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ポインセチアと、影の伸びる部屋
作:赤峰智子



第五話/十月八日





あれから、もう二週間近く経った。街並はすっかり秋の気配を見せていて、五時に近くなると日も暮れてくる。
近頃私は秋になったのをきっかけに、夕方に散歩をするようになった。
………彼を見る為に。


今日はいつもの時間より遅れている様だ。
これ幸いと、私は待ち伏せしてその子と偶然を装って話をしようと決めた。


私はマンションの郵便受けの前でその子を待つ事にした。
【偶然見掛けて声をかける方法】は今までに何度か使ったので、少しパターンを変えないともしかしたら怪しまれてしまうかもしれないと思ったからだ。



私が暫くぼうっと郵便受けの前で待っていると、その子がやってきた。
「あら、また。奇遇ね。」
私は笑って言った。勿論、奇遇な要素なんて全く無い。
『あ、こないだの。』
その子は、私を覚えていてくれた。
「今日はいつもよりちょっと遅いみたいね、混んでたの?」
と、『どうぞ』と手渡された新聞を手に、何気なくを装って話し掛ける。
『いえ、今日は配達の順番変えてみたんす。…もしかして新聞届くの待ってたんっすか?』
その子は眉間に少し皺を寄せ、申し訳なさそうに聞いた。何だか胸がきゅん、とする顔だ。
「いいえ、大丈夫よ。私はただ散歩して………あら、こんばんは、奥さん。」
隣の部屋の奥さんがドアを抜けて入ってきた。
しまった…何か怪しまれたらどうしよう。微笑みながら挨拶をする私の背中に、一筋の汗が流れる。
『こんばんは、奥さん。最近急に寒くなりましたねぇ。お体大丈夫?』
相手も笑いながら尋ねた。…どうやら怪しまれていない様だ。
「えぇ、何とか。旦那がちょっと体調崩してるみたいで、それが心配なんですけど…。奥様の所もお気を付けて下さいね。」
私は表情を変えずに言った。
『心配有難う、ウチのにも言っとくわね。………あら、新聞配達?若いのに感心ねぇ、頑張って頂戴ね。』
奥さんは一声かけると、それじゃあ、と会釈してキーロックを開けて入っていった。
『あっ、どうも…。』
まさか声を掛けられるとは思っていなかった様で、少し緊張しながら新聞配達の大学生は答えた。


『奥さんって…もしかして結婚してんっすか!?』
その子は私が既婚者だと知ると凄く驚いた。
どうやら私の事を同い年か一、二歳上のお嬢様育ちの人だと思っていたらしい。マンションの雰囲気に加え、前会った時の話し方や服装のせいだろう。
私は
「ふふふ、そんな育ちは良くないわよ。言葉遣いに気を付けてるだけ。こないだは突然だったし、それに凄く親しい人と話してるんじゃ無いでしょ?夫と話す時はもっと普通に喋るのよ?」
と笑って答えた。
『へぇー、そうなんすか。全然想像出来ないっすよ!』
とその子も笑いながら驚いて言った。
「初めて言われたわ、お嬢様なんて。有難う。」
私は少し上目遣いで言う。
『いやいやそんな…。こっちこそ、勘違いしててすんません。……っと、そろそろ戻らないと!もうこんな暗くなってる!』
その子は外に目を遣ると、挨拶もそこそこに慌てて出ていってしまった。
私は急いで外へ出て、小さくなっていく背中に手を振る。バックミラーにでも映らないかと思ってだ。
姿が見えなくなってから、誰も見ていないのに私は一人ぷぅっと頬を膨らませる。
しょうがないの事なのだけど、何だかとてもつまらない。もう少し話をして居たかった…。…そこまで考えて私は小さく息を飲む。
そして自分の両手をまじまじと眺めた。
『まさか……そんな…』
血の気がサァッと音を立てて引いていく。頭が何だか冷たい。



 
私は新聞を握り締めて小走りで部屋に戻ると、ソファーになだれ込み、顔をのけ反る形で背もたれに身体を預けて大きな溜息をついた。そして前から感じていた感情の正体に頭を抱える。









 
『私………あの人の事が好きなんだ……』



どうやら私は彼に恋をしてしまったらしい。














……………………………………





ここまでが、前月の末の話である。


あぁ、一体私はなんて不埒な女なんだろう!とても夫や世間に顔向け出来ない。



しかも恥ずかしいのはこれだけではないのだ。





…実は恋心を認識してからと言うもの、毎晩毎晩、私はその子との密会…つまりは不倫する様子を床についてから一人想像していたのだ。何故なら、実際に逢う訳には勿論いかないからである。



恥ずかしい話だが、私の頭の中では私達は既に何度もこっそり逢っている。


誤解して戴きたく無いのだが、勿論、最初はそんなつもりじゃ無かった。《ただ、もしこれから仲良くなったら…》と二人でいつもの様に立ち話をしている所を考えていたのだ。
だけど………その内、それだけじゃこの気持ちが治まり切れなくなってしまったのだ。
立ち話から、《もし家に上がって貰えたら》にスライドし、そこから………遂にはこのレベルにまで来てしまったのである。


想像の中での二人で逢う日というのは、彼の学業に支障が出ない様、勿論ゼミが休講の時に。
ちなみに想像している内容は、お昼を一緒に食べて告白するというものだ。


……………………………………


私は決心して、遂に彼を自宅に招く。
夫の居ない昼間に招かないとならないので、『お昼でもいかが?』という名目をつける。


マンションの前で待ち合わせる。彼はいつもと同じ質素な格好だ。
彼は家に入ると、肩身狭そうにソファーへちょこんと座る。
私はまだ自信のある煮物を振る舞う。
「どうぞ。」と呼ぶと、『すいません、わざわざ…』とはにかみながら席に着く。



煮物を口に運ぶなり彼は
『自分でこんなの全然作んないんで、すげぇ美味いし嬉しいっす!』
と笑顔で言って、それから貪る様にがつがつ食べる。
私は
「こんな適当なので、そんなに喜んでくれると有難いわ。」
と彼と向かい合わせに座り、両の掌を合わせて照れ臭そうに喜ぶ。
『こんな料理が毎日食えるなんて、旦那さんは幸せもんっすね!』
彼は味噌汁を飲みながら言う。
「そう?私あんまり料理が得意じゃないから、あの人も実は不満なんじゃないかしら。」
と苦笑しながら私は答える。
「ご飯、少しおかわりする?」
と私が聞くと、彼は
『すいません、お願いします!』
とにこにこ笑って私に茶碗を差し出す。
「こんな料理食べないって、貴方彼女とか居ないの?それとも彼女もお料理苦手?………あ、ご飯、こんなもんで良いかしら?」
私はご飯を少し盛った茶碗を渡しながら聞く。
『あ、丁度っすね。有難うございます。………彼女っすか?居ないっすよ、そんなの。』
彼はご飯を掻っ込む。
「どうして?別にモテない様な顔じゃないじゃない!」
私は驚いて言う。
『んな事無いっすよ、マジで。前の彼女と別れてから、もうかれこれ1年近く経つかな。もっとマシな顔だったら不自由しないだろうけど、所詮はこのツラっすからねぇ。』
彼は、ははは、と苦笑する。
「そんな事無いわよ!!現に私…っ!」
私は、つい声を張り上げてしまう。
『……奥…さん…?』
彼は顔を上げて、目を見開き信じられないといった様子で私を見る。
「………………いい歳の女が…下心無しにいきなり話し掛けたりご飯に誘ったり…………すると、思う?」
私は恥ずかしくて顔を上げる事が出来ずに、組み合わせた両手をただ見つめる。
『……そう…だったんすか。』
彼は箸を置いてこう言う。


そしておもむろに、自分の手で私の両手を包む様に重ねる。
「えっ……!?」
私は思わず声を上げ、彼の顔を見る。
彼は今までに見た事の無い、何とも言えない真面目な表情をしている。
『俺も……好意無しにこんなのこのこ、お邪魔すると思いますか?』
彼は口元に軽く笑みをたたえながら言う。
「えっ………それじゃあ……」私は尋ねる。


信じられない、まさかこんな返事をされるとは。胸がドキドキして、顔を中心に身体全体まで、かぁっと熱くなるのが解る。


『………俺もです。』
彼は言い、私の手を強く握る。
彼の手は緊張のせいか軽く汗ばんでいる。何だかとても必死で可愛らしく感じる。


「貴方………」
涙で視界がぼやけてくる。
「…有難う、嬉しい……」
彼に手を強く握られたまま、私はぽろぽろと涙を零す。
彼はとても優しく笑い、私の手をもう一度握り直す。

私は、確かに彼に恋をした。





……………………………………


こんな事を毎晩、何度も何度も繰り返し考えて楽しんでいる。
気持ち悪いと思われるかもしれないが、でもどうしてかやってしまうのだ。どうしても、止められないのだ。
 






 
………多分、また今夜もやってしまうだろう。だが…。


『……まだ夜に人知れず考えてるだけだから、大丈夫だよね』
私はそう自分に言い訳しながら洗濯物を広げる。





いやに湿った洋服の冷たさを感じる。
私はそれすら気のせいと思い込んで、そのまま家事を続けた。








テレビのニュースでは、昨夜起こったストーカー事件を報道している。
私はテレビのスイッチを消して家事に集中した。



書きながら、自分でもどっちがどっちか解らなくなってしまいました(苦笑 これから益々酷くなるので、これで駄目な方はこれ以上お読みにならない方が良いかと思います。











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