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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

真夜中

作者:辰 冬雪
       壱

 そこは、薄暗い部屋であった。
 蛍光灯が切れかけているのか、点いたり消えたりを繰り返し、その度に目がチカチカする。
 また、閉めきられたカーテンが外との遮断を謀っている。しかし、元より外は真夜中であるから、カーテンが閉められていようがいまいがここから外の様子を覗うことは不可能である。
 秋永良伸は、そんな部屋の中央で一人の少女がうつ伏せの状態で倒れているのを発見した。長い髪がだらりと床の上に流れ、顔の判別をつけることを拒んでいる。
 良伸は、それは彼女の心の表れなのか、と黒縁眼鏡の位置を直しながら考えた。その次の瞬間、彼の神経質そうな顔が歪んだ。次に彼の目に止まったのは、少女の右手首にできた糸状の傷口とそこから流れ出る大量の血。しかも、彼女の左手には一本の剃刀が握られている。
 いわゆる「リストカット」だ。
「…」
 良伸は一度、恐る恐る少女の冷たくなった身体に触れて少女の死亡を確認すると、先ほど調べたばかりだというのにまた部屋をうろつき始めた。
 部屋の広さは至って平凡だった。家具も何処でも売られているテーブルにソファー、そしてテレビが置かれている。テレビの上には写真立てがふたつ、飾られていた。一つは少女とその家族で旅行の記念に撮ったらしいもの、もう一つは少女と家族以外の、彼氏と思われる一人の青年と海へ出かけたときに撮ったらしいものだ。どうやらここはリビングとして使われているらしい。
 少し視線をずらせば、キッチンだって見える。平凡な、だけど幸せな家庭。そのはずだった。
 良伸は少女と青年の二人だけで撮られた写真を乱暴に掴み取ると、固い床に力の限り叩きつけた。写真立てはカシャンと大きな音をたててひび割れた。そのせいで、奥で笑う二人の表情がやけに不気味だった。
「…姉さん」
 再び少女の傍へ寄った良伸が小さく呟いた。声は震え、耐えるように立ち竦む身体は硬く縮こまり、眼鏡の奥に光る目には涙が浮かんでいる。
「どうして…」
 良伸がそう嘆いたとき、写真立ての割れる音を聞きつけた両親が、二階の寝室から降りてくる音がした。どうやら起こしてしまったらしい。
 間もなくして親が良伸の前に現れた。
 まだ異変に気づいていないのか、母親がどうしたのとのん気な声で尋ねてきた。
 良伸はショックのあまり、舌が上手く回らなかったので、緩慢な動きで己の足元にある姉の亡骸を指差した。
 そこで両親はようやく気がついたようだ。ただただはっと息を飲み、絶句するばかりで両親は継ぎの行動が起こせなかった。
「お…おい、救急車!」
 夫の一言に、妻ははっと我に返り、慌てて電青ざめた顔で話のボタンを押し始めた。そのプッシュ音が、良伸の耳にはやけに大きく聞こえた。

 それから二、三日して、少女の葬儀が行われた。参列者は学校の級友とその保護者、そして先生方であった。しかし、良伸は葬儀の間その参列者達をずっと見ていたが、写真の男は見当たらなかった。

       弐

 それから二年の月日が経ち、良伸は高校一年生になった。
 そよそよと流れるほのかに温かさをもった風が何と心地よいことか。つい一、二週間ほど前までは冷たい風が吹き荒び、冷たい空気があたりを支配していたが、今日日はもう春の陽気を感じられるほどにまでなった。
 そんな中、昼休みの今、良伸は屋上で足を投げ出してもそもそとお弁当を食べていた。
 良伸からは生気らしい生気というものが感じられない。今の良伸はどんな作業をしていてもやる気なしの一辺倒の上に神経質そうな顔の為に、級友からは何かと疎まれる存在となっていた。
「ふう…」
 食事を終えた良伸は疲れたように溜め息を吐いた。
だが、良伸の身体は少しも疲れていない。疲れているのは心のほうであった。
もう何をするのも億劫で仕方がない。何かしようと思えばすぐ気が重くなる。そんな日々をこの二年間過ごしてきたのだ。
 と、そこで昼休み終了の鐘がなった。良伸はやれやれと重い腰をあげると教室へと向かった。その足取りは少しも急いでおらず、遅刻しても一向に構わないという雰囲気であった。
 教室に戻った良伸は、その存在を誰にも知られることなく自分の席についた。そして、黙々と次の授業の準備をし、それを終えるとぼんやりと空を見つめた。まだ授業開始からは一、二分の余裕があるからなのか、席には着かず級友たちは斑な集団をつくっておしゃべりに没頭した。
 そんな彼らの聞きたくもない会話は右の耳から左の耳へ流した。けれども、単語の一つや二つは頭に残ってしまう。その中には明らかに良伸自身への悪口も含まれていた。
 良伸はそれが堪らなく不愉快だった。高い声や低い声にその中間の声、など個性溢れる声たちが交じり合ったざらついた音は無遠慮に良伸の心の傷を広げていく。
 そして脳裏には二年前のあの光景が…。手が、そそっと頭を覆い隠す。世界から良伸を切り離す為に。
 良伸は授業開始の鐘がなって、教科担任が姿を現してもその格好をし続けた。
 誰も、良伸のことを気に留めるものはいなかった。

 日々たくさんの人々が乗り降りする駅は、サラリーマンや学生の通勤通学ラッシュに見舞われる朝と比べると寂しい感じはするが、それなりに活気づいていた。
 良伸が定期券を自動改札機に通し、さっさと電車に乗り込むと間もなくして電車が出発した。初めは静かだったが次第にガタンゴトンと音をたて、速さが増してゆくとしっかりと見えていた景色が進行方向に従って流れ出した。
 車内は込んでいないが、空席もそれほど見受けられない。客は臙脂色の席に座ると、それぞれの時間を過ごしていた。本や新聞を読む者。勉強に明け暮れる者。音楽を聞く者。
 様々な人たちが居る中、良伸は席に着かずに吊革を掴んで、流れる外の景色を眺めていた。日が暮れてきたのか、赤く染まり始めた空を下降し、ビルとビルの隙間に姿を消そうとしている太陽が見えた。
 そうこうしている内に良伸の降りる駅の名前がアナウンスされた。いつの間にか、一駅は通り過ぎてしまったらしい。
 良伸以外にも降りる客がいたようで、急ぎ足で扉の前に立つとまだかまだかと貧乏揺すりをしだした。
 良伸もそのサラリーマン風の客の後について、電車が駅に着くのを待った。
 駅に着くと、扉が開き、広いホームが目に入った。人一人いないホームを抜けて、改札口に向かう。改札口には駅員が一人いるのと、自動改札機が二つ並んでいるだけであった。
 そこをいつも通りに通り過ぎてゆくと、もう既に住宅が見えていた。大きなビルはなく、ただ寂びれた店の並ぶ商店街と閑静な住宅街が見えるだけだ。商店街は以前はとても活気のあるこの町の名物であったが、三年前に町の外れにできた大型デパートに客を取られて衰退の一途を辿ったのである。
 その商店街の中を十分ほど歩いてゆくと良伸の家に着く。小さな門を開け、短い石畳を歩く。そして、憂鬱そうにドアを開けると待ち侘びたように母親が話しかけてきた。
「良伸。今日の夕飯、何がいい?」
「…別になんでもいいよ」
 できる限りの笑顔で尋ねてくる母親に、良伸は面倒くさそうに答え「勉強するから、夕飯できたら呼んで」とぶっきらぼうに言った。
 母親は残念そうに、そうと呟くとリビングに姿を消した。
 良伸は母親のしょんぼりとした背中を見送ると、無言で踵を返すとさっさと階段を上っていった。

 丁度数学の宿題を終えたところで、夕飯ができたという母親の呼び声が聞こえてきた。
 良伸はふうと溜め息を吐くとぱたりとノートと教科書を閉め、徐に立ち上がって部屋を出た。
 リビングに入ると、マーボー豆腐の辛味のある香りと、味噌汁の味噌の香りが広がっていた。また、副食にレタスとトマトのサラダがテーブルの中心を陣取っていた。
 席に着き、頂きますと良伸が箸を手に取ったその時、父親が帰宅した。
 父は姉が生きていた頃は、良伸達の夕飯に間に合うように帰宅することはなく、十二時近くなってきてようやく帰ってくる、そんな男だった。その父が、姉が死んでからはというものの、この位の時間に帰ってくるのが定時になった。
 良伸は無言で食事を続けた。
 いつからかは定かではないが、良伸にとって、父親は存在しないものとなっていたからだ。目の前にいることは気づいているが、だからといって特別良伸の行動に影響を与えることはない。父親もそれを知っているので、良伸に話しかけようとはせずに頂きます、と言ったきり黙々と食事を取り続けた。
 良伸は一体いつからこんな寂しい食卓になったのだろうと、ふと考えた。そして、それもまた姉が死んでからだと思い当たった。それまでは父がいなくとも、姉が今日あの先生がこんなことを話してくれたとか、あの子がまたどじをしたとか、様々な話を披露してくれたおかげで食卓はとても明るかった。
 三つ年の離れた良伸の姉、朋子は今年はもう大学に入学し、将来看護士になるという夢を叶えるために昼夜を問わず勉強に励んでいるはずだった。
 だが、その朋子は二年前に死んだ。遺書はなかったため、原因はつきとめられなかったが、状況から判断するに自殺に間違い。それが警察の見解だった。だから、朋子は自殺した。それが事実なのだ。
 良伸は心の中で当時、朋子の彼氏であった青年との間に何か問題ができ、それによって追い詰められた朋子は自殺したのだと考えていた。
 そのせいか、良伸は毎日毎日通学するたびに、心の何処かでその青年を探していた。今の良伸にとって、学校に通うというのはその青年探しの口実に過ぎない。
 考えてみれば、彼が電車を使うという保証はないし、使ったとしても良伸と同じ時間に同じ電車を使うとは限らない。どんな仕事しているのかもわからないし、住んでいる場所だって知らない。とても確率の低い賭けだった。
 それでも、良伸は止める気にはならなかった。

      参

 その日は雨だった。
 良伸は、梅雨でもないのに朝からしとしとと降り続ける雨に嫌気をさしながらも、仕方なく折りたたみ傘を差して駅まで歩いた。人通りのない静かな道をピシャピシャと音をたてて進んでいく。良伸以外は誰も、いない。
 ぼんやりとしている内に駅が近づいてきた。改札口に駅員の姿はなかったが、構わずいつものように改札を通りぬけると、ホームで電車が来るのを待った。
 電車は五分と経たないうちにやって来た。
 車内に乗り込むと、同じ高校の制服を着た生徒を数人見かけた。だが、満員に近い車内ではそうそう長く観察する余裕はなかったので、同じクラスの人間かどうかまでは判断できなかった。
 初めから彼らには興味なかったので、良伸はすぐに彼らから視線を外した。そして、できるだけ首を回して車内全体を見る。今日も収穫なし。
 目的地に着くと、吐き出されるようにホームに降りた。人の波に逆らうことなく歩き、改札口を潜り抜けると、やれやれと息を深く吐いて学校を目指した。
 学校に着くと、良伸はがさごそと鞄を漁ると、一冊の本を取り出し、相変わらず無言で読み出した。
 良伸の通う学校では、読書の時間として、十分だけだが一時間目の前に取られていた。だが、実際に良伸のように本を読む者は十人足らずで、その日に行われる予定の小テストの勉強や授業の予習、はたまた宿題をこなしている者が大半を占めていた。
 教科担任の中には、きちんと読書をするように注意する先生もいるが、担任はこれを黙認していたので、日に日に読書する者の数が減っていったのだ。
 一時間目開始十分前の鐘がなったとき、担任ががらりと扉を開けて入ってきた。それと同時に委員長が起立の号令をかける。一斉に立ち上がった四十人の生徒が、委員長の号令に従っておはようございますと言うと、全員がすぐさま座った。
 担任は気にせず、淡々と今日の連絡事項を告げた。今日はいくつかの委員会の集まりがあるらしい。だが、何処の委員会にも所属していない良伸にとっては関係ない話しだった。

 一日を終え、ようやく自宅に戻った良伸は、例の如く話しかけてくる母親を無視すると、疎ましそうに自分の部屋にこもった。
 家路に着く頃にはもう雨は止んでいた。けれど、良伸の心にはずっと雨が降っている。止むことのない雨は次第に良伸の精神を蝕んでいるのかもしれない。
 良伸の机には三つの写真立てが飾られていた。一枚は家族旅行のときに撮った写真、もう一枚は幼い時に撮った姉と二人で撮った記念写真。そして最後の写真は例の姉と青年の二人で笑いあう写真だ。
 三枚目の写真は、本当はびりびりに跡形もなく破いて棄ててしまいたかったが、青年の顔を忘れない為に あえてそうすることを拒んだ。それでも、せめてもの足掻きとして、一度くしゃくしゃに丸めたせいで写真は皺だらけになってしまっていた。
 その写真を睨みつけるように眺めると、良伸はその写真めがけて枕を投げつけた。

      四

 幸運は突然、良伸の前にやってきた。
 例の男がいつも通り電車通学をしていた良伸の目に入ったのだ。良伸はつい我を忘れ、男の後を追った。
 男はスーツに身を固めた姿で、いくつものビルが建ち並ぶ街中を歩いて行くと、とあるテナントビルに入っていった。
 そこで残念なことに、良伸ははっと我に返ってしまった。腕時計の時刻を確認すると、既に八時半を回っている。完璧、遅刻だ。この時、初めて時間ギリギリの電車を選んだ自分を恨めしく思った。

 良伸は男が入っていったテナントビルの前にいた。時刻は6時近い。
 学校が終わった四時半からずっとここにいるが、出てきた人間は、片手で数えられるほどしかいなかった。その度に、人は良伸を怪しむ視線が送られたが、決して声をかけようとはせず、そそくさとその場を離れていった。
 そろそろやばいか、と考えた良伸は携帯電話で家に遅くなると連絡をいれた。
 七時を超えたとき、その男は現れた。
 姉に聞いた男の名を記憶の奥底から引っ張り出して男を呼ぶ。
男は初め、きょとんとしていたが、姉の名を出し弟であることを告げると、男はにこやかに笑いかけてきた。その直前、一瞬表情に翳が見えた気がした。
「そうか、君が」
 男はわりと気さくな人物だった。
 こんな時間にどうしたんだい、と問われると用意していた答えとして、部活が遅くなったんのでついでにこの街を見学しようと思ったんです、と言った。無論、良伸は何処の部活にも所属していないので嘘である。
 しかし、男はそれで納得したのか、ふうんと唸ると良伸に今日はもう変えるように告げた。そして、思い出したように手帳とボールペンを取り出すと自宅の住所とその地図、それから彼の携帯番号を記すとそのページを破り取ってそれを良伸によこした。
「後でゆっくりとお姉さんの話しでもしようじゃないか」
 そう言うと、男は悲しげな笑みを浮かべて去っていった。

 風呂から上がった良伸は、濡れた頭の上にタオルを載せながら、男に貰ったメモをつまらなさそうに眺めた。
そして、二つ折りにして例の写真の前に置き、勉強道具を机の上に広げた。

       五

 今日は嬉しい土曜日だ。
 良伸は次の日に休みがある内に、男の家を訪ねることにした。男の家は以外に近く、電車で行けば良伸の住む町の駅から数えて一駅の街だった。そして、更に駅から歩くこと十五分のところに青年の住むアパートが建っていた。青年のメモによれば、彼の部屋は五〇八号室。このアパートの最上階にある角部屋だ。良伸は暫くアパートを眺めると、覚悟を決めたように階段に足をかけた。
 階段を上るたびに、かんかんという足音が響く。最上階に辿りつくと右に折れてそこの角部屋のチャイムを鳴らした。反応はすぐにあった。鉄の扉の奥からガタガタという音がし、それからしばくしてガチャリと鍵を開ける音がした。
「やぁ、君か」
 男が相変わらずの気さくな笑顔で出迎えてくれた。良伸が、お邪魔じゃなかったですか、と尋ねると男は笑顔で「いいや」と首を横に振った。男は玄関で棒立ちになっている良伸に中へ入るように薦めてくれた。良伸はお言葉に甘えて入れてもらうことにしたのか、おずおずと「お邪魔します」と言いながら入った。
 中は六畳間が二部屋と、バスルームに洗面所、それからトイレからなっていた。手前にある六畳間にはガスコンロが備え付けられており、その横には冷蔵庫と電子レンジが置かれている。良伸は一番置くの六畳間に案内された。そこには小さなテーブルと机があった。机の上にはパソコンのわりと古い型と、姉と彼の二人で撮った写真が置かれていた。その写真は良伸の机にあるものと同じだった。
「ああ、それはね」
 良伸の視線に気がついた男は写真について説明してくれた。一昨年に初めて姉と江ノ島に旅行にいったときに、水族館で撮ったものだという。彼はそのときのことを語って聞かせてくれたが、話しは旅行から帰ってきた姉から聞いて知っていたのでろくに聞かずに適当な生返事をした。それから良伸は頃合を見計らって、何故姉の葬式に来てくれなかったのかと聞いてみた。やはり、この答えを聞くまでは男を信用できない。
「ああ…それは、仕事が忙しかったんだ。急な出張が入ってしまってね。僕は断ったんだが、先方のどうしてもと言われてしまって……」
 恥かしそうに言う男の言葉は、良伸の耳には言い訳のように聞こえた。多少は言い訳であるかもしれないが、すまないと思っているのも男の本心だ。良伸にはそう思うことができなかったのだ。しかし、そのことで追求できるわけもなく、良伸は小さな声で失礼します、と言うと足早に部屋を出ていった。

         六

 良伸は朝から自分の部屋でごろごろとしていた。何もやる気が起きないようだ。机の上にとりあえず広げられた英語の教科書とノートがあることから、一度は机に向かったらしいが、向かっただけで一行も進んでいない。良伸はベッドの上でごろりと一回転すると、仰向けになって天井を眺めた。天井に向けて伸ばした腕をぱたりとベッドの上に落としてはまた挙げてとしばらくその動作を繰り返した。だが、それもすぐに馬鹿馬鹿しくなり止めた。でも、だからといってやりたいことがあるわけではなかった。良伸は家でゲームをすることも、出かけることも好まない性分だからだ。良伸の唯一の趣味は読書であったが、今はそれさえもする気にならない。何をしよう。そう頭の中で考えながら、良伸は眠りに落ちていった。
 次に良伸が目を覚ましたのは、正午であった。母親が昼食の用意ができたということで良伸を起こしたのだ。良伸は少しぼんやりすると、疲れた顔で立ち上がり、母親の後をついて階下に降りた。今回の昼食はベーコンエッグとトーストと牛乳とゴボウサラダだった。良伸のイメージとしては朝食の感じがするメニューであるが、良伸としては食べられればそれでよかった。良伸はトーストに齧りつくと、これからはどんな話題で話をしようかと考えた。今も姉のことが好きですか?姉の自殺に多少なりとも責任を感じていますか?いくつか浮かんだ質問はどれも馬鹿馬鹿しく感じた。

 二、三日経ったある日の夕方、良伸と男は道端でばったりと出くわした。その時の良伸は丁度、ようやく終わった学校から、多少の気だるさを覚えながら自分の乗る電車が出る駅に向かっていたところだった。男は、その良伸のやる気のない顔には全く気づいてない様子で、とても元気な姿で声をかけてきたのだ。
 良伸は暫く男と世間話をすると、キリがついたところで今更ながらどんな仕事についているのか尋ねた。男はとても丁寧に説明してくれたが、残念ながら現在の良伸の知識ではコンピューター関係の仕事であるということしか理解できなかった。しかし、顔を赤くして楽しそうに話す男にわからないというのはいささか気が引けた良伸は、ただ「へぇ」とか「そうなんですか」とか適当な相槌を打つことに専念した。時間にして十五分くらいだったかもしれないが、その十五分が良伸にとってはとても長く感じられた。
 突然、男は気がついたように話を止めると、照れたように頭を撫でながら「子どもに何言ってんだろうなぁ、俺」と独り言のように言った。良伸は困ったように笑いながら「いえ」と答えるのが精一杯だった。良伸はとうとうその日、男と別れるまでに一番聞きたかったことを言い出すことができなかった。
 しかし、幸運はまた良伸のところにやってきた。しかし、またそれは不幸でもあった。とある放課後、真っ直ぐ家に帰る気になれなかった良伸が学校付近の町をあてもなくさ迷っていた時、その街中で男を発見したのだ。男の横には二十歳過ぎの女が仲睦まじそうにそっと寄り添っていた。二人は会話が弾んでいるのか、時折笑い声を上げては互いの顔を見ていたが、内容を聞き取ることはできなかった。
 二メートル後方まで近づいて、なんとか会話を聞き取ることができた。そこまで近づいても二人は良伸の存在に全く気づかなかった。どうやら二人は、これから出かける場所を相談しているらしい。だが、会話はすぐに逸れて世間話に移った。互いの日々の楽しげに話していた男の声が少し低くなったと思ったら、男の口から良伸の話題がでた。別れようと思っていた女が自殺してせいせいしていたのに、最近になってその弟がやって来るのだと言う。その時の、男の本当に迷惑そうに話す顔を見た良伸はショックのあまり、歩みを止めた。いきなり止まった良伸の横を前から来た人が厳しい表情を向けて通り過ぎてゆく。 良伸は一瞬、茫然とした後、拳を力の限り握り、歯を食いしばりながら人込みに姿を消した男の背を睨みつけた。

 家に帰った良伸が、生前姉が使っていた机の中をひっくり返すと、隠すように教科書類の奥にしまわれていた日記帳を見つけた。良伸は姉に悪く思う気持ちもあったが、それでも真実を知りたいと言う気持ちに負けてページをめくった。
 記念すべき一ページ目の日付は、なんと十年前だった。その日付を見て、父が姉の九歳の誕生日にプレゼントとして買ったものであることを思い出した。ぱらぱらとめくってゆくと、なるほど姉は毎日一行ずつその日の気持ちを綴っていったらしい。後半になると、あの男との思い出が綴られていた。初めは楽しそうなものであった内容はしだいに思いつめられたものになり、最後の日付、つまり姉が自殺した日の欄にはただ一言、

『死にたい』

 とだけ書きなぐられていた。

       七

 良伸は男を殺す計画を立てた。そのための道具を揃えに近くのホームセンターに行った土曜は、暦の上ではもう初夏だった。もう一ヶ月もすれば夏休みだということもあるのか、ホームセンターは結構込んでいた。良伸はたくさんの人々の合間を半ば無理に通り抜けながら、苦労して目的のコーナーに辿りついた。そのコーナーには色々な長さ、色々な太さの縄が置かれていた。良伸はその中から一番細い物を選ぶと、それをレジに出した。良伸の計画は、計画と言うのも仰々しいぐらい至って簡単だった。計画とは、ただ男の部屋を何食わぬ顔をして訪れると、今手に入れた縄を使って男の首を締めるというものだ。良伸は、完全犯罪とかそういうのは少しも考えていない。姉の敵さえ討てさえすればそれでいいのだ。
 営業スマイルで会計を済ませた店員から縄を受け取ると、良伸は足早に家路についた。

 次の日、良伸は昨日買った縄をバックに無造作に突っ込んで男のアパートを訪ねた。チャイムを鳴らすと、男は今日もすぐに出てきた。その顔には相変わらず笑顔が貼りついていた。今日会って初めて気がついたが、男の笑顔は何処か作り物のようだった。そして、男は例によって、良伸を奥の六畳間に招き入れた。
 良伸はとりあえず招かれた通りに奥の部屋に入ると、お茶を入れると言って席を立った男の後を、縄を片手に追った。そして、男に気がつかれないように背後に立つと、後ろから男の首に縄を回して一気に締め上げた。五センチの身長差があるため、結果的に少しぶら下がるような格好になったが、暫くすると、もがいていた男は首にあてていた手をだらりと下げ、その場に崩れた。幸い、未だコンロは使われなかったため、良伸はバックの中に縄を乱暴にしまうと、アパートを飛び出した。

      八

 月曜日、良伸は何食わぬ顔で学校にでた。家で見たニュースでは男の死亡と例の女のインタビューが報道された。今はまだ、気が動転して良伸のことを思い出さないようであったが、女の口から良伸のことが知られるのは時間の問題のようであった。だから、急に人を殺したことに恐怖を覚えた良伸は、とりあえず今日は学校に行って、家で着替えて逃亡することにした。
 学校は何事もなく終わった。いつものようにあまり込んでいない電車に乗り込み、空いてる席に座ると、ふうと溜め息を吐いた。ガタン、ゴトンと音をたてて電車が走り出すと、一種の安心感が良伸の胸に広がった。周りの人間はそれぞれ自分の世界に入り込んでいた。そこで、良伸は本を読むことにした。内容はありふれた純愛小説で、良伸としてはあまり面白くなかったが、小遣いで買った手前、投げ出せないので、仕方なく読んでいるのだ。それでも気の進まないものは気が進まない。良伸の、ページをめくる手は重い。
 本が三ページも進まないうちに目的地に着いた。やれやれと本を閉じ、電車を下りると、がらんとしたホームが変わらず目の前にあった。ホームを足早に抜けて改札口にゆくと、いつもの年老いた駅員ではなく、若い駅員がいた。駅員は良伸に気づかずに、メールを打つことに夢中になっていた。良伸はその駅員を無視して改札口を抜けた。
 家に着くと、良伸は自分の部屋に入った。そして、財布と一組の下着類と二組の着替えを小さ目のリュックに押し込むと、そっと机の横に置いた。そして、母親の夕飯だと言う呼び声にいつものように階下に降りた。今日の夕飯はカレーだった。扉を開ける前からユーの独特の匂いが良伸の鼻を刺激する。扉を開けばもう、髪や衣服に染み込んでしまうのではないかと心配してしまうぐらいの匂いがした。きっとこれが良伸にとって、この家での最後の晩餐になるだろう。用思った良伸は、いつもよりもしみじみと「頂きます」と言った。

 ザー――と勢いよく流れる水音が、夜中の風呂場に響いた。暗い廊下にもれる風呂場の光は、明るいと言うのに何故か曇って見える。時刻は十一時。両親は既に床につき、すっかり寝てしまっていることだろう。そんな時間に、良伸はぬるめのシャワーを浴びていた。頭上から流れるお湯が、良伸の黒い髪を伝って排水溝に吸い込まれてゆく。立ち竦むようにして浴びる良伸の視線は終始足下に集中していた。
 ようやく満足したのか、良伸は緩慢な動きで蛇口を捻った。その瞬間にきゅ、きゅ、と音がした。外に出ると、用意したタオルで頭を軽く拭いて、これも用意しておいた服に着替えた。そして、風呂場の電気を消すと、その場が真っ暗になった。そこで良伸は思い出したように階段付近にあるスイッチをつけた。階段を上ると、その度に階段の軋む音が大きく聞こえた。自分の部屋に入ると、机の横に置いておいたリュックと、それから家の鍵を掴み、玄関に向かった。玄関に行くと、両親が起きださないように出きるだけ静かに開け、閉めた。最後に鍵をかける。ガチャリ、と少し大きな音がした。

        九

 朝。鳩の、あの奇妙な鳴き声に起こされて、良伸は目を覚ました。漫画などの擬音語では、くるっぽぉ、とかかわいらしいものが多いが、実物はそんな可愛らしいものではなく、聞いたことはないがフクロウが鳴くとしたらこんな感じの鳴き声だろうと思われるぐらい不気味だ。と、そこまで考えたところで良伸は自分が何処にいるのか思い出した。ここは、良伸の住む町から五駅ぐらい離れたところの公園だ。なんとか終電ギリギリの電車に乗った良伸は、行ける限り遠くの町に行こうと考えた。そして、その結果がこれだ。
 茶色の汚れたベンチを拝借して寝床にした良伸であったが、やはり硬いところで寝たせいか身体のあちらこちらが痛む。だが、幸いなことに、コートを一着持ってきたおかげで、朝冷えは免れた。良伸はそのコートを綺麗に畳んでリュックにしまうと、近くの水道で顔を洗った。水はとても冷たかった。
 行くあてのない良伸はとりあえず街をうろついた。まだ七時過ぎということで、人影は少なかった。それでも不思議なことに、開いている店はいくつかあった。良伸は、コンビニを見つけるとそこで残り少ない現金から朝食を買った。買ったのはパンとペットボトルのジュースを一本。パンは新発売という広告につられて買った。朝食ついでに、履歴書と筆記用具一式も買った。なんとか買えたが、ギリギリだった。そこでお金は殆ど尽きた。
 良伸は 一夜を明かした公園に戻ると、履歴書に必要事項を書いていった。名前は、適当に考えた『吉田知也』という偽名を書き込んだ。どうやら写真が必要なようだ。仕方なく街中を歩くと、本屋らしき大きな建物の傍にスピード撮影できる機械があった。残り少ないお金から、その代金を捻りだし、なんとか撮影できた。それを適当に貼りつけると、開くのを待って雇ってもらうために会社を巡った。勿論、全て断られた。
 昼飯時が近くなった頃、良伸の目にふととある飲食店の広告が目にとまった。バイトを募集しているそのちらしには、特に年齢制限は書かれていなかった。中に入ると、時間帯が時間帯なだけに二十ある席は満席だった。そこで忙しく働く女将に働きたい旨を伝えると、一瞬明るい顔をしたが、住み込みでと言うと困惑した表情を浮かべた。しかし、背に腹は替えられないようで、渋々ながら承諾した。

          壱拾

 それからというもの、良伸は『吉田知也』という名でその食堂にお世話になった。女将さんの名は、瀬川節子といい、この瀬川食堂を取り仕切る人物だ。節子さんは旦那と娘の三人暮らしだった。旦那の名は龍之介、娘さんの名は晴香といった。晴香は良伸と同い年だった。だが、この家では良伸が年のサバをよんだため、晴香とは二歳違いということになった。正直者の晴香はそれを素直に信じたが、節子さんと龍之介さんは多少怪しんだ。しかし、その問題は良伸が真面目に働いたため、事実上黙認された。
 晴香は自分も学業で忙しい身であるというのにもかかわらず、何かと良伸の世話をやいてくれた。そういうことには全く免疫のない良伸はしばらく晴香を避けようとしたが、向こうがそれを許してくれなかった。しかも、良伸は人というものが全般に苦手であったが、晴香のように不用意に人の心へ入りこんでくる人間が特に苦手であった。傷口に触れられる気がして恐ろしいのだ。それでも、雇い主のお嬢さんということで、最低限の愛想は振り撒いた。
 ある日、晴香は良伸を外出に誘った。遊園地に行こうと言い出したのだ。それではデートではないか、と良伸が当惑した顔で言うと、晴香は無邪気に笑って「そうだね」と答えた。そして、それでもいいじゃないかとまた良伸を強引に誘い出した。その姿はまるで小学生である。背はそれほど高くない晴香であるからよけいそう見えた。
「ね、いいでしょ?」
 結局、この一言に良伸は溜め息を一つ吐いて承諾した。

 遊園地に行く前日、準備をしながらこんな男と出かけて楽しいのか、と自問自答した。良伸の答えはノーである。だが約束した手前、行かないというわけにはいかないので、とりあえず準備だけは済ませておくことにした。
 良伸の部屋もそうだが、瀬川家の住居は食堂の二階にある。良伸に宛がわれた部屋は、客間だっただけに八畳と広く広かった。そこに『知也君』も勉強したいことがあるだろうからと、節子さんが申し訳程度の小さなテーブルを置いてくれた。そこで、給料として月に五千円をくれるお金の中からいくつか本を買って並べた。良伸にはこれが高いのか安いのか見当がつかなかったが、ここに置いて一日三食の食事を頂いてもらって、さらに自分の部屋も確保させてもらってるだけでもありがたいので別に不満はなかった。
 良伸は準備を済ませると、その荷物を小さなテーブルの上に乗せ、電気を消して布団に潜り込んだ。

 遊園地は日曜ということも手伝ってとても込んでいた。何処からともなく小さな子どものはしゃぎ声が聞こえてくるが、それ以上にはしゃいでいるのは晴香であった。コーヒーカップを見つけては大声をあげて良伸の腕を引っ張り、ジェットコースターを見つけては我を忘れて駆け出す。そんな晴香を迷子にならない程度に見張りながら、良伸は今頃ここ以上におおわらわになっているであろう食堂に思いを馳せた。言い出したのは晴香だが、責任がないわけではないので、子の危なっかしい生き物を見ていなければならない。
 瀬川夫妻は初め、二人の外出を渋っていた。だが、晴香が粘ったためなんとか許可をくれた。良伸としては許可がもらえないほうが何かと都合がよかったが、それは大喜びする晴香のためを考えて、自分の胸に閉まっておくことにした。
 どうやら晴香は今度は観覧車に乗ることにしたらしい。長い列の最後尾について良伸を手招く。良伸はやれやれと招かれた通りにはるかの横に並んだ。そうすると、晴香の小ささが一層目立った。現在の良伸の身長は一六四と男にしては小さいほどなのだが、それでも晴香を見下ろすことができた。下手したら中学生に間違われるカップルだ。
 そんなことを考えているうちに二人の順番がきた。晴香はスタッフに導かれるがままに観覧車に乗り込んだ。その後を追って良伸を観覧車に乗り込む。少しの間、外でガチャガチャと鍵をかけられる音がしたかと思うと、二人はすぐさま十五分の大空の旅に出た。外を眺めると、遊園地の敷地全体が見渡せた。少し視線を奥にやれば、青々とした山も見えた。晴香はそれらを上機嫌で眺めながら、流行りの曲を鼻歌で唄った。そうしていたかと思うと、今度は良伸の方を見て、無邪気な笑みを浮かべた。口から覗く白い歯がいつも以上に彼女を幼く見せる。「楽しいね」と笑顔と同様に無邪気に言ってみせた晴香は、不意に顔を良伸の前に近づけて良伸の眼鏡をひょいと取り上げた。
「楽しくない?」
 表情は晴香に眼鏡を奪われたせいで見えなかったが、声で悲しそうにしているのがわかった。良伸は、晴香の手から自分の眼鏡を取り返すと、いいやと首を横に振った。その時の、そう、と答えた晴香の笑顔が、良伸が夕飯は何がいいと尋ねられたときに別になんでもいいと答えて、同じく「そう」と言った母親の顔と重なった。心配そうに晴香が大丈夫?と聞いてきた。余程辛そうな顔をしていたらしい。良伸は今度こそ笑顔を繕うと、大丈夫と答えた。

        壱拾壱

 何時の間にか時は過ぎ、今は盆の季節になっていた。それでも時折熱帯夜のように寝苦しい夜もあったが、もうその頃になると夜は涼しく、寧ろ寒いぐらいであった。
 そんな夏の終わり、瀬川家は晴香の提案で小さな花火大会を行うことにした。初めは色が変わる豪勢なものから、次にねずみ花火やロケット花火、そして最後は線香花火で締め括られた。晴香は、うっとりとした表情をしながらあきることなく線香花火を眺めた。良伸はというと、もうあきて早く燃え尽きることを望んでいた。だが、望めば望むほど線香花火はしつこく燃えた。一方、晴香の方はとうの昔に燃え尽きていた。晴香は羨ましそうに良伸の線香花火をじっと眺めた。それで、良伸は消える前に水を張ったバケツに放り込むことができなかった。ようやく、燃え尽きたところで残念そうな顔をする晴香の横を通ってバケツに放り込んだ。その時、ジュッ、という小さな音がした。
 晴香は「あ~あ。終わっちゃった」と文句を言いながら、仕方なく片付けを始めた。良伸も晴香に倣って片付けを手伝った。片づけを終えると、四人で夕飯を食べた。良伸はもう家族同然だった。瀬川夫妻は、まるで良伸を実子のように扱ってくれ、晴香は本当の兄弟のように接してくれる。それが、良伸の心を締めつけた。有り難いことだというのは良伸も理解している。だが、自分は人殺しなのだ。やさしくしてもらう権利なんてあっていいはずがない。と、良伸は思っていた。優しくされるなんて・…と心の中で呟く。良伸は家族の誰よりも早く食べ終わると、笑顔で先に寝かせてもらうことを告げて自分の部屋へ戻った。

 良伸が気晴らしについこないだ買った心理学の本をノートにまとめていると、横で襖を開く音が聞こえた。晴香だった。晴香は軽い足取りで近づいてくると、何をしているのと尋ねてきた。良伸はぶっきらぼうに、ただ気晴らしをしていると答えた。晴香は、ふうんとノートを覗きこんで、難しそうねとぽつりと呟いた。良伸が何をしにきたのか尋ねると、晴香は待ってましたとばかりに背中に隠していたトランプを出すと、
「ババ抜きしようよ」
と、言った。二人で?と良伸は思わず声をあげた。晴香は「そう二人で」と言うと、有無を言わせずカードを切り始めた。そして、さっさと一方のババを棄てると、慣れた手つきでカードを配った。勝負はすぐについてしまうため、十回ほどやった。結果は七勝三敗で晴香の勝ちだった。
 そこでようやく晴香に解放された良伸は、作業の続きに手を着けた。晴香はその後ろで寝転びながら良伸の作業を眺めた。カリカリとシャーペンを走らせる音が響く。そして時折、書く音の変わりに芯を出す音がした。しばらくして、良伸の作業を見ているのにあきた晴香は良伸の横からテーブルの上に並べられた本を選び出すと、良伸の背に凭れてそれを読み始めた。良伸は作業がしにくいと思いながらも、何も言わずに作業を進めていった。晴香が読んでいるのは流行の小説で、内容は苛められっ子を人気者にしていくというものだ。それはドラマ化もされ、一躍注目を浴びた。晴香はそれを半分ぐらい読んだところでぱたりと閉じて、そのままの格好で良伸の背に思いっきり乗りかかった。良伸は苦しくなって、小さな悲鳴をあげた。その声を聞いた晴香は、満足したようにふふっと笑うと上体を起こし、観覧車の時のように良伸から眼鏡を奪った。驚いた良伸が顔を左右に振ると、晴香によって顔を強引に晴香の方に運ばれた。
「君は、いつまでそうやって素顔を隠しているつもり?」
 突然の問いに良伸が答えに間誤付くと、晴香はその間に部屋を出ていってしまった。一人、取り残された良伸は暫く茫然とし、やれやれとまた作業に戻っていった。
良伸は布団に入ると、晴香の言葉を何度も反芻した。しかし、いくら考えても言葉の意味を捉えることはできなかった。はて、と首を捻るがちっともわからない。そのまま、良伸は静かに寝息をたて始めた。

    壱拾弐

 残暑厳しい九月。近頃、地球温暖化がよく騒がれるが、本当にそうなのではないかと思ってしまうくらい暑い。食堂の前では暑さに負けた野良猫が暖簾の下でぐったりと寝転んでいる。その野良猫は、良伸が開店準備の為にがらりと、扉を開けると大慌てで逃げ出した。
 「ふぅ、暑い暑い」と良伸の口からそんな独り言がもれた。それでも良伸はこれで最後だと表の看板を「準備中」から「営業中」に架け替えた。それを追えると、良伸は大きな伸びをして店内に戻っていった。
 正午になると、良伸は忙しなく注文を取り、龍之介さんが作った料理を客のところへ運んだ。昼時ということでさすが店内は満席で、店内は騒がしかった。その騒がしい中を駆け巡るのは良伸と節子さんだけではなかった。四月からいる良伸にとっては先輩にあたる『皆田健史』と、先月から入ってきた良伸の後輩『使途あきら』の二人だ。健史は明朗活発な性格で、気がふさぎがちになる良伸を何かとフォローしてくれる。一方、あきらは乱暴者で失敗は多いが、有り余るエネルギーでなんとか乗り越えていった。
 午後の一段落がつくと、二人を返して節子さんと良伸の二人の作業になった。人の少なくなった午後では、すっかり顔馴染になった常連客が親しく話しかけてくると、良伸が小一次間ほど聞き役としてその場に立つことも珍しくない。日が暮れると、常連客も帰って客はめっきりいなくなった。瀬川食堂は九時で店じまいをする。すっかり暗くなった表に出ると、良伸は看板を再び架け替えて暖簾を中にしまった。
 今日は夕食の最後に夏の名残としてスイカがだされた。やはり、少し季節が外れているせいかあまり美味しくなかったが、晴香は喜んで食べた。良伸はどちらかというと果物はあまり好まなかったのもあって、もたもたと食べているうちに晴香に皿を空にされてしまった。
 夕食後、良伸は一番最後に風呂に浸かった。この時が良伸にとって一番の至福な時間だった。自分を温かく包んでくれるお湯の熱が、身体の隅々まで伝わって、まるで疲れを全て抜いてくれるようだ。立ち昇る湯気が、風呂場全体を曇らせる。それを、良伸は視界のあまり利かない目で眺め、思いついたように顔半分を湯に沈めた。それから、百を数えて風呂からあがった。
 自分の部屋に戻ると、晴香が良伸の布団の上に寝転びながらこれまた良伸の本を読んでいた。今回は少年漫画で、ありふれた友情を語った近未来ものだった。晴香は良伸が来たことに気づくなり「友情っていいよね」と言い出した。良伸は、そうだねと答えてから晴香の横に座った。そこで晴香も上体を起こし、漫画を伏せた。晴香は堰を切ったように今日学校であったことを語り始めた。良伸はその姿に姉の嘗ての姿を重ねながら「そうなんだ」とか「大変だね」とか相槌を打った。話が尽きると、晴香は漫画の続きを読み、良伸はテーブルの前で身体障害者が自身の半生を綴った本を読んだ。古本屋で心惹かれて買った。そして、テーブルの上に置いておいた時計の針が十一時を指すと、良伸は晴香を追い出して日記をつけた。日記は三日前に始めた。方法は姉と同じ一行日記。自分では深い意味はないつもりでいるが、もしかしたら姉の後を追いかけているのかもしれない。
 良伸は日記をつけ終えると、電気を消して寝た。

    壱拾参

 今日もいつも通りの日々だった。今日の良伸の仕事は表の掃除だった。せっせと箒をかけていると、お隣のおばあちゃんがご苦労様と声をかけてくれた。良伸は曖昧な笑顔を浮かべると、とりあえずありがとうございますと言っておいた。次に近所の田村という四十歳ぐらいのおじさんが声をかけてくれた。おじさんとはあそこの犬がどうだとか、とある人が懸賞で儲けたらしいとか、その程度の世間話をした。この頃の良伸はよく人と話す機会に恵まれた。以前住んでいた町ではこういった付き合いはなかったが、今は好む好まないを問わず向こうから話しかけてきた。そのおかげで、人が苦手な良伸でさえ以前からは考えられないくらいよく話をするようになった。
 箒を片すと、よく遊びに来る野良猫を構った。猫は満更でもなさそうに喉をゴロゴロと鳴らした。猫がいなくなると、良伸は残念そうに中に入った。中ではすでにあきらが準備を進めていた。あきらは何をするにも不機嫌そうであったが、一応サービス業のため客の前では、普段の顔を知っているものには信じられないくらい明るい笑顔を振舞った。あきらは良伸に気がつくと、一旦それまでの作業を止めてお疲れ様ですと言った。そして、それが終わるとすぐさま作業を始めた。その間、あきらは無表情だった。良伸はその様子を見て、うんうんこれが使途だ、と納得した。
 そこで健史が買い出しから戻ってきた。良伸が「先輩、お疲れ様です」と声をかけると、健史も「お前もお疲れ」と言った。そして、健史はそのまま厨房へと姿を消していった。厨房の奥からは「大将。これ、どうすんですか?」と大声で叫ぶ健史の声と「その辺に放っておけ」と怒鳴るように言う龍之介さんの声が聞こえてきた。大将とは健史が龍之介を呼ぶ時のあだ名だ。
 今日は珍しく、二人は夕方までいた。そこで三人は人がいないのをいいことに店の片隅で輪をつくって喋った。三人が三人、声を潜めて話すせいで、一種の恐さが店内に充満した。話も佳境に入った頃、突然「くぉら、そこの三人。何してんのよ」と言う声が聞こえてきた。そんなに大きくはなかったと思うが、不意をつかれたので三人は大いに驚いた。声の主は学校帰りの晴香だった。「全く。この男どもは」と、晴香が腕を組んだ状態で呆れたように言った。健史はその晴香の機嫌を取るように「すんません。晴香様」と媚を売ったが、残りの二人は無言でその場に立ち竦んだ。だが、三人は最終的に晴香の「ほら、とっとと散らばる!」の一言に蜘蛛の子を散らしたようにそれぞれの持ち場に戻っていった。

 良伸は暫くの間テーブルに向かって読書をしていたが、疲れて背後に倒れ込んだ。天井に吊るされた蛍光灯は、きちんと仕事をこなしてくれている。と、不意に視界が陰った。どうやら晴香が覗きこんできたらしい。晴香がどうしたのといつもの調子で聞いてきた。良伸は本を読むのに疲れたと素直に答えた。晴香はふうんと頷くと、じゃあ寝ればと率直な意見を述べた。まだ風呂に入ってないと良伸が答えると、晴香は「良いじゃん、明日早く起きてはいれば」と無頓着なことを言った。良伸はそんなわけにはいかないと言うと諦めて着替えを持って風呂に向かった。
 風呂から出ると、晴香がテーブルを占拠していた。仕方ないので、良伸は部屋の隅に畳んでおいた布団を広げるとその上で本の続きを読んだ。三十分ぐらい経った頃だろうか、晴香が突然神経衰弱をやろうと言い出し、トランプを取りに一旦自分の部屋に戻った。晴香が戻ってくると、布団を適当に除けて変わりにトランプを広げた。晴香は粗方広げたところで「私、イチバーン」と宣言して早速始めた。勝負は意外に長引いた。ようやくあと残り四枚というところまでになると、始めは全く乗り気ではなかった良伸も真剣な表情でカードを見つめていた。先に仕掛けたのは良伸だった。しかし、ザンなことに間違えてしまった。そこで晴香が勝負をきめた。時計を見ると、もう十一時を回っていた。だが、良伸がそろそろ晴香を追い出そうとすると、今日はやけに嫌がるのでそのまま置いておいたが、十二時近くなったときはさすがに無理やりにでも追い出した。
 良伸は、粘る晴香を強引に部屋から出すと溜め息を吐きながらテーブルの前に腰を降ろした。そして、日記帳を広げて今日の感想を書きこむ。だが、今日の良伸はすぐには眠りにつかなかった。変わりに、晴香の邪魔されて読み終えることができなかった本を読むことにしたのだ。読み終わったときには時刻は軽く二時半を回っていた。
 そのせいか、次の日は全く元気がでなかった。常連客にどうしたんだいと尋ねられ、良伸が正直に話すと常連客は大笑いしながらそいつはいけねぇと大声で言った。何処ぞの客からは「しっかし、知也がそんなに夜更かしするなんて珍しいんじゃねぇのか?」と言う言葉さえ聞こえてきた。良伸としてはただ、そうですねと苦笑いするしかなかった。しかし、学校から帰ってきた晴香はそんな良伸にはお構いなしにすこぶる元気だった。それどころか、
「どうしたの。大丈夫?」と心配される始末だった。良伸は大丈夫と答えたが、夕食を取ったあといつもは最後に入る風呂を今日は一番に入って、すぐに寝てしまった。あとで晴香が様子を見に行ったときにはもう電気が消えており、ただ良伸の寝息が聞こえるだけだった。

          壱拾四

 今年も、今日を残して終わろうとしていた。そのせいで夕方の瀬川食堂は年越しそばの出前に追われていた。良伸が出前から戻ってくると、奇妙な客がいた。客は三十代半ばの男で、皺の入ったよれよれのコートを着込み、ぼさぼさの頭を晒していた。男は、髭を生やした口元に煙草を咥えながら、茫然と店内をぐるりと眺めた。テーブルの上に目をやると、頼んでおいたらしい料理には全く手をつけていないようで、ただ割られていない綺麗な割り箸が料理の横に添えられているだけだ。男が今現在口をつけているのは、最初に運ばれてきた水だけだ。良伸は首を捻りながら、その男の横を抜けて厨房へ向かった。
 男が料理に手をつけだしたのは、九時前になってからだ。男は節子さんからもうすぐ店じまいの旨を聞くと、慌てて料理を掻き込んでさっさと店の外へと出て行った。
 年が明けても男はやってきた。男の職業は依然とわからなかった。男の頭がぼさぼさなのとコートが寄れているのは相変わらずだったが、その日は髭がなかった。髭をそる余裕があるなら、いっそのこと髪も綺麗にしてしまえば良いのにと良伸は思った。しかし、男はまるで周囲の視線が気にならないとでもいうように堂々と店に入ると、空いている席にどっかりと座った。そして、料理を頼むなり、煙草をコートの内ポケットから取り出して吸い出した。料理がきても例の如くすぐには手をつけずあたりを眺める男は、やはり異様だった。しかし、考えてみれば男は料理には手をつけてこそいないが、男は周囲に気を配りながらあたりをさり気なく眺めていた。そんな男の行動を不審に思うのは、良伸の心にやましいものが宿っているからか。
 男は今、思い出したふりをしてようやく料理に手をつけ始めた。しかし、男の視線は周囲に運ばれていた。誰かを探しているような男の視線と、一瞬目が合い良伸の胸がどきりとした。しかし男は何事もなかったように視線を外すと、今度は料理を片付けるのに専念し始めた。
 以来、男は良伸ばかりを見るようになった。良伸はまるで見張られているような心持ちがしてならなかったが、店に出ないわけにはいかないので、なるべく気にしないようにして常連客との会話に従事した。その中で客は男に良伸のことについて何か知らないかと尋ねられたことを教えてくれた。どうやらそろそろ潮時らしい、と良伸は腹を括った。

 それからというもの、良伸はいつでも食堂を出られる用意をすると、ここに来てからといもの、怠ることなく貯金をしておいた自分を誉めた。男はまた何度か店に姿を現したが、幸い良伸は何事もない日々を過ごすことができた。いづれにせよ、この家を出なくてはと考えている良伸だったが、ただいまと元気に帰ってきては良伸に挨拶を求める晴香の姿を見る度につい先へ先へと延ばしてしまって、未だにここを去ることをできないでいた。
 そんなある日、良伸はなんの前触れもなく男に話しかけられた。幾つなのかとか、一体いつからここにいるのだとか、一見すると他愛のない質問ばかりだったが、男の爬虫類を思わせる目に良伸は今度こそ後がないと思った。
 良伸は食堂を去る前に一枚の手紙を蔵書と一緒に部屋に残した。手紙には、簡潔にこれまで世話になった礼と、黙って出て行くことに対する謝罪を述べた。良伸はそれを暫く眺めていたが、心を静めるために一度深呼吸をすると、用意しておいた荷物を無造作に掴み取って急ぎ足で表へ出た。外はまだ一月ということでとても寒かった。雪でも降りそうに寒い夜道を、良伸は独り言も言わずにとぼとぼと歩いた。良伸は、頭上に広がるどす黒い空を見上げた。それは季節は違えど、郷里を離れた時と同じであった。
 空は無言の威圧感を放ちながら、地上を見下ろす。良伸にはそれが、まるで這いつくばることしかできない人間を嘲り笑っているように思えた。そこで良伸は自身の脆さを自覚した。誰もが眠りについている夜中。それは、良伸の心の象徴だった。
 ぶらぶらと街をさ迷っていると、何時の間にか初めてこの街に来た時に一夜を明かした公園の前まで足を運んでいた。ひゅるりと冷たい風が吹く中、公園の中に進み入るとやはり変わらぬ位置で汚れたベンチがあった。そのベンチを二度三度と撫でると、良伸は電車が終わらないうちにと駅へ向かった。

           壱拾五

 今度、良伸が足を踏み入れたのは昼間は自分が歩く場所を確保するのも難しい都会だった。都会の空気は良伸にはあわなかったが、仕方ないことだった。
良伸は瀬川食堂で貯めたお金を使って、一番安いアパート住まいを決めてとりあえずは近場のコンビニでバイトを始めた。営業スマイルで客に商品を渡す度に瀬川食堂での経験をありがたく思った。しかし、客にはそんなことは一切関係なく、ただ無表情のまま何も言わずに袋に詰められた商品を受け取っていった。
 次に良伸が始めたのはデパートの品出しのバイトだった。その次は引越しのバイトだった。という具合に色々なバイトを転々としたが、最近になって時計屋でのバイトに落ちついた。そこは廃れてきたのか、年老いた店主が暇な店の片隅で老眼鏡をかけて落ち着きをはらった雰囲気でゆっくりと読んでいるだけで、一人の客もいないような有り様だった。だが、それでも店の壁にかけられた幾つもの柱時計はどれもこれも綺麗であった。ショーケースの中に飾られている腕時計や置時計だって柱時計に引けを取らないぐらい立派なものだった。
 老人は店内の掃除を済ませた良伸によく昔を語って聞かせてくれた。そして、いつも最後にはモノを手に入れることも大事だが、それ以上に心が大事だと諭すように何度も何度も言った。
 「いくらカネがあってもな、余裕がなくっちゃぁいけない。いくらモノがあっても、思いやりがなくっちゃぁいけない。余裕をもって、思いやりをもって、まぁ、ぼちぼち行こうじゃないか」それが老人の口癖だった。そして口癖を言ったあとは必ず、大きな欠伸をして店の外をそっと遠い目で眺めた。老人が見ているのはきっと、今ではないここの景色。過ぎ去ってしまった過去を見つめては、昔はよかったと懐かしんでいる。
「ホンに、世の中は目まぐるしい…」
 年老いた店主はさびしそうに呟いた。

 夕方。良伸は家路につく人々に混じって、同じく家路についた。空は赤く染まり、鴉がかぁかぁと鳴きながら飛び去ってゆく。良伸は鴉の飛んでゆく姿をぼんやりと眺めると、理由のない溜め息を吐いた。
良伸は、何とも言えない、ぽっかりとしたものを胸の内に抱えていた。虚無感に似たそれは、良伸からやる気というものをごっそりと奪っていた。それと同時に軽い倦怠感を身体に伴って、良伸を闇に縛り付ける。この感覚は初めてではなかった。初めてこの感覚を味わったのは、姉が死んだときだった。それ以来ずっと重苦しい思いをしていた。そんな思いから解放されたのは、瀬川食堂に居たときだ。瀬川食堂で過ごした日々は、まるで羽が生えたかのように心が軽かった。だが、今頃になってその息苦しさが戻ってきた。
 良伸が軽い痺れを覚えながら必死に歩を進めると、目の前に交差点が見えてきた。ここまで来れば自宅はもうすぐだ。信号が、赤から青に変わった。それと同時に「通りゃんせ」のメロディーが流れる。良伸はそのメロディーに耳を傾けながら歩道を渡った。良伸の行く先には、たくさんのビルの間を今まさに沈みゆく太陽の姿があった。

        壱拾六

 時計屋の中で過ごす二人の時は、都会にいながら都会から外れていた。いくつもの衣服にゲーム、音楽が流行り、廃れるのを繰り返しているというのに、二人はそんなことに一切の関心を示さず、ゆっくりと流れてゆく日々を惰性で何事もないように過ごした。良伸は、時計屋以外のバイトもいくつかしていたから知る機会はたっぷりとあったが、どれもこれも良伸の心に届かなかった。店主は、自らを現代に生きながら別の時代に生きる人間と評してこの時計屋に閉じ込めた。ただ、どちらも時たま出会う人々によって強制的に時の流れを知らされることには変わりなかった。
 二人は意味は違えど過去に縛られた人間だった。そして、過去の中でしか生きることができない人間だった。現代人としての特権を放棄した二人には、過去を振り返ることだけが残された。二人はそこから抜け出す努力をしなかった。現状に満足し、ただ淡々とした『生』を送ることだけを唯一の望みとする二人。時計屋は、そんな二人の生きる一種の異世界だった。

 その日も時計屋は変わらず暇だった。時折来る客は、一日どころか月においても数えるほどしか来ない。滅多に来ない客は、何処かのお金持ちだったり、その辺にいる不良あがりの青年だったり、キャバクラで働く風俗嬢だったり、旅行へ思いを馳せる学生だったり、と様々だった。店主はどんな人物が買いに来ようが、関係なく穏やかな眼差しを向けていた。
ある日、店主に「あなたにとって時計とは、何ですか」と尋ねたことがある。店主は良伸の問いに「まぁ、我が子みたいなもんだな」と答えた。「それじゃぁ、買って欲しくない人もいるんじゃないですか」と言うと、店主は老眼鏡の奥に皮肉った微笑を浮かべて、それでもここにおいているだけよりは大分いい、と呟いた。

 ある日の午後、良伸がいつものように柱時計を掃除していると、急に良伸を強い不安が襲った。それを皮切りに、男のあの爬虫類の目、姉の死体、母の寂しそうな背、父の無表情な顔、と順々に頭の中をグルグルと回り出した。がくんと膝が折れた。苦しい。暗い。誰か助けて…。良伸は独り、闇の中に放り出された。
 しばらくすると発作は治まったが、良伸の心にどす黒い陰を残した。良伸の異変に気がついた店主は、しばらく良伸を観察していたが、すぐに視線を新聞に戻した。その時の店主の表情は、何かを悟った哀しいものだった。そして、突然店主はレジの横を漁り出して、
「時計は、時を刻んでなんぼのものだからな」と言うと、、良伸の前に古い腕時計を一つ出し、それをくれた。その時計は長い間この世に存在し続けているというのに、未だにきちんと時を刻んでいた。良伸は一度は断ったが、店主に強く勧められてありがたく受け取ることにした。古ぼけた時計は、静かに良伸の手の中で自分の仕事をこなしていた。

 交差点に出ると、良伸は人の視線が気になりだした。己の周囲にいる人間が、まるで自分を見ている気がしたのだ。また、胸が苦しくなって、歩を早める。それでも、人と擦れ違う度に人に睨まれている、見張られている、といった被害妄想に似た思いが昼がるばかりだった。その日は通りゃんせのメロディーがやけに大きく聞こえた。
 良伸はアパートに戻ると、ようやく安堵の思いが胸に広がった。そこで早速、腕時計の置き場に困った。少し考えると、仕方ないので新たに買った小さな本棚の上に置くことにした。腕時計が、チッ、チッ、と音を刻む。良伸はそれに日が完全に沈むまで耳を傾けた。

        壱拾七

 時計屋に勤めて半年の月日が経った。世の中は夏めがけて日に日に気温が高くなるというのに、店主は涼しい顔でいつもと変わらない日々を過ごしている。その一方で、良伸は発作を起こす回数が減ったかと思うと、暑さという敵と戦う羽目になった。店内にはクーラーはなく、変わりにあまり働かない古びた扇風機が、やれやれとやる気なさそうに回っていた。酷い暑さに良伸は、やはり地球温暖化は真実だ、と独り納得する。
 季節は巡っても、良伸の時計は止まったままだった。過去に縛られた現状から抜け出していない。良伸が敢えて抜け出す努力を怠った。そうしていないと、姉と、それから己の犯した罪を忘れそうで恐かった。罪については、早く忘れてしまいたい気持ちもあったが、良心の呵責がそうすることを拒んだ。だから、良伸は自身の時の流れを自ら奪った。人並みの楽しみを棄てることが罪滅ぼしのように思ったから。だが、店主はそれを望んでいないようであった。だから、良伸の顔を見る度に「時計は動いていてなんぼ」という言葉を繰り返した。何時の間にか前の口癖は聞かなくなって、これが新しい口癖になった。

 そうこうしている内に、また季節は移って秋になった。その頃には、道路に植えられた木々の茶色く色づいた葉が少しずつ散り出した。時計屋は相変わらず客の少ないまま。遂に良伸は店主がどうやってお金を手に入れているのかわからないでいた。しかし、聞く勇気はなく、不思議に思いながらもそのことはいつも保留していた。そうして過ごしているうちに、良伸は自然にどうでもよくなった。平和な毎日は良伸をますます現代から切り離した。現代から切り離された良伸はますます現代から遠退いた。良伸はそれでいいと考えていた。
 しかし、良伸を現代に引き戻す事件は起こった。それは、正直に言ってしまえば良伸とは何ら関係のない事件であった。けれど良伸の精神に多大なる影響を与えた。それは電車の脱線事故であった。原因は運転手の異常なまでのスペードの出しすぎ、しかもその原因は詰めすぎたタイムダイヤと厳しすぎる社内教育であったという。電車は大きく脱線をして線路の傍に立っていたマンションの駐車場に一両目を突っ込んだ。その後を追いかけるように二両目、三両目が脱線。辛うじて四両目と五両目が線路の上に留まっていた。たくさんの人が死んだ。何百という命がこの世から消えた。特に、一両目に乗っていた人は絶望的だという。
 この光景を街頭のテレビで見た良伸は、自分は『今』という時の流れを生きていることを無理やり実感させられて、まるで頭を金槌で殴られたようなショックを受けた。将来の夢を抱いて一生懸命明日を生きていた人々が死んだ一方で、将来の夢どころか明日に生きる希望を見出すことさえできていない自分が何も変わらない日々を送っている。そんな馬鹿なことがあって良いはずがない。良伸の時は少しずつであったが、着実にまた時を刻み始めた。

        壱拾八

 時計屋に別れを告げたのは秋の終わり、もう既に冬の足音が聞こえ始めだ時期であった。店主に、就職先が決まったからやめたいとの旨を伝えたところ、店主はそうかいと穏やかな微笑を浮かべて良伸の就職に祝いの言葉を述べてくれた。
 就職先はとある工場だった。良伸の仕事は、パートのおばさんたちが次々と流されてくる部品を流れ作業で組み立ててゆき、良伸がそのできあがった商品をダンボールに詰めて所定の位置に運んでゆく、というものであった。同じ作業の繰り返しという意味では時計屋にいた時と変わらなかったが、たくさんの他人に囲まれての作業という点で良伸の心境の変化が窺えた。仲のよくなったおばさん達は、良伸にいろんな世間話を聞かせてくれた。良伸は他愛のない会話に耳を傾けている間も、ずっと闇を見ていた。そんなある日、良伸は小型のテレビを買った。気晴らしにというのも理由の一つであったが、何より人と話をあわせる為だった。
 冬の半ばになると、良伸はまた職を変えて新聞の配達員をやっていた。その頃には、身長は一六五をわずかだが超えていた。もう少し経てば一七〇までいくかもしれない。そのちょっと前にバイクの免許を取った。相変わらず良伸の時の流れは鈍かったが、少しずつ目を外へと向けるようになった。初めは空っぽだった小さな本棚は何時の間にか色々な本で満たされていた。棚の上には置いたままにされた古い腕時計が音を立てている。こいつの方がずっと働いてるな、と良伸は考えた。職場の仲間に薦められて見た流行りの番組は、面白いのか、面白くないのかよくわからなかった。
 良伸はある休みの夕方に突然思い立って、工場勤めしていたときに教えてもらったスーパーに行ってみた。鳥胸肉が百グラム三九円と安かったのに感激した。しかし、豚肉と牛肉は高かった。あと、マグロが欲しかったが、三百円と高かったのでやめた。都会ではこれぐらいが普通なのか、それともまぐろの水揚げ量の減少が影響しているのか、良伸は判断しかねた。とにかくそれ以来、そのスーパーを利用するようになった。

        壱拾九

 ジングルベルのリズムに乗ってクリスマスがやってきた。一緒に過ごすあてのない良伸は、恋人達でごった返した大通りに出るのが億劫で仕事とついさっき夕飯を買うために出かけたコンビニ以外はアパートで一日を終わした。テレビをつければ、笑顔のキャスターが親切にも今日がクリスマスであることを教えてくれたが、良伸としては余計なお世話だった。と、チャイムが鳴った。セールスの類だと思った良伸は居留守を決め込んでいたが、その客がいつまで経ってもチャイムを鳴らし続けるので、仕方なく重い腰をあげてよろよろと玄関に足を運んだ。扉を開けると一人の女がいた。女は良伸を見るなり「やっぱり、知也君だ」と嬉しそうに叫んだ。女は晴香であった。晴香によれば、丁度この側の交差点で良伸を見かけたので、後を追ったのだという。瀬川一家は今二泊三日の家族旅行の最中で、今日の宿へ向かう途中だったらしい。コンビニに出かけたその時だろう。
 とても低い確率だった。何千、何万人と生きるこの広い都会で、たった二人の人間が偶然によって出会うことなど、そう簡単に有り得る話ではない。そのことを晴香は素直に感動し、良伸との再会を喜んだ。良伸は晴香ほど素直に喜ぶことができなかった。切り捨てたと思っていた過去が追いかけてきたからだ。そこで良伸は、自分はまた逃げていたことに気づかされた。とりあえず、今日は晴香を部屋にはあげず返した。
 それ以来、晴香はちょくちょく良伸のアパートにやって来た。交通費がばかにならないので、良伸がそれを渡そうとすると晴香は断固として断った。晴香の強い希望に良伸はどうすることもできなかった。晴香は来る度に良伸が置き残した蔵書を少しずつだが持って来てくれた。しかし、食堂を出た理由については触れようとしなかった。良伸も何故聞かないのか問う勇気がなかった。だから、そのことについては流れて、遂に互いに尋ねるタイミングを逃がした。

 晴香は高校を卒業し、大学に進学した。大学は良伸のアパートから二駅ほど離れた場所にあった。そこが一番近い大学だった。晴香はわざとそこを選んだのだ。良伸のアパートに通うために。晴香は綺麗な『女』になっていた。良伸は少女だったときとはまた違う香りのする晴香に戸惑った。その頃には良伸の背は一七〇をわずかだが越えていた。体格も随分男らしくなった。だから、二人が並んで街中を歩くと、世に言う、男と女だった。けれど良伸は晴香に対しては友情、家族愛以上の感情を持ち合わせていなかった。いや、持ち合わせないようにしていた。一方、晴香はせっせと良伸のアパートに通うあたり、それなりの感情を抱いているらしかった。良伸はそれに薄々感づいていたが、敢えて気づかないふりをした。晴香といるときだけ、良伸は己の手の汚さを忘れることができた。だから、晴香を手放すことを畏れたのだ。
 しばらくして良伸は晴香の下宿先を訪れた。晴香が下宿しているのは、晴香の通う大学から歩いて十分と経たないところにある学生用のアパートだった。そこには、晴香の他に四、五人の学生と四十代後半ぐらいの給仕のおばさんがいた。皆、晴香の友人みたいなものだった。だからなのか、良伸がその中に打ち解けるのにそう時間がかからなかった。…表面だけは。表面だけ見れば、全員仲が良かった。しかし、腹の中まではわからない。けれど、例え誰が心の中で悪しき思いを抱こうとも、たとえ陰で悪く言われようとも、それを表だって自身に向けれさえしなければそれで満足だった。
 そんな良伸と仲がよくなったのは『宮木高来』という男だった。高来はあきらと似た性格で、わりと無口な奴だった。それでもよく気があって何かと話をした。
「おい、昨日『クイズ王』見たか」
と、良伸がある番組に関して尋ねれば、高来は
「見たよ。○○選手の真剣な顔がなんか妙に可笑しかった」
と、可笑しかったと言うわりに淡々と返した。またあるときは、
「××読んだことあるか」
とどちらかが問えば、高い割合で読んだと返し、誰も入れない世界を作り上げた。アパートの人間はこれを『オタク』と言うのだと実感し、晴香に至ってはそんな二人の姿を見て「うわ~、智也と高来がオタクってるぅ」などと妙な言葉をつくるほどであった。

        弐拾

 ある日、新聞の配達から帰って見ると、すっかり良伸の寝床を占拠してすやすやと眠る晴香の姿があった。良伸は「はて」と首を傾げた。晴香に合鍵を渡した覚えが全くなかったからだ。しかし、ここで起こすのもかわいそうなので、良伸はとりあえず疲れた身体に鞭打って、夕食の準備をすることにした。
 晴香は美味しそうな香りに誘われて目を覚ました。上体を起こすと、良伸の食事風景が目に入った。小さなテーブルの上にはなぜが、二人分の食事が置かれていて、晴香はしばらく不思議に思ったが、一方が自分に用意されたものだと気づくと、それが当然の如く食事に手をつけ始めた。良伸はしばらく静観したが、途中耐えかねたように低い声で「おい」と声をかけた。
「俺に何か言うことないのか?」
 晴香は少し考えて、悪びれず「智君、ありがとう」と満面の笑みで言った。そして、それが終わると、晴香はもう無いねと食事を再開した。良伸がもう一度「おい」と言うと晴香はきょとんと良伸の顔を見た。
「それも大事だけど、他に言うことはないのか?」
「ない」
「いや、ないってことはないだろ」
「ないったら、ない」
 二人のくだらない応酬は、少なくとも五分十分は続いた。そこで、良伸が潔く鍵のことを口にすると、晴香は目をぱちくりさせたあとに「ああ、そのことか」とようやく、合点がいった顔をした。
「大分前に、あんたが高来と別世界に行ってるときにちょっと拝借して合鍵をつくっておいたのよ」
 それ以来、良伸の家に晴香が勝手に上がっていることは珍しいことではなくなっていた。彼女の気が向いたときは、夕食が用意されていることもあった。良伸はその度にそっと眉をひそめた。そういう日は晴香の笑顔が妙に哀しく、そして何か問いたそうに見えた。良伸は、ただ何もないふりをするのが精一杯だった。

 晴香が大学を卒業すると、二人は共に店を開いた。それでも良伸は新聞の配達員を辞めなかった。良伸が詩を作り、晴香がそれに絵を添えた。二人の作品はよく売れた。良伸は、じゃあ、とあの時計屋に作品の一つを持っていった。店主は相変わらず世の中に感心のない人間だった。良伸はその中にいることが当たり前だった自分を不思議がった。店主に例のものを渡してそれを飾ってくれるように頼むと、店主はさも興味なさそうにそれを少し眺めると、今度は良伸の顔を見て、にやりと笑い「よかろう」と答えた。
 帰りに晴香への土産にと、腕時計を一つ買った。その帰りの交差点で、良伸は一人の男にあった。瀬川食堂に出入りし、執拗に良伸を調べていたあの男だった。良伸は胸の高鳴りに身体を硬くしながら歩を進める。よかった。男は人込みに紛れた良伸の存在に気がつかなかった。それでも、良伸の胸の鼓動は速いままだった。
 腕時計を渡すと晴香は予想以上に喜んでくれた。。花のように笑う彼女を見る度に、姉の笑顔が甦る。けれど、もう晴香と姉は重ならなかった。良伸の記憶にある姉は十七歳で成長を止めたけれど、目の前にいる晴香は今なお成長を続けている。
 突然、晴香が聞きたいことがあると言った。今まで恐くて聞けなかったとも言った。彼女の震える手を見て、内容は大体わかった。良伸は彼女の口からその台詞を聞きたくなくて、腕時計を握り締めた手をそっと自身の手で覆い隠して「何?」と呟いた。卑怯な手だった。敢えて良伸が彼女に尋ねることで、聞きたくないという意思をその声音で伝えたのだ。彼女は首を横に振ると、今にも泣きそうな顔で何でもないと消え入りそうな声で言った。そのとき、何故かあの男の姿が良伸の頭に甦った。

        弐拾壱

 季節が廻るのは早いことで、二人は二十代の後半も後半になっていた。良伸は何時の間にか、二十八歳と言う若さで新聞社の営業部長になった。どうやら、仕事熱心なところを見込まれたらしい。それは本人も寝耳に水の話だったが、せっかくの話なので喜んで引き受けた。良伸の勤める新聞社の社長の『長谷泰造』という人物はとても陽気な方だ。常に彼の笑い声が社内に響き渡った。そんな長谷は何かにつけてよく良伸をかわいがってくれていた人物なので、今回の昇進も長谷の一存だろうと良伸は考えた。でなければ、今回の昇進はあり得ない。
 晴香は、ここまで月日が経つまでの間に幾度となく良伸に食堂を出た理由を問おうとしたが、その度に良伸に話をはぐらかされた。良伸はその頃になってようやく意を決して、自身の本当の名を晴香に告げた。晴香は驚きを隠せなかった。けれども、晴香が良伸から離れることは決してなかった。寧ろ、以前よりも強く絆を求めるようになった。そんな晴香に流されるようにして二人は入籍した。式は挙げず、誰にも知らせなかった。。ただ、一緒にいることを二人の間で誓い合った。
 一年後の月日を経たとき、二人の間に一人の男児を授かった。名は二人からとって「良晴」となずけた。
「良晴。ほら、お花。チューリップだよ」
「良晴。ほら、蝶々。これはモンシロチョウだね」
「良晴。ほら………だよ」
 妻に、そして母親になった晴香は、良晴が生まれて間もない頃からよく話しかけていた。その甲斐あってか、良晴が三歳になったとき、彼は同い年の子供と比べておしゃべりだった。それを誇らしく思っているのか、晴香は公園で主婦仲間に胸を張って自慢した。
 良伸は、そんな彼女を時折見かける度に何故か申し訳ないという気持ちが起こった。日常を過ごすにあたって、常に意識の底に沈めていた良伸の色々なモノをごちゃ混ぜにしたどす黒い感情が、良伸の意思に逆らって、ぐいぐいと良伸の表面に出てこようとする。それらに逆らう力は良伸にはなかった。ただ、それらに身体を預け、気が済むまで支配させておく。良伸自身は何もしない。ひたすら黒い闇に耐えるだけ。他に術は知らない。抗う気も起こらない。
 そんな時、晴香が下から覗き込むように「どうしたの?」と、心配で満ちた顔で尋ねてきた。良伸は、聞かれる度に何でもないを繰り返した。そんなわけはないのだが、その一言を言われると晴香は何も言い返せなかった。彼女に言い返すことを難しくさせたのは良伸のその声、その表情だった。…彼女に時計を送ったあの日と同じように。卑怯な手だとは自覚している。しかし、全てを受け入れる度胸のない良伸は逃げることしか思いつかなかった。
 ふと、か弱い声が聞こえた。息子の声だ。必死に母親の腕の中で父親を呼んでいる。良伸はそれに応えるのが恐くて無言で我が子を見下ろすに留まった。

 六月上旬、世に言う初夏がやってきた。そんな訳で良伸一家も遠出をすることにした。遠出といっても、場所は車で一時間とかからない河原で、そこでは良伸一家の他にも五、六組の家族がそれぞれ散らばっていた。ある家族は一足早い水遊びを楽しみ、ある家族は器具を持参してバーベキューを楽しんでいた。
「随分にぎやかね」
 気持ちいい風に浚われた髪を手で梳きながら晴香が言った。
 河原いっぱいに子ども達の悲鳴に似た歓喜の声が響き渡っている。良伸はそれを真っ白な心で聞いていた。楽しいとも、哀しいとも、寂しいとも思わず、ただ聞いていた。良伸にとって、この風景はテレビの世界と同じだった。薄い膜を通して見る、現実味のない世界だった。そこに自分という存在はなく、ぽっかりと浮いてしまっている、それは夢を見ているような心地だ。その世界にどっぷりと浸かっていると、自分か溶けていく。溶けて、消えて…その先にあるのは闇。パレットの上で全ての絵の具を混ぜたような色をした闇が目の前に現れてくる。
「ねぇってば」
 良伸は晴香の呼び声ではっと我に返った。そして、笑ってごまかすと、何事もなかったように川の中に足を漬けた。ちゃぷん、と音を立てて足を水に沈めていくと同時に、水の冷たさが足から少しずつ身体を侵食していった。そんな良伸に倣って、晴香も衣服が濡れないように足を水に漬した。「気持ちいい」晴香が、両頬に手をやりながら嬉しそうに言った。しばらく二人を眺めていた良晴は、おずおずと二人の真似をして足を漬して見た。余程気持ちよかったのか、良晴はその瞬間にんまりと笑った。その姿に晴香が少女のように喜び、その勢いで一人息子を抱き上げた。息子は照れながらも大喜びだった。
 良伸はその風景に苦笑した。そして、まだ人間らしい心があることを嬉しく思って、今度は一人笑いをした。その様子を四つの目が不思議そうに良伸を見上げていた。それに気がついた良伸は、小さくせきばらいをすると、二人に向かって水を思いっきりかけた。雫が太陽光に照らされてキラキラと輝いた。

 その日の夕方、自宅に戻った良伸はしばらく自室の窓から空を眺めていた。初めは青かった空も次第に赤く染まり、青と赤が混じったかと思うと、今度は重く暗い空がやってきた。その様子はまるで傷口のようであった。切り裂かれた傷から、どろりと血が流れだし、そこに少しずつかさぶたができてゆく、そんな感じ。一体、いつになったら自分の傷は癒えるのだろうか。良伸の胸に、そんな思いが広がった。

        弐拾弐

 朝。カーテンから漏れる日の光に眩しさを感じた良伸は、しばらくは粘ってみたものの、諦めて布団から這いあがった。良伸が居間に行こうとドアノブを捻ると、ひょっこりと良晴が顔を出した。何か問いたそうな顔をしていたので何だと聞くと、良晴は「お母さんがいない…」と、幼児特有のたどたどしい発音で答えた。そこで良伸は、晴香は今日一日出かけることになっていたことを思い出した。
「良晴。今日、お母さんはいません」
 父親に突然告げられた言葉に、良晴は顔を歪めたかと思うと大きな声をあげて泣き出した。良伸はそれを一旦無視すると台所に向かった。そこでジュースと牛乳をテーブルの上に出し、コーンフレ―クをそれらの側に置くと、未だ泣き止まない息子を呼んだ。息子はお気に入りのジュースのおかげでその場はとりあえず泣き止んだ。良伸は、まだしゃくりあげながらもジュースを飲む我が子をやれやれと眺めながら、牛乳に浸したコーンフレークを食べた。
ふと、良晴がこちらを眺めていたのに気がついた。どうやら、コーンフレークが欲しいようだ。皿を取りに立ちあがると、その隙にこちらのを取られてしまう気がするので、良伸は急いで平らげてその空いた皿にコーンフレークを継ぎ足し、息子に待つように言いつけると息子用のスプーンを取りに行った。戻って見ると良晴が手掴みで食べていたので注意してスプーンを渡した。
 ようやく良晴が遊びつかれて眠ったときにはもう既に二時を回っていた。その間、良伸は朝からずっと息子の命ずるままに馬になって息子を乗せたり、戦隊モノごっこでは悪役をやったりと何かと疲れることが多かった。これに毎日付き合っているのかと思うと、晴香は凄いとしみじみ思った。が、ぼうとしていても仕方ないので洗濯物を取り込むことにした。晴香がいつ干したのかは知らないが、そろそろ乾いていることだろう。ベランダに出ると、暖かいというよりは寧ろ暑い空気が良伸を包み込んだ。一番手近にあった洗濯物を取って確認すると、しっかり乾いていたので、順に部屋へ放りこんでゆき、それが終わると洗濯物を畳んだ。
 晴香が帰ってきたのは七時を過ぎた頃だった。その頃の二人は丁度、夕飯を食べていたときで、晴香はその中にまるでずっとそこにいたかのような自然さで入ってきた。自然ではなかったのは息子のほうで、母親の顔を見るや否や、照れるように自分の顔を隠したり覗いたりを繰り返した。
「あら、良晴。照れてるの?」
 良晴は母親に額を突つかれて小さな悲鳴をあげた。晴香はそれが面白く思ったのか、二、三回繰り返したが、息子が本格的にいやがり始めたところでやめた。その様子を冷めた様子で眺めていた良伸は思い出したように席を立った。行き先は風呂場だった。ドア越しに水音がし開けて見ると、湯船から少し湯が溢れているのが目に入った。どうやら遅かったようだ。
良伸が溜め息を吐きながらお湯を止めて居間に戻ってみると良晴の姿が見当たらなかった。晴香に聞くと、部屋でぐっすりと眠っているらしかったので、再び席について食べかけの料理に箸を伸ばした。晴香が妙に機嫌がよかったので、どうしたのかと尋ねてみると、いい洋服が見つかったとのことだった。それはよかったと良伸が素っ気無く言うと、晴香は不満を露わにした。良伸は慌ててどんな服を買ったのかと尋ねた。晴香の顔はぱっと明るくなり、待ってましたとばかりに良伸の前に洋服を並べ始めた。少々派手なものが多く、良伸は理解に苦しんだが、当の本人はとても嬉しそうだったので、良伸はただ、晴香に「ね、いいでしょ?」と聞かれると頷くばかりで、何も言えなかった。本人がよければそれでよしとしよう。それが良伸の結論だった。

        弐拾参

 七月になると、朝から晩まで蝉が鳴いた。賑やかなのが苦手な良伸にとってこれは地獄であるが、残念ながら冬のように布団に深く潜って鳴き声から自身を守るのは不可能だ。よって、良伸は夏の間は毎日最悪な朝を向かえて会社に通勤することになる。そのせいか、ただでさえ暑さでやられてスッキリしない頭を少しでも起こそうと、シャワーを浴びてから通勤するのが良伸の夏の間の習慣だった。その間に晴香が朝食の用意をしてくれるわけだが、これもまた暑さのせいか食欲がわかず、その度に晴香に叱られた。晴香の言葉に良伸は返す言葉を持っていなかったので、ただ、すまないと平謝りするばかりだ。
 今日も目くじらを立てる晴香から逃げるように外に出ると、スーツを着ているのが馬鹿馬鹿しくなるくらい熱気が凄く、早くも気が萎えた。それでも自分に鞭を打って駅へと足を運ぶ。その途中、信号に引っかかった。しばらくして信号が青になると、人々は我先にと横断歩道へと流れ出した。そんな群衆に倣って、良伸も向こう岸へと渡る。たくさんの人間と擦れ違った。顔なんていちいち見ていない。と、不思議なことに一人の男の顔が目に止まった。反対の方から落ち着いた足取りで良伸の前方からたくさんの人間に紛れてやってきた。男が良伸の姿を認めると、にやりと笑った。頭をぼさぼさにしてよれよれのコートを着た季節外れの男。その男が確かに良伸に向けて笑った。良伸の横を男が通りすぎる。男は声をかけずにそのまま通りすぎた。良伸が渡りきったところで信号が点滅し始めた。良伸は信号が赤に変わると同時にその場に片膝をついた。男の笑みがグルグルと頭の中を回り、それを引き金に、血まみれに倒れている姉が、寂しそうにしている母の姿が、何も言わない父が、自分が殺した男が、順々に現れ、最後に電車の脱線事故の映像が見えた。そして、次第に視界は遠退き…………。

 良伸が目を覚ましたのは病室のベットの上だった。看護師の話によると、熱中症にかかって倒れていたところを通りすがりの人が救急車を呼んでくれたらしい。幸い症状は軽かったので、今は症状は治まっているが、一応様子を見るということで一泊の入院を勧められた。しかしそうゆっくりもしていられないので、良伸は丁重に断るの旨を述べた。看護師は困惑の色を浮かべながらも「そうですか」と言って病室を出ていった。
 彼女と入れ替わりに一人の男がやってきた。男は入口で看護師と二、三ほど言葉を交わすと柔らかい笑みを浮かべながら病室に入った。男は明るい性格のせいで一見若く見えるが、良伸と同じくらいの年恰好の人物だった。そのせいか、今日が初対面だというのにまるでずっと前からの知り合いのような馴れ馴れしさで良伸に話しかけてきた。
「入院する気、ないんだって?看護婦さんが困ってたよ」
 名乗らない男に良伸は無言だった。返す言葉が見つからないというのもあったが、警戒しているというのが本音だった。男はそこで「そういえば、まだな乗ってなかったっけ」とようやく自分の不手際に気づいたようだった。男は苦笑を浮かべながら、
「吉田直人。あんたを助けた人」
と、変な自己紹介をした。良伸もつられて自分の名を告げた。
「そうか。良伸、俺からの忠告だ。入院してけ」
 忠告?命令の間違いでは……と良伸は心の中で呟いた。しかし、男ほうはというと、良伸の内心に気づいているのかどうかわからないが、何故か良伸に色々な話題を振り出した。しかし、最後にやはり入院を勧めた。
 良伸が困っているところに晴香がやってきた。おそらく病院から連絡を受けたのだろう。晴香は見知らぬ男の姿に一瞬きょとんとした後に「どちらさま?」と尋ねた。男は良伸に対するのと変わらない態度で、良伸に言ったのと同じ自己紹介をした。晴香は合点がいくと、もう男のことは気にしなかった。そして、良伸は晴香に男と同じことを薦められた。ここまでくると、さすがの良伸も承諾しないわけにはいかなかった。

       弐拾四

 翌日、良伸はめでたく退院した。久しぶりに一人になったせいか、昨日は何かと考える機会があった。晴香と吉田の二人が帰った後、良伸は病室の窓から日が暮れてゆくのを眺めながら自分達のこれからのことを考えた。消灯の時間になって電気が消えると、己の過去を振り返った。けれど、時が経つほどに膨れ上がる罪の意識とは裏腹に、自首しようという思いはわいてこなかった。それどころか、どうやってそれから逃げようかと考える始末である。
 病院から出ると、昨日とは打って変わって、どんよりとした曇り空が良伸を出迎えた。いかにも雨が降りそうな雨だった。だから、良伸は早足で我が家へ向かった。途中、傘を片手に持った人に何人かあった。やはり、雨が降るらしい。急がねば。良伸の歩調がさらに早くなる。それはもう走っていると言っていいほどだった。
 幸い、雨は降らなかった。玄関を開けると、待ち侘びたように息子が走り寄ってきて「お帰り」と出迎えてくれた。すぐに晴香も出てきて息子同様に笑顔で出迎えてくれた。良伸はそのとき、何故かほっとした。良伸は、何にほっとしたのか自分でもわからなかったが、深く考えないようにして一日ぶりの我が家へあがることにした。

 やはり、我が家が一番だ。良伸は湯船に浸かりながらそう考えた。
 今日は良晴も一緒だった。良晴は良伸に抱えられる形で湯船に浸っている。なので、良伸の腕の上から短い手を伸ばしておもちゃを操っていた。良晴のおもちゃを操る手つきは、良伸の腕という障害物があるわりには器用だった。良晴が操っているのは船の形をしたおもちゃである。良晴はそれで「ぶ~」と少し間違っている気がする擬音語を使いながら機嫌よく遊んでいる。その度にチャプチャプと音がたつ。平和だな。息子の姿を見ると、そう思わずにはいられない。ふと、良晴はそろそろ親の腕に煩わしさを覚えたのか、強引に振り解くと少し離れた位置で遊び始めた。その息子の態度に良伸は苦笑するしかない。全く…これも平和な証拠なのか、と良伸は心の内でぼやいた。
 風呂からあがってその話を晴香に披露すると、晴香はくすくすと笑って他人事のように「そろそろ第一思春期かしらね」と言った。そして良伸が、おいおいそんなこと言わないでくれよ、と懇願すると「そんなこと言われてもねぇ」と答える始末である。と、先程までテレビを楽しんでいた良晴が二人の方へ寄ってきた。その手には何時の間に持ち出したのか、お気に入りのおもちゃが握られている。どうやらこれで遊べということらしい。が、自分の言葉で伝えるのが秋永家の家訓であるから、身振りで伝わっても素直に、はいそうですかなどとはいかない。
「どうしたんだ?良晴」
 そう尋ねられても、ただ、おもちゃをつきつけるだけで、良晴の口は動かない。しかし、しつこく尋ねられて、良晴は渋々ながらようやく「遊んでほしい」と自分の口から伝えた。
 良晴が眠ったのは十二時になる少し前だった。ずっと前から気になっていたが、良晴の就寝時間が遅い。そのことについて晴香に尋ねると、どうやら帰りの遅い良伸と遊びたいが為に待っているうちに夜更かしが習慣化されてしまったらしいとのことだった。
「直したほうがいいんじゃないか?」
 良伸がそう尋ねると、晴香は軽く唸って「そう思うんだけど、なかなかね」と答えた。そこで良伸は「そうか」と言うと冷蔵庫からビール瓶を取り出してコップに注いだ。そして、一口だけ飲むとまた「でも、無理にでも何とかした方がいいんじゃないか」と、話し始めた。
「ま、何とかしてみましょ」
 しばらく悩んだ晴香が最後にそう結論付けて話はそこで終わり、二人は寝ることにした。

 目覚めてみると、次の日は朝から不景気な雨空であった。良伸は憂鬱な気分を抱えて会社へと通った。その間、家から駅までの十五分と駅から会社までの二十五分は紺色の傘をさして歩いた。道ゆく人々の大勢も傘をさしているため、宗教的な奇妙さがあった。駅につくと、傘を畳んでその他大勢と共に吸い込まれるようにしてホームへと向かう。それは、会社から家へ帰るときも周りにその他大勢が小数になることを除けば同様である。
 その同じことの繰り返しの日々を送る中で、今日は意外なことが起きた。会社に向かう為にいつもの電車に乗り込んだ良伸の目に、不意に一人の男の姿がとまった。男は吉田であった。吉田は何とか確保した己のスペースで新聞を読んでいる為、向こうはまだこちらに気がついていない。しかし、人間というものはじっと見られ続ければ大抵はその視線に気づくものである。吉田もその例に漏れず、少ししてこちらに気がついて「よう」と明るく声をかけてきた。「一昨日はどうも」と良伸が改まった態度で言うと、吉田は「何、大した事はないさ」とはにかんだ表情を見せて、それと同時に自分の後頭部を軽く撫でた。その仕草は到底三十を数える男には見えなかった。吉田とはそれきり、互いの道を歩む為に次の駅で別れた。
 良伸は結局止むことのなかった雨の中を傘をさして家路についた。もう、午後の十一時を回っているせいか、人影はなく、ただ涙を流すどす黒い雨雲が良伸を見下ろしているだけだった。理由なく吐いたため息がなんとも重苦しく、雨音の中に混じった自身の足音はなおさらだ。目の前にあるのは闇。街灯はあるが、その光は良伸の目に映っていなかった。
 家に帰ると、全ての電気が消えていた。それはとても当たり前のことだったが、良伸はまるで何の前触れもなく無人島に一人で放り込まれたような気持ちになった。手には夜を照らすライトも、雨風を凌ぐテントも何もない。良伸は急な気持ちに戸惑いながら、それを振り払うように風呂場へ駆け込んでシャワーを浴び、その後すぐに布団にもぐり込んだ。しかし、寝つくことはなかなかできなかった。

      弐拾五

 良晴は保育園にはいった。彼が四歳のときである。良晴は満開の桜が咲き誇る頃に晴香の手に引かれて保育園の門をくぐった。本人に前から伝えていたとはいえ『保育園に入る』ということを何処まで理解しているのかは全く不明であったが、本人は嬉しそうに登園するので、良伸はこのことについては不安を抱くことはなかった。事実、良晴は何の問題もなく卒園した。
 そして、また桜の季節を迎え良晴は小学校に上がった。その頃になると、何時の間にかあれほど悪かった睡眠の習慣が直っていた。良伸は、言葉にこそださなかったが、保育園でたくさん遊んだからだろうと推測した。新しく買ったランドセルはまだ良晴の身体には大きく、ランドセルを背負っているというよりはランドセルに背負われている、という感は否めなかった。しかし、本人は誇らしげだったので良伸と晴香は褒めちぎった。
 その頃にはまた家族に一員が一人増えていた。まだ生まれて一ヶ月経たない女児で、名を『有希』といった。有希はとても静かな赤ん坊だった。夜泣きが少なく、時には目を覚ましたのに誰も気づかないほどであった。良晴の夜泣きが酷かっただけにこれには二人は静か過ぎて楽だと思うどころか、寧ろ驚きを覚えた。しかし、二人の良いところは切り替えが早いということであった。それは言い換えると、全てのものにおいて、執着することを諦めているとも言えた。
 良晴と有希は大変仲の良い兄妹になった。良晴は積極的に妹の面倒を見、妹はそんな兄を慕った。だからなのか、有希が初めに発した言葉は「ママ」ではなく「お兄ちゃん」であった。その為、晴香の信教は大分複雑だった。良伸はそんな晴香に呆れながらも同情もした。
 しかし、そんな幸せも束の間のことだった。
 ある日のこと、良伸がいつものように会社で仕事をしていると、突然、電話がかかってきた。それは警察からだった。警察は非常に言い辛そうに初めはもごもごとしていたが、決心したかのようにこう切り出した。

『奥さんと二人の子どもさんが亡くなりました』

 それは良伸を闇へ突き落とすには充分な言葉であった。
 もとより結婚したことさえ通知していなかったから、死を伝えることは良伸にとって無理難題であった。けれど、せめてこれだけはと瀬川家に一通の死亡通知を送った。瀬川夫妻は悲しみを隠せないようであったが、それ以上に驚きが前面に出ていた。そして、死亡通知は両親にも出した。彼等にとっていは縁のない人間の死であるが、それでも二人の子どもは晴香の子どもであると同時に良伸の子でもあったからだ。
 三人の葬式はひっそりと行われた。

 良伸は断崖の縁に立っていた。足下を見れば、とても高い場所であることがわかる。下は海だ。良伸はとてもありきたりな自身の行動に呆れながら、他に方法が見つけられない己の弱さに嘲りを覚えた。
 そして、良伸は渦の中へ身を投げ出した。
 以来、良伸の行方は誰も知らない。



    『真夜中』

      完





 
 お疲れさまでした~。
 というわけで、辰 冬雪です。どうも。
 今回はPCを探って過去作品を投稿してみました。記憶が正しければ、五年以上前の作品です。もはや化石です。
 これを書いた時はどうやら、刑事もの(主に『新宿鮫』)と夏目漱石の『心』が好きだったようです。
 おかげで一段落に文字がぎっちぎち。読み返す気になれず、とりあえずコピーをして、改行の時にきちんと文字が下がってるかだけ確認しました。
 出来にはまったく自信がありません。だって、確か当時、徹夜したけどたった一晩で書き上げたはずなんですから。
 で、「これをもとにして書き直そうか」と執筆したのが他にあるのですが…。それは投げました(←おい)。
 だってわけわからなくなってんですもん。
 もしかしたら、またチャレンジすることがあるかもしれませんが、予定は未定。わかりません。
 それにしても。今書いてる短編はいつ書き上がるんだ。





 2012.09.05.

 頭の隅にもやもやを抱えながら。       辰 冬雪




 

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