ぷろろうぐ
ある春の日の夕方、どこにでもありそうな普通の住宅街の近くにあるバス停で。
「お、君。重そうな荷物持ってるね、持ってあげようか?」
髪の毛を茶色に染め、いかにも軽薄そうな男がナンパをしていた。
(へぇ、こんなにキュートな子この辺に住んでたのか。知らなかったぜ)
くりっとして愛らしい瞳は小動物の目を思い浮かばせ、肩まで伸びたサラサラの黒髪はまるでシルクそのもの。シミのない肌は真珠のように白く透き通っており、唇はしっとりとした桃色で思わず触れてみたくなる。体つきは、パーカーの上からでも華奢だと分かるほどほっそりとしており、そして下はスカートではなくズボンだが、それでもすらっとした足だと分かる。
まさに典型的な美少女といった風貌だった。男がいつも以上に張り切るのも無理はない。
(さっきバスから降りてたし、ここら辺に住んでいる可能性はビッグな訳だぜ。荷物持っていって好感度アップを狙うべし!)
そしてさり気無く、ターゲットの荷物を見る。トートバッグが二つで、野菜や卵といった食品が所狭しと入っていた。
(もしかしたら、一人暮らしなのかも。だとしたら、荷物置くふりして中に入って速効アタックあるのみだぜ! イェア!)
そんな方程式が、脳内で瞬時に組みあがった。実に分かりやすい奴である。
(何だか大人しそうな娘だし、っていうか困った表情もベリー・グッド! いただきます!)
脳内では既に、可愛らしいピンク基調のファンシーな部屋のイメージが構築されていた。散らかってるからとか言っても、ぬいぐるみがちょろちょろっと転がっているだけだったりして。机の上には辞書や教科書に混ざって好きな先輩の写真が。いや、ダメだぜ。君はこれから俺のモノなのさ。とか何とか。
目の前のターゲットが返事を言う前に、ここまで脳内展開する男。まさに神業。だがそのターゲットは、向こうから声をかけてきたのに突然妄想ワールドにトリップして、視線が自分を通り抜けてどこか遠くを見ている男に困惑していた。
「えーっと、その……」
戸惑いながら周囲を見渡す。すると、見知った顔の青年が向こうから駆けてきているのを見つけた。地獄に仏、と大きく手を振る。
「ん、夏樹か!」
走っていた青年が名を呼ぶ。現実に戻ってきた男が、背後を向く。夏樹は困った表情のまま、青年の名を呼ぶ。
「武史く〜ん、久しぶり〜」
「ん、何。知り合い?」
男が戸惑って夏樹に言う。それに対して夏樹は、二回頷いた。
(これって、もしかしてバッド・ルートな展開じゃねぇ?)
ランニングで走ってくる武史は、夏樹とは正反対にがっちりとした体格だった。男らしくスポーツ刈りで、『晴天高校』と書かれたジャージを着ている。
そしてその身長は、高校生とは思えないぐらい高い。百八十はあるだろう。
そんな青年が眼の前に立ち止まり、思わず怯む男。
「てめぇ、俺の夏樹に何をしていた?」
とっても逞しい声が、男を責める。慌てて釈明をする男。
「いやいや、俺は重そうな荷物だから手伝ってあげようかなぁ〜と思いまして」
「本当にそれだけか?」
「はい、本当にそれだけです。善意百パーセントです」
実際は、煩悩九十五パーセントだったけど。
男を責めている武史に、夏樹は慌ててフォローに入る。
「武史くん、その人は本当に僕を手伝ってくれようとしただけ、だと思うよ」
「ほぉ〜。それじゃ」
そう言うと、武史は突然夏樹の胸を無造作に握った。
そのあまりの行動に嫌がったり叫んだり戸惑ったりする事もなく、逆に疑問符を浮かべる夏樹。明らかに理想的な女性の反応ではない。
「夏樹は男だ。それでも手伝うか?」
男の顔が、壮絶にひきつった。そして突然、逃げ出す。
「失礼しましたーッ!」
その姿を追いかける訳でもなく、男を指さしながら武史は言った。
「つまり、お前はナンパされていた訳だ。女と間違われて、な」
「……うん、何となくそうなんじゃないかって思ってた」
鈴が鳴るような声でそう言い落ち込む青年、夏樹。
そんな夏樹に、武史は肩に手を乗せ言う。
「俺だったら、お前が男であろうと女であろうと手伝ってやるけどな。どこまでも」
そう言った頬は、夕日の光によってのみ赤くなっている訳ではなさそうだ。
「兎に角、僕はそろそろ帰るよ」
良い友人なのだが、それ以上になって欲しくない友人にそう言う夏樹。
「あぁ、荷物持つよ。体力仕事は俺に任せな」
煩悩九十五パーセント配合で言う武史。
「いいよ。僕も鍛えないといけないし、武史くんの家は反対側だし」
「そんなの関係ないさ。それよりも、お前が一人歩きするのが心配でしょうがない。不審者がお前を狙ったらどうするつもりだ?」
「僕は仮にも男だよ。本当に大丈夫だから、ね?」
それ以上は無駄、というよりあまりしつこくして嫌われると困るので引き下がる武史。
「そうか。それじゃ、明日の始業式にな」
そう言ってランニングを再開するイケメンスポーツマン。
「うん、またね!」
言ってから夏樹は、両手にバッグを持って武史が走り去った方向と反対に歩き始める。
夕日が少しずつ傾く中、黙々と歩く夏樹。一人ぼっちの影だけが、寂しく伸びながら共に歩く。そんな夏樹の頭の中は、今晩のメニューでいっぱいだった。
(今日は卵が安くて二パック買ったから、卵料理にしようかな。んー、親子丼?)
思いながら通りの角を左に曲がって、教会の前を通過して今度は右に曲がったその時だった。
「……あれ」
段ボールの中に、猫が一匹捨てられているのを見つけた。ご丁寧に、段ボールに『ひろってください』の文字もある。
見て見ぬふりをしようとして通り過ぎようとしたが、猫の前を二歩ぐらい通過した時点でぐるっと方向転換。段ボールの前に屈みこんで、中で丸くなっている猫を見る。真っ白の毛並みは奇麗に手入れされており、どうやらノラではないようだった。
「……お前、親に捨てられたのか?」
何となく話しかける。すると話しかける事で目が覚めたのか、猫は視線を夏樹に向けた。
「……オッド・アイなんだ。奇麗な目だね」
右目が青で、左目がオレンジ色という奇妙な色をしていた。その目がじっと見つめる夏樹の顔は、優しげに微笑んでいた。
猫は体を起こし、大きく伸びをした。そして、段ボールの縁に前足を乗せて「みゃぅん」と一声鳴いた。
「あはは、おなか空いているのかな?」
言って、鞄を漁ってみる。
犬用の餌缶があった。
取り出して悩んでいると、猫は興味深げにその缶に手を伸ばした。
「うーん、これは来週のワン太郎の誕生日のメインディッシュなんだけどなぁ」
困ったように眉をひそめる夏樹。何か他にないかと、もう一度鞄を漁ってみる。
「あれ?」
猫缶があった。
「……もしかして、また僕コレ間違って買ったのかな」
デザインが似ているので、たまに間違えてしまうのである。そういう時はいつも、もう馴染みになった店員さんに交換してもらうのだが、今回は失敗転じて福となる。
「ま、いいや。コレあげるから、ちょっと待ってて」
プルタブ式の缶を、ぱかーっと開く。そしてそれを箱の中にそっと置くと、猫はいきなり食べ始めた。
「おなか、空いてたんだね?」
思わず微笑みながら言う夏樹。その姿は、まさに聖母。もしくは聖女。
それから数秒間ニコニコと猫を見ていたと思ったら、突然慌てて立ち上がる夏樹。
「しまった、急いでワン太郎の散歩しないと!」
急いで荷物を纏めて立ち上がり、猫に軽く挨拶してから走り去る夏樹。
その姿を、段ボールの中から食事を中断して首を覗かせた猫。そしてもう一人、猫のいる段ボールよりもっと後ろの柱の影から夏樹と同じ種類の猫の缶を持った金髪の少女も、夏樹が角を曲がって見えなくなるまで見送った。
そして少女は、夏樹が見えなくなると缶をそっと撫でながら呟いた。
「……この缶は明日の朝ご飯にしましょうか」
そう言って、少女はその場を静かに立ち去った。
そして少女が立ち去った数分後、猫は缶を完食し、段ボールをいとも簡単に飛び越えて夜になってしまった住宅街を歩いた。
その場に残ったのは、缶と段ボールだけになった。
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