プロローグ/七月二十三日
スクーターのエンジン音の度に、私は席を立って窓へと駆け寄る。彼が来る時間は大抵決まっているのにも関わらず、どうしても期待してしまうのだ。
しかしその音の主は全て違う人の物であり、私はその度にガッカリし、そして自分の甘い考えを恥じる。
時刻は十四時。下校する小学生も未だ居らず、しんと静まった部屋には何となく点けていたテレビだけが一人ケタケタと音を発している。
「もうこんな時間かぁ…」そう呟いてから、私はハッとして慌てて朝食の後片付けを始めた。
私と夫、二人分の茶碗が泡にまみれながらカタカタとぶつかり合う。
私は今、夫と二人で生活している。三ヶ月前に結婚したばかりの、いわゆる新婚夫婦だ。
そして私が期待していたスクーターの主は、早く帰って来た夫………ではない。
…この辺りを担当しているのであろう、新聞配達の若い男なのだ。
その男と出会ったのは、勿論夫と結婚した後である。
ほんの数週間前、たまたま買い物の帰りに、その男が郵便受けへ新聞を入れる所に出くわしたのだ。
と言っても、すぐに声を掛けて親密になったりだの、それから何故か投函と帰宅のタイミングが合って、お互い意識し合ったりだの、そんな事は何も無い。
「ご苦労様。」『………いえ。』
こんな会話を交わしたきり、それ以来一度も会ってもいないし言葉を交わしたりもしていない。
お互い、特に何も思っていない筈だ。
だがどうしてか、暫く経った今になって、妙に思い出してしまうのだ。
特に印象に残る顔ではない。地味で、びっくりする程の不細工でも美男子でも無い。
細身だが、伸びきったTシャツに、ヴィンテージとは違う履き古したジーンズとスニーカーを選択するセンス。
髪も肩にまで掛かる程では無いにしろボサボサの長目の髪で、しかも今のご時世で染めてもいない。
そんな有りがちな貧乏大学生といった風貌だった。
確かに私の好みに重なる点もあるが、熱を上げる程ではないのは私が一番解っている。
だけど、どうしようも無く気になってしまうのだ。もう一度会いたくなってしまうのだ。
洗い物を終えた私は再びソファーに寝そべり、ガヤガヤとやかましいワイドショーを虚ろに眺めた。 |