そのにじゅうご THE・TONSOKU・LOVE
翌朝、紅葉さんは仕事のため帰ってしまった。どうやら化粧品会社の重役だそうで、世界を駆け回っているらしい。紅葉さんが家を出る時、乙葉さんは柔らかな笑みを浮かべ、葉月ちゃんはぐずっていた。
よほどショックだったのか、紅葉さんが帰って一週間たった今でもどことなく落ち込んでいるように見える。乙葉さんに言わせればいつもの事らしいのだが……。
「どうしよっかなあ」
葉月ちゃんが元気ないと僕もなんだか嫌な気分になる。葉月ちゃんはやっぱり、あの照れたような笑顔が一番なのだから。
「凪くん〜、居る〜?」
控え目な声がドア越しに響いた。このおっとりとした声は乙葉さんだろう。
僕はベッドから起き上がってドアを開ける。
「どうしたんですか?」
「うんとね〜、今度の旅行の買い物行こうかと思って〜」
旅行、か。そういえば前にもそんな事言ってたな。む、これは葉月ちゃんを元気付けるチャンスなのでは!?
「どこに行くつもりですか?」
「えっとね〜、まだ決めてないの〜」
「………」
まだ決めてないのに買い物に行くのか? ある意味用意周到というかなんというか……、僕には理解出来ない所まで乙葉さんは考えているのだろう。うん、そういう事にしておく。
「ま、まあ良いや。ちょっと待ってて下さい。今準備しますから」
「うん〜、早くね〜」
トタトタと階段を降りる乙葉さんを見送ってから、僕はタンスから服を引っ張り出した。
乙葉さんと向かったのはいつもの商店街ではなく、この間葉月ちゃんと一緒に来たデパートだ。何を買うのかは知らないけど、ここたら大概の物は売ってるだろう。
この前は葉月ちゃんを怒らせちゃったから、でまともに見れなかったもんなあ。今日は目一杯見学せねば!!
「で、何を買うんですか?」
「……さあ〜、何買うのかな〜」
………。
「凪くん〜? どうかした〜?」
「い、いや。脳の神秘を感じていただけです」
ダメだ。まだ乙葉さんの思考回路にはついていけない。どこに行くか決まってない上に何を買うか決めてないなんて……。
余程の天才か、もしくは今すぐ病院に駆け込んで検査を受けてもらった方が良いと思う。
「よし〜、れっつらご〜だよ〜」
……前者という事にしておこう。
すたすたと歩き出す乙葉さんに続いて僕も歩く。この間見たのは地下一階。今いるのは一階で食品売り場になっている。
そんなに珍しいモノがある訳ではないのに、何故乙葉さんは楽しそうにニコニコしていた。
「あ〜、あったあった〜!」
てててっと突然駆け出して、何かに突進して行った。
「あっ、ちょっと待って!!」
これは商店街で経験済みだが、乙葉さんは異常に足が速い。僕も全力で走らなきゃ追いつかないくらいだ。
僕はそんなに足が速くないけどね。
「これだよこれこれ〜」
「……なんですかこれ?」
僕の錯覚じゃなきゃ、何か足のようにも見えるけど。
「豚足だよ〜」
満面の笑みで、豚足だよ〜って言われましてもねえ。しかも豚足のどこに旅行が関係してるんだ?
「わたし、豚足大好きなの〜」
まっっったく関係なかったようです。
かぐっと肩を落とす僕を余所に、乙葉さんはキャッキャッとはしゃぎながら豚足をカゴの中に放りこんだ。
一つ、二つ、三つ、四つ……。
「えへへ〜」
五つ、六つ――。
もう乙葉さんに突っ込むのはよそう。無駄だ、無駄としか言い様がない。ここはやはり……。
「何故こんなに豚足が大量に……」
これだけ豚足を揃えた店に突っ込むべし!!
「八つ、九つ――」
「………」
僕は乙葉さんにバレないよう細心の注意をはりながら、カゴに積まれた豚足を戻すのであった。
「ふう〜、豚足も買ったし次は二階にれっつらご〜、だよ〜」
嬉々と豚足の入った袋を片手にエスカレーターに乗る。ちなみに乙葉さんは沢山買ったと思っているらしいが、結局買ったのは三つ。どうにか豚足のフルコースは逃れたようだ。
まあ、三つしか買ってない事に気づいてないのは、乙葉さんらしいと言うかなんというか……。
でも仕方がないんだ! 豚足のフルコースなんて、想像しただけで気持ち悪いよっ。
「洋服買おうかな〜」
乙葉さんの言う通り、二階は服売り場だった。夏服で埋めつくされたその空間は、もう夏そのものだ。
来ているお客さんも女の人が多く、少し視線をずらせば下着、水着売り場が目についてなんとも居づらい。
「凪くんは水着とかいる〜?」
「い、いえ。僕はまだ去年のがありますし」
女の子はその年その年の流行を見て毎年水着を買い換えるらしいが、僕にはちょっと理解出来ない。ただ単に僕がファッションに疎いだけなのかもしれないけど、それでもまだ着れるのなら、勿体無いと思ってしまうのはしょうがないだろう。
「そっか〜、わたしも去年のがあるからいいや〜」
どうやら乙葉さんも僕と同じ考えのようだ。流石しっかりしてるのかしてないのか良くわかんない 乙葉さん。あなたはきっとそう言ってくれると、僕は信じていましたよ。
「?……」
今一瞬見知った人が視界な入ったような気がした。キョロキョロと辺りを見回すが、そんな人はどこにも居ない。
気のせい、かな?
なんとなく川澄さんに見えたような気がしたんだけど……。
「凪くん〜?」
乙葉さんは怪訝な表情で僕の顔を覗きこんだ。ぱっちりとした二重が心配そうに、僕の瞳を見つめる。
てか近い……。
「どうしたの〜?」
「い、いえ、なんでも……」
うん、やっぱり近い。なんたって鼻先が触れそうくらい距離が近づいてるんだもの。心なしか、周りのお客さんが僕らの事を熱っぽい視線で見つめているような気がする。
「体調悪いなら休憩するよ〜?」
「だ、大丈夫ですって」
んな事どうでも良いから離れてほしいんですけど。僕から離れるって手もあるが、それは男として勿体無いような……。
反発しあう二つの感情がぶつかり合う中、この微妙な雰囲気を壊す強者が現れた。
「三枝」
「うひゃうっ!!?」
心臓どころか、内蔵全てが口から溢れそうになった。
「か、川澄さん……」
怖々振り向くと、ムスッとした川澄さんが仁王立ちしていた。いつも怒ってるんじゃ? と思うくらいだが、今日はいつにもまして怒っている。
「ど、どうしたの……?」
「どうしたの、ではありません! こんな所でナニをしようとしていたのか……、恥を知りなさい恥をっ!!」
ピシャリと言われて、飛び出そうになった内蔵が縮み上がった。
「ちちち、違うよっ。乙葉さんは――」
「名前で呼ぶなんて、随分仲がよろしいのですね?」
「だ、だから話を聞いてよっ」
僕は、僕は君にだけはそんな勘違いされたくないのに……。
内心落ち込みつつも、どうやって事情を説明しようか必死に思考を巡らす。
流石に川澄さんを見たような気がして、キョロキョロしてたら乙葉さんに心配されたなんて言えない。ああ、言えないさっ。だって恥ずかしいもん!!
「凪くんのお友達〜?」
「凪くん……?」
ピクッと眉が反応し、ギロッと僕を睨みつける。
「えっと、こちらクラスメイトの川澄棗さん」
「初めまして。川澄棗です」
どんなに怒っていても、川澄さんは礼儀を忘れずに頭を下げた。つられて乙葉さんも、ふかぶか〜っと頭を下げる。
「凪くんのお友達ですか〜。わたし、凪くんのお姉さんで乙葉と言います〜」
「……姉?」
キョトンと僕を見つめて、しまったという顔をした。僕がコクンと頷くと頬をほんのり染めて視線をそらす。
でも、なんとか誤解は解けたようだね。良かった良かった!
「そうですか。これは失礼しました」
二度乙葉さんにだけ頭を下げると、僕に『紛らわしいんだよ!!』的な視線が突き刺さった。
「それで、今日はどうしたのですか?」
「うん。僕と乙葉さんと葉月ちゃんで旅行に行くんだけど、今日はその買い物」
旅行……、と呟いた川澄さんは、なにやら顎に指を添えて目を閉じる。恐ろしいおど様になっているその仕草にドクッと心臓が弾んだ。
川澄さんって綺麗だよなあ。
何度思ったかわからない事をまた再認識してしまった。相手を知れば知るほど惹かれていくとはこの事だろうか?
――多分、そうなのだろう。だって今、僕の胸は苦しいくらいドキドキしてるから。
やがて目を開けた川澄さんが小首をかしげる。
「旅行とは、何処に行く予定ですか?」
「うっ、そ、それがね」
「まだ決めてないの〜」
まるで他人事のような乙葉さんが微笑む。
「そうですか、ならば――」
川澄さんは顔を赤らめると、僕を真っ直ぐ見つめた。どこか緊張した面持ちで、恥ずかしそうに呟く。
「わ、わたしの別荘に来ませんか?」
「うん〜、良いよ〜」
「………」
にこやかに即答する乙葉さん。安心したのか、ほっと息を吐く川澄さん。
そしてそして、僕はというと――。
「……なんだこれ」
状況が理解出来ていなかった……。
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