この道を走れ 1
チーター。哺乳類ネコ目ネコ科。和名、狩猟豹。狩りの際のスピードは平均時速五十九キロを示し、最高時速では百キロを上回るという。
雄は兄弟など近親者と群れを作るが、雌は単体で行動する。ゆえに孤独。
8月下旬を迎えて、美穂は緊張が徐々に高まっていた。中学陸上選手権の予選会が近づいていたからだ。
登校日の教室。美穂は指を組み合わせ、一点を見つめている。彼女の机にはトレードマークの白い鉢巻きが置いてある。
香月達が、美穂と距離を置いて話をしている。ザ無神経、夏樹も、友達の晴れ舞台を邪魔したりするような女の子ではない。夏樹は香月の耳元に囁く。
「彼女、ピリピリしてるわね」
「うん」
香月は「ぐぬぬ」と両の握り拳を作り、力強く頷く。朱美は、夏樹と香月の話に割って入り、腕を組んでみせる。
「モチベーションを少しずつ上げてってるって感じね」
「うん」
香月の手にはじっとりとした汗が滲んでくる。桜が三者三様の、「美緒観察」をまとめる。
「私達が何か邪魔になったらいけませんから、そっとしておきましょう」
「そうね」
夏樹でさえも美穂の正念場の殺気に半ば、気圧されたらしい。もちろん夏樹は応援するつもりもある。だがら夏樹はそう返した。
するとその香月達のやり取りを見ていた俊哉が楽しげに、四人の話の輪の中に入ってくる。
「永瀬の奴、面白いぞ。何話しかけても反応しないんだから」
香月達の視線は一斉に俊哉に集まる。俊哉は、美穂がセンシティブになっていることを意にも介していないようだ。それどころか美穂のナイーブさをからかうつもりらしい。
俊哉は両手を広げる。
「あの調子ならどんな悪口叩いても反応しないだろうな」
一人で蓄えた技巧が、試されるプレッシャーを知る朱美が、俊哉を窘める。
「ちょっと」
朱美の制止にも俊哉は動じない。カラカラと笑ってみせるだけだ。
「少し試してみようか? いいか? 見てろ」
「やめといた方がいいって! 俊哉君」
香月は言った。香月はそうたしかに言い放ったはずだった。だが俊哉は香月を振り切り、美穂の机に近づく。
俊哉は、指を組み合わせてひたすら沈思する美穂を前に、彼女の焼けた肌を茶化してみせる。
「こら。おい。地黒チーター。宮崎一の色黒インパラ。疾走する炭火。タドンランナー」
毛を逆立てて、美穂の反応に恐怖する香月達。だが美穂は、ひたすら指を組み合わせたまま、微動だにしない。
俊哉は快活に右掌を広げる。
「なっ。面白いだろ?」
「俊哉君」
香月にしては珍しく引き留めるような声の抑揚。だが俊哉は、香月の声には耳も傾けず、美穂の白い鉢巻き、触ってはいけない聖遺物を叩いてみせる。
「この調子だと、この鉢巻きに触れても何も言わないぞ」
俊哉は一通り美穂を肴にふざけたあと、満足して美穂の席を離れていく。だが、その俊哉目掛けて一直線に飛んでくる「もの」があった。
それは美穂が投げた、先端の尖ったシャーペンだった。シャーペンは美穂の狙い通りざっくりと俊哉の背に刺さる。
「ザクッ! ほげ!」
そう言って俊哉は「血だ! 血だ! おい! 血が出たよ!」と惨禍に巻き込まれるのだった。
香月達は呆れて口を揃えるしかない。
『言わんこっちゃない』