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叙述トリックシリーズ

この小説には叙述トリックが含まれています。

作者:楠谷佑
【叙述トリック】
推理小説において、文章に仕掛けるトリックで、読者をミスリードするもの。例えば、キャラクターの性別や年齢、物語の時系列などを、わざと伏せる。そうして読者の先入観を利用し、真相を勘違いさせることで、意外性を演出する。
「叙述トリックについて、思うところがあるんだよね」
 唐突に(いずみ)が言い出した。この僕の幼馴染は、いつだって唐突なことを言う。
 県立(かみ)(おか)高校、一階のひと部屋。
 冬休みも始まったばかりの今日は、非常に残念なことに補習がある。
 補習が始まるまで、まだ二十分以上あった。僕と泉はいつも通りに早めに来て、こうして推理小説の話をしていた。僕も泉もとても熱心に推理小説を読むから、話はすこぶる合う。
 小学校からの幼馴染である泉は、周りの目も気にせず、いつもフランクな感じで話しかけてくる。僕のほうは少し、気になってしまうのだけど。
「そもそも叙述トリックは作品の外側から組み込まれるトリックだけど――それは、小説のお作法として、アリなのかなって」
 と、泉は言った。
「つまり?」
「大抵の場合、叙述トリックは読者だけに仕掛けられるものであって、作中人物への驚きがないでしょ。年齢誤認トリックを例にとるね。二十代と見せかけた主人公が、実はおじいさんでしたー、みたいなの。でも主人公も周りの人たちも、彼がおじいさんであることを知っている。つまり世界が反転しているのは、読者にとってだけであって、作中人物たちにとっては、《なにごとも起きていない》」
 泉は、力強く言った。
 泉が身を乗り出したとき、白いシャツの間から、同じく白い胸元が見えて、僕は少し焦る。
「確かにそうだね」と、僕は言った。「けど、それの何が問題なのかな?」
「だからね」
 泉は机から身を乗り出して力説する。
「もしも、叙述トリックが組み込まれた小説から、それを取り除いたらどうなっちゃうのかな、って話。そこには何が残るんだろう。華のない物理トリック、警察の地味な捜査で特定された、意外でも何でもない犯人。そんなものだけじゃないかな」
「そういう小説も多いだろうね」
 と、僕は認めた。
「でも、それは別にいいんじゃないかな。だって少なくとも読者にとっては、そこに叙述トリックが存在しているわけだから。それは意外性であり、物語の華となりうる」
「そうだけど……。でも、叙述トリックを含めて、推理小説には一つ大きなルールが存在しているでしょ。つまり、」
「《地の文に嘘を書いてはならない》」
 僕は微笑んで言った。
 泉は、それ、と言うように僕を指さす。
「たとえば、性別誤認の叙述トリックでは、作者はあの手この手を仕掛けてくるよね。女性を男性と思わせるには、例えば女性がマイノリティーである職業に就かせてみたり、『アキラ』や『マコト』みたいな、やや男性的な中性名をつけたり。
 ね、『アキラ』?」
 僕はどきりとしてしまう。
 奇しくも僕のファーストネームは「アキラ」だ。しかし泉は一緒の中学校に入ると同時に、僕を苗字の「(こう)(づき)」で呼ぶようになった。だから「アキラ」などと呼ばれたのはずいぶん久しぶりで、僕はどぎまぎしてしまう。
「僕の名前は、ここでは関係ないだろう」
 と、僕は遮った。
「で、性別誤認の叙述トリックについてだけど」
「ああ、うん」泉も表情を引き締める。「で、ここで問題にしたいのは、さっきも言ったみたいに、『登場人物にとっては驚きはゼロ』『地の文に嘘は書けない』ということ」
「うん」
「ここで、一つの問題が出てくる。――『読者が叙述トリックを看破してしまったら?』ということ」
「それは大いにありうることだね」
 と、僕は頷く。
「嘘は書けないんだから、勘のいい読者なら、『情報の欠落』に気づいて、真相を看破することもあるだろう」
「そうそう。そして発生する現象は――。作品がつまらなくなる、ということ。つまり作品の主題と叙述トリックの結びつきが強固であればあるほど、真相を見抜いてしまった読者にとってはつまらない作品となる」
「なるほど、古典的なジレンマだね」
 と、僕は言った。考えをまとめながら話す。
「でも、それはある程度は、仕方のないことなんじゃないかな。完璧な叙述トリックなんてありえない。フェアプレイの姿勢を貫けば貫くほどに、読者を騙しきることは難しくなる。推理作家は、一人でも多くの読者を騙すことに徹するべきだと思うけど、十人のうち十人を騙すことは不可能だろう」
「ふむ」
 と、泉は顎に手をやって言う。
「じゃあ、どうすればできるだけ多くの読者を騙せるのかな?」
 妙な問いかけだ。僕も泉も読者の側なのに。
「そうだね」
 僕は考えてみる。
「たぶん、読者側が叙述トリックに目を光らせていることを前提として、小説を書かなきゃいけないと思う。出版社も本を売りたいから、『ラスト1ページの衝撃!!』みたいなことを帯に書く。しかしそれは、読者に叙述トリックの存在を知らせることになる……。
 そんな小説に、男性が多い職業に就いている中性名の人物――実は女性――が出てきたりしたら? 作者がどう腐心して彼女を男性的に描いても、読者が本当の性別に気づくのはやむなしだ」
「うん、それはそうだよね」
「だから、意地でもその人物を男性だと思わせたいなら、もっと意想外の手段を用いるべきだ」
「たとえば?」
「たとえば……」
 僕はふと思いついた。さっき、「アキラ」と呼ばれた仕返しだ。
「きみの名前は『泉』だ」
「うん」
 泉はきょとんとする。
「それが何か?」
「小説に、『泉』と呼ばれる人物が出てきたとする。さも女性のように描かれる。でも、実は男性――というオチだ。『泉』は実は苗字だった、という真相さ。でも『泉』はファーストネームだと思わせられたら、泉は女性名だから、読者は『泉=男性』だとは気が付けない」
「なるほど」
 泉は頷く。
「たとえば、あなたの名前は香月。だけど『香月』にルビをふらず、ファーストネームのように描けば、読者は『カツキ』という名の女性だと思ってくれるかもしれない」
「そういうことだ」


 もちろん、現実にはそうではない。
 僕の名前は『香月(あきら)』でれっきとした男性だし、泉は『()()(がわ)泉』、れっきとした女性だ。


「まあ、でも」
 僕は総括にうつる。
「叙述トリックというものは、無意味であっても、読者にとって見抜かれやすくても、それはそれで価値のあるものだと思うんだ。少なくとも、僕は叙述トリックというエンタテインメントには、純文学に内包されるようなある種の価値があると思う」
「それはなに?」
「バイアス・トレーニングの話を聞いたことは?」
 泉は首を振った。
「私はあなたと違って、英語は苦手なの」
「そうだったね。バイアス・トレーニングというのは、自分の中にある無意識の偏見や、先入観を発見するための思考法トレーニングなんだ。昨今、欧米で流行している」
「つまり、叙述トリックがそのバイアス・トレーニングになるってこと?」
「そう」
 僕は力強く頷く。
「性別誤認トリックなど、特にね。例えば、警察官で、『マコト』という名で、しかもセクシュアル・マイノリティーの女性がいたとする。彼女を男性だと思わせる叙述トリックを作者が仕掛ける。ある読者はそれが女性だと気づき、ある読者は男性だと思い込んで読み進める。そうすると、ある種の効果が生まれるわけだ。
 読者は『警察官で、中性名で、女性が好きな人』が、女性であるかもしれないということに気づける。これは、僕たちが日常を生きていく上で、ある種の生きづらさを感じやすい人の存在に気づける、とっかかりとなる」
「なるほどね。でも、それは『叙述トリックが読者に見抜かれてしまった作品』の擁護にどう繋がるの?」
「疑り深い読者は、僕がいま例に挙げたような人物の本当の性別に、自分から気づいたことになる。それは、〈偏見のコレクション〉をしている僕たちにとって、大きな進歩と言える」
「アインシュタイン」
 泉はにやりとして言った。
「そっちは私のテリトリーね」
 僕も微笑み返した。そして、泉の笑みは素敵だなと思った。色白の顔に、にぶく弧を描いた唇が、あでやかだった。
 泉はやがて、静かに言った。
「けれど、そういった人たち――つまりマイノリティーの人たちにとって、わたしたちの目から見たらやや特殊な生き方も、本人にとってはとても自然なことなんだよね」
「そうだね」と、僕は応じた。
「叙述トリックは、それも教えてくれるのかも」
 と、泉がぽつりと言った。
「叙述トリックの世界では――もちろん読者への()(まん)もこめてだけど――たとえばそういった登場人物は、わざわざ『こんな男性みたいな生き方をしているけど、私の性別は女なの』と断ったりしない。他人の目にどう映っても、本人はあくまでも人生を(まっと)うしているんだ、っていうのも、叙述トリックが教えてくれる一つの大きなことなのかもね」
「そうだね」
 僕は大きく頷いた。
「その意味では、僕らが生きている日常にも、叙述トリックが潜んでいるかもしれない。僕らが全く意識していない領域が、読者的な視点を持つ第三者から見たら、他人を誤解させていることもあるかもしれない」
 話しながら、僕はとても苦しくなっていた。
 振り切るように、時計を見上げる。
 補習の一限目が始まるまで、あと十五分ほどだ。
「きみは、最初の授業は……?」
「二限目から。理系科目の補習は全部そうなの」
「そっか、僕は一限からだ。じゃあね」
「ええ」
 僕は、教科書類が入ったトートバッグを手に、立ちあがる。そして、にっこりと笑いかけてくる泉に微笑み返して、彼女に背を向けた。
 駄目だ、駄目だ。
 彼女は幼馴染で、よく話す友人。ただそれだけの存在なのだ。それだけの存在でなくてはならないのだ。
 なんと言っても僕は、いま手にしている生活を続ける必要があるのだ。妻と子供を養うために、高校生たちに英語を教え続ける。それが僕のすべきことだ。
 もうすぐ四十になる教師が、恋など語っていいものか。第一、泉だって夫と子供を持っている。
 少し苦しい気持ちで、僕は(かん)(さん)とした職員室をあとにした。
【偏見のコレクション】
アインシュタインの名言、「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである」より(違う訳もあります)。

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