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ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
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1 反発

 お休みのところ申し訳ない。モノ・ファクトリーというのは生駒さんがやっておられる会社ですか。へえ、おひとりで建築設計事務所を。個人住宅が中心ですか。なるほどマンションなども。なかなかセンスと忍耐力がいる仕事ですね。しかし、いまどきは建設業界も大変でしょう。それにしても今日はいい天気で。
 などと、刑事はとりあえずの世間話を仕掛けてくる。
「奥様ですか?」
 と、若葉色の暖簾を見やる。
 必要最小限の広さしかない独立タイプのキッチンから、優がコーヒーカップをソーサーに置くカチリという音が聞こえた。
 どうみても二十代後半の優。
 奥様ですか、とわざわざ聞いた西畑の疑問は自然なものなのだろう。
「いえ」
 生駒のかたくなな反応にも無頓着に微笑みながら、まだ暖簾に目をやっている。

「ご用件を伺いたいのですが」
 刑事はようやく視線を戻し、今日おじゃましたのは、と切り出した。
「中道朱里という女性、ご存知だと思いますが」
「なかみち?」
「中の道に、朱里エイコの朱里と書いてジュリと読みます。高校のときの同級生だそうですね」
 西畑はにこやかだ。
 一拍の間をおいて、はあ、知ってはいますけど、と生駒。
 キッチンを出てきた優の目からは好奇心がほとばしっていた。
 西畑にコーヒーを勧めてから、同席していいかと聞こうともせず生駒の横に座った。

 西畑は、どうも、とカップに手を伸ばし、湯気を吸い込んで熱さを確かめ、口をつけずに皿に戻した。そして深く座り直すと、笑みを消し、静かな声で告げた。
「お亡くなりになりました」
「えっ」
 西脇のゴロンとした目が生駒を見つめていた。

「あの、どういうことでしょう。なにか、私に……。いや、いつですか。事故?」
 落ち着き払った西脇の声が湯気の向うから流れてくる。
「一昨日、発見されました。いつお亡くなりになったのか、まだ確かなことはわかっていません」
 発見? 確かなこと?
「中道朱里さんのことを、どんなことでも結構ですから、話していただけませんか。最近の様子とか、誰かに聞いた話とか」
「はぁ、そう言われても……」
「最近、会われたことはありますか」
 優の視線を感じる。生駒はフウッと息を吐き出した。
「ひと月ほど前に……」
 警察官に根掘り葉掘り問いただされたくはない、という気持ちが口調に出ていた。

「どういう用件で?」
「どうって、彼女が独立するということで、相談にのって欲しいと」
 生駒があらましを渋々話し終えると、西畑は気が済んだのか、なるほどそういうことでしたか、と微妙な笑みを見せ、寛いだように浅く座り直した。
「プライベートなことをお聞きしてすみませんでした。実のことを言いますと、中道さんは奈良の大峰山の山中で自殺されたようなんです」
「自殺……」
「まだ断定はしていないんですが、崖から飛び降りたと考えられます」
「朱里が……」

 西畑が一拍の間をおいて、生駒を見やってから付け加えた。
「遺体が発見されたとき、まず事故の可能性を考えました。ですが、中道さんのお住まいから遺書が見つかりましてねえ」
「はぁ」
「で、今は、自殺で間違いなかろうと」
「……」
「ところがご家族の方は、理由がわからないとおっしゃられるんですねえ。まあ、親御さんは、そう言われるもんです。それを調べるのも我々の仕事でしてね。で、生駒さんがなにかご存知じゃないかと考えたわけです。くどいようですが、そういった事情ですので、お心当たりやお気づきになったことがないか、もう一度思い出していただけませんか」
 いつのまにか耳が熱くなっていた。西畑がたたみかけてくる。
「いかがです?」
「いや、そういわれても……」
「そうですか。生駒さんなら、てっきりなにかご存知だろうと思ったんですけどねぇ」
「は? それほど親しいわけじゃ……」
「そうですかね。中道さんの遺書に、おたくさんの名前があったんですけどねぇ」
「えっ! 私の名前が」
 西畑のごろんとした目に見据えられて、生駒は思わず視線を避けた。
「そっ、そうなんですか。なっ、なんと書いてあったんですか」
「ま、お礼ですな」
「お礼……?」
 西畑はスッと視線をコーヒーカップに落とした。
「では、ということですので、改めていくつか質問をさせていただきます」
 しばらくの間、刑事の問いかけに対して、生駒は知らないと繰り返すことになった。

 玄関ドアが閉まると、優は早速、聞きたいことだらけという顔になった。
 しかし、生駒が冷たくなったコーヒーを黙ってかき回すのを見て、ブラインドを上げて窓を少し開くと、自分のカップにコーヒーを注ぎ足した。

 生駒は思考に浮遊感を感じた。
 朱里が飛び降り自殺……。

 目の前の壁に、A4版の写真がピンで留めてある。
 彼女からのメールに添付されていた画像をプリントアウトしたもの。
 料理屋の座敷。十人ほどの人物が写っている。中年男女の集団。
 誰の顔も、飲んではしゃいだ後のさっぱりした赤い顔。トロンとした顔のやつもいるが、前列に並んで座っている生駒と中道朱里は朗らかに笑っていた。

 ひと月前にこの写真を貼りつけたときのこと、朱里が事務所に来た日のことが思い出された。
 残りのコーヒーを一息に飲んだ。
 彼女が自殺したという実感は沸かなかった。警察官に自分の日常を問いただされたことに対する苛立ちや不安感ももうなかった。

 優はなにもいわずに朝刊を読んでいたが、それをバサリと閉じると、屈託ない笑顔をみせた。
「Pフラットに行こうか。コーヒー、もう飲んじゃったけどね」
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