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奇跡の子
作:夏のラジオ



第十二話


 もみじの様子がおかしい。ここ数日の間、俺が仕事から帰っても、彼女は自分の部屋にこもったまま出てこなかった。昼間だって同じだそうだ。葉子が何をやってるのか、と尋ねると「絵を描いてるだけ」と答えるらしい。
 絵……?
 なぜわざわざ部屋にこもらなければならないのか? いつものようにリビングで葉子をモデルにして書けばいいじゃないか。
 俺達に残された時間は、もう残り少ないというのに。

 
 一ヶ月の試験生活、最終日。今日ももみじの出迎えはなかった。

「もみじは……?」

 リビングで雑誌を読む葉子に訊ねる。彼女は俺のほうを見ずに「向こう」とだけ答えた。
 俺は深く溜息を吐く。その溜息には二つの理由があった。
 一つはもみじが相変わらず、部屋にこもりきりなこと。もう一つは葉子との仲が未だに修復しないことである。
 彼女に黙って、風呂に入る。そして数十分後、着替えてリビングに戻ると、テーブルの上に夕食が並べられており、ソファにもみじが座っていた。

「お帰りなさい」

 今、帰ってきたわけじゃないんだけどな、と心の中で呟く。

「ああ、ただいま」

 それだけ答えてテーブルの端に座ると、もみじと葉子も食卓に着いた。
 沈黙の晩餐。箸と皿がぶつかるカチャという音だけが、重なり合っていく。あまりの気まずさに耐え切れず、何か話題でも出そうか、と思ったが、先に口を開いたのはもみじだった。

「お父さんお母さん」

 箸を置き、改まった口調で言う。

「ん? どうしたの?」

 目を丸くして、葉子が聞いた。

「今日は私も一緒に寝ていい?」

 思わず葉子と目を合わせる。
 一緒に寝る……?
 それは構わないのだが、何故今日になってそんなことを言い出すんだ。
 次第に胸が不安で押しつぶされそうになる。隣でじっと俯いたままの葉子も同じかもしれない。
 もみじ……。
 お前にとって、今日は最後の夜なのか?
 この一ヶ月間、着実に家族としての絆を深めてきたじゃないか。
 俺は戸惑いながらも、ただ小さく頷くことしか出来なかった。


 いつもは布団を二つ並べて床に就くが、今日は中心にもう一つ布団を並べる。もちろん、もみじのものだ。
 葉子が「おやすみ」ともみじの頬にキスをした。俺は明かりを消し、二人に遅れて、布団に横たわった。しばらくしてから、隣で静かに寝息を立てる、もみじの顔を眺めた。
 明日、本当の家族になろうな。
 そう心の中で呼びかけ、天井に顔を向ける。それから俺もゆっくりと目を閉じた。
 まどろみの中、彼女との思い出が頭を駆け巡る。
 たった一ヶ月。しかし、忘れることの出来ない一ヶ月の思い出だ。
 彼女と初めて出会ったあの日……。
 彼女が初めて絵を描いたあの日……。
 三人で遊園地に行ったあの日……。
 一緒にホットミルクを飲んだあの日……。
 絶対に忘れることはできない。


 突然、目が覚め、身体を起こす。
 今、何時だ?
 枕元の目覚まし時計の針は深夜三時を差していた。それから、俺は何故か不安になり、慌てて隣で眠るもみじの姿を探した。もみじは間違いなく、そこにいる。
 当たり前だよな……。
 俺は安心し、そのまま立ち上がった。そしてキッチンへ向かい冷蔵庫を開ける。喉が渇いたので、お茶でも飲もうと思ったのだ。
 ペットボトルの緑茶を手に取り、コップを探す。その時、閉ざされたままのもみじの部屋が目に付いた。

『絶対に入らないで』

 ここ数日、もみじが部屋にこもりだしてから、執拗に彼女が言っていた台詞だ。彼女の言葉を尊重し、俺も、おそらく葉子もこの部屋に立ち入ることはしなかったが、今となっては非常に気になる。
 一体もみじはここで何をやっているのか。
 ペットボトルを冷蔵庫に戻し、ゆっくりと部屋に近づく。そしてそっとドアノブを回してみた。
 中は真っ暗でよく見えなかったが、特に以前と変わりがないように思えた。俺は首を傾げながら、壁のスイッチを押し、明かりを点けた。
その瞬間、背筋が凍りつく。部屋の南側、窓の隣の壁に見慣れない一枚の絵が飾られていたのだ。そこには満面の笑顔で肩を並べる二人の男女が描かれていた。デッサン画ではなく、丁寧に色が塗られた水彩画であった。そしてそれを描いたと思われる画材道具は机の上に綺麗に整理されて置かれていた。

「こ、これは……」

 それは紛れもなく俺と葉子だった。そして俺はその場でうな垂れた。何もかもを理解してしまったのだ。
 もみじ……。
 こんな置き土産、ちっとも嬉しくなんかないぞ。


 寝室に戻り、今度は身体ごともみじの方に向けて横になる。それから彼女の小さな手をギュッと握った。
 もみじ、俺と葉子の仲が悪くなったのは自分のせいだって思ったのか? だから今になって俺達のもとから去っていこうとしてるのか?
 自然と……。自然と涙が溢れ出す。
 あんな置き土産、嬉しくなんかないぞ。あの絵には最も大切なものが描かれていないじゃないか。俺達があんな顔で笑えるのは、お前がいるからなんだ。お前がいないと駄目なんだ。
 その時だった。もみじの寝顔を挟み、なんと葉子と目が合った。彼女もこちらに身体を向けている。
 葉子、お前ももみじの気持ちに気付いてたんだな。気付いてたくせに、俺にも相談できないで一人悩んでたのか? お互い、素直じゃないよな。
 葉子。
 また呼び掛ける。そしてもみじの顔を見た。
 この子が、喉から手が出るほど欲しかった、俺達の子だぞ。名前はもみじ、いや、紅葉だ。お前の名前から一文字取ったんだ。
 彼女の頬を涙が伝う。まるで俺の台詞が聞こえているかのように。俺は紅葉と葉子を思いきり抱きしめた。紅葉が小さく「んん」と声を漏らす。
 紅葉。
 俺達の子だ。
 


「私達が初め、養子を取ろうとした時の考えは『何が何でも子供が欲しい』というものでした。しかしその考えは180度変わったのです。『子供が欲しい。ただし、その子は俺達の間で、スヤスヤと眠る……紅葉以外には考えられない』と。変わっていないようにも聞こえますが、全く違います。紅葉と本当の家族になることが叶わなかったら、もう子供は諦める気でいました」












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