空に落ちる。(51/53)PDFで表示縦書き表示RDF


午後五時半過ぎ。
オレンジ色の教室で。

***
五月一日午後五時半過ぎ。
作中の時間と、今、現実の時間は同じです。

2話連続更新。
空に落ちる。
作:きよこ



50:キスをして。


 首だけ動かして振り返る。

 教室のドアにもたれかかって、佐村が立っていた。

 あの日と全く変わらない光景に、あたしは目を細めながら、佐村に気付かれないように小さく深呼吸した。

 また、賭けに勝った。
 いや、負けたとも言える。

 いつだってそう。

 あの旅行に行くと決めた時。
 佐村が屋上への階段に姿を現したら行くと決めて、佐村は来た。

 バイクで二人乗りした時。
 曇り空から青空が見えたら佐村につかまると決めて、青空を見つけてしまった。

 賭けだ、と思ってるけど、負けたのか勝ったのかわからない。

 でも、なんとなく敗北感がある。くやしい。

「この手紙はなんだよ?」
「なんでしょう?」
「どこかに行こうかって、なに?」
「パクリだよ、佐村の」

 窓に向けていた体を椅子ごと佐村の方へと向ける。
 椅子がギギギ、と嫌な音をたてて、あたしは顔をしかめた。

「ねえ」

 椅子に座ったまま、佐村の方へと身を乗り出して、呼びかける。
 だけど、すぐ口をつぐんでしまった。

 とんでもないことを言おうとしてるってわかってるから。

 でも、知りたいんだ。

 ――好きな人になら、触れられるのが嫌じゃなくなるよ。触れたいと思うんだよ。

 それって、どんな気持ち?

 あの旅行で、あたしは気付くと佐村の背中を目で追って、距離を埋めたくてその手を伸ばした。

 そう、遠くなる距離を縮めたかった。

 この腕の長さの分だけ、佐村に近付ける気がした。
 意気地のないあたしは、シャツをつかむのが精一杯だったけど。

 本当は。

 そのすべてを、つかまえたかったのかもしれない。

 あいまいな心。
 戸惑う気持ち。
 見えない本心。

 知りたい。

 あたしはあたしの心を知りたいんだ。

 核心を見つけて、揺るがない本心を、刻み付けたい。

「佐村」

 真っ赤に染まる太陽の光は、教室のすべてを一色に変える。

 オレンジの向こうで陽炎みたいに佇む佐村に問いかける。

「――キスして」




 佐村の目が見開かれて、そのまま固まる。
 数秒の間の後、佐村は金魚みたいに口をパクパクして、クシャクシャ頭を掻いた。

「おま、だ、大胆だな」

 唖然とした顔のまま、まだ固まってる。

 あたしだって驚きだ。驚きの大胆さ。いきなりアッパーかますみたいなもんだ。

 でも、これも賭けだから。

「聞き間違い、だよな」
「そう思うなら、それでいいけど」
「つうか……まじ?」

 さあ? と小首をかしげて、ゆっくりと椅子にもたれた。

 窓のさんに首を置いて、顔をぐっと上に向けると、だんだん赤くなっていく空が眼前に広がった。そよ吹く風が前髪を揺らす。

 不思議。

 落ちていくみたい。

 落ちていくようで、飛んでいるような。

 まるで――

 空の中にいるみたいだ。

「佐村が言ってたね」

 あたしの背中に羽根は無いけど。
 飛べるはずもないけど。

「空に落ちてくような気がしたって。地面と空が反転して、落ちてんのに飛んでるみたいな、そんなかんじだって」

 世界は、何も変わらないように見えて。
 大きく変わるものなのかもしれない。
 考え方ひとつで、ものの見方ひとつで。

 違う世界が輝きを放つ。

「旅行のこと……忘れないでよ」

 なんだか、泣けてくる。
 けっこう、ショックだったんだ。

 あたしと佐村だけの思い出が、忘れられてしまうのが。

「竹永」

「一生の思い出にして」

 あたしにとっては、あのピルケースにしまうみたいに、永遠にこの心にしまっておきたい、思い出なのに。

「ずっと忘れないで」

 あたしはやっぱり自己中でわがままで嫌なやつ。
 エゴだけぶつけて、佐村の気持ちなんて二の次。

 でも、こんなの、エゴのぶつけ合いみたいなもんでしょ?

 答えがほしい。見つからないまま、ずっと過ごすなんて苦しすぎる。息が出来なくなりそう。

 溺れそうになる前にすくいあげて。
 佐村だけしか出来ないから。

「竹永」

 変わらない優しい声を独り占めしたい。
 ずっとずっとそばにいてほしい。

 この気持ちが何なのか、誰か、教えて。


 手に触れる温もりに、外に向けていた顔を上げる。

 佐村のシャツが目に入った。

 オレンジに染まるシャツと、その隙間から見える鎖骨。あの旅行の夜、浴衣の隙間から見えた佐村の体を思い出して、顔が一気に熱くなる。

 あたし、ちょっとヘンタイくさい。

「俺、めちゃくちゃ振り回されてない?」
「それはあたしのセリフ」

 あたしの手を取った佐村の手に、きゅっと力が入る。

「どういう意味だと思えばいいんだよ?」
「ひとつしかないと思うけど」

 手の平を親指でなぞってくるから、くすぐったくて笑ってしまう。

「照れる」

 笑った佐村は、ちょっとかわいい。
 女子生徒の佐村評を少しだけ認めることにした。

 手をぐいと引き上げられて、あたしは立ち上がった。
 胸の前にある繋がれた手を佐村はゆっくりと持ち上げて、にっと笑う。

「竹永、なにげに小悪魔だな」

 繋がれた手は、あたしと佐村の顔の前。
 王子様がお姫様にそうするように――指先にキスを落とされた。

 その瞬間。体の先端に与えられた熱は、一気に体を走り抜けて、顔からぼっと火が吹いた。

 あんたも小悪魔だよ、と心で訴えて、真っ赤になる顔を背ける。

 だめだ。もう、止められない。
 洪水をおこしたみたいに溢れ出る、この気持ちは。

 紛れもなく。

「好き」

 ――恋だ。







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空を歩く。





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