第一話 パート1
その翌日の朝八時十五分。
「久しぶりだね、夏樹君。今日から俺たちは二年生になった訳だが、元気にしていたかね」
晴天高校二年一組の教室に、夏樹の姿はあった。
自分の席でのんびりと新しい教科書を眺めていた夏樹に話しかけてきたのは、天然パーマで小太りのクラスメート。制服の白いシャツの下にうっすらと美少女キャラのプリントがされているTシャツを着ている所から、どんな奴なのかは想像するに余りある。
要するに、ニート予備軍だ。
「うん、元気にしてたよ」
にっこり微笑みながら、返事をする夏樹。一応彼は、曲がりなりにも小さい頃から夏樹の知り合いだったので無視する訳にはいかない。
「航くんは春休み何してた?」
だがこのクラスで、彼にこのように問いかけるのは数少ない。夏樹含め数人だ。
その理由が、こんな回答が返ってくるためである。
「春休み中はずっとネットやゲーム三昧だった。それとたまに、MADアニメも作ってたっけな。それと、エロゲを少々」
堂々と言う航に、夏樹は微笑む。注意力のある人がよく見たら、僅かにひきつっているのが分かっただろう。
「春休み中で一番面白かったのは『欠けた貝殻と僕』というアニメ映画だったな。むやみやたらに主人公がモテないのが好印象だ。それでいて、ロリに眼鏡っ娘、天然系、ツンデレにヤンデレとヒロインのバランスは神技だったな」
「朝っぱらから何、濃縮ヲタク要素百パーセント還元な事を夏樹に教えてやがる」
突然夏樹の後ろに現れた武史が、困り果てている夏樹を見かねて話を中断させる。
「武史くん、おはよう」
「おう」
分からない話題から脱出しようとした夏樹が、武史に話を振ろうとする。だがそれより先に航が動いた。
「じつはその作品の主人公の親友には主人公を想う同性愛の青年がいてね?」
「詳しく聞こうか」
武史があっけなく陥落した。
夏樹は興味ありげに話を聞く武史を見て、ふと思い出した。中学校の卒業式。下駄箱に入っているラブレター。ドキドキしながら待ち合わせの木の下に行くと、静かに佇み待っていた武史。そして、夏樹に愛の告白。
夏樹は同性愛者にこれといった偏見は無いが、困るものは困る訳で。いくら美少女みたいな外見とはいえ、彼も中身は健康な男子生徒なのだ。
「そういえば夏樹。お前は転校生の話を聞いたか?」
唐突に武史が夏樹に話を振る。
「……転校生って?」
何も知らなかった夏樹は、素直に訊き返した。すると武史は得意げに、机に軽く寄りかかりながらこう言った。
「何やら、このクラスに転校生が入るそうだ。しかも、イギリスからの帰国子女らしい」
「ほぉ、帰国子女なんて珍しい」
航は素直に驚いていた。夏樹も、軽く驚いた。
「よく知ってるね」
「今朝の朝練の時、今日から担任になる白井先生から直接聞いた。詳しい事は知らないが、金髪だという所まで聞いた」
「金髪か。ツンデレの気配がするな」
独自の感性により謎の結論を見つけ出した航。武史が無言の拳で突っ込んだその次の瞬間、校内にアナウンスが流れる。
『本日の全校集会は、第二体育館で行います。生徒の皆さんは、移動してください』
そのアナウンスが流れると、クラスのあちこちで移動が始まった。夏樹たちも例外ではない。
「行こうぜ、夏樹」
「うん」
「金髪でツンデレは定石だぞ武史。『そ、そんなんじゃないんだからね』とか『どうせ誰からも貰えないんでしょ、だから私が恵んであげるわよ』とか言うから……っておい、無言で立ち去るな!」
「夏樹はあんな人間になっちゃ駄目だぞ」
「え、うん」
「ちょっと待ってくれ夏樹君……ってうお! 気がついたら両足の上靴の靴紐が結ばれているッ!? しかも何だこの結び方、解き方が分からねぇ!」
靴紐と戦う航一人を残して、夏樹は武史に引っ張られながら教室を後にした。
始業式は何の問題もなく終了した。校長先生の長い挨拶に、三学年主任による今学期の心得を長々と、航君がそっと入ってきて、新任の先生が紹介されて、一人ずつ挨拶して。
まぁ結局どういう事なのかというと、一時間目がまるまる潰れるぐらい延々と話をされたという訳だ。
そんな訳で教室に戻ってきたクラスメートたちは皆、久々の再会を感動しながらもどこかぐったりとしていた。夏樹もまた例外ではない。むしろ、元々体力は無い方なのでかなり応えている。教室に帰ってきてから、自分の机でぐったりとしている。
だが、何事にも例外はいる。夏樹の斜め右前に座っている航だった。
「金髪ツンデレっ娘な転校生はまだかな〜」
脳味噌が溶けてるんじゃないかと思われる妄想が、脳内から口にだだ漏れしていた。というか、彼にとってツンデレはもう確定事項のようだ。
そんな航の呟きに、脳天チョップで返事する武史。
「そういう事は、思っても脳内にとどめておけ。そして、これは現実だ。コメントしようと指でタイプさせる時の動きをするんじゃねぇ!」
何度も繰り返されるツッコミのチョップと、それを成す術もなく受ける航。防御するという行動が思いついていない、というよりまだ妄想世界にトラベルしているようだ。
飽きたのか、十回前後航を叩いた後に腰に手を当てる武史。すると次の瞬間、ワイルドな先生が教室の前から入ってきた。このクラスの担任の、白井先生だ。
生徒のうち一人が、先生に問いかける。
「あれ、休み時間はまだ五分ぐらいありますよ?」
「わかっている。だが職員室にいると、何となく肩っ苦しいんだ」
国語教師のくせに、そこらの体育教師より逞しいマッチョな体つき。ボサボサの髪に太い眉毛、そしてしゃくれた顎。そのルックスはまさに白井先生は熱血体育教師、もとい熱血国語教師な先生だ。
そんな先生は教卓に座ると、名簿と一緒に持ってきた新聞をじっくりと読み始めた。時折、「ほぉ」とか「むぅ」とか唸っている。その度に、教卓の目の前の席にいる生徒はビクッとした。慣れていない人には普通に怖いのだ。
そんな先生に、果敢に挑んでいく男子生徒がいた。
案の定というか何というか、航である。
「先生、質問です」
「ん、お前は確か出席番号129の佐々木航か。何だ、言ってみろ」
実はとんでもない記憶力の先生。
「転校生って、どんな人なんですか?」
興味津々といった様子で尋ねる航。それに対して先生は、そっとこう答えた。
「佐々木、仮に聞こう。お前はどんな人だ?」
「え、俺ですか?」
「そうだ」
「えっと……身長164センチ、体重85キロ。黒髪の天然パーマで……」
「お前は、そんなデータなのか? お前は髪型なのか?」
「いえ、そうではないですけど」
そこまで問答してから、先生は諭すように航に言った。
「いいか、人を言葉で表すというのはとても難しいものだ。慣用句をいくら並べようが、千や万の言葉を繋げようが、一人の人間を正確に伝えるのは不可能に近い。例えば、身長が高いと言っても、人によってどこまでが高い身長なのかという判定は違うだろう。性格などは特に顕著で、自分が知っている範疇の性格しか認識する事は出来ない。仮定や推測で物を言うのは簡単だ。だがそれが相手にどう伝わるのかはよく考えなければならないし、その情報が正しいとは言い切れない。俺は……人を簡単に言葉にして伝える事が、まだ出来ないのだ。許してくれ」
「あ、はぁ」
何だか突然倫理の授業になった教卓周辺。思わず聞き入る教室中の生徒たち。本日二度目になる同じ内容の話を聞く武史。そして、何だかうまく丸め込まれた航。
熱血かと思いきや案外論理派な白井先生は満足そうに頷くと、新聞を持って立ち上がった。
「さて、もうあと二・三分で授業開始だな。ちょっと校長室まで行って転校生を連れてくるから、各自着席していろよ」
そう言うと、新聞を持ってさっさと出て行く白井先生。
そして次第に、ざわめきが戻ってきた。
「何なんだろうあの先生」「マッチョなのに論理派か」「先生って国語の先生だよな」「先輩に聞いたんだけど、古典の先生らしいぞ」「って事は何か、マッチョで論理派は生まれつきなのか?」「何となく嫌だな、それも」
言いたい放題なクラスメートたち。そして雑談をしながら約二分、授業開始のチャイムが鳴った。何となくクラスメート全員、自分の席に着席して待つ。男子生徒の心拍数は、女性に興味のない武史などの例外な数名を除いて総じてかなり高い。皆、美人転校生ではないかとそれなりに期待しているのだ。
そしてチャイムが鳴ってから一分ぐらいした頃、教室の前のドアが開いた。
「よーし、みんな席についているな」
新聞の代わりに古典の教科書を持って、白井先生が入ってきた。そして、その後ろについてきたのは……意外な事に金髪と青い瞳を除けばどこにでもいそうなメガネ少女だった。
その唯一の特徴とも言える髪だが、ショートカットの金髪は純度百パーセント。まるで金糸のように、一歩進むごとにまるで金色の波のようになびく。メガネの奥にある青い瞳は天空の深い青より更に深い青で、じっと見つめていたら吸い込まれてしまいそうだ。
一部の人間の予想に反してツンデレな雰囲気ではなかったが、彼女には飾らない可愛らしさがあった。それはまるで水晶の原石のようで、誰もが素直に魅力を感じずにはいられない。
白井先生は黒板の前に立つと、白いチョークをガッガッと力強く乱暴に打ちつけながら名前を流暢な文字で書いた。何であんな書き方で奇麗な文字になるのかは、学校の七不思議のうちの一つである。
「今日から共に学ぶ事になった、転校生だ。名前は、清水真理。さ、自己紹介をして」
白井先生が真理に振った。それに戸惑う事なく、真理はすらすらと話した。
「はい。イギリスから転校してきました、私の名前は清水真理。英国ではマリーです。好きな物はケーキ、嫌いなものは辛いものです。よろしくお願いします」
鈴を鳴らすような夏樹の声と違い、こちらは心地よい風が流れるような、透き通った声だった。あまり大きな声ではないのに、教室の反対側にいる武史の耳にもよく聞こえた。
「何か質問がある奴、いるか?」
気を利かせて白井先生が言う。すると、クラスメートの名も知らぬ男子生徒がそっと手を挙げた。そして、何だか目を輝かせてこう言った。
「君は昨日、もしかして若林商店街で迷子になってた……?」
クラスメートがそこまで言うと、真理は手を合わせて喜んだ。
「あぁ、あの時の。奇遇ですね〜」
そしてふわっと微笑む真理。それに触発されるように手を挙げるクラスメートが数人。
「一昨日、町のモールで迷子になって俺に道を尋ねて来たのって」
「あ、その節はありがとうございました」
「確か三日前、駅前でトランクと地図持って俺に尋ねて来たのも君?」
「あら、貴方も同じクラスなのですか。奇遇ですね」
なんだこの人、毎日迷子になってるのか。
フラグ達成に現金にも喜ぶ三人の生徒以外は、唖然としていた。どうやら真理はツンデレではなく天然ちゃんのようだ。そしてその光景を見て、何故か異常なまでに悔しがる航。フラグが自分に立っていない事が余程悔しいらしい。
「そうかそうか、一度でも面識のある奴が三人もいて良かったな。それじゃ、清水の席はあそこの、一番後ろで中央の列にいる高田武史の隣。中途半端に空いている席だ」
「はい」
(何でよりにもよってあいつ(同性愛者的な意味で)の横にッ?)
周囲の男共からは嫉妬の視線が飛び、武史が同性愛者だとは知らない女性陣は
(よりにもよって高田君の隣!)
イケメンで成績優秀なスポーツマン、人気の的の高田クンの右の席にそっと座った真理に嫉妬の視線をさりげなく飛ばした。
そんな微妙な空気の中、授業は始まる。
「それじゃ、最初の授業はホームルームだ。各委員会の役決めをする」
そして先生は、乱暴なチョーク使いで美しい字を黒板に書いていく。学級委員、風紀委員、図書委員、緑化委員。
そこまで書いた頃、教室の一番後ろの席になった真理は武史に微笑み挨拶をしていた。
「よろしくおねがいします」
「ん」
クールに言い放つ武史。というか彼の場合はむしろ、これで真理の事を任されて夏樹と一緒にいる時間が減る事を恐れていた。体育祭委員と文字が書かれる様子を見ながら、彼は真剣に悩む。そのため、先程の『ん』は心ここにあらずの状態で言ったものだ。
それに気づかず、真理は満足そうに微笑むと前を向いて、文化祭実行委員の文字が書かれるのを見た。
(ぶんか、まつり、じっこういいん。ぶんかまつり? Culture Festival? 何の事だろう? りょくかいいんも、何するか分からないし、ふうきって何?)
真理が日本に慣れるまでは時間がかかりそうだ。
さてそんな頃、前から二番目の列に座る航は。
(ツンデレでない金髪か。どちらかというと眼鏡っ娘としての属性が強いな。ここは廊下の角で爽快にぶつかるよりも、重い物を持っている所を代わりに持ってあげて助ける方向でフラグを狙わないと駄目か?)
妙な計画を脳内で練っていた。彼は彼で、真剣なのである。
さて、保健委員の文字が書かれる頃。航の左後ろ、一番窓側の席に座る夏樹はというと、彼は彼で困惑していた。
(この猫って、昨日の猫だよね?)
ベランダでじっと自分の事を見ている猫を見ていた。オッド・アイなので、間違いなくあの猫だと分かる。
(僕、もしかして懐かれちゃったのかな。どうしよう、飼うって言ったらお父さんが何て言うか)
同じ列の他の誰も気がつかないのか、ベランダを見ているのは夏樹だけだった。
それぞれがなかなか面白い状態の中、先生は黒板に文字を書き終えて言った。
「さて、順番に言っていこうか。推薦、立候補あれば挙手しなさい。まず、学級委員は男女一人ずつ募集する。誰かいないか?」
すると、女生徒の誰かが高田武史の名をぼそっと言った。
「やっぱ俺か」
武史は特に驚く事もなく呟いた。彼は前回も学級委員だったのだ。
男女一人ずつというのが彼にとって唯一のネックだが、彼は物事を指揮するのがとても上手かったし嫌いではなかった。生来の才能でカリスマと決断力を持ち合わせ、彼がリーダーになったグループは絶対に勝利するという伝説を中学時代に築いていたほどだ。
「どうだ高田、やるか?」
先生が問いかける。それに、「いいですよ」と軽く答える武史。一応先生は他に男子で立候補が無いか聞いたが、誰も立候補しなかったので武史に決まった。
そして女子の学級委員を決めようとすると、どういう訳か五人近くが手を挙げた。ちなみに五人とも、武史狙いであるという事は言わずもがな。
先生の判断で、その五人で話し合ってもらい一人を選出する事になった。教室の後ろあたりで話し合う五人を横目に、次の風紀委員に話が進む。
男子が二人立候補し、二人ともが辞退しようとする。結局じゃんけんで負けた方が委員になった。女子は誰も手を挙げなかったので、未定。
次の図書委員。そこで事件は起こった。
「図書委員をやりたい人。まず、男子」
先生が言うと、まず夏樹をはじめとする数人の男子が手を挙げた。適当にじゃんけんをして、勝ち上がった夏樹が図書委員になった。
「それじゃ、よろしくな。月見里夏樹」
「はい」
相変わらずの美少女な微笑で返す。制服じゃなければ、性別は分からなかっただろう。
そんな夏樹を見て、真理は内心驚いていた。
(昨日、私の目の前で哀れにも捨てられていた猫に聖母のような笑みで食事を与えていたあの人も同じクラスだったのですね。男性だったのは予想外でしたが……)
制服のシャツの下にそっと忍ばせている十字架のネックレスの上に両手を置きながら、神にそっと祈る真理はクリスチャン。
(捨てられていた猫にまで慈愛を注ぐあの人なら、きっと私が間違った事をしてもそれが間違いだと教えてくれるかもしれません。先生はどれかの役職に入るように言っていましたし、私は本も好きですし、これは運命の巡り合わせなのでしょう!)
決心を固めると、真理はじっと先生を睨むように見た。そして先生が女子の図書委員希望者はいないかと尋ねると、全力で手を挙げた。
この役職を逃してなるものかという軽い危機感もあったようで、その勢いはまさにプロボクサーのアッパー並み。
「お、清水。やる気だな。他に誰か?」
先生はそう言ったが、生徒たちは委員会を決めるだけにしては妙に真剣な表情をしている真理を見ていた。そして、何だか手を挙げちゃいけないような雰囲気が教室中を覆う。
「……いないようなら、決まりだ。月見里と清水……っと。それじゃ次、緑化委員」
夏樹は、途中から先生の話を聞いていなかった。ただ、右後ろから逃がすまいとじっと自分を見ている真理の事ばかり考えていた。まあ考えるといっても、あくまで事務的な意味である。
(……やっぱり、僕が色々教えないと駄目なんだろうなぁ)
図書委員は基本的に暇でのんびり出来る所が好きだったのだが、どうやら今年はそうもいかないようだ。
そして何となく視線を外に向けると、いつの間にか猫はいなくなっていた。何となく視線を泳がせて猫を探しているうちにチャイムが鳴った。
「よし、これで決定だな。そうそう、風紀委員と図書委員は今日早速委員会があるから行くように。以上だ、号令はいらん」
そう言うと先生は、さっさと去って行った。夏樹は、理不尽に周囲から注がれる殺気から逃げるように、猫を探すように外を見ていた。
そんな中、休み時間になったのをいい機会に女子生徒数人が真理に話しかける。
「ねぇ、その髪って地毛?」
「そうですよ」
「うっわぁー、金髪の地毛って初めて見た。やっぱり染めたのよりサラサラしてる!」
「染めなくてもいいから羨ましいかも」
「そんな、別に羨ましがるようなモノじゃないですよ」
夏樹がいい事では無いとは思いつつ何となく聞き耳を立てていると、離れた席から女子数人のこんな声も聞こえてきた。
「実はあれカラコンで、髪は染めてるだけだったりして」
「何のためよ?」
「そりゃやっぱり、目立ちたいからなんじゃないの?」
「えー、何それ。本当にそうだとしたら、マジキモイんだけど」
「つーかさ、アキバ辺りにいそうじゃない?」
「あ、わかるわかる」
(ずいぶんと酷い言い方だ。金髪も、それはそれで大変なんだなぁ)
夏樹はぼんやり、そう思った。
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