そのにじゅうきゅう カナヅチでも良い事あるよ?
「じゃ、ゆっくりね?」
「う、うん……」
凪さんに手を引かれながらゆっくりと海の深い所まで歩いていく。プールなら少し深い所でも安心出来るが、やはり泳げない者としては海の……、しかも深い所では不安が募るのだ。
「大丈夫?」
優しく掴まれていた手にギュッと力が入った。顔に出ているであろう不安を読み取って、少しでも安心させてくれようとしているらしい。
柔らかな笑みを浮かべる凪さんに、私はなんとか笑顔を返した。
大丈夫、凪さんが手を繋いでいてくれてるから――。
「あ、手……」
「て?」
「な、なんでもないよっ」
どうして気がつかなかんだろう。
今、私凪さんと手を繋いでるんだ……。
何度か触れた事のある、男の子らしくない私よりちょっとだけ大きな手。海水の中で繋いでいるのに冷たくない。むしろ、凪さんの手からから伝わる、包まれるような温もりが心地良い。
「そう? なら行こっか」
二度、じゃぶじゃぶと水を掻き分けるように進んでいく。あくまでも私のペースで、ゆっくりと一歩一歩を踏みしめる。
ズルいよ、凪さんは……。こんなに優しくされたら、私勘違いしちゃうよ?
これは兄から妹へと送られている優しさだと思う私と、もしかしたらなんて期待を寄せる私が、胸の中でぶつかり合う。
――凪さんが好きなのは、私じゃないのに。
私が繋いだ手に少し力を込めると、凪さんは敏感に感じとって笑顔を向けてくれた。
なんでここまで優しくしてくれるんだろう。私が妹に、家族になるから?
それなら一人の女の子として優しくしてほしかった。いくら義理の妹になるからって、好きな人にそんな扱いをしてほしくない。
――凪さんは私をどう見てるんだろ?
不意に込み上げてきた疑問に思考が支配される。ぐるぐると脳内の駆け回り、無意味な葛藤を繰り返す。
私は、私と背が同じくらいで女の子みたいな顔をした凪さんだけど、こうして繋がれた手からは異性の匂いをぷんぷんと感じさせてくれる。
凪さんは家族だって言ってくれてるけど、私もそう言ってもらえるのは嬉しいけど……。今の私には凄く残酷な言葉。
家族だ、妹だと言われる度に『君の事はなんとも思ってない』と言われているも同然なのだ。
こんなにも私が胸を焦がしているというのに彼は平気な顔をしていて。
――いったいどうすれば良い?
いや、そんなのはもう決まりきっている。告白すれば良い。彼に異性として見てもらいたいなら告白して、意識してもらえば良い。
でも、それが出来るならこんなに悩む必要がないんだよなあ。
私は今、それが出来ないから悩んでいるのだ。
「この辺りで良いかな?」
胸の辺りまで浸かった所で、凪さんが立ち止まった。気付かぬうちに結構深い所に来ていたらしい。
その事に全く気付かなかったのは考え込んでいたせいか、凪さんの手のおかげか……。
「それで葉月ちゃん。泳げないってどれくらい?」
「……全然です」
「そっかそっか」
凪さんは、うんうんと頷き、もう片方の手も掴まられた。ドクンっと跳ねる鼓動が胸を強く打った。
「な、凪さん?」
「これなら安心でしょ?」
そ、それはそうだけど……。違う意味で危ないよお。
片手でもドギマギしてたのに両手を繋ぐなんて、こんな状態で泳ぎの練習に集中出来る訳がない。
「泳げない人で大体水が怖くてダメなんだよね。だから――」
にやっ、と悪戯な笑みを浮かべて私の手をギュッと握った。
「凪さ――ぶっ」
突然凪さんが海中に潜り、手を掴まれていた私は半強制的に水の中に潜った。私は強く目を瞑って、手に残る暖かな手にしがみつく。
十秒ほどたつと、瞼に太陽の陽射しが差し込んだ。
「葉月ちゃん? もう大丈夫だよ」
私が恐る恐る目を開け、ぼんやりと霞む視界をパチパチと数回瞬きを繰り返す事で凪さんの姿を確認する。
彼は胸の前で凪さんの手にしがみつく私を見て苦笑していた。
「はあ、ふう……。凪さん酷いよっ」
「まさかそこまでだとは思ってなくて。ごめんね? 大丈夫?」
私はこくんと首を縦にふる。凪さんは盛大に安堵の息を吐いて、笑みを溢した。
「私、すっごいびっくりしたんだからねっ」
からかうように笑う凪さんにむっとして、つい声を荒げてしまう。だって、水が怖いなんて絶対子供だと思われたもん。
実際怖いのに見栄をはる時点で子供と思われても仕方ないが……。
「うん、僕もびっくりした」
え? 自分からやったのに?
凪さんは微笑みながら、ほんのりと頬を赤らめていた。
「そうそう、その調子」
凪さんに手を掴んでもらって、水面にぷかっと浮かびながらばちゃばちゃと足をばたつかせる。顔を水に浸けて、十秒くらいたったら息継ぎ、そしてまた水に浸けて――をさっきからずっと繰り返していた。
凪さん曰く、とにかく水に馴れる事が大切らしい。
あんまり上達してないけど、手を繋いでいるから良しとしよう。
「そろそろ休憩しよっか?」
「ぶはっ――。は、はいっ」
凪さんは私が元気に返事をしたのがそんなに可笑しかったのか、くすくすと笑みを溢していた。
ちょ、ちょっとハキハキし過ぎたかな……。
そりゃ、練習している時より良い返事をされたら誰だって笑ってしまう。それがわかっててやる私もどうかと思うが。
上達した気はしないけど、水の中にいる不安は全くなかった。スイスイと先を行く凪さんの背中を、私は地面を蹴りながら追いかける。
どうやらあのぷかぶか浮いて、ばちゃばちゃ暴れる練習は効果的だったみたいだ。
「ふう、ちょっと気だるいね?」
「あ、うん。そうですね」
結構な時間水に入っていたせいか、身体がいつものより重く感じられた。足は思うようには上がらず、私が思っていた以上に疲労がきてる。
その点、凪さんはケロッとしていた。まあ、ほとんど私の補助をしていただけだからなんだろうけど。
凪さんに微笑みを返して、私は予め棗さんが敷いてくれていたレジャーシートにペタンと座り込む。
――あ、お姉ちゃんまだやってるよ。
お姉ちゃんは相変わらず波打ち際で、せっせとお城を作っていた。いったいアレで何代目のお城なのかはわからないけど、お姉ちゃんの事だからニケタはいってるだろう。
「葉月ちゃん」
「ひゃあっ!?」
突然冷たい感触か頬に当たり、私はほっぺを押さえて元凶を睨み付けた。
「凪さん」
「――ご、ごめん。なんか葉月ちゃんぼーっとしてたから」
あ、見られてたんだ……。
好きな人に呆けていた姿なんて見られたいはずがなく、恥ずかしさから顔が熱くなってきた。
「はい、ジュース」
「ありがとうございます」
凪さんが持っていたのは、これまた棗さんが持ってきていたクーラーボックスに入っていたオレンジジュースだった。
本当に気が利くと言うかなんと言うか……。
こんなに気遣いが出来ちゃったら私の出番がないよ。私、ノロマだから絶対先越されちゃうだろうしなあ。
私は水面に、泳ぐでもなくただ浮かぶ棗さんを眺めた。この距離でもその美しさは損なわれる事なく、まるで一つの絵画のようだった。
近付きすぎるとその雰囲気に畏怖し、離れれば芸術を感じさせる美しさに見とれてしまう。
はあ、いったい私にどうやって彼女に勝てと言うのだ……。何をとっても棗さんの方が数段上で、私なんかに勝目があるとは思えない。
それに――、私とは凪さんの彼女に対する見方が違うような気がする。いや、凪さんは棗さんが好きなんだから当たり前なんだけど。
……そう、まるで棗さんから発せられる雰囲気すらも柔らかく受け止めているような。
もう馴れちゃったんだろうね。
「………」
私が棗さんから視線を外して凪さんを見ると、凪さんは口元にうっすらと笑みを浮かべながら棗さんを眺めていた。
今の凪さんなら私でも考えてる事が手にとるようにわかった。だってついさっきまで私も考えていた事だったから。
「棗さん、綺麗だね」
私があえてそれを口にすると、凪さんは躊躇いなんて全く感じさせずに頷いた。
変な言葉の投げ掛けに戸惑いや、驚きも見せない。きっと無意識のうちに頷いていたんだろう。
「それだけ……、棗さんが綺麗なのは凪さんの中では当たり前って事かあ」
私は胸の痛みを誤魔化すように、ぐっと唇を噛んだ。
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