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ポインセチアと、影の伸びる部屋
作:赤峰智子



第四話/九月十三日




最近、どうもおかしくなってきた。
八月の末にあの子と話をしてから、妙に気持ちがそわそわして落ち着かないのだ。
それは家事や買い物等、別の事に集中していたら忘れてしまう程の物なのだが、ワイドーショーを眺めている暇な昼間や夜寝る前になると、急に思い出して体が熱くなる。
特に一番酷くなるのが丁度先月その子と話した時刻、つまり午後四時半頃。
その辺りの時間になると、買い物に向かう主婦や早帰りの人のバイクのエンジン音が多く聞こえてくる。


そのせいも有るのだろう、エンジン音が聞こえる度に私はまた外を確認する様になり、最近ではもう一々移動するのが邪魔くさくなってしまって食卓の椅子を窓辺へ移動して、そこで時間を過ごす様になってしまった。
少し前に韓国人のアイドルや俳優に熱をあげる年配の主婦が話題になっていたが、もしかしたら私も対象が変わっただけで、その時の主婦と同じなのかもしれない。








……………………………………








今日は夫の誕生日なので、下手なりにだが御馳走を作ろうと思い、少し遠出の買い出しに出掛けた。
「たまにはビーフシチューなんか煮込んでみようかな。一緒にフランスパンを焼き直して……後はレタスとプチトマトと玉葱辺りを買ってローストビーフとマリネにでもすれば、この気温でも熱いものになりすぎないかな。」
一人ぶつぶつ言いながら車を走らせる。うちは珍しく夫用のワゴン車と私用の軽自動車が有るのだ。
私の今の頭の中は、今日の献立と食後のおいしいケーキを買う事、後はプレゼントの事しか無かった。あの男の事なんか欠片も思い出さない。


私は百貨店の駐車場に車を停め、ぶらぶらと買い物を始めた。
煮込む用の紙パックのワインと飲む用の少し値の張るワイン、各種野菜に牛肉、そしてまだ温かいフランスパンと朝食用の果物を買う。
食後のケーキは家の近所にあるお気に入りの所で買うので、一旦そこで買い物を止めて車に戻った。
車に乗り込み、手元のメモと買った袋を照らし合わせながら買い忘れが無いか確認する。
「よしっ、ちゃんと全部買ってある!」
私は笑顔で呟いた。記念日というのは当人だけじゃなく周りの人まで嬉しくさせる気がする。


自宅に着いた私は、早速シチューの煮込みに取りかかった。
今は午後四時を少し回った所、夫が帰るまで後三時間半近く。一晩は煮込んでいないが、圧力鍋を使っているのでそれだけ有れば充分良い味になっている筈だ。
鍋の火を弱火に落とし、ワインを冷蔵庫に寝かせてから私はケーキを買いに出掛けた。火が少し心配だったけれど、ほんの二十分くらいなので多分大丈夫だろう。





なるべく早歩きでケーキ屋さんへ向かう。火の事も勿論有るけれど、何よりケーキが売り切れてしまわないかが心配だったのだ。そこそこ人気の有るケーキ屋なので、夕方になるとシフォンケーキの類以外売り切れてしまう事もざらなのである。


ケーキ屋さんに入るとまだ大分ケーキが残っていた。季節柄、生ものなのであまり売れないのかもしれない。
私は夫とシェアして食べる用に三つケーキを買った。
イチジクと桃のタルト、バラと木苺のブランマンジェ、そして明日に残っても良いようにブランデーケーキを。
五時前と言えども、まだ直射日光は厳しい。ケーキ屋を出た私は、日傘をさして早足で帰宅した。





何となくマンションの入り口で時計を確認する。
…その途端、先月の会話がいきなりフラッシュバックした。
「もう四時半だけど、時間大丈夫?」
『あっ、それはちょっとヤバいっすね。じゃあそろそろ配達戻ります。それじゃあ。』
…男の照れた様なあの笑顔。
話し掛けた当初の表情と、饒舌になった時の表情のギャップ。


……私は思わず暫く立ち尽くしてしまった。
ハッと我に返り、慌てて時計を確認する。五時七分。
「いっけない、コンロ点けっ放し!」
私は小走りでマンションの自動ドアを抜けて、部屋へと向かった。






火は大丈夫だった。だがもう少し気が付くのが遅かったら、折角のシチューが焦げてしまっていたかもしれない。
『最悪…誕生日だってのに、何考えてんだろ、私』
激しい自己嫌悪が私を襲った。








午後七時を少し回った辺りで夫が帰宅した。予想より、少し早い。
「お帰り。今日は早かったんだね。」
と言うと、
『今日は俺の誕生日だからな。きっと何か用意してくれると思って。』
夫は、へへへ、と笑いながらネクタイを外す。
「あはははは、ちゃっかりしてる。…今日はね、珍しくシチューなんか炊いてみました!」
『この匂いはそうだろうな、と思ってたよ。』
こんな会話をしながら、夫は食卓についた。
『おっ、珍しく花なんか飾ってるじゃん。主婦だねぇ。』
夫はコップに活けた花を触りながら言う。
「それはね、グラジオラスっていうの。花言葉があって、“情熱的な愛”って意味なんだって。」
私はシチューを器に盛りながら、得意気に言った。花言葉は昔小さい頃、好きで良く本を読んでいたのだ。
『へぇ…嬉しいねぇ、いつまでこんな豪勢な誕生日を祝ってくれるかな』
夫はこちらを見上げながら可愛らしく言う。
「出来る限り、頑張ります。」
私は器を夫の前に置きながら笑顔で答えた。


《いただきます》
私達はささやかな晩餐会を始めた。


















今日は夫と二人一緒の布団で寝た。
どうやら仕事で疲れていたらしく、横になるや否や夫は深い寝息を立て始める。
私はそれを『いつまで経っても可愛い奴だなぁ』とニヤニヤしながら横目で見た。


夫に寄り添う様に寝転び、目を閉じる。
ふと、脳裏に私があの新聞配達の男と一緒に夕飯を食べている風景が浮かんだ。
途端に胸の鼓動が早くなり、顔が、かぁっと熱くなる。
『夫の誕生日ですらこんな事がまず最初に浮かんでしまうのか』と、再び激しい嫌悪感が襲った。


だがそれは思い描いた私に対してであり、何故か浮かんだ風景については何も思わない。


耳を澄ますと、夫の静かな寝息が聞こえる。
私はわざと夫に抱きつく様な体勢を取って、さっきの風景を消し去ろうと努めた。






胸の鼓動は、未だ静まる気配を見せなかった。
















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