の小皿にタレを注いだ。

 で昨日、僕は赤石の潔白を証明するなにかをつかめないかという思いと、愚痴もたまには聞いてやろうという気持ちで、妹に会ってきた。
 車椅子タクシーに乗ってな。するとどうだ。妹はすっかりけろっとしていたんだ。
 ユウのお手柄らしいな。

 優がかすかに微笑んだ。
 そして、妹が驚くべき話を教えてくれた。
 生駒も、もう知っているだろ。なんと、僕らが犯行日だと思っている日に、赤石が妹に伝えた行き先が行者還岳だった。
 赤石は僕らには鳥取の境港に行ったと言っていたし、上野もそう言っていた。
 しかし、行者還に行くと言って家を出たことは隠していたんだな。
 このことは何を意味するのか。

 それは、もちろん赤石が、と生駒は言いそうになったが、柏原がすっと箸を上げて制した。

 赤石が会社に持って帰った土産を、ユウに頼んで確かめてもらった。一応はね。
 それは、境港にある店にしか売っていないものだった。
 でも、誰かに買いに行かせたのかもしれないし、あるいはもらったのかもしれない。郵送で注文したって可能性もある。銀行ではもう食ってしまって製造日は確かめられない。
 いずれにしろ、あんなものはなんの証拠にもならない。

 淡々と話している。
 確信に近づいている予感がして、生駒は息苦しさを覚えた。
「僕は混乱していた」
 柏原がため息をつく。
「状況証拠は赤石を指している。三日の朝に上野と会ったといっても、それからでも行者還岳には行けるさ。それに、ふたりが共謀しているという可能性さえある……」

 生駒の脳裏に、行者還岳の山道、朱里が突き落とされたと思われる崖の光景が浮かんだ。
 時折吹いてくるひやりとした風さえ感じたように、思わずかいてもいない額の汗を手の甲で拭った。
 ふと、営業時間前のオルカはやけに静かだと思った。

「僕は赤石にどんな動機があるのかとさえ考えた。例えば朱里の存在が出世の妨げになるとか、朱里がふたりの関係をばらすと脅迫しているとか」
 ここで柏原が久しぶりに笑顔をみせた。
「ところがだ。ユウのまたまたのお手柄!」
 優も微笑む。
「あの貼り付け直された画像が赤石だと教えてくれたんだ。僕も確かめた。そのとおりだった! 僕はこれで赤石の嫌疑が晴れたと思った」
 柏原が、生駒の腑に落ちない顔つきを見て微笑んだ。
「簡単なことだ。あの『幸田さん』のブログは、朱里があの駅の写真を撮れなかったから誰か別のやつのだ。いいな?」
「そう」

「一方、赤石。赤石自身がブログの開設者、あるいはブログの存在を知っていて、自分の姿がそこに掲載されていることも知っていた、というのは可能性としてはありうることだ。しかし、なぜあんなことをする必要がある? 自分の画像を貼り付け直して、朱里のパソコンに入れることにどんな意味がある? 自分が犯人である痕跡を残すために? 不自然だろ」
「犯人の挑戦状説は?」
「誰も気がつかないだろ。僕らがこんなことを始めなければ、朱里は自殺とされたままだったんだ。自分の痕跡を残して満足する気なら、まず朱里は殺されたということを何らかの形で残さないと意味がない。明らかな殺人事件という形で朱里を殺さないと」
「まあ、そうやな」

「だいいち、犯人がなぜ自分の痕跡を残す必要がある? 警察や社会に挑戦しているわけでもないのに。捜査の撹乱? わざと自分を目立たせて? 筋が通らないだろ」
 生駒は唸った。

「つまり、ブログの開設者が誰であれ、犯人が自分の画像を貼り付け直したとは考えられない。それに、あの画像の貼り付け直しには、それなりの時間がかかったはず。丁寧なでき映えだったからな。犯人が朱里の部屋に忍び込んで、前もって用意してきた遺書をパソコンに入れたときに、たまたま画像を見つけてその場で加工したとは考えにくい。遺書と同じように、あらかじめ作っておいたものを持って来て入れたと考える方が妥当だ。ということは、そんなことができるのは、ブログの存在を知っていて、かつあの画像の男が赤石だということ知っているやつ」
 柏原がぐっと生駒を見つめてきた。

「犯人は何らかの意図があって、画像を貼り付け直したデータを朱里のパソコンに入れたんだ。原稿フォルダ一式として。そして朱里のパソコンに元々あったウェブファイルの方も、あの画像だけ差し替えた。これはブログの開設者自身なら簡単にできることだ。その意図はたぶん赤石を陥れるということだろう」
 そうね、と久しぶりに優の声が聞こえた。

「必ずしも開設者である必要はないという考え方はないか、ということも考えた。あの原稿フォルダ一式は、ブログを見ていたやつなら誰でも作れるものだから。なにしろコピペした瞬間に本当の制作日は分らなくなってしまう」
「でも、その可能性はないよね」

「そう。犯人はあの写真の男が赤石だということを知っていて、あんな細工をしたはずなんだ。ところがあの写真を撮影した者でないと、あれが赤石だということを知り得ないよな。僕らもなかなか気づかなかったように、普通は気がつかない。つまり、あの写真を撮影した人物でなければ。撮られた当人以外にはね。そして普通に考えると、撮影者イコールブログ開設者ということになる。イコール画像加工者であり、そして殺人者ということになる」
 柏原が冷め切った餃子を口に放り込んで顔をしかめた。

「そして朱里さんのパソコンに保存したのもその犯人」
 優が言葉を繋げた。
「そのとおり。次に、なぜ犯人は朱里の部屋に入り込んだのかという疑問がある。遺書を残すという目的のためにか? 人に見られる危険が伴うのに? そんな危険を冒してまですることか? 他の方法でも遺書は残せるのに。犯人は別の目的のために朱里の部屋に入る必要があったんだと思う。それは、パソコンに残されているかもしれない自分に関するデータを消去するためにだ。例えば、行者還に行く約束をしたメールのやり取りを消去するために。加工した赤石の画像を入れたり、遺書を入れたりするのはその場の思いつきではなかったにしろ、付録みたいなものだったんだ。ところで生駒はあのブログをどう思う?」

 生駒は迷っていた。それをそのまま口にした。
「わからない。誰のものかも、中身が嘘か本当かも。犯人のものなら犯行の小道具として、中身はうそっぱちかもしれないと思うし……」
「僕は、あれは犯人のものだし、基本的には本当のことを書いてあるんだと思う。だからこそ、朱里のパソコンに入れるときに書道の話をわざわざ抜いたんだと思う」
 電話が鳴った。
「はい。オルカです……」

 生駒は窓の外を見た。
 昼の光が路地のブロック塀を照らしている。
 うら寂しい。
 優がオーディオのスイッチを入れた。
 たまたま流れ出した曲は、全く場にそぐわないクイーンだった。
「朱里の部屋から別の鍵が見つかったらしい。郵送してくれたって」

 次の日の夕方、生駒と優は年賀状の住所を頼りに、とあるアパートに向かった。
 ドアの鍵穴に隆之から借りたキーが合うかどうかを確かめるためだった。
 アパートの近くで待機していた生駒に、戻って来た優が文句をいった。
「ハア! 緊張した。不在でよかった。あんなところでドアをガチャガチャやって、誰かに見られたら通報もの」
「で?」
「全然合わなかった」

 アパートはドブ川の脇にドロンと建っていた。
 古びた樋が垂れ下がっている。空室ありの看板がかかっていた。

 夜になってから、生駒は弓削の事務所を訪ねた。雑居ビルの四階にこうこうと照明がついた部屋があり、弓削をはじめ数人の所員が机に向かっていた。
 弓削は喜んだ。
 しかし生駒は夕食の誘いを断り、ひとり地図を頼りに弓削の住まいがある野崎の町に向かった。
 静かな住宅街の中のかなり大きな賃貸マンション。
 弓削の部屋の前まで行った。中には電気がついていて、夕食の準備をしているけはいがあった。

 生駒は住道に戻り、弓削の事務所が見える喫茶店で時間を潰す。
 事務所の照明が消えるのを待ってビルの四階まで上り、キーがドアに合わないことを確かめた。

 深夜、生駒は三度目を読みかけていた庭園ミステリーの続きを読んだ。
 これから自分達がしようとしていることに対する不安を少しでも緩和したかった。
 そして気持ちを鼓舞したかった。
 明日、弓削ではなく上野をオルカに呼んでいた。
 赤石の画像や『幸田さん』のブログを再び見せて意見を聞き、これからの作戦を打ち合わせる予定だった。
cont_access.php?citi_cont_id=645017835&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ