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奇跡の子
作:夏のラジオ



第一話


「私と妻は勤め先の会社で知り合いました。同い年ですけど、彼女は短大卒、私は大卒で入社しましたので彼女の方が二年先輩ということになりますね。結婚したのは私達が二十六の時でした。二人とも子供が欲しかったので、妻は退職し専業主婦として妊娠に備えることにしたのですが……」



「不妊症ですね」

 医師の宣告は俺達夫婦を愕然とさせた。

「不妊症……ですか」

 医師は深くゆっくりと頷く。

「気を落とさないでください。これから根気良く不妊治療を続けていけば、きっと回復するはずです」

「分かりました。ね、あなた気を落とさないで。頑張って治療しましょう」

 葉子が明るい調子で言う。自覚は無かったが相当落胆した顔を見せていたらしい。
 実際落胆していたのだ。
 それは葉子だって同じはずだったが、彼女の表情を見る限りではそんな様子は全く無く、少し安心した。

「そうだな。よし、頑張ろう」

「うん。あなたもこの子の為にお仕事頑張らなきゃ駄目よ」

 葉子は引き締まったお腹をさすった。
 頑張ろう。そこに宿るべき命の為に。



「それから二年間、私達は不妊治療に通い続けました。それでも妻のお腹に新しい命が授かることはありませんでした。何度か妊娠の兆候はあったのですが、それが勘違いだと分かる度に、私は肩を落とし時には涙さえ流したのです。そして妻はそんな私をいつも慰めてくれました。彼女は本当に強い女性だな、とそう思っていましたよ。……私は本当に馬鹿でした」



 玄関を開けると、ダイニングの灯りが点いていなかった。俺は「変だな」と思いつつも、特に気に留めることなく、靴を脱いで部屋に上がる。壁のスイッチをオンにし、ダイニングの灯りを点けた。特に変わった様子は無い。

「葉子。いるのか?」

 反応は無い。鍵は掛かっていなかった。もしかして既に眠ってしまったのか、それとも風呂にでも入っているのだろうか。いずれにしても部屋の灯りが点いていないことが非常である。
 その時、浴室で僅かに物音が聞こえた。
 やはり風呂なのだろうか。

「葉子?」

 俺は妻の名を呼びながら浴室の戸を開けた。
 背筋が硬直する。灯りは点いていなかったが、暗闇の中に薄らと人が倒れこんでいるのが分かった。

「葉子? 葉子なのか?」

 灯りを点ける。それは確かに葉子だった。浴槽にぐったりともたれかかり、右手を湯船の中に浸していた。
 一瞬にして額から大量の汗が滲み出た。
 ようやく事態を飲み込んだ俺は慌てて彼女を抱き上げる。浴槽の中は彼女の血で真っ赤に染まっていた。

「葉子! おい! しっかりしろ!」

 彼女は意識を失っていた。俺はハッと気付き、電話機の元へ走る。途中ゴミ箱に躓いて、中のゴミが散乱したが、それに構っている場合では無かった。

「もしもし! もしもし! あの……救急車をお願いします。河岸太郎です。妻が……妻が大怪我を……! 手首を切って……!」



「あと数分発見が遅れたら妻は助からなかったそうです。その時は神様に感謝しましたよ。あの日私は、仕事帰りにいつも立ち寄る駅前の書店をスッと通り過ぎたんです。別に胸騒ぎがしたとか、そうゆう訳じゃなかったんですよ。たまたまあの日はお客さんが多くて……。雑誌コーナーに立ち読みできるスペースが無かったんです」



 病室のベッドに横たわる葉子の顔をまともに見ることは出来なかった。彼女も同じらしく、虚ろな目をただ窓の外に向けている。

「ごめんなさい……。私、どうしても我慢できなかった」

「謝るのは俺のほうだ」

 俺は彼女の手を強く握り締めた。「なんで気が付かなかったんだろう……お前をこんな風にずっと追い詰めていたなんて」

「お願い、そんな顔しないで。」

 彼女が視線だけをこちらに向ける。「ごめんなさい。本当にごめんなさい。子供を産めないばかりか、あなたにこんな迷惑まで掛けて。本当に私……あなたにとってお荷物でしかないよね」

「馬鹿なこと言うな!」

 思わず怒鳴ってしまった。「子供がなんだ! 子供が欲しいからってだけでお前と結婚したわけじゃないんだぞ」

「もういい!」

 彼女が叫ぶ。次第に繋がれた二人の手が小刻みに揺れ始める。「もういい……。もういいよ」

「葉子……」

 彼女は泣いていた。俺には滅多に見せない姿である。

「殺して……」

 一瞬にして顔が青ざめる。「もう駄目なの。これ以上生きていても私……。お願い!私を殺して!」

 彼女の懇願する目が胸に突き刺さる。
 おそらく彼女は怖くて怖くて仕方なかったのだろう。俺にとっての彼女の一番の存在意義が子供だと勘違いし続けてきたのだ。自分が必要とされなくなる恐怖……。俺の重荷となってしまう恐怖……。
 無論、俺にとっての彼女の存在意義は子供なんかではない。それは確かだった。しかし、まずは彼女を立ち直らせなければ何も始まらない、とそう思った。私は彼女の顔を見据えて言った。

「養子だ! 養子を取ろう!」

 彼女が目を大きく開ける。

「養子……?」

「ああ、そうだ。養子を取って育てるんだ」

「でも、養子だったら私達の子って言えな……」

「関係ない!」

 彼女の言葉を遮る。「俺達の子だ!」

 それを聞き、彼女の瞳がまた潤み出した。やがて瞬きと同時に頬に一筋涙が流れた。

「うん」


  
「笑ってしまいますよね。未だに子供の発想だなと思いますよ。そもそもどうやったら養子を取ることが出来るかなんて全く分からないし、誰を養子にするかだって全く決まっていないんですから。実際あの時は私もその場しのぎで口にしたんです。どうにか彼女を立ち直らせようとね。でも……私達の中で養子を取るという考えは次第に現実的なものとなっていったのです」












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