奇跡の子(9/14)PDFで表示縦書き表示RDF


奇跡の子
作:夏のラジオ



第九話


 もみじちゃんが我が家にやってきてから、早くも二週間が経過した。今までは仕事が終わると一目散に帰宅していたが、もみじちゃんのいる生活に大分慣れたこともあり、今日は久々に同僚達と、会社近くの居酒屋へ立ち寄っていた。

「お前最近付き合い悪いじゃないの」

 ビールの入ったジョッキを傾けながら、隣に座る末永係長が言った。俺の直属の上司である。飲み始めて、まだ三十分しか経っていないが、彼の顔は既に赤ばんでいた。

「いやぁ、今月に入ってからなかなか時間が取れませんでね」

「大変だな、お前も」

 係長は、顔をしかめ唸った。「急に娘が出来たんだもんなぁ。家族サービスで大忙しといったところか」

 彼は三十代半ばで、結婚はしているがまだ子供はいないらしい。

「そんなところです」

「十二歳だっけ?」

 今度は、向かいに座る同期の佐々木が口を開いた。髪を茶色に染めており、それをワックスでビシッと固めている。いつものヘアスタイルである。「難しい年頃だよな。『お父さん、臭い』とか言われたりしねえの?」

「馬鹿。あの子がそんなこと言うわけねえだろ」

 思わずそう言ったが、もちろん佐々木も末永係長も、もみじちゃんと会ったことはない。
「ふーん、そんなもんか。まあ、まだ他人みたいなもんだしな」

 事情は既に話してある。

「それでお前、今日は大丈夫なのか?愛しのもみじちゃんが悲しむぞ」

 係長がそう言いながら煙草に火を点けた。

「ええ」

 俺は頷く。「ちゃんと言ってありますし。たまにはこうやって羽目を外すのも大事ですよ」

「それじゃ、遠慮なく」

 佐々木が俺のグラスにビールを注ぎ足した。「今日はとことん飲もうぜ」

 
 家に帰り着いたのは午前一時を回った頃だった。俺は酔いでふらふらになりながら、出来るだけ音を立てないように鍵を回し、ドアを開けた。玄関は明かりが点いているが、中は真っ暗である。おそらく葉子も、もみじちゃんも既に床に就いているのだろう。
 部屋着に着替え、リビングのテレビの電源を入れる。音量を絞ってから、チャンネルを回してみた。特に見たい番組があるわけではないが、まだ就寝する気にはなれなかった。
 しばらくバラエティ番組を見ながら横になっていたが、ふと水が飲みたくなって立ち上がる。そして、キッチンに向かって歩きかけた瞬間、俺は「うわっ」と叫び声を上げた。
 薄暗い部屋の中に、少女が立ちつくしていたのである。

「も、もみじちゃん?」

 少女の正体は(当然ながら)もみじちゃんであった。彼女は目をこすりながら、こちらに近づいてきた。

「目が覚めて……」

 彼女はそう言ってソファに腰掛けた。俺は大きく安堵の息を吐き、リビングの明かりを点けた。

「ビックリさせるなよ。急に暗闇の中にポツンと現れて」 

「ごめんなさい」

 目を半分閉じたまま謝る。いや、むしろ半分寝ているのかもしれない。
 俺はそのままキッチンへ歩き、食器棚からマグカップを二つと、冷蔵庫から牛乳を取り出した。続いて牛乳をマグカップに注ぎ、それをレンジに入れる。

「ホットミルク作ってやるからな」

 リビングに向かって言った。「はーい」と眠たそうな声が返ってくる。
 チンと音がし、レンジからマグカップを取り出す。膜を取り除いて、シロップを入れれば、甘い甘いホットミルクの出来上がりだ。
 俺は両手で一つずつマグカップを持ち、リビングへ戻った。もみじちゃんはぼぼーっとした様子で俺に注目する。

「顔、赤い」

 彼女は表情を変えずに言った。

「顔? ああ、今日飲んでくるって言ったろ?」

 そう言いながら俺はマグカップをテーブルの上に置いた。彼女はぴょん、とソファからテーブルの前に移動する。

「熱いから気をつけろよ」

「いただきます」

 丁寧に手を合わせて、彼女はマグカップを持とうとした。しかし、すぐに「あつ……」とマグカップから手を離す。
 俺は苦笑する。

「だから熱いってば」

「中だけが熱いのかと思って」

 今の刺激で目が覚めたようだ。今度は真剣な目つきで、そーっと両手でマグカップを抱える。そして、そのまま一口すする。

「甘い……」
 
 マグカップを持ったまま顔をほころばせる。俺も思わず笑顔になった。

「甘いだろ。ちゃんと歯磨いてから寝るんだぞ」

 彼女はコクンと頷き、再びマグカップを口に近づけた。
 彼女の一挙手一投足に目が離せなかった。危なげにマグカップを持つ両手、ミルクをすする際に少し突き出す唇。そしてミルクを飲み込んだ後の満足そうな一息。その全てが愛しかった。
 俺は思った。こんなホットミルクで良ければいつでも作ってやる。これから先も。何年先も……。

「飲まないの?」

 急に声を掛けられ、我に返った俺は「ああ」とホットミルクを口に運んでみた。心地よい甘さと熱が頭を刺激し、ますます酔いが回ってきそうだった。
 俺は言った

「甘いね」

「ね?」
 
 彼女はそう言って笑った。

― 

「私達に残された時間は少しずつ少しずつ短くなっていくのでした。紅葉と暮らし始めて二週間が経過し、一ヶ月の期間を折り返す頃になると、私達夫婦と紅葉の間には、目に見えない不思議な絆のようなものが生まれつつあったのです。それは本当の親子同士なら、元から持っているものなのかもしれません。私達の場合、きっと少し遅れただけなんです」












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