天国と葵の多角
葵は天国を見る。その灰色の可愛い目でしっかりと。
ただ天国には見えるものが極端に少ない。
「ちょっと残念だよな。ああ、もちろん見えないよりは良いけどさ。どうせなら現実の世界も見てみたいんじゃないか?」葵は少し残念そうな顔をした。見えるようになったことは奇跡みたいなものであったが、実際に見えた世界は本当に味気ないものだった。
「そうですね。でも零也さんや皆さんの顔が見られただけでも、幸せです」悲しい。世界が見たい。それがじりじりと伝わってくる。俺は少し見て考えていた。葵が言う。
「諦めてたんです。もう見えないんだからしょうがないって。この真っ暗な世界と生きていこうって決めたんです。でも鳥や、海や川や魚空木道、それから人……」葵はうつむいた。
俺は待つ。葵を見ながら。
「自分で言うことじゃないかも知れませんし、そうしないと生きてこられなかったんですけどね。私は小さいときからすごく努力してきたんです。目が見えない人が通う学校に行って、始めはドキドキして怖くて。寮に入って友達と話したり、アレはどんな色、これはどんな色、形、とかを想像して遊んだりしました。歩行訓練も杖が壊れるくらいまでやったし、点字もすらすら読めるまで何度も読んだし、ふふ。指の皮が剥けるまでやりました。あれは痛かったですすごく。(葵がもう一度クスッと笑い、次に表情がきゅっとなる)とにかくやれることは全てやりました。でもどれだけ頑張っても私の目はくらいままなんですよ。時々、こんなことしてもどうせ見えないんだから、なんて考えるときがあります。まだ……」
葵は俺の数歩前に出る。振り返る。輝く笑顔。俺は真剣に見つめる。
笑顔の裏に闇あり。
「ここに来たときは、すごく驚きましたけど、それと同じくらい嬉しかったんです。目が見えるようになっただけで十分だと思いました。ただ、ただ零也さんの顔が見られただけで良いと思うのに。……世界が見たいなんて、贅沢なのに、どうしても思ってしまうんです。ふと気がつくと、浮かび上がってくるのを止められないんです。世界が、現世が見たい。どうして」
俺は深吸する。息を言葉と共に吐き出す。
「だったら地獄に行ってみないか?」しーん。
葵の接続が悪くなり、表情はとぶ。
「え、え?」
「雪母が言ってたじゃないか。地獄はコンクリートジャングルで、まるで東京みたいなんだって。だったらそこに行けば、葵はもしかしたらだけど、世界を見ることができるんじゃないかと思うんだ。葵が世界を見たいって言うんだったら、俺は付き合ってやるよ。地獄まで」やることもないしな。なんて、嘘だもちろん。葵に世界を見せてやりたい見てもらいたい。俺は現世の情景を思い出す。なんだかんだ言って、あそこは素晴らしいんじゃないのかな。たとえ川が汚くても、空気が汚れていても、カラスが沢山いたって、ゴミまみれだって、真っ暗闇の世界なんかよりは、ずっとずっとマシなんじゃないか?
「あ、あの、でも、ん、どうやって?」葵が問う。ただ灰色の目は燃え始めている。期待と不安。入り乱れて輝き始める。
「さぁ、どうにかなるだろ多分」
俺は呼ぶ。
「神様!どうせ聞こえてるんだろ?飯食ってて行けないとか言う理由はもう無しな!」多分さっき来なかった理由はこれだ。
「ち、めインいィッシュあったのに」雪母は現れ鶏のもも肉骨付きを噛み千切り、咀嚼する。
「神様。それ、どこから持ってきてるんだ?」俺はにやりとして聞く。天国の人は食べ物を食べないと言うのに、神様だけは食べると言うこと、地獄の連中と会議をすると言うこと、煉獄から登ってくる奴がいるということなどから考えて。天国には地獄へと降りる方法があると言うことだ。だろ葵?
「それさぁ、地獄からの輸入品でしょ?」俺は聞く。地獄から運んでいると言うわけだ。
「ま大体はあってるな。それで?私に何か頼みたいことがあるんだろ?」
「ああ。俺達二人を地獄に堕としてくれ」雪母はぽけっと(おそらく道案内だと思っていたのだろう)してから、ぐいっと片笑む。
腹を抱える。口の中からぐちゃぐちゃになった鶏肉が少しとぶ。
あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははhぷくっひひっははははぁ……
何となく俺もつられて笑う。
「ふぅ、ふふ。やっぱり変だなお前達は。相当ずれてるよ」雪母が呆れたように言う。
「違う。この場合は多分俺が変なんだよ」葵がすっと出る。
「私も変です」とにっこり。
「そうだなぁ、不可能じゃないが…………」と雪母。
俺と葵はつばを飲んだ。 |