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奇跡の子
作:夏のラジオ



第十三話


 一ヶ月ぶりに訪れる『夢見の里』は以前より随分と雰囲気が変わったように見えた。その一番の原因として、施設の周りを囲んだ赤々と輝くカエデが挙げられる。

「綺麗……」

 葉子がその光景を見ながら独り言のように呟いた。紅葉も彼女の視線を追い、上方に目を向ける。紅葉の黒目勝ちな瞳の中に、小さな赤が揺れた。
 三人揃って正門を抜ける。庭は落ち葉で埋めつくされており、一人の若い女性従業員がせっせとタケボウキで掃いていた。

「こんにちは」

 挨拶する。彼女は手を止めて、同じく「こんにちは」とだけ返し、再び作業に戻ろうとしたが、ハッと気がついたように紅葉を見つめた。

「紅葉ちゃん」

「お久しぶりです」

 紅葉が丁寧に頭を下げた。

「久しぶりー。え? それじゃあこちらの方々が……」

「河岸太郎さんと葉子さんです」

 やたらと他人行儀に俺達を紹介する紅葉。俺と葉子も深々と頭を下げた。

「あ、それじゃあ」

 彼女は慌てて、施設の玄関へと走りながら言った。「今すぐ池内先生をお呼びします」


 今日のことは事前に打ち合わせをしてあった。
 最終的な判断は、全て紅葉に委ねることとなった。一旦紅葉を池内先生に預け、彼女が俺達と共に暮らしていくことを選択すれば、再び俺達の下へ帰る。そうじゃなければ、彼女は『夢見の里』に残り、俺達はそのまま二人で帰宅しなければならない。
 もし、そうなったら二度と彼女と会うことはできないだろう。
 まさに今日は『審判の日』なのだ。


「お久しぶりです」

 玄関先で俺達を出迎えた池内先生は目尻に皺を寄せながらそう言った。「もみじちゃん、良い子にしてましたか?」

 俺は頷いた。

「ええ、とっても礼儀正しくて、凄く良い子にしてましたよ」

「そうですか」

 続いて池内先生は紅葉に視線を移した。「じゃあ、少しだけもみじちゃんをお預かりしますね」

 紅葉は自主的に靴を脱ぎ、廊下に上がる。それからキョロキョロと施設の中を見回した。一ヶ月ぶりの『夢見の里』を懐かしんでいるのかもしれない。

「紅葉」

 そんな彼女に俺は呼びかけた。彼女がハッと俺を見る。「待ってるからな」
 その言葉に彼女は黙って微笑んだ。その微笑みの意味は分からなかった。

「葉子さん?」

 ふと池内先生が葉子の名を呼ぶ。「葉子さんは何か……もみじちゃんに言っておくことはありませんか?」

「……いいえ」

 そう言って葉子は首を振った。彼女は施設に入ってからずっと俯きっぱなしで、一度も顔を上げようとしなかった。

「それじゃあ」

 池内先生が院長室まで歩く。「もみじちゃん、おいで」

 コクリと頷き、紅葉は池内先生の下に駆け寄る。
 その時だった。

「紅葉……」

 その声は弱々しく震えていた。「紅葉……。お願い、行かないで」

 葉子……。
 ポタポタと玄関先に彼女の涙がこぼれ落ちる。彼女は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。その泣き顔に見覚えがある。
 いつか……、彼女が手首を切った、あの日の病室で……。

「葉子」

 俺は彼女の肩を抱いた。「大丈夫だ。心配するな」

「紅葉。紅葉……」

 紅葉は、その光景をただ神妙な顔つきで見つめていた。吸い込まれそうな黒い瞳を輝かせながら。
 その瞳に俺達はどう映っているのだろう。
 一ヶ月前、同じ場所で初めて見た、俺達の姿とどう変わっているのだろう。

「もみじちゃん」

 池内先生が相変わらず穏やかな声で言う。
 紅葉は何も言わず、院長室の中へ消えていった。


 実際には五分程度の時間であったが、俺にはそれが一時間にも、二時間にも感じられた。きっと葉子も同じだろう。俺達は庭に出て、ひたすら紅葉を待った。その間、俺はずっとすすり泣く葉子の肩を抱きしめていた。先ほどの女性従業員の姿はもうない。
 庭を彩るカエデの葉を見つめる。
 もし、このまま二度と紅葉に会うことができなかったら、この季節が来る度、葉子のこんな姿を見なければいけないのかもしれない。
 この先、ずっと永遠に……。
 同じ空の下、同じ季節の中、確かに紅葉は生きているというのに……。


 後ろで物音がする。
 俺と葉子は同時に振り向く。玄関先に姿を現したのは池内先生一人だった。一瞬落胆しかけたが、すぐに池内先生が施設の中に向かって誰かを手招いた。
 玄関先から、一時も目を離せなかった。
 やがて、池内先生に続き、姿を見せたのは紛れもなく紅葉だった。

「紅葉……?」

 葉子が口を開く。

「紅葉……」

 そして俺も。
 にこやかに微笑む池内先生に背中を押され、紅葉は一直線に飛び出してきた。
 同時に両手を広げる二人。
 そして彼女の身体をしっかりと受け止める。

「紅葉!」 

 俺達の両腕に顔を埋める紅葉。そんな彼女を俺は強く抱きしめた。

「良かった。本当に良かった」

 再び葉子の目から涙が溢れ出す。 

「本当は……悩んでたの」

 紅葉の声も少し、震えていた。「お父さんとお母さんと、一緒に暮らしたいけど……。でも、私がいない方が二人にとってはいいかな、って……。だから……」

「そんな……。そんなはずあるか!」

 俺まで堪えきれなくなった。「お前がいないで……、お前がいないでどうするんだ! 馬鹿! 俺達が喧嘩するのはな、幸せな時だけなんだ! だからこれからはガンガン喧嘩してやる! 約束だ!」

 自分で何を言っているのか分からなくなる。でも、別にかまわない。
 紅葉がこうして俺達の腕の中にいる。
 それが何よりだ。

 
 風が薫る秋。よく晴れた日曜日。
 美しい葉をつけたカエデの木の下、遂に新しい家族が増えた。
 礼儀が正しく、少しお茶目で、絵が上手な俺達の子。
 俺は奇跡なんてものを信じてはいなかったが、その考えを改めなければならないかもしれない。


 帰りの車中、元気を取り戻した葉子が紅葉に聞いた。

「ねえ、どうして急に気が変わったの?」

「あのね」

 紅葉は照れくさそうに話し始めた。「一人じゃ決められなかったから……。もし『夢見の里』に来た時、最初に会ったのが吉川さんなら、お父さん、お母さんのところに戻ろうって……。別に意味は無いんだけど」

 そして彼女はふふと笑った。
 吉川さんとは庭で落ち葉を掃いていた、あの女性従業員のことで、『夢見の里』で紅葉と最も親しい仲だったそうだ。
 後に聞いた話だ。本来彼女は、土日は休みを取っていたそうだが、その日はたまたま同僚が風邪で欠勤した為、代わりに出勤していたらしい。



「それから約五年ですか……。高校生になって、少しだけわんぱくに育ってしまいましたが、紅葉は相変わらず元気です。もう、そろそろ帰ると思うのですが……。え? お会いにならないのですか? そうですか、分かりました。それでは今日のところはこれで……」




次回、ラストです。












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