そのよんじゅうなな こびとの灯火
――川上家。古くから代々膨大な土地と、莫大な財産を受け継いできた名家。今の時代なかなか無い分家というものを持ち、そして川澄家は川上家の分家の一つだったらしい。
「わたしは、幼い頃から本家の方々には逆らうなと言われて育ってきました」
ゆとり教育の現代には厳しすぎる教育の数々。寝る間も惜しんで、華道、茶道、習字、薙刀、作法を習い、それら全てを習うのが当たり前。出来なければ、虐待にも似た罰が待っていた。
幼い頃、とは文字通り生まれてからそれらに触れ合い、当然のものとして植え付けられる。彼女が言うには、小学校に入るまで誰もがやる事なのだと思っていたらしい。
「毎日毎日、ノルマを達成するまでは食事も与えられず、蔵に閉じ込められ、雪の上に正座させられました」
想像しただけで身体が震えた。虐待なんてレベルじゃない。なぜ彼女は、虐待に近いなどと言えたのか。それはもう、人が人を操る為に行われる教育ではないか。
現代において、絶対に許されない人権無視。僕が日常だと思ったいたものは、彼女にとっての非日常であり、彼女にとっての日常が僕にとっての非日常だったのだ。
自分だけしか信じられなくなるのも当然だ。だって、彼女の日常は常に自分との戦いなのだから。自分がわからなければ、そんな非道に耐えられるはずがない。
――川澄さんの強さは、悲しい強さだったんだ。頑張らなくちゃ生きられなくて、頑張っても辛いだけで……。
誰にも誉められる事なく、言うことをきくのが当たり前の生活。
いつ自分の命を絶ってもおかしくないほどの、教育などとはかけ離れた教え。
「中学に上がった時、初めて川上家の当主と会いました」
その時、既に習い事のほとんどがプロ並だったらしい。
「当時、当主は婚約を済ませていました。ですが、わたしは初見で見初められ……」
川澄さんは青ざめた拳を強く握り締めていた。思い出すだけでも、苦痛なのだろう。
「わたしが16の時、純潔を奪われたのです」
――なんだよ、それ?
「当時の川澄家は経済難に陥り、本家の助けがなければ長い歴史に終止符をうつ事になっていたのです」
『イケニエ』、家を救うために差し出された、最もしてはならない愚の骨頂。
「くっ、ん、ひっ……」
なんで、なんで僕が泣いてるんだろう? 僕が泣いたって、何にも変わらないのに。彼女の辛さを、言葉でしか理解してあげられない僕に、泣く資格なんてないのに。
淡々と語る川澄さんにとっては、『当たり前』を言ってるに過ぎないのだろう。泣く事もなければ、嘆く事もない。
人形――。その意味がちょっとだけわかったような気がする。
「わたしは川澄家のためにこの身を捧げ、川澄家のために生き、川澄家のために死ぬ。そんな存在でした」
わからなかった。彼女になんて声をかけてあげれば良いのか、そもそも僕が何を言った所で無駄なのではとも思ってしまう。
「我、思う故に我在り」
「えっ?」
た、確か……世界の全てが幻想だとしても、そう思う自我は確かに存在する――だっけ?
いや、だがこの言葉こそ川澄さんを表現するのに一番相応しい言葉に思える。
「この言葉があったから、わたしは辛くありませんでしたよ? ですから、凪が泣かないでください」
ダメだよ、そんな事言ったら――。
もっと嘆いても良いはずなのに、もっともっと泣き叫んでも良いはずなのに、彼女の軌跡がそれを許さない。
強くなければ生きられない環境が、彼女を誰よりも強くした。
間違った強さほど、時に凄く脆い。でも、川澄さんにはそれしかなくて……。
――僕に、何がしてあげられる?
「あなたは優しい。人の気持ちを安々と受け止め、手を差し伸べてくれる」
「……優しくなんか、ないっ」
「いつも、わたしを見ていてくれた」
やめてくれ……。僕は何もしてないじゃないか。あんなに見ていたのに、辛い日々を送っていたのに、知らない顔で好きなんて言って。
何にも見えてなんかなかったんだ。彼女を理解したつもりでいたけど、これっぽっちも理解なんてしてなかった。
どうしてもっと早く、気づいてあげられなかったんだろう?
どうしてもっと早く、出逢えなかったんだろう?
――どうして、どうして……。
「ですが、凪と出逢い世界は変わった」
「うえっ?」
涙と鼻水でまともに声が出せない。
「なぜ、もっと早くあなたと出逢えなかったのだろうと後悔しました」
川澄さん、も……?
「きっとわたしが普通の女子高生なら、ちゃんとした恋が出来たのでしょうね」
そんな事ない、川澄さんは普通だ。と言ってあげたかった。だが彼女にその言葉はただの気休めにしかならないのだ。
――『無力』。たった二文字の言葉が重くのしかかる。
「今までをどんなに後悔した所で何かが変わる訳ではなし。それ以上に、わたしはこれからを後悔したくない」
川澄さんはほんのりと頬を赤く染めて、目を細めた。
「わたしは、あなたが好きです――」
「はっ、へ……っ?」
言葉を失う。そりゃそうだ。どこからどう行けば僕が好きなんて話しになるのか。いやいや、幻聴という可能性も捨てきれない。アレか? あまりの不甲斐なさにトチ狂ったのか?
なんか、今ならいつでも天に召される自信がある。
「弓を引く時のあなたが好きです。ノートに何度も数式を書き直すあなたが好きです。周りが笑うのを見て、幸せそうに微笑むあなたが好きです」
川澄さんの表現は真剣そのもので、僕を見つめる双眸には優しさに溢れている。これを幻聴などと言えば、僕は最低のチキン野郎だ。
「ここに来た時、黙っていた事を早く謝りたくてどうかしていました。ですが、もう迷わない」
いつの間にか涙が止まっていた。口をあんぐり開けて、次々の出てくる言葉のオンパレードに、ただただ呆然としてしまう。
ふっと笑った川澄さんは僕の前までくると、しなやかな手を僕の頬に添える。
――あ、冷たい。
ぼんやりとそんな事を思いながら、添えられた手に僕の手を重ねる。交わった視線を照れ臭さから外そうとするが、中々上手くいかない。ちょっと動かせば良いだけなのに、たったそれだけが凄く難しい。
「凪、わたしはあなたを愛している。どうか、一生わたしの隣に居てくれませんか?」
カッと脳みそが熱くなり、小刻みに首を振る。重ねた手が痙攣してるんじゃないかと疑ってしまうくらい震えた。
……怖い、のかな? 幸せすぎて、嬉しすぎるのが。
でも、まあ――。
「は、はい」
プロポーズされる女の子の気持ちがわかったような気がする。
「――よかった」
小さな呟きと共に、近づいてくる顔に思わず目を閉じる。
「ん……」
彼女の唇は酷く柔らかで重ねた手のように冷たかったけど、ほんのりと、心に火が灯った気がしたんだ。
――気持ちはわかったけど、僕は歴とした男の子なんだよなあ……。
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