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鴉と夜の王

作者:玄雪

 明けぬ夜が海を覆っていました。
 島一つなく浮かぶ枝一本すらない海は、まるで永遠に続くかのように思えました。
 夜の空を一羽の鴉が飛んでいました。夜の闇に紛れそうな黒い羽を必死に羽ばたかせ、誰もいない夜の海を渡っています。
 しかしこの鴉、既に数日羽を休ませることなく飛び続けているのです。疲労は確実に彼の身体と精神をむしばんでいました。しかし彼が目指す大地は端すら見えてきません。
 もう何日も日の光を見ていません。空へと羽ばたき三日目には日が昇らなくなっていた。それを不思議に感じても、その意味を考える余裕すら今はない。やがてこの身は海へと墜ち魚の餌となる運命なのだろうか。鴉がそう嘆き諦めかけた時でした。
 天に昇る月、その輝きを映す漆黒の海、そこに一つの白い光が見えたのは。
 それは月ではない。星でもない。鴉は久方の光に魅せられるようにその光に近づきました。すると光は振り返り、鴉を見上げたのです。
 それは人の姿をしていました。海に負けぬほど黒いマントを羽織り、月の光を反射させる銀の髪を持った男です。
 しかし鴉はすぐにわかりました。彼は人ではない。とても高貴な生まれのお方だと。自分が今まで会った生き物など比べものにならないほどすばらしいお方だと。
 彼は海の上を歩いていました。泳ぐわけでも飛ぶわけでもなく、彼の足はまるで地上を歩くのと変わらず水面を進んでいたのです。
 男は鴉を見上げ、嬉しそうに声を掛けてきました。
「こんばんは。今日は良い月だね」
 鴉はとっさに答えられません。だってひどく緊張してしまっていたのだから。
「久しぶりに誰かと会えた。これも何かの縁だ。良ければしばし話し相手になってくれないか? 歩くことも食べぬことも辛くはないが、独りでいることはなかなか辛いんだ」
 鴉は男の優しい声を無視することはできるはずもない。
「こんばんは、そして初めまして高貴なお方。このような卑しい身にお声をかけていただきありがとうございます」
「かしこまらなくてもいいよ、鴉くん。私はそんなにすごい存在ではないのだから。魚のようにうまく泳げるわけでもなく、君のように空を舞うこともできず、こうして地道に歩くことしかできないのだから」
 鴉は否定する。
「いいえ、あなたはすごいお方なのです。私のように空を飛ぶ者はたくさんいるでしょう。水中を上手に泳ぐ者もいるでしょう。しかしあなたのように水面を歩くことができる者は他にいないのですから」
「なるほど、確かに私も自分以外の誰かが水面を歩いているのは見たことがない。そうか、実はすごいことだったんだな」
 彼は本当に感心しているようでした。なんだかその様子が子供のようで、鴉は思わず笑ってしまいました。すぐに慌てて笑うのをやめましたが、男はその様子を楽しそうにみつめていました。
「今日が月夜で良かった。でなければ私は君を見つけることができなかっただろう。夜に生きる者のくせに、私の目は夜の闇をすべて見通すほど良くはないんだ」
 やはり情けないなと、男は笑いました。
「ところで君はこんなところで何をしているのかな? どこへ行くつもりなのかな?」
「たいしたことはしておりません。私は新たな住み処を探し放浪しているのです。私はここより遠く離れた島にある大きな木を寝床としていました。しかし島は年々海に浸食され、ついに沈み海の一部と化してしまったのです。私は新たな地を求め飛び続けましたが、どこにも見つかりません。島が沈んで以来、私は一度も羽を休めることができませんでした。空腹よりも、喉の渇きよりも、身体を休めることができないことが私にとって最も辛いのです」
 ついに鴉は涙を流しました。既にその身は男の視線よりさらに下へと降り、水面に映る姿はだんだん大きくなっていました。
「そうか、空を飛ぶ鳥はとても自由で楽しそうに見えたのだが、実は大変なことなのだな。失礼した、ならば私の肩を貸そう」
 男は腕を差し出しました。
「私もこの先にある大地に用があって歩いている。もう何年歩いているのかわからないほどにだ。私がここにいる限り、夜は明けない。夜は私と共にあるのだから。それでもかまわないのなら私の肩を君の止まり木にするといい」
 鴉は驚き、しかし首を横に振ります。
「いいえ、お気持ちはとてもうれしいのですが、そのようなことはできません。私の汚い足で貴方様の着物を汚すわけにはいきません」
「気にしなくていい。どんなに私がすばらしい存在であっても、今こうしている間は海に浮かぶ流木ほどの価値しかないよ。ならせめて君の羽を休める為に使ってもらえれば私も嬉しいよ」
 鴉は悩みました。しかしついに最後の力を振り絞り、男の腕に舞い降りました。
「ありがとうございます、尊きお方。このご恩は一生忘れません」
「そんなに重く考えなくても構わないよ。君のおかげで私は数年ぶりに誰かと話をすることができたのだから」
 それから男と鴉は共に海を渡りました。それは何年になったのでしょうか。しかし二人ともそれを苦には感じませんでした。男と共にいる間、鴉は空腹も喉の渇きも感じず、ただ男と話をすることが楽しくて仕方がありませんでした。
 男と鴉はいろいろなことを話しました。自分たちが見てきたこと、誰かから聞いたこと、これからのこと。男の言った通り夜は一度も明けませんでした。しかし鴉はそんなこと構いませんでした。月の出る夜も出ない夜も、男といれば何も苦しくないのだから。
 やがて二人は陸を見つけました。数年ぶりに彼らは大地を目にしたのです。
 あと一歩踏み出せば陸地です。男は鴉に言いました。
「さて、鴉くん。ついにたどり着いたね。良い住み処が見つかるといいね」
 しかし鴉は嬉しくありませんでした。あんなにも渇望したのに、鴉はもう男の肩から降りることが悲しくて仕方ないのです。
 男は不思議そうに鴉を見つめます。
「どうして君は悲しそうにしているのだい?」
 鴉は言います。
「貴方がこの地を踏めば、私はまたただの一羽の鴉に戻るでしょう。しかしもう私は貴方の肩以上に乗り心地の良い枝を見つけることはきっとできないでしょう。貴方と共に過ごした時間以上の幸福は二度とやっては来ないでしょう。そしてもう貴方とお別れしなければならないこと、それが一番悲しいのです」
 鴉の涙を男はぬぐってあげます。
「そうか、私も君と別れるのは辛いよ。しかし私は君が言った通りすごい存在なのだから、役目を果たさなければならない。君と共に生きることはできないのだよ」
 男は目の前に広がる大地を見渡します。その向こうには数年ぶりに見る朝日が顔をのぞかせ始めていました。
「君は朝目を覚まし、日の光を浴びて空を飛び、夜には眠る生き物だ。私とは生きる世界が違うのだよ」
「貴方と共に生きられるのなら、私は太陽の祝福を失っても構わない。たとえ夜の闇に紛れてしまっても、貴方が見つけてくれるのなら私は夜を終の棲家としても構いません」
 男は困った顔をしました。しかしやがて口を開きます。
「なら鴉くん、君に今までの礼として名を送ろう」
 鴉は驚きます。だってこの世界に名を持つ者はほとんどいないのです。獣も、鳥も、魚も、人さえも名を持っていないのです。名を与えられるのは神様だけなのです。だから鴉はこの男がやはり尊い存在であることを確信します。そう、彼は夜を統べる神なのです。
「この名を持っている限り君は私を忘れないだろう。私はこれからこの地に新しい世界を作らねばならない。とても長い時間がかかるだろう。しかしそれが終わったとき、君がまだ私のそばにいたいと願ってくれるのなら、その名が君を私の元へ導くだろう。そのとき、私は君を新しい世界に招き入れよう」
「それならば私は絶対にその名を忘れません。一生大切にします。たとえ私の身が待ちきれず滅びても、魂だけになっても貴方の元へ参ります」
「なら君に名を送ろう。そして君に私の名を教えよう。いつか再会の時にはその名で呼んで欲しいから」
 男の口から美しい言葉が紡がれます。鴉はその言葉を一生忘れません。たとえ世界の誰も彼の名を呼ばなくても、また必ず呼んでもらえるのを信じているから。

「君の名は――――、そして私の名は――――」


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