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ノブ、知ってたん? 作者:奈備 光
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13 あけの

「ユウ、なにか意見は?」
「そうやね。弓削さんの件は置いておこ。もし弓削さんが犯人だったら、警察が一件落着してくれるはずだし。今は私たちができることをしよ」
「そだな」
「関係者の整理のうち、コナラ会の人達の分は今からでもできるやん」
 優の求めに応じて柏原が名前を挙げ始める。
「普通に考えたら関西在住、あるいは出張とかで関西によく来ているやつだよな。あるいは朱里が東京によく行ってたんなら、向うにいるやつも関係あるかもしれない。とはいえ、音信不通のやつや、とっくにコナラ会を卒業したやつは除外でいいと思う。そうすると、さっき話に出たとおりで、蛇草、鶴添、佐藤健、草加恵、弓削、赤石、そして竹見沢、上野、紀伊といった面々になる」
「最近のその人たちのことを教えてよ。ノブ、今年のコナラ会のときのことを話してくれる?」
「ええぇー!」
「いやなん?」
「そんなことをやってたら、朝が来る。コナラ会の宴会そのものは、くだらん近況報告と雑談だけなんやから、いいやないか」
「ダメ。さっきチーズの話なんかが出てたやん。私だけ情報不足で推理するのん? ずるいやん。ハンディありすぎ」
「競争じゃないんやから」
「しまいに怒るよ。ちゃんと私にも話して。朱里さんを殺した犯人を見つけるんでしょ。私を戦力にしないと絶対に損するから。それに今晩中に犯人が逃げてしまうということはないんやから、じっくり状況を確認する意味でもいいことやと思うよ。さあ、さあ」
「フゥェー、めんどくさ」
「僕も聞きたいぞ」

 数ヶ月前、三月十五日金曜日。
 千日前の繁華街をほとんど堺筋に突き抜けようかというこのあたりは、往年の賑わいが嘘のように、人通りはまばらだった。それでも、インターロッキングの赤い舗装に打たれた水が、料理屋の心意気を伝えていた。

 料理屋「あけの」は、生駒達にとってアーバプラン入社時からの常用の店だった。
 あるプロジェクトの打ち上げ会がここで行われたのが始まりである。
 ミナミでは老舗の大衆料亭で、座敷で騒ぐことに店も寛大で気兼ねすることがないし、料理も上品すぎて物足りないということがない。料金も、生駒達のような貧乏サラリーマンでも苦にならないほど安い。数十もある大小の座敷では、年中、乾杯の発声を聞かない日はなかった。

 しかし時代は変わった。今では若者達の宴会でさえ、洒落たレストランやホテルが利用されるようになって、古き良き時代の雰囲気を残す大衆料理屋での宴会は流行らなくなっている。その夜も、送別会シーズンの金曜日だというのに、巨大な玄関には「コナラ会御一同様」と書かれたものを含めて、黒い大きな札が三枚掛かっているだけだった。

 両開きの自動ドアが開くと、昔と同じように、黒いスーツ姿の渋い物腰の男が出迎えた。
 生駒は和服を着た六十がらみの案内係りの女性に連れられて、二階の廊下を通っていった。
 酒の臭いや歌声が溢れる中を、仲居が料理を抱えて走りまわっていたかつての光景を知る者にとっては、うら寂しいものだった。なかでも二百人は座れるであろう、いわゆる千畳敷の大広間の襖は永く閉ざされたままで、照明の消えたホワイエには廃墟の影さえ忍び寄っていた。

「すみませんね。電気もつけてなくて。このごろでは二階はほとんど使わないものですから」
「いえ、いいんですよ。無理を言って、二階の奥の部屋を予約した方が悪いんです」
「いえいえ。とんでもございません。ありがたいことです。今でも時々、お客様方のように、お部屋を指定してくださる方がおられるのですよ」

 案内された部屋の鴨居には、「葛城」と記された木の表札が掛かっていた。
 玄関の木戸は開いていた。
 女性はこちらでございますと踏み込みに入り、襖を開けた。生駒が脱いだ靴を丁寧に靴箱に入れると、どうぞごゆっくりと頭を下げて立ち去った。
 靴箱の上に掛けられた和泉葛城山の油絵に見覚えがあった。小さな水差しに白梅が生けられて、強い香りを発していた。

 前室となっている八畳ほどの部屋は暗かった。
 すでに誰かのスプリングコートがハンガーに吊るされ、荷物が隅に置かれていた。奥の座敷に繋がる襖の隙間から、光が差し込んでいた。少し暑く感じられ、廊下の暖房が落とされていたことに気がついた。

 襖を開けた生駒に、意味のない感嘆と歓迎の声が浴びせかけられる。
 竹見沢、弓削、朱里の三人が、ひとつのテーブルにつき、星田がただひとり別のテーブルについていた。
 竹見沢が自分の隣に座れとジェスチャーをした。生駒は少し迷ってから、星田の隣に腰を落ち着けた。
 座敷は三十畳ほどあり、三つの黒い円卓が置かれ、それぞれに数枚の座布団が敷かれていた。テーブルにはまだなにも載っていない。蛍光灯の光が白々と感じられるほど閑散として、盛り上がりようのない雰囲気だった。

 次に登場した佐藤夫妻は、すぐにみんな来るだろうからと、誰も座っていないもうひとつのテーブルについた。すぐに赤石が入ってきて佐藤の隣に座る。
 仲居が料理や飲み物を運び込み始めた。次々とメンバーが席について、予定されていた全員が揃った。
 このころには生駒にも、元気かとか仕事の調子はどうだとか、まだひとり者かなどと陽気な質問がされて、少し馴染んだ気分になっていた。

「皆さんこんにちは。竹見沢です。皆さんとこうして顔を合わせるのは、もう何年ぶりでしょう。本当にお久しぶりです。それでは、アーバプランをいやになって辞めた我々の同窓会、コナラ会を開会いたします」
 会は始まった。

「さて皆さん、いろいろ積もる話もあるでしょうが、まずは乾杯しましょう。さあ、立って立って」
 ビールの栓を次々に抜いて、ささっ、とかなんとか言って身近な人に注ぎ合いをする。おもむろに立ち上がり、まるで儀式のようにコップを捧げ持って、乾杯の発声を待つ。生駒はこの瞬間が嫌いだ。さあ今から始めますよ、食べても飲んでもいいですよという号令のように感じて。今日のように、もはや上下関係もない、ホストやゲストがいるわけでもない、堅苦しいことは本来なにもないはずの会合で、なぜこんなわざとらしい儀式をするまでビールに口をつけることも許されないのか。

「さあ、いいかな。では我々がまたここに集まることができたことを喜んで、乾杯いたしたいと思います。ご唱和ください。よろしいですか。それでは、乾杯!」
 しかし、一旦ビールに口をつけると、生駒のそんなどうでもいい違和感は吹き飛んでしまう。
 久しぶりに会う元同僚達の笑顔を目の前にすると、懐かしさがこみ上げてきて、素直にうれしかった。

 その日、仲間はアーバプラン時代と比べて頼もしく見えた。
 生駒が今も日常的につき合っているのは柏原だけだ。しかし今日は欠席。他の者はといえば、同業の紀伊や弓削となにかの講演会などでたまに顔を合わせるくらいで、それ以外の者とは数年振りの再会だった。
 各自の簡単な近況報告が終わると、近くに座った者と少しぎごちなさを残しながら仕事のことなどを話し始めたが、酒が入ってくると、親しい者を求めて、あるいは新しい話題を求めて席を移りはじめ、会は徐々に盛り上がってきた。

「おお生駒、いいところにきた。今、俺のホームページの話をしていたところだ。おまえはもう自分のホームページかブログを持ってるか?」
「いや、まだ」
「そうか。設計事務所をやっているんなら、開設した方が絶対に得だぞ。俺のURLは名刺に書いてある。中身は単に自己紹介みたいなもんだ。仕事柄、いろんな人に会うだろ。中にはビジネスライクだけでなく、もう少し突っ込んだ関係を持ちたい人もいるわけだ。そのときは家に帰ってからでも見てくれるように頼むんだ。すると、俺の印象は強くなるし、仕事以外の側面を知って親しみを持ってくれるようになる」
 竹見沢がホームページ開設のメリットを説く。
 生駒も全く関心がないということではなかった。自分の設計で建物が建ち、クライアントが喜ぶと同時に、何らかの社会的評価を受けたときには、これが自分の仕事であるということを世間にわかる形で表現したい、という気持ちがあったからだ。

「コツを言っておくと、できればフォーマルな形で作ることだな。たとえブログであってもだ。自分のことをオープンにするわけだから照れてしまうけど、最初からきちんとしたものを作った方がいい。冗談半分で作ったものは、結局は初対面の人や仕事上の付き合いの人に見てもらうわけにはいかなくて、そのうち用がなくなってしまう」
 朱里や上野が、相槌を打ちながら竹見沢の話を聞いていた。
 インターネットを利用している人の多くが、潜在的に自分のホームページやブログを持ちたいと考えているらしい。本屋にはそれらを作るためのノウハウ本やネタ本が今も平積みされている。
 竹見沢の話がホームページの作り方に移っていった。申し込み先、設定方法から始まって、ページレイアウトや無料で使えるグラフィックのダウンロードの方法、ファイル転送のノウハウまで指導する気になるに違いない。生駒は逃げ出した。

 赤石が佐藤と弓削を相手に話している。本人曰く、完全に昨今のブームに乗せられて、山登りが趣味になったという。佐藤や弓削に行こうと勧めているのだ。
「でも疲れるでしょう」
 などと、弓削が頓珍漢な質問を連発して誘いをかわしているが、赤石の話に熱が入ってきた。もうひとりの山登り推進派の紀伊が参入して、ますます勢いがついてきた。生駒がどこで彼らの熱弁を断ち切ろうかと考え始めたとき、朱里と上野が話の輪に入ってきた。
「おもしろそうじゃない」
「だろ」

 山登りチームの話の輪は、徐々に大きくなっていった。
 中高年の山登り。
 まるで合言葉のようなフレーズが、それこそ中年になったコナラ会メンバーには受けるのだろう。
 ついに蛇草まで乱入してきて、次回コナラ会は山登りにしようという意見まで飛び出る始末。

「生駒さん。最近、仕事はどんな具合? 社長業は?」
 恵が声を掛けてくれた。
「個人住宅の設計がほとんどだって、さっき言ってたけど、楽しそうね」
 生駒は、ようやく自分の話を聞いてくれる人に巡り会ったような気がしてうれしかった。今取り組んでいるプロジェクトの話を始めると、朱里が加わってきて、また最初からさせられることになった。
 恵の場合は一般的な興味があっただけだが、朱里は設計者同士ということで突っ込んだ話になり、恵は弓削と別の話題に移っていった。

「ところで、朱里。おまえの方は最近どう? 仕事、楽しいか?」
「そうねえ、楽しいと言えば嘘になる、ってところかな」
「はっきりしない答えやな。今やってる物件、イマイチなのか?」
「ううん。そういうことじゃないわ。今は、銀行の支店の改装工事なんだけど、新しく勉強することがあっておもしろいわよ」
「じゃ、なんで?」
「ちょっと飽きてきたのかも」
「飽きたか……。自分で選んだ道やろ。そんなこというなよ。で、どこの銀行?」
「フフ、千日銀行」
「え、まさかアーバプランでやった例の支店?」
「そう」
「あ、赤石さんが」
「そういうこと」
 そこに上野がやってきて、その仕事の件は聞けずじまいになった。
「お邪魔?」
「やっとホームページ講座から逃れて来たか」
「まあね。でも私、ホームページ、興味があるわ」
「ふーん、例えばどんなテーマで?」
「そうねえ。そだ! 文学作品! なんてね」
「へえ! それいい!」
  朱里はこの話が気に入ったのか、先ほどまでとはまったく違う溌剌とした声を出した。
「ものを書くっていうのは自分だけの世界を作るわけでしょ。楽しそうよね。私も挑戦してみようかな」
 思いつきの連発なのだろうが、ふたりはどんな作品を書こうかなどと話しだす。
「おふたりさんなら、SM嬢のなんとかかんとか、っていうのは?」
「こら!」
 隣のテーブルでは、弓削が恵に、事業が資金的な事情で危機になっていると小声で話していた。しかし恵の同情の眼差しをかわすためにか、次第に強気なことを言い始めた。僕には太い金づるがありますから心配はしていません。持つべきものは友と言いますから、などと。
 困惑気味になった恵が、救いを求めるように夫を呼んだ。

 いつのまにか山登り推進会議は解散となり、テーブルには生駒と朱里と上野だけになっていた。
 やがて朱里に声が掛かり、竹見沢や蛇草を中心とした大きなグループに移っていった。朱里を迎えて歓声が上がっている。
 生駒は酔いを感じた。ここで席を立つと上野がひとりきりになるが、ごめんと告げてトイレに立った。
 木の下駄をつっかけ、静まりかえった廊下に出た。
 大きく息をする。廊下に滞留していたひんやりした空気が、顔や喉に心地よく感じられた。
 空間の薄暗さが疲れた目を癒し、麻痺しかかっていた脳にクリアな部分が用意されたように感じた。
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