三月の滲んだ空から白い結晶が落ちてくる。
いくつもいくつも。まるで何かを探すひたむきさで、雪は降り続いている。
「馬鹿ね」
街外れの川沿い、大きな桜の木の枝に少女は腰掛けていた。年の頃は十二、三だろうか。色の白い頬はわずかに上気して紅く染まっている。蜂蜜色の髪が冷えた風の中でさらさらと揺れた。
「本当に馬鹿」
もう一度つぶやいて、少女は落ちてくる雪へと愛しげに手を伸ばした。
ここ数日続いた小春日和で桜のつぼみは一斉に花開いた。その矢先、こんな天気だ。降りしきる雪と共に薄桃色の花たちは精一杯花開いている。
「馬鹿はきみだろう」
少女が振り返ると、そこには背の高い青年が立っていた。
「あら、いたのね」
わざとそっけなく少女は言った。
青年は微かなため息をつく。
「いたのね、じゃない。どうしてもう降りてきた? きみが来るにはまだ早すぎる。この寒さはきみの体には毒だ」
「そうね」
微笑んだまま少女が答えると、青年は切れ長の赤い目をすっと細めた。
「どうして、こんなに早く降りてきた?」
少女は青年の問いには答えず、声をあげて笑った。
「何がおかしい?」
一通り笑うと、不意に少女は真剣な顔になった。
「じゃあ聞くけど、あなたはどうしてまだこっちにいるの? 昨日までの暖かさはあなたには辛いでしょう? それにあなたがいるせいでまた雪まで降ってる。もう三月も終わりよ。人間たちもいい迷惑だわ」
青年は苦虫をかみつぶしたような顔で言葉を続ける。
「きみが降りてきたせいでもう桜が咲いてしまった。まだ三月だ。桜が咲くには早すぎる。人間たちも驚いているじゃないか。それに・・・・・・」
「だって、あなたに逢いたかったんですもの」
続けるべき言葉を見失った青年は、不機嫌な顔で黙り込む。白銀色の短い髪の毛をくしゃりとかきあげて、微かに苦笑した。
「きみにはかなわない」
少女はうれしそうに笑った。彼女が笑うと、そこだけ陽だまりに包まれたようになる。それもそのはず、彼女は春の使者だ。彼女が降りてくると地上には春がやってくる。
少女の若葉色瞳が、まっすぐに青年を捕らえた。
彼もまた、季節の使者だ。
短い白銀の髪に赤い瞳。冬の厳しさを写し取ったように、彼はいつも厳しい顔をしている。けれど少女は、彼がどれだけやさしい顔をして笑うのかを知っている。
聞き取れるか聞き取れないかわからないような小さな声で、青年は告げた。
「俺も、きみに逢いたかった」
青年の白い顔が微かに赤くなっているのを、少女は見逃さなかった。
「私たち、二人とも大馬鹿ね」
「まったくだ」
顔を見合わせて二人は笑った。
****
昔むかし、世界には季節がなかったころ、使者たちは皆、彼らを創った神さまと一緒に天上で幸せに暮らしていました。
そこはいつも花が咲き乱れていて、辛いことや悲しいことは何もありません。神さまと四人の使者たちはお互いを同じように好き合っていました。傷つくことも傷つけるこもないこの幸せな関係は長い間続きました。
しかしある時、冬の使者と春の使者は恋に落ちたのです。春の使者は他の誰よりも冬の精のことを愛しました。冬の使者は春の使者のためなら他の何を犠牲にしても構わないと思うようになりました。この時、二人は前よりももっと幸せでした。けれど、それは神さまや他の使者たちへの裏切りでした。
怒った神さまは二人を殺そうとしました。 二人は逃げて、逃げて、最後は仲間たちの手によって捕まり、神様の前に引き出されました。今にも二人を殺そうとする神さまに、跪いて許しを請うたのは他でもない、残された夏と秋の使者でした。
『どうかこの二人を助けてください。確かにこの二人は罪を犯しました。この二人のせいで私たちのなんの心配もなかった生活は壊れました。私たちは彼らを恨みます。でも、殺すなんて酷すぎる。それに、特別な誰かを愛することはそんなに悪いことなんでしょうか』
神さまは怒っているような、泣いているような顔になって深く考え込んでしまいました。
長い長い沈黙の後、神さまはぽつりとつぶやきました。
『お前たちをこの世界から追放する』
神さまの決断はこんなものでした。
彼ら四人を使者として、下界へ追放すること。ただしそれは一年間の四分の一だけ。あとの時間は天上界と人間界の真ん中にあるの三季宮から出てはいけない。さらに罰として、彼らは名前を奪われました。
そして、罪を犯した冬の使者と春の使者は隣り合う季節を司るものとして地上に送り出されたのです。
こうして地上には四つの季節が出来ました。隣り合う冬と春の使者は滅多に会うことができません。これは神さまが彼らに与えた罰なのです。
****
春の使者はふわりと青年の腕の中に飛び込んだ。彼の胸に抱かれたほんの一瞬、微かに痛みに似た感情がよぎって、彼女はに眉根をよせる。
同じ気持ちを抱いていた冬の使者はそっと春の使者の髪に触れた。
「罪深いな。俺たちは」
二人のせいでで名前を取り上げられ、使者として追放された友たちのことを思った。二人とも気にするなと言ってくれる。もう過ぎたことだからと。でも決して、そんなふうに割り切れることではないはずだ。
でも、それでも、こうしている時間は確かに幸せなのだ。
「そうね」
静かに、春の使者は微笑んだ。
「きみは後悔していないのか」
冬の使者は恋人を抱きしめたまま尋ねた。
背の高い冬の使者からは、彼女の蜂蜜色のつむじしか見えない。
春の使者は黙ったまま、やや唐突に恋人の胸を突き放した。どんっと音がして、冬の使者はわずかによろける。
突然の拒絶に、わけがわからず冬の使者は恋人の顔を見詰めた。
春の使者は怒っていた。感情の高ぶりに緑色の瞳がきらきらと輝いている。こんな時にもかかわらず、彼は一瞬彼女の瞳に見とれた。
春の使者は一つ息をつくと、逆に冬の使者に問い返した。
「それじゃあ、あなたは後悔しているというの? 昔に、あの頃に戻りたいと思う?」
今までまったく後悔しなかったと言えば嘘になる。自分のせいでたくさんのものを傷つけた。友たちも、彼女も、そして恐らく神さまのことも。けれど、昔に戻りたいと思ったことは一度もない。この気持ちを知る前に戻ることなど。
「すまない」
静かに彼は言った。
春の使者はくるりと彼に背をむけると、灰色の空を見上げた。
雪はまだ降り続いている。先ほどより少し勢いの弱まった雪は風の中を漂うように落ちてくる。
「どうして謝るの?」
「きみの気持ちを疑っていたのかもしれない」
冬の使者は春の使者の背中に告げる。
「なによ? かもしれないって」
むっとした顔のまま春の使者は振り返った。
「そういう意図はなかった。でも、どこかでそう思っていたことは否定できない。だから……」
「どうしてあなたはそういうめんどくさいしゃべり方しかできないのかしらね」
彼の言葉を遮って、春の使者は笑った。
「すまない」
「謝らないで。そういうあなたを選んだのは私だもの。私の言い方も悪かったわ。ごめんなさい」
「いや」
春の使者はまっすぐに手を伸ばした。
「それじゃあ仲直り」
冬の使者は黙って彼女の手を取る。その顔にはやわらかい微笑みを浮かんでいた。
こうして二人でいられる時間はごく僅かしかない。二人でいられる時間が幸せなほど、その後には辛い別れが待っている。
とりあげられた名前を懐かしく思うこともある。二度と思い出せない名前。お互い相手の名前を呼ぶとき、どれだけ愛おしかったことだろう。けれど、名前など呼ばなくても、愛おしさを伝える方法などいくらでもある。
冷えた空気の中で掴んだお互いの手は、確かな暖かさを伝えていた。
END
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