第一話 パート2
んで、放課後。
それまでの休み時間は全て自分の席に留まって、クラスメートたちの様々な質問に答えたり雑談をしたりと忙しくしていた真理だが、ホームルーム終了と同時に真理は夏樹の席までやってきた。その動作の流麗で素早きこと川の水の如く。
「夏樹さん、行きましょう?」
彼女は習慣で、クラスメート全員を下の名前で呼んでいる。それは周囲の男子たちも承知していたのだが、夏樹だけは何故か納得できなかった。何しろこれから夏樹は彼女とある種の二人っきりなのだ。日本の学校の分からない事をあれこれ教える役なのだ。羨ましがらない訳が無い。
未だにフラグが一つとして立っていないと焦っている航なんかは、猛烈に嫉妬している。
夏樹が真理に「うん、ちょっと待って」とかちょっと照れながら返事をしたもんだからその嫉妬は高まり、自分の帰り支度も程々に夏樹の席に向かった。
「よぉ夏樹、今日の放課後すぐゲーセンに行くって約束忘れちゃいないよな?」
「え、そんな約束してたっけ」
「したじゃねぇか。忘れたのか?」
当然そんな約束なんてしていない。だが根が真面目な夏樹は信じてしまう。そして、約束を破るという罪悪感とか友人の信頼を失ったらどうしようとか色々考えてしまう。
だが夏樹は困ったようにはにかみながら、航に頭を軽く下げつつこう言った。
「ごめん、忘れてたよ。今日は委員会があるから遅くなるけど、その後でいい?」
機転を利かせた夏樹に、さらに詰め寄る航。
「そんなの、去年と同じだって。誰か女子にでも代わってもらってさ、さっさと行こうぜ」
「えぇ〜っと……」
流石に困る夏樹。何となく脳内で予算の計算をしてちょっと位ならゲーム出来るかもとか考えながら、何となく視線を巡らせる。すると、真理が戸惑いながら夏樹を見ていた。
慌てて首を振り、考えを改める夏樹。
「でも取りあえず、僕は委員会の方に行くよ。一回目から休む訳にはいかないじゃない?」
纏め終わった荷物をそそくさと持って、夏樹は立ち上がった。そして「それじゃ清水さん、行こっか。航くん、また明日」と二人に声をかけ、真理と教室から出て行った。
「………」
教室に残った航は、二人が見えなくなってから数秒後、突然膝から崩れ落ちた。そして航は周囲にいた数人の男子から、お前はよく頑張ったと肩をぽんと叩かれた。
それは航が高校に入って初めて、周囲に認められた瞬間だった。
さて。
男子数名の共通の敵として認識されつつある夏樹は、そんな事も知らず廊下を真理と二人で歩いていた。だが、二人の間に会話は皆無だった。
「図書委員とは、何をする所なのですか?」
「んー、図書室での受け付け業務とか。何も難しい事はないよ」
「なるほど〜」
教室すぐにこんな会話をした後は、特に何も言わず黙々と歩いている。真理はもっと会話をしたいのだが切り口を見つけられずにいて、夏樹は周囲から注目を浴びている真理と一緒に歩いている事が何となく恥ずかしくて何も言えないのでいるのだ。
結局、廊下を進み階段を昇り図書室に入るまで二人は特に何も会話をしなかった。
図書室のドアを開き中に入る。
図書室には長方形のテーブルが十六個二列に並んでおり、奥の方には背中合わせになっている本棚が五×二で十個。そして、窓以外の壁がすべて本棚になっているという、割とオーソドックスなスタイルだ。入口の近くにカウンターがあるのも普通。
カウンターの前を通り適当な椅子に座ろうとすると、誰かが夏樹の名を呼んだ。
「夏樹さん、呼ばれていますよ?」
わざわざ丁寧に解説してくれる真理。
夏樹が何となく周囲を見渡すと、一人の女生徒が軽く手を振っていた。
「夏樹ー、久しぶり!」
「あれ、梓ちゃんもまた図書委員なんだ」
「ん、まぁなー」
腰まで伸びた黒の長髪を背中で結んだ、とても活発そうな少女だった。
黒い瞳は透き通っており、まるで黒真珠のよう。程よく焼けた肌やスカートから延びる筋肉質ですらっとした足がとても健康的だ。目つきはまるで獣のように鋭く、夏樹は『梓ちゃん』と呼んでいるがそういう呼び方は幼馴染で目つきに慣れている彼だけだ。
「梓ちゃんってさ、これで中学から四年連続で図書委員だよね」
「お前は五年連続だよな」
梓の対面の席に座りながら、割と楽しそうに会話する夏樹。何となく居づらくなった真理は、夏樹の左横の席に座る。そしてやっと梓は、夏樹と一緒についてきた珍しい人影に気が付く。金髪で青眼の少女に気がつかないというのもどうかと思うが、兎に角ようやく気がついたのだ。
「夏樹、この娘は?」
梓が夏樹に問いかける。それに対して夏樹が返事をしようとすると、それより先に真理が自己紹介をした。
「イギリスから引っ越してきました、清水真理と言います。この名前はマリー・クリアウォーターを日本名にしたもので、国籍はイギリスと日本の二つです」
これは夏樹も初耳だった。というか、夏樹が真理と会話したのは「図書委員とは何をするのですか?」のあの会話だけである。
「あぁ、どっかで帰国子女の噂を聞いたっけなぁ。そっか、私は鏑木梓。夏樹の幼馴染だ、よろしくな」
そして右手を突き出す梓。一瞬左手を出そうとしてから、慌てて右手を出して握手する真理。
「私こそ、よろしくお願いします」
「何か分からない事があったら、この梓に聞きなさいね。何でも答えてあげるから」
「それは助かります」
「それは兎も角、日本語上手だな」
「小学校の低学年の頃まで日本に住んでいたので、日本語も母国語です」
「ほぉー、手間が少なくて助かるな。そんで、何か知りたい事あるか?」
「ええっと、それでは」
そこで少しだけ表情を曇らせ喉元に手を当てたのを、夏樹は見逃さなかった。
「キモーイとは、どういう意味ですか?」
「んー、気持ち悪いを略した言葉だよ」
「成程……あと、アキバとは何ですか?」
「それは、秋葉原の略だよ。知ってるかもしれないけど、あそこにはいわゆるオタクとかコスプレした人とかそういうのが集ってる訳。電化製品は安いけど、私はあんまり行きたくないなぁ」
「……そうなんですか。全然知りませんでした」
「まぁ、十年近く日本にいなかったらそりゃ知らないよね」
腕を組みうんうんと頷きながら言う梓。そんな時、図書カウンターの前に先生が立ち号令をかけた。図書委員会のスタートのようだ。
各クラスの番号を言い、二人手を挙げたのを確認して次のクラス、そして次のクラス。
三年六組まで言い終わってから、簡単に作業を紹介する。そして全員にシフト表が書かれたプリントが配られ、あっけなく解散になった。
同じクラスの男子に簡単に別れを告げた後、梓は夏樹に話しかけてきた。
「で、これからどうすんの夏樹?」
「僕? んー、やる事ないからさっさと帰ろうかなぁ。梓ちゃんは?」
「私は部活だ」
「弓道部だよね?」
「ああ。というか、覚えていてくれてたのか」
「まぁねー」
微笑み言う夏樹に、ちょっと照れている幼馴染の梓。そんないい感じな雰囲気を読めなかった真理は、それに構わず夏樹に質問した。
「弓道って何ですか?」
「ん。弓の道って書いて、弓道。アーチェリーの日本バージョンみたいな感じ」
「ふぅーん」
そう言って納得したのか、人差し指を顎に当てて何やら考え始める真理。
「良かったら来てみない?」
梓が気を利かせて訪ねる。だが真理は、首を横に振りながらこう言った。
「残念ながら、今日は用事があるので早く帰らないといけないのです。もし良ければ、明日に伺いますが」
「ん、別にいつでもいいから。弓道は楽しいぜ〜。まぁ、弓道は作法が決まってるからそれを覚えるまで撃てないけど、撃てるようになったら超・気持ち良いから」
「はい、では明日にでも伺います。それでは、今日は帰らせていただきますね。では夏樹さん、良ければ一緒に帰りませんか?」
「え?」
割と唐突に話を振られた夏樹は、鞄にプリントを入れながら言った。
「別にいいよ。じゃ、途中まで一緒に帰ろうか。それじゃ梓ちゃん、またね!」
「あぁ、またな」
「失礼します、梓さん」
「あいよ。明日かな、また!」
ひらひらと手を振りながら送る梓。二人が図書室から出ていくのを見てから、ようやく手を止める。
何となくそのままの体勢でいると、後ろから声をかけられた。
「ふーん、今の女の子二人組の一人が噂の夏樹ちゃんなんだ?」
猛烈に慌てて後ろを振り向くと、そこには弓道部の先輩が立っていた。
「先輩、いたんですか」
「いたよー。君が夏樹ちゃんを待ち侘びてる時も、夏樹ちゃんと会話してる時も、夏樹ちゃんにバイバイしてる時も、すぐ背後に」
顔を真っ赤にして、仁王立ちしている先輩を睨む梓。その目には、普段の鋭さが無い。
「というか先輩、噂の夏樹って言っていましたけど、別に夏樹は何の噂にもなっていませんよね?」
「んにゃ、君の知らない所で噂になってるよ?」
すると先輩は意地悪そうに笑った。
「美人で女子弓道部次期部長最有力候補の鏑木の心を、そりゃもう盗賊三世ばりに奪っちゃった奴ってね」
「誰なんですか、そんな妙な噂を流しているのは!」
「私だけど」
「先輩なんですかッ!」
更に真っ赤になって抗議する梓。もし図書室に他の誰かがいたら、間違いなく可愛いと思っただろう。
「だって、私相談受けるのよ。弓道部の男子どもに、鏑木に彼氏はいるのかとか好きな人はいるのかとか。先週あたりに二年の東海林が告白したはずだけど、どうやらその調子だと断ったみたいだね」
「……先輩がけしかけたんですか?」
「失礼な。私は、うら若き男子の恋が実るように色々とアドバイスしているだけよ?」
「突然校舎裏に呼ばれて、バラの花束渡すように指示したのは?」
「当然私じゃない? そうそう、梓に何か動きがある度に夏樹ちゃんにさりげなく教えてたりして。私がバイトしてるスーパーに夏樹ちゃんよく来る」
「先輩ッ!」
流石にキレて飛びかかる梓。辛うじて回避するものの、圧倒的な運動神経の差ですぐに組み敷かれる先輩。
「わ、暴力反対!」
「せーんーぱーい」
「自分の鞄漁って、梓ちゃんったら何してるのかな? ペットボトルのスポーツ飲料なんて取り出して何する……や! ちょっ! おまっ! ジャージのそこに垂らさないで! 私、お漏らししたみたいになっちゃうからッ! やめぇええええええええッ!!」
図書室で死闘が繰り広げているとは露知らず、夏樹はのんびりと真理と二人で学校前のバス停でバスを待っていた。
「偶然だね、同じ方向だったなんて」
(偶然というか必然というか、私は住んでいる場所が近い事を実は知っていたなんて言えないですよね)
脳内でそっと謝罪しつつ、曖昧に微笑む真理。
反対側の、街の中心の方向に向かう方面のバス停では、十数名の生徒たちが奇妙な二人組を見て何かそれぞれ考えていた。かたや、金髪で青い目の明らかな外国人。かたや、男子の制服を着ている女子にしか見えない男子(?)。
そんな稀有な視線に気づかない天然系の二人が数分間待つと、すぐにバスが来た。乗り込んで、二人席に並んで座る。
そして、何て事の無い話題で盛り上がる二人。梓という共通の話題があるお陰で、会話は盛り上がっていた。
「もてるんですね、梓さんって」
「ね。でも前聞いたら、恋人とか作るつもりは当然はないみたい」
「クールですねー……あの、夏樹さんはガールフレンドとか作らないのですか?」
「……梓ちゃんと武史くんに言われたんだけど、僕には彼女より彼氏の方が似合うみたい」
「あ、あーあー」
「今納得しましたね、納得しましたねッ?」
そんな平和な会話を繰り広げながら、バスは二人を乗せて進む。
五つ目のバス停を通り過ぎた辺りに、真理はボタンを押す。
「あれ、清水さんもここなんですか?」
「奇遇ですね」
偶然が二回以上続いたらそれは疑うべきだという言葉があるのだが、それを夏樹は知らないようだ。素直に偶然の連続に驚いている。
バスから降り、同じルートを辿る。そして教会の前の通りで別れる事になった。
「それじゃね、清水さん。また明日!」
何の感慨もなく別れの挨拶を言う夏樹に、真理は困りながらこう言った。
「あの、もし良ければ真理と呼んで頂けないでしょうか。向こうでは清水と呼ばれた事が無いので、違和感があります」
「ん、あーそうだっけ。それじゃ、真理さんまた……っといけね、僕からも言う事あったんだった」
そう言うと真理の方に向き直り、言った。
「ねぇしみ……真理さん、僕たちきっといい友達になれるよね?」
「え、あ、はいきっと!」
真理がそう返事をすると、夏樹は満足そうに笑った。
「それじゃ、誰が何と言おうと僕たちは友達だから。それだけ、またねっ!」
そう言うと、照れながら猛烈な勢いで走り去っていった。
その場でポカンとしたまま言葉の意味をじっくり解釈していくと、真理はすぐに気がついた。
きっと、図書室でのやり取りで気がついたのだろう。この金髪と青い瞳のせいで、真理は日本にいる限り否応なしに目立ち続ける事になる。そして、今日のように見知らぬ人に根も葉もない陰口を言われるような事もある。
だが、彼は言った。誰が何と言おうと、と。つまり、誰かが悪い陰口を言っても自分は君の友達である、と。
多分何となくそうかもしれないと思った、とかその程度だろう。場合によっては、別に何も考えていなくてただ言っただけかもしれない。
だが、日本に良い思い出のない真理には今の言葉は心に響いた。
(今日クラスでは、私の金色の髪やイギリスについての事ばかり聞かれました。誰も、私がどういう人物なのか訊かなかった。でも、それでも夏樹さんは友達だと言ってくれた)
正直な話、夏樹に出会わなければ今日一日で学校を辞めていたかもしれない。生まれつき髪が金色なだけで、皆が皆その事ばかり言う。
だが夏樹は、髪も何も関係なく真理の事を見ていた。それが新鮮で、嬉しかった。
真理は何故かボロボロと流れ落ちる涙を拭いながら、一人で自宅に向かって歩いていった。
その表情は、雲ひとつない夕空と同じで晴れ渡っていた。
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