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魔法使いの男の娘 作者:木林タカシ
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男と女

 早朝、まだ日が昇る前、アニマはバタバタと慌ただしく宿を抜け出していった。
 シンは気がついていたが、あえて声はかけなかった。「ひょえー。ひえぇえ」などとあらぬ奇声を発していたが、それも聞こえないふりをした。同性とはいえ、アニマの身支度を目にすることにはいまだ気恥ずかしさを覚える。
「しかし、遅いな……」
 シンは待ちぼうけていた。
 賑やかに談笑しながら目の前を通り過ぎていく人々の顔は平和そのものだ。天気は快晴。風も穏やか。街の裏で暗躍する影の存在など、知る由もない。
 シンはベンチから腰を浮かしかけて、思いとどまった。
 レテの噴水は静かに時を刻んでいる。思えば、再会を果たした時とは立場が逆だ。あの時はアニマを反対に待たせていた。観光地で一人、悪目立ちする魔法使いの格好をしていた。アニマの考えは読めない。
 それは魔法使い特有の思考回路に因るところが大きいのかもしれない。
 通りの向こうから、白銀色の長髪をたなびかせて駆け寄ってくるアニマの姿が見えた。
「ごめん、ごめん。こんなに、遅くなる、つもりは、なかったん、だけど」
 アニマは肩で息をしている。
「あの、ね。ボクにもわからないんだ。朝起きたらこんな感じになってて。それで、色々頑張ってはみたけど、八方ふさがりで」
 言い訳をする声が妙に高い。アニマは元々声変わりを終えていない少年のような声をしていた。けれども、いつもとは明らかに趣が異なっている。
「服も全然合わなくて。これしか無かったから、だから、その・・・・・・」
 恥ずかしそうに両腕で体を隠すように抱く。
 シンは目を見張った。
 アニマが身に着けているのは漆黒のドレスだった。耀子からプレゼントされ、陽の目を見ないまま箱に押し込まれていたはずの逸品だ。袖を通される機会は未来永劫訪れないと思っていた。
 闇色に包まれた肌は眩しく、白銀色の長い髪は輝きを増すばかり。
 シンは声をかけるのも忘れて見とれていた。
「そんな見ないで!」
 逃げようとしたアニマの腕をシンは咄嗟に掴んだ。
 羞恥に濡れた瞳。シンの心臓がひとつ大きく鳴った。
「似合ってるよ。凄く」
「ば、ば、ば、バカ。な、何を真面目な顔して言ってるの!」
「いや、でも凄く似合ってる」
 腕を振りほどこうとするが、ほとんど力は込められていなかった。
「完全に女の子なんだよ!」
 言われて、アニマの体を観察すれば、たしかに。昨日の女装姿では、服の上からはっきりと見て取れるほどではなかった。
「み、見るな!」
 胸元を両腕でガードされて、シンはたじろいだ。
 いくら体を隠そうとしても、その描く曲線までは隠せない。むしろドレスを着ているせいで、女らしさがなおさら強調されていた。
 シンの心臓は大音量でうるさく鳴りっぱなしだ。「完全に女の子」という言葉が頭の中を反響して、ドキドキが止まらない。「完全に女の子」というのはどこまで「女」なのだろう。それは「完全に」だろう。「完全に」というのは「どこまで?」。シンは混乱していた。
 気まずい雰囲気のまま、どちらともなくベンチに並んで腰を落とした。
 気になってアニマの方を盗み見れば、赤い顔をしてうつむいている。急に顔を上げかけたアニマと目が合いそうになって、シンは慌ててうつむいた。
 アニマが一人で騒いでいたのには、そういう事情があったのだ。
 朝起きて突然女の子になっていたとしたら、それは驚くだろう。いくらアニマがある程度そのことを覚悟していたとしても、それは驚くに違いない。シンは何度も自分に言い聞かせた。
「こんなんじゃ魔法使い失格だよね」
 アニマは力なくうなだれている。細い首筋。儚げで頼りなく折れてしまいそうだ。それなのに、シンの心臓は相変わらず不謹慎な鼓動を奏で続けていた。
「魔法! そうだ。魔法使えないのか?」
 シンはうるさい鼓動を打ち消すように声をはり上げた。
 アニマは、こくりと小さく頷いた。
「それは……困ったな」
 魔法が使えないのは致命的だが、個人的には別の難題が降りかかっていた。
 アニマは両手を膝の上でぎゅっと握り、肩を震わせている。シンは思わず、アニマの手を取った。
「え、なに?」
 アニマは目をぱちくりさせた。手の甲に重ねられたシンの手を不思議そうに見ている。当の本人であるシンも何がしたいのか訳がわからなかった。
「いや、なにと聞かれても、その、なんとなく」
「……なんとなくなら仕方ないよね」
 固く閉じていた拳が開いたかと思うと、怖々とした感じで、シンの手が握られた。アニマの手は小さく柔らかかった。僅かに震えていた。
 シンはたまらなくなって、しかしできるだけ優しくアニマの手を握り返した。アニマはうつむいたまま目を合わせようとしない。シンも気恥ずかしくなって、顔を逸らした。繋いだ手の温もりだけが妙に生々しく感じられた。
 雑踏の中にいるはずなのに、何も聞こえなかった。シンはアニマの顔を見る勇気が持てない。ただ、お互いの手の温もりだけをたよりに、静かに時が過ぎていくのを待っていた。
「シン、あのね」
 初めて目が会った。アニマの紫がかった赤い瞳は至高の宝玉のようだ。感情の揺らめきに合わせて、様々な光彩を放つ。微妙な光彩の変化。心臓をわしづかみにされたように、胸が苦しくなる。
「……やっぱりいい! その、恥ずかしいし!」
 シンが何も言わないうちに、アニマはぷいっと顔を明後日の方向へ。
「やっぱりって何だよ。途中でやめるなよ」
「気にしなくていい! 気の迷いだから!」
 追及したい気持ちはある。けれども、アニマの白いうなじがほんのり赤く色づいているのを見て、シンはそれ以上何も言えなくなった。
「や、やっぱり言う! 言わなきゃ進めないし!」
 シンの手をがしッと掴み、鼻息を荒くする。
「おぉう! なんか知らんけど!」
 シンは胸を拳でドンと叩いた。アニマは何か言おうとしては、口をふわふわと色めかせる。アニマは溺れかけていたが、シンもまた窒息寸前だった。
「・・・・・・ここじゃ恥ずかしいから」
 アニマに手を引かれ、人通りの少ない裏路地に連れ込まれた。
 一本道を入るだけで喧噪が遠のいた。力一杯握りこまれた手から緊張が伝播してくる。
「ここならいいかな。誰も見てない、よね?」
 アニマはきょろきょろとしきりに周りを気にしている。シンもつられて周囲を確認するが、黒猫が一匹座っているだけで、他には誰もいなかった。じっと見ていると、黒猫は迷惑そうにのそのそと立ち去った。
「ボクとそういうことするのは嫌だと思うけど、その・・・・・・シンにしか頼めないから!」
 形の整った花弁のような唇が綻ぶたびに、心臓が激しく跳ねた。アニマはぎゅっと目をつぶった。内容が知れないこともあるが、それよりも異常に人目を気にするアニマの態度に不安と期待が積み重なった。
「あの、ね。前にボクがやったみたいにして欲しいんだ。シンが魔法の流れを作って、ボクに注ぎ込むの。それでいくらか魔法使えるようになるかもしれない。できる?」
「つまり、それは……」
 アニマは顔を赤くして目を合わせようとしない。
 シンの眼前に、あやしく光り輝く二文字が舞い踊った。

 キス。

 それなら、アニマが異常に人目を避ける理由も納得がいく。シンは同性相手に自分からキスをしたいと感じたことはない。しかし、アニマの見た目は美少女にしか見えない。さらに、期間限定で完全に女になっているらしい。肉体の性別だけを見れば、少なくともいまは男と女だ。
「アニマは嫌じゃないのか?」
 一旦答えを保留してアニマに預けた。シンには答えが出せなかった。
「ボクだってできたら女の子相手のほうがいいよ! いいに決まってるじゃない。なに、当たり前のこと聞いてるの!」
 アニマは力いっぱい否定する。
「そ、そうだよな。それはそうだ」
 一人で勝手にその気になっていたことがわかり、シンは急に恥ずかしくなってきた。冷静になって、アニマの外見を確認すれば、やはり可愛い女の子だった。認識のずれは解消されるどころか酷くなっていた。
「で、でもね。シン以外の男だったら、絶対ヤだよ。だけど、シンだったらいいかなって。ボクの体が女になってても、男のボクも知ってるわけだから、その、任せられる」
 アニマは一気にまくしたてると、再び目を逸らした。
「だからね、しよ? 魔法使えないと困るし」
 目を合わせないまま、もじもじとそんなことを言う。
シンが首を縦に振れば、二人は晴れて口づけを交わすことになる。
 思わず喉がごくりとなった。
 アニマの魔法を復活させるという明確な目的を達成する手段であって、その行為に特別な意味はない。シンにとっては特別な意味を持ってしまうかもしれないが、意味は無いに違いなかった。しかし、アニマの外見が心理的障壁を高くする。ひげ面で筋骨隆々の男が相手であれば、むしろ諦めがついたかもしれない。
 シンの葛藤を知ってか、はたまた別の理由からか、アニマは伏し目がちに何度もシンの顔色をうかがっている。その柔らかそうな頬には産毛の一本すら見えない。
「アニマ、いいんだな?」
 シンはアニマの細い腰に腕を回し、抱き寄せた。アニマは小さく頷くと、ルビーのように紅く輝く瞳を閉じた。
 薄い桜の花びらのような唇にそっと触れるだけ。
 シンは極力余計なことを考えないよう、できるだけ肉体の接触を避け、アニマの体に元素を流すことに集中する。だがうまくいかない。すっと唇が離れた。
「ガチガチに緊張してる。もっとリラックスして。ぴったりくっついたほうがやりやすいよ」
 アニマの方から体を密着させてきた。まるで抱き締め合う恋人同士のようだ。甘い薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。アニマの体は女だった。そしてシンは男だった。
 アニマの視線が下を向き、その瞳に一瞬戸惑いが走った。が、それはすぐに打ち消された。
「続けて」
 アニマが何も触れてこなかったことで、シンも吹っ切れた。
 体の内側に渦巻く熱いマグマのような噴流を元素に乗せて、唇から注ぎ込んだ。アニマはくぐもった声を上げ、わずかに身じろぎをしたが、そのあとは逆に熱烈にシンを貪ってきた。アニマのキャパシティは底なしだ。少しでも気を抜くと、根こそぎ絞り取られそうだった。お互いがお互いを貪り合うようにして奪い合う。果てるのはシンが先だった。たまらず唇を離した。細い糸が引いていた。
「もう少しだけ」
「無理だよ。できない」
「いいから」
 アニマにリードされるまま、キスをする。
 そしてシンはアニマを知った。魔術を知った。雄大で壮大。たちまち体の隅々まで魔術の源が行きわたった。いくらでも自由に魔法が使えそうだった。心地よさが全身に広がっていく。
 魔法使いとして最適化されているアニマの感覚を共有させてもらっていた。魔法と快楽が直結していた。アニマはいつも楽しそうに魔術を練っている。全てが腑に落ちた。心の底から湧き上がっては、増幅される感情。アニマは無限だった。
「どうだった?」
 アニマは唇を離すと、待ちきれなかったように言った。答えは既に知っていると言いたげだった。
「もう一回したい」
 シンは言ってしまってから、しくじったと思った。まるでアニマとキスをしたいような言い回しだった。
「特別だよ」
 今度のキスは短かった。終わったあとも離れるのが名残惜しくて、シンはアニマを見つめていた。アニマはぽうっと頬を赤らめていた。
 アニマの見た目に変化はない。けれども、見えないところは見えないし、確かめようも無い。シンの視線は自然とその部分に向かった。
「まだ女の子のままだよ。ついてないもん。触ってみる?」
「アニっ」
 シンの叫び声すらかき消す大音響が大地を揺すった。シンは反射的に身構えた。アニマはたなびく髪を押さえて、音の来た方向を眺めている。
 街のいたるところで砂煙が列柱のように立ち上っていた。
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