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ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
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31 静寂の中で

「赤石とは上の避難小屋で別れた。俺達はこんなところに慣れてないからな。とてもやないけど、もう限界ということや」
 蛇草の目が大峰の稜線をなぞっていった。
「ここまで降りて来て、…そこで黙祷した。今日の目的は終了ということや」
 赤石は今どこにいるのだろう。柏原は物騒なことを口にしていたが……。
 蛇草は生駒の思案を見透かしたように、問いかけてくる。
「柏原はなんて言ってたんや?」

 柏原は、蛇草と赤石の間になにかあるといけないと……。まさか、そうとは言えない。
「今朝、電話を架けて来て、すぐに出発して三人を追いかけて……、合流したらどうかと」
「ふーん。なにのために?」
「とにかく急げということで」
「で、とにかく来たというわけか?」
 くそっ、相変わらず憎まれ口だけは達者だ。また胸にこみ上げてくる怒りを抑えて、
「ところで、なぜ誘ってくれなかった」
 これを聞き出すことが先決だ。
 なぜ蛇草が赤石を誘ったのか。竹見沢や生駒ではなく。

「なあ、生駒。おまえ、まだ朱里が死んだわけを調査してるんやろ」
 蛇草がぼそりぼそりという。
「今日、俺達を追跡してきたのも、その一環やろ」
 生駒を見据えた蛇草の目はさざなみさえ立たない乾いた目だった。
「いや、気にしてないから構えなくてもいい。それにしても、何の得にもならんのに、まだ継続してたとは。見直した」
 生駒は、怒りが目からほとばしりそうになるのを必死でこらえた。
「ま、座れ」
 蛇草が近くの倒木を顎でしゃくった。

「オルカでやった集まりな。俺も、ちょっと気が短かすぎたと思ってる。あのときは悪かったな。で、調査はどの程度進んだ?」
 出鼻をくじかれたような気分になって、生駒はあいまいに、まあ、とだけ答えた。
「ほら、座れよ。前に電話で話したように、俺は直感的に竹見沢を疑った。しかしおまえは俺に、なぜ鶴添を誘ったのかと聞いた。俺にしちゃ、びっくりするような質問やった。あのとき、実は……、おまえの……、ひとつずつ疑問点を潰していこうという真剣さが伝わってきた」
 蛇草がニッと笑った。
「俺も少し冷静になった。おまえを見習ってな。そして気がついた」
 鶴添が手近な岩に腰を下ろした。
 蛇草は目を落とし、脛をさすった。
 短い沈黙があった。

「つまり……、この際やから言うけど、竹見沢を疑ってしまったのは、俺のあいつへの……、単なる対抗意識というか……、まあ嫉妬心かもしれないと気がついたんや。もちろん竹見沢を疑う理由がなくなったわけやないけど、あいつ以外に考えられないということでもない、ということにも気がついた」

 生駒は倒木に腰を下ろした。
「俺は一から考え直してみた。生駒のように調べまわることはできないけど、俺の知っている、なにかを思い出そうと……」
 蛇草は少し逡巡したものの、すぐにまた話し始める。
「端的に言おう。実はな、竹見沢だけやなく、赤石も怪しいと思い始めたんや」

 いまさらこんな話をしても、しかたないことやけど、一応は説明させてくれ。
 何年か前のコナラ会のとき、赤石が朱里と会っているようだという噂話があった。そう言ったのが紀伊やったか弓削やったか、それは思い出せない。
 赤石は支店長に昇格。そのあとしばらくして、朱里が会社を辞めて独立。
 そしてこの事件。
 生駒、怒るなよ。
 男は銀行マンとして偉くなり、女は独立して金がいる……。
 深読みしすぎやと思うやろ。
 竹見沢を疑ったのと同じくらいに短絡的で希薄な思いつき……。

 こんな山の中まで俺達を、というか赤石を追いかけてきたくらいやから、生駒と柏原も赤石に目をつけているわけや。
 あれからどんな推理になった?

 フン。まだ俺には話せないということか。
 まあいい。
 俺は小学生相手の塾講師。サラリーマンで動きがとれない。
 それでもなんとか、赤石と朱里の接点を掴もうとした。
 ふたりが会っているという噂。
 紀伊にしろ弓削にしろ、ああいう性格やから、根も葉もないことは言わないはず……。いくら酒の席でも……。

 蛇草が足元に立ててあったペットボトルを取った。
 生駒もリュックからペットボトルを取り出し、ついでに小袋に入ったチョコレートもいくつか出して、ふたりに投げた。
「そう、俺には少々辛い話や」
 生駒はこの男の打ち明け話が新鮮に聞こえた。
 蛇草は地面に降り積もった落ち葉や枯れ枝や、小さな植物に目をやっていた。

「それで俺は、赤石に朱里とのことを直接聞いてみないと気が済まなくなった。今日のことは、まあ、そういうことや。ここで花を手向けたいという気持ちももちろんあった」
 そう言って蛇草はチョコレートの小袋を破った。

 そういや昔、アーバプランにいた頃、俺達、現地主義なんてこと、よく言ってたよな。
 あのころ、みんな熱かった。いろんなことに。
 熱かった分だけ引きずるものも多いということかな。

 生駒もチョコレートを口に入れた。
 渇いた口の中に、やわらかい甘さが広がった。

「朱里が死んだ場所で、赤石に本当のことを聞いてみたい、そういうことやったんや」
 蛇草は話し疲れたように息を吐き、靴を履き始めた。

「しかし、あんたの作戦は上手くいかなかったということやな」
「そういう言い方は止めてくれ。しかし、まあ、そういうこと。おまえも赤石を追いかけてるんやったら、ご苦労さんや。あいつにはアリバイがあるらしい」
「鳥取のことか?」
 生駒は、そう言ってしまってから、蛇草が犯行日を四日か五日と考えているのかもしれない、と思った。
 しかし蛇草は、気にとめる様子はない。

「そう、ドライブ。朝にはある女性に会ったし、あの日に境港に行った証拠はこまごまとあると言っていた。俺はそれを詳しく聞いてはいない。どうせ確かめようがないからな。それに当然、おまえらはもう知っていることやろうしな」
 生駒は証拠という言葉に興味を持ったが、問いかける間もなく蛇草が話し続けている。

「俺達はあの崖を越えたところで話をした。赤石は朱里と会っていた……。しかしそれは、朱里からあれこれ相談を持ちかけられていたから。独立するからと。あいつはそう言った」
 蛇草はいったん履いた靴を脱いで、足の甲を摩った。
「そして朱里の部屋に行ったことがあることも」
 靴紐をまた結び直した。 
「そこまで打ち明けられてしまうとな……」

 蛇草が顔を上げた。生駒が見返すと、目をつぶり、穏やかにいった。
「俺としては、信じるしかないよな。なんというか、そういうことにしておこうというか……」
 風が吹いて、落ち葉が舞い落ちてきた。

「ところで弓削はどうした? 一緒に推理しているんやないのか?」
 蛇草は打ち明け話に照れたように、急にテンポを変えて聞いてきた。
 生駒が黙っているのを見て、ひとり合点したように頷いた。
「いろんなこと、あったよな。アーバプランにいたころから。竹見沢や赤石は。そして俺も。中道朱里を巡って。弓削もあいつなりのやり方でアピールしてたよな」
 話の終わりを告げるように、朱里をフルネームで呼んだ。そして膝に手をあてがいながら立ち上がった。

「なあ、生駒。後のことは任せるよ。それに……」
「ん?」
「次回のコナラ会の幹事、おまえがしてくれないか。竹見沢に招集されるのはどうもな」
 タオルを首にかけ直し、太腿のあたりをひとしきりさすってから、蛇草はリュックを背負った。

 鶴添がまだ座ったまま、聞いてきた。
「今からどうします?」
 腕時計を見た。
 そして、ここで別れようといった。
 鶴添は少し残念そうな顔をしたが、しつこく誘うことはせず、立ち上がった。

 蛇草が別れの言葉を口にした。
「この件がはっきりしたら、飲みにいこう。オルカでもいいし」
 鶴添が先に、後に蛇草が続いて、さっき生駒が登ってきた道を下って行った。

 生駒はあたりを完全な静寂が覆っていたことに気がついた。
 葉擦れの音さえ聞こえない山中に、時折涼しい風がふわっと吹きあがってくる。
 三時二十分。
 汗を吸ったTシャツが冷たかった。

 生駒は崖の手前まで戻った。
 なにかの痕跡を探すかのように、崖や下の樹林に目をさまよわせた。
 そして草に腰を下ろし、リュックを開いて遅い昼食を出した。
 メロンパンとアンパンを順番にかぶりつきながら考えた。
 蛇草の珍しい穏やかなもの言いの意味を噛み締めていた。

 ここから登っていって赤石を探すか、ここでしばらく待つか、それとも下るか。
 頂上まではまだ一時間ほどかかるだろうが、赤石がこの道をピストンで降りてくるのなら途中で出会うはず。細い踏み分け道や関西電力の管理用通路もあって、確実に出会うとはいえないが、普通はこのルートを取るだろう。それに、別のところへ下るというのは行程的に厳しい。
 そう考えて、しばらくは先に進むことにした。

 崖を横断して登っていき、三十分後にあっさり回れ右をした。
 結局、下に降りるまで赤石はおろか誰にも出会わなかった。
 車のところで少し待ってみようかとも考えていたが、それも当てが外れた。
 登り口には、すでに生駒の車しか停まっていなかった。

 その日、生駒が行者還岳の尾根道で喘いでいるころ、柏原は新潟の中道隆之に電話を掛けていた。
 自己紹介もそこそこに、単刀直入に本題に入った。

 まず、お願いしたいことの一点目は、中道朱里さんの住所録を探していただきたいということです。
 パソコンではなく紙の形のものです。
 ある人物の住所を確かめたいのです。あるいは最近届いた転居の知らせの郵便物。
 二点目は、朱里さんの部屋に、その部屋のものではない鍵がありませんでしたか。
 住宅用の鍵です。もしありましたら、それを貸していただきたいのです。

 隆之は、住所録も郵便は記憶にない、もしあったとしても捨ててしまったと言った。鍵については探してみると約束してくれた。

 同じころ、三条は梅田の阪神百貨店の地下入口の回りに連なる全国名産品店の前を歩いていた。
 店はいずれも、地下道に面して幅約五メートルばかり、奥行き約五十センチ程の店、というか販売コーナーとでもいうほどの狭さだ。
 各県別に名産の品々を売っていて、ちゃんと現地の店と同じ袋に入れてくれる。いわば出張おみやげ屋ともいえるところだ。
 三条は鳥取県の店で立ち止まった。
「すみません。饅頭は置いてますか?」

 ありますよ、どれにしはる?
 三条は柏原から指示されたとおりに、欲しい商品の説明をした。
「えーと、鼠饅頭っていうやつ。千五百円の箱入りはあります? 灰色の包装紙の」
 あ、鼠饅頭ね。
「あの、それ境港キタロヤ菓子製造所で作られているものやんね?」
 ごめんねー、あれはないねん。日持ちしないからロスが多くて。この鬼太郎饅頭やったらあかん?

「そうなんですかー。鼠饅頭を頼まれて来たんですけど……。どこか他の店では売ってません?」
 ないよ。あそこの饅頭、地元以外で売ってるところはないと思うよ。
「わかった。じゃ、その鬼太郎饅頭をください」
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