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愛士、きみへ
作:かな子



1.箱庭のピエロ


 “神の箱庭”と呼ばれるくせに、肝心の神はどこにいったのか。
 先日、彼女たちが罪人たちから救った老婆は泣きながら呟いた。
 うまいことを言う。彼女は醒めきった脳で思考する。でもそれはここに限ったことじゃない。
「救いの神はどこにもいない」
 縫われた右の瞼、包帯に覆われた腕と足。ひとつだけの瞳は薔薇の色とも林檎の色とも夕陽の色ともつかない、不思議な赤色。整った顔を縁取る、少し傷んだ灰色の長い髪。
 奇異な姿は神を思わせた。



 西暦二一○四年、世界は荒れていた。
 地球温暖化による異常気象が悪化、夏の気温は例年より三度も高く、熱中症で多くの人が倒れ、水資源が急激に減少した。増える海水に、沈む大陸。人間の住める場所が減っていく。
 それらが原因で始まった、日本の西部対東部の戦争。水をめぐって、住む土地をめぐっての争い。戦火は広がる一方だった。
 誰が言い出したのだろう。それは途方もない、祈りに近い提案だった。
“人を超えた人を造り、戦争に終止符を”。
 成功するはずがないという国民の反対を押しきり、西部政府は焼け野になった土地に、白い研究所を建てた。
 日本西部の子供が姿を消し、たくさんの母親が泣き叫び、抵抗した父親が連行された。西部の人口は急激に減った。それに比例し、動物たちも絶滅していった。
 ひどい。研究所を視察に来た内閣総理大臣の第一声だ。もちろん国民には公表されなかったが。
 獣の血を投与され拒否反応を起こし、食べ物をすべて吐き出し細くなった身体は、いつも幻覚に怯え、幻聴に耳をふさぎ、やがて自分の腕や足を噛み千切って死んでいった。救いはなかった。彼らは政府の道具と化していた。
 獣の血を投与し人で兵器を造る。無論簡単なことではなかった。否、不可能に近い。一人一人、血の濃度も量も性質も違う。どの獣の血をどれくらい投与するか、なんの資料もない手探りでの研究は、予想以上に困難なものだった。少しでも間違えれば失敗だ。やり直しはできない。
 そんな実験の最中、戦争はあっさりと幕を閉じた。東部が核爆弾を日本の中心に撃ち込み、大陸を二つに分けたのだ。
 そこはすでに戦場と化していたからか、幸いにも国民は住んでいなかったため、人命の被害は少なかった。
 その後、西部当主・小波と、東部当主・蓮技は条約を取り決め、お互いの土地を荒らさないことを約束し、和解した。
 結局メシア誕生の報せが西部国民の耳に届くことはなく、子供たちが親の元に戻ることはなかった。



 二一一二年、秋。
 国内戦争から八年、住む土地も水資源も相変わらず不足しているものの、荒らす相手がいなくなった今、ある程度は補えている。国民にも街にも、未だ戦争の爪痕は残っているが、だんだんと復興に向かっているようだ。
 西部と東部の境目、日本中央部に位置する“神の箱庭”。かつて二つに分かれたとされた日本を繋ぐ、僅かな陸に在った。
 親に棄てられた子供、子供に棄てられた親、国に棄てられた罪人たち。
 戦争後に発見された運良く残っていたその土地に、彼らは住んでいる。
 まともな人間ならば絶対に近づかない彼らの住みかを、常に狂気に包まれたその場所を、日本の“橋”に置くことで、西部と東部は今度こそ完全に分かれたのだ。
 法律などという文字は存在しない、犯罪者のたまり場。この箱庭に追放された罪人たちが大人しくしているはずもなく、箱庭に迷い込んだら最後、殺されても文句は言えない。そんな場所。
 追放とは逆に、脱走した死刑囚などが逃げ込んでくることもある。警察もここまでは追ってこないから、彼らにとっては絶好の隠れ家というわけだ。
 政府は食糧さえ配布する。そうしてまで国の“汚点”を閉め出したいのだ。罪人たちには居心地がよく、檻など作らずとも逃げ出す者はいなかった。
 しかも、ここには面倒を見切れなくなったという理由で放置される乳児や老人もいる。格好の獲物。暴行され、そのまま命を落とす者も少なくなかった。
 それでも国は平和で、国民たちの不満はなかった。西部にも東部にも位置しない此処は“異国”同然なのだ。
 彼女たちは一年前からここに住んでいるが、地面に物のように置かれている乳児を幾度も見かけた。保護しようにも子育ての知識など皆無なため、拾っては助けたことのある老人のところに連れていく。
 老人たちと協力しての子育て、それが憐子は嫌いではなかった。
 遠くから、気持ちの悪い笑い声が響いた。隣を歩く彼の表情に若干の変化を見つける。
 すぅ、と、憐子は左目を細めた。
「憐子、憐子ー」
 彼女の腕を引く彼は、ひどく歪んだ笑い方をする。確かに笑っているのに、どこかぎこちないのだ。間延びした声は苛立ちを呼び、憐子は彼の笑顔も話し方も大嫌いだった。無駄に触れてくるところも。
 彼は茶色の髪を揺らし、その華奢な身体のどこからそんな力が出てくるのか、と疑問に思うほどの強い力で彼女の腕を引いた。
「朝露、いたい、放せ」
「おら放せ変態」
「憐子も迅もひどいー」
 途切れ途切れに必要なことだけを言葉にするのは憐子の癖だ。感情も薄く無表情なため、すべてが刺々しく聴こえる。しかも言い方が冷たく、朝露はいつも、笑顔ではなく顔を歪めなければならなかった。
 さらに、過保護で口の悪い迅が追い討ちをかける。足蹴にし、元から悪い目付きをもっと悪くして朝露を睨むのだ。ガッシリとした男らしい体格の彼に、朝露は力では敵わない。黒い瞳と髪は日本人と呼ぶに相応しく、憐子はいつもそれを綺麗だと思う。
「向こうで悲鳴が聴こえたんだよ」
 憐子から引き剥がされながら、朝露は困ったように笑った。こんな時でも笑うのが憐子の癪に障る。
 しかも聴こえたのは悲鳴ではない。笑い声、それは確かだ。彼女は朝露よりも迅よりも、言ってしまえば普通の人間よりも格段に耳が良いのだから。彼はよく嘘を吐く。
 笑い声、と言ったなら、少しばかり頭の回転が遅い迅には、大したことには聴こえないだろう。悲鳴、と言えば一発でなにかが起きたと伝えられる。
 それは説明の時間を省くための些細な嘘だが、もしかしたら、彼には本当に、笑い声すら悲鳴に聴こえるのではないか、と憐子は思った。
 面倒くせぇ、と洩らしながら、早足で“悲鳴”が聴こえた方向に歩いていく迅に、彼女の顔が緩む。対して、早く早く、と彼女を急かしながら、一番それに興味がないのは彼だ、きっと。憐子は無表情に思考する。
 灰色の髪をふわふわと靡かせ、迅を追いかける彼女を朝露は少しの間、後ろから眺めた。傷んだ髪は輝くことを忘れているのに、太陽の光が反射しているように見えて、朝露は眩しさに眉を寄せた。

 やがて迅の目に見えてきたのは、茶色いローブを身につけ、フードを深く被り、顔を隠した少女らしき人と、それを囲む四人の男たちの姿だった。
「暴行だな」
 厳しい声で唸るように彼が言った。
 箱庭で起こる問題はほとんどが窃盗か殺人か暴行、その三つの内どれかだ。今回、少女が盗む価値のあるものを持っているとは思えない。男たちにも武器を持っている様子がないため、暴行目的だと当たりをつけた。
 憐子は目を凝らす。耳は良いが目は悪い。眉を寄せ、目を極限まで細めて見えたのは、キラキラと反射するなにかの光。複数。光り物を身に着けているらしい。
「あれ」
「あぁ、飾り物だな」
「換金」
「生活費もついでに確保できるぞ」
 憐子と迅はなるべく足音を立てないように少女たちに近づいていく。その後ろから朝露が、ちょうどミルクきれてたんだーだの、換金めんどくさいなーだの言いながらついて来るため、あまり意味はなかったようだが。



「近付くな。吐き気がする」
 救出のために近づくと、聴こえてきた悪態に目を丸くした。その声はずいぶん低く、明らかに女ではない。よくよく見ればローブに隠れる肩幅もある程度広いようだ。
 しかし迅たちに、少女のような少年の声は聴こえなかったらしい。朝露が先陣を切って静かに歩み寄り、男たちに声をかけた。
「おにーさんたち、そんな子ほっといて俺の相手してくださいよ」
 いつものやり方、憐子は遅れながらも迅の背に隠れ機会を待つ。
 男たちの動きが止まる。全員が至極不機嫌そうな顔で、朝露の方を振り向く。少年が目を見開いたのが、辛うじてフードから覗いた。
「なんだお前。こいつの仲間か?」
 男の一人が声をあげ、少年が否定する前に、朝露は首を横に振る。
「だったらなんだ。こいつは俺たちの獲物だぞ!」
 噛みつかんばかりの勢い、それでも朝露はまったく動じず、笑みを深めた。
 ふふふふ。口から漏れ出した笑い声、その冷たさに思わず全員の背筋が伸びる。無論憐子も迅もだ。その次のセリフが分かっている分、その声の高低の差に悪寒すら走る。
 ゆっくりとした動作で一歩、前に出た朝露に、男たちと少年は何が起こるのかと息を飲んだ。
「あなたたちの全てが欲しいんです!」
 暗転。
 バッと腕を広げ、キラキラした笑みで言い放った彼にいつもながら頭痛がした。
 水を打ったように静まり返ったそこには、異様な空気が流れる。
 男たちも少年も、誰もが反応に困っていた。
「全てっつうか、例えばその首に提げてる飾りとかな」
 それを裂くように響く、また違う冷たさをもつ迅の声。落ち着いたそれとともに現れ、男たちを見据える。目付きの悪さは人一倍だ。男たちの怯える顔が目に浮かんで、憐子は密かに憐れんだ。
 朝露よりも背は低いがその分ガッシリした逞しい背中に隠れたまま、彼女は耳をすませた。男たちの心臓の音が聴こえる。彼女に一番近い男は前方十メートルの位置にいるようだ。その男から右に向かって三十センチほどの間隔で残りの三人が並んでいる。
 充分届く距離。
「そこのガキより、俺たちのがイイもの、持ってるんだけど。なぁ?」
「そうそう。すごーくイイもの」
 ニヤニヤ。そんな効果音が似合う笑い方。それに潜む冷たい空気、助けるはずの少年まで怯えさせていそうで少し申し訳ないが、仕方がないだろう。
 この場所に、憐子たちのような犯罪者の邪魔をする人間がいること自体、珍しいのだから。
 そろそろ出番だ。憐子は腹に力を入れ、地面を音を立てないように踏み締めた。
「ラビット……?」
 そんな中で聴こえた小さな小さな声に、思わず憐子は迅の背に頭突きした。迅が怪訝そうに憐子を見下ろす。
「……、滑った」
 口から零れた苦しい言い訳、迅はさらに眉を潜めたが、すぐに前を向いた。彼らには少年の呟きは聴こえなかったようだ、男たちや朝露に変化はなかった。
「イイもの、欲しい?」
 再度、朝露から発せられた“イイもの”という単語に男たちはピクリと反応した。口元に厭らしい笑みが浮かぶ。
「イイもの?」
「イイもの」
「見せてみろよ、気に入ったらお前たちは見逃してやる」
 ケタケタと、耳障りな声で笑う男たち。今まで散々追い詰めていた彼への興味が、朝露たちに完全に逸れた。
 瞬間、男たちにクルリと背を向け、少年は全速力で走り出す。賢明だ。今がチャンスだと思ったのだろう。
 茶色のローブをはためかせ、フードが取れるのも構わず走る。
 その時見えた、輝く金色と、右腕があるべき場所の空間に、憐子は目を奪われた。
 朝露のものらしき笑い声が、遠くに聴こえる。
「逃げられちゃったねぇお兄さんたち」
 馬鹿にしたような、緊張感のまったくない声、男たちは勢いよく前まで少年がいた場所を振り返った。そこには崩れかけた壁があるばかり。
 迅に肘でつつかれ、はっと我に返る。そろそろだ。まるで演劇のように、台本どおりに事が進んでいる。
 誰が描いた台本だろう。神か。考え、憐子は自嘲の笑みを浮かべた。いないと言ったのは自分なのに。
「そーんなしょーもないお兄さんたちに、イイもの、あげる」
 その声が合図だった。憐子は思い切り拳を握り締め、迅の背から飛び出した。

 男は目を丸くして、立ち尽くすしかなかった。なにが起きたのか、すぐには理解できなかった。男を除く盗賊たちが全員、いきなり“なにか”に吹き飛ばされたのだ。驚く間もなく地面に叩きつけられ、痛みにうめく彼らを、朝露は楽しそうに、迅は仏頂面で見下ろしている。
 ひとり立っている男は数秒遅れて朝露たちを見るが、まったく動いていないことに身を震わせた。一体なにをしたんだ。恐怖から思わず尻餅をつき、かろうじて喉から出たひきつった声が惨めだった。
「イイ“拳”だっただろ」
 迅の、その笑っていない目に、男は身体の底から震えが走った。
「“女の子”に吹っ飛ばされるなんて、男失格だねー」
 男の視界の隅の茶色が揺れて、朝露が肩を震わせて笑っているのがわかった。
 男は意味がわからなかった。今の攻撃は女のものだったのか。それ以前に拳だったのか。
 彼の足は立ち上がることを忘れていて、尻をついたまま後退る。仲間も気になるが、そんなことより逃げる方が先だと、男はひぃ、と声をあげながら後退り続ける。
 それを見、面倒くさそうにため息を吐いた迅が、ジャリ、と男に近づいた。それが合図だったかのように、今まで棒の如く動かなかった足が反応し、男は弾かれたように逃げ出した。



「お疲れ憐子ー」
 逃げ出した一人が完全に見えなくなったとき、彼独特の伸びた声で名前を呼ばれながら肩を叩かれ、憐子は眉を寄せながらも、やっと力を抜いた。
 ずっと迅の背中に隠れていて、息が詰まった。とくに身を隠す必要はないのだが、憐子が人に姿を見られるのをあまり好まないため、この方法をとっている。
 手には男たちを殴った感触がまだ残っている。慣れてはきたが、あまり気持ちのいいものではない。握りっぱなしだった拳を開いたり、また握ったり、早く元の感覚を取り戻そうと憐子は手を見つめる。
 その隣で、迅がポツリと呟いた。
「死刑囚だな」
 倒れ、もがいている男たちを見据え、元から鋭い目付きがさらに鋭くなっている。迅は彼らの手首をじっと見つめていた。シルバーのブレスレット、死刑囚の証。同じものが迅と朝露の手首にも光っている。
「女の子襲うなんてサイテーだねー」
 さも憤慨したように朝露が言う。それに続く、珍しい金髪だったねーとやはり暢気に伸びる声。フードが取れた瞬間に見えた長い金色、それは三つ編みに結われていて、乱れてはいたものの太陽のように輝いていた。
「朝露」
「はぁい?」
「男だ」
「え? そうなの? あんなに可愛いのに。ねぇ迅」
「俺にふるな」
 わざとらしい驚き方にはもう慣れた。疑ってもいないくせに疑問符を付けるのにも。本当に疑っているなら、こんなにすぐに納得するはずがないのに。
 不機嫌を隠さず睨み付けると、ニコリと微笑まれて何も言えなくなる。
「そういや、なんでさっき俺の背中に頭突きしたんだ?」
 迅が首を傾げる。さっき、というのは金髪の少年が「ラビット」と口にした時だろう。
 眉間に皺を寄せて、探るように見つめてくる真っ直ぐな黒い瞳、それでも憐子は口を開こうとは思わない。ただ首を振り、目を伏せると、迅はそれ以上追求しなかった。
 男だってなんで判ったのー? という朝露の問いは華麗に無視して、彼女は手を見つめ続ける。
 握って開いて、グー、パー、グー、パー。
「こいつらどうする」
 無視されたと喚く朝露にも、少年のことにも興味がないようで、迅はしゃがみこみ、男たちと目の高さを合わせながら、面倒くさそうに言った。彼はいつも気だるそうだ。
「放っとこう」
 バレたって取り締まる警察も法律もないのだから。
 朝露の言葉に、憐子は若干、顔を歪めたが、迅は納得したように頷き、手際よく男たちから金品すべてを奪った。生活費確保だ。朝露が嬉しそうに笑う。やはり歪んだもので。
 痛む身体で為す術もなく怯える男たちに、ニヤリと笑みだけを残して背を向ける。彼らにもう用はない。
 しかし男たちの中の一人が、迅の足首を掴んでそれを制した。
「待て!」
「あ?」
 途端、不機嫌に歪んだ眉。男の顔がサッと青ざめる。それでも精一杯の凄みを込めて、彼を睨んだ。それも今は滑稽なだけなのだが。
「なんで邪魔をした!」
 掠れた声だった。怒りというよりも困惑と恐怖に満ちた彼の表情に、憐子はふわりと目を細める。自由な、左目だけを。
 愚問だと鼻を鳴らした迅の横を通り、彼が止めるのも構わず憐子はしゃがんだ。
 そして男に、それこそ吐息が掛かるほど近付くと、小さな小さな声で告げた。それは整った顔からは想像できないほど、冷気に満ちていた。
「邪魔をしないで」
 少女にしては低い声。何故かいきなり悪寒に襲われ、男は顔を歪めた。しかし少女の目は、彼を捉えてはいなかった。
「やっと見つけたの」
 脳内に残る残像。走り去っていく彼、煌めく金色、ローブから覗いた右腕が在るべき場所には、なにもなかった。
 掻き分けた灰色の髪、彼女から流れてくる血生臭い臭いに、きっと少年は気付いただろう。
 彼女はその時、密かに哀しそうな笑みを浮かべた。













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