そのにじゅうさん 秋の香りが僕の隣で...
川澄さんと別れてから家につくまでの間、葉月ちゃんは一言も口をきいてはくれなかった。どうやら葉月ちゃんを捜さずに、川澄さんと喋っていたのが原因らしい。
いや、確かに葉月ちゃんを捜さなかったのは悪いと思うよ? でも川澄さんと話していたのは葉月ちゃんを捜すのを手伝ってもらうため――ちょっとだけ下心はあったけど、捜すためだったんだ。
僕の心の声も虚しく、葉月ちゃんはずんずんと先を歩いて行く。
「あ、」
家の近くまで来た所で、葉月ちゃんが声をあげた。その視線の先を追うと、朝比奈家の前に真っ赤なスポーツカーが止めてあったのだ。
「……お母さん」
「え?」
葉月ちゃんは呟きと共に全力で駆け出す。
お母さんって……まさか!!
僕も慌てて葉月ちゃんの後を追った。玄関のドアを力任せに開け、靴を脱ぎ捨ててリビングへと走る。こんなに慌てる葉月ちゃんは初めてだ。
「お母さん!!」
リビングのドアを開けた先には、乙葉さんとにこやかに笑顔を交わす、綺麗な女の人がソファに座っていた。
「あら葉月、ただいま」
「あ、あの、初めまして。三枝凪です」
葉月ちゃんのお母さんを挟むように葉月ちゃんと乙葉さんが座り、その正面のソファに僕は座った。
「はい、初めまして。話は聞いてるわよ凪くん」
「ど、どうも……」
爽やかな笑みを向けられて頬が熱くなった。流石葉月ちゃんと乙葉さんと母親だ。この優しい笑みも良く似ている。
なんか……母さん思い出しちゃうなあ。
最後に話したのはもう随分前の事だろう。今でも最後の瞬間が脳裏で鮮明に描き出せる。悲しくて悲しくて……初めて父さんが泣いているのを見て。親戚も皆泣いていて――。
「そういえば私の自己紹介がまだだったわね。私は紅葉っていうの」
葉月ちゃんのお母さん、紅葉さんが差し出した手を軽く握って握手を交わした。柔らかく、暖かな手が触れた瞬間、ドクッと心臓が高鳴る。
そっと手を離して、ギュッと握ってみる。
――同じだ、母さんと。
優しい微笑み、柔らかな雰囲気、暖かな手。些細な、本当に小さな出来事が幼い頃の記憶を呼び覚ました。思い出せる事自体は嬉しい。嬉しいけど……それ以上に辛い。
「あら、大丈夫? 呼吸が荒いわよ?」
「だ、大丈夫です……」
苦しいほどに胸を打つ深い感情に、ぐっと拳を握っていなければ涙が溢れそうになった。
前に乙葉さんが、葉月ちゃんはお墓参りに行く度に泣いていると言っていたが、僕も同じようなものだ。
「凪くん〜? 本当に大丈夫〜?」
「大丈夫だって……たぶん」
いや、結構ヤバいかもしれない。やはり父さんが選んだ人、あまりにも母さんに雰囲気が似すぎている。
気を抜けば、ふら〜っと手を差し伸べてしまいそうだ。
「あの、父さんは?」
どうにもなりそうにないので無理矢理話題を変える事にした。幸い、気になる事もあったし。
「ああ、彼ならお仕事。私も直ぐに戻らなくちゃいけないんだけど」
「ええっ、お母さんすぐ行っちゃうの?!」
「うん、ごめんねえ葉月」
紅葉さんは悲しみに顔を歪ませて、葉月ちゃんをこれでもかと抱きしめる。少し苦しいのではないかと思うくらいの抱擁だったけど、葉月ちゃんは嬉しそうだ。
……やっぱり父さんは仕事か。
始めに再婚の事を知った時は素直に祝福しようと思ってた。でも本人を目の前にすると、どうしても母さんの姿がちらつく。
父さんは、もう母さんの事……。
「すみません、僕やっぱり部屋に戻ります」
「そう? 体調悪くなったらすぐに言ってね?」
「はい、ありがとうございます」
今、目の前に居るはいずれ僕の母親になる人だ。本当に幸せそうに笑う人だなあと思う。
でも……、でも母さんは幸せだったんだろうか? 最後に見せたあの笑顔は、幸せだから出たのだろうか?
僕はギュッと握りしめた拳を開く。
――それを知る術はもうないんだ。
「あれ……? 寝ちゃったのか」
目が覚めると辺りは暗くなっていた。もしかしたら、今日はほぼ一日中寝ていた事になるかもしれない。
気だるさに襲われながら部屋を出て、静かに階段をおりて行く。リビングの電気はまだついているから、まだ人が居るようだ。
ゆっくりとドアを開けると、ソファに深く座ってワイングラスを片手に持つ紅葉さんの姿があった。
全く音が無い空間で、ただ時計だけがカチカチと時を刻み続けている。針はもう11を指してした。
「あら、凪くん。良く眠っていたわね。もう遅いけど晩ご飯食べる?」
「いえ、お腹空いてないんで……」
「そう? じゃあこっちに座りなさいな。凪くんとは話したい事もあるし」
ポンポンッと自分の隣を叩いて僕を呼ぶ。僕は吸い寄せられるように紅葉さんの隣に座って、大きく息を吐いた。
「……早速だけど、凪くんは私とお父さんの事、どう思ってる?」
紅葉さんと父さんの事。これは正直に言って良いのだろうか。僕の言葉が、紅葉さんを傷付けてしまうんじゃ――。
「あっ、正直に言ってね。私、中途半端は嫌いなの。家族になるならとことんまでってね」
「……最初は祝福しようと思ってました」
なんだろう、この懐かしい感じは? 昔、どこかで同じような事があったような――。
「でも、母さんが……」
「亡くなったお母さんね?」
僕は首を縦に振る。
「母さんは、幸せだったのかなあって」
あの笑顔は僕を心配させないように無理矢理作り出したモノだったんじゃないか?
考えれば考えるほど疑ってしまう。ホントはそんな事したくはないのに、だ。
「母さんはまだ生きたかったじゃないかって思って……」
「……お母さんの事、良ければ聞かせてくれない?」
「――はい」
記憶を探る必要もない。だって、忘れた事なんてなかったから。思い出す必要もないほど、記憶に残る――それだけ、大切な瞬間だったから。
母さんが入院してから一ヶ月。僕はまだまだ幼かったから、良くはわからなかったけど、母さんの病気が悪くなってるって事はわかってた。
頬は痩せこけ、腕は骨格がわかるほどに細くなって、髪の毛は抜け落ちた。
僕は父さんに治るから、と言われていたのを信じて毎日病院へと通った。
そしてそれは……突然だった。
いつものように父さんと病院へ行った。丁度父さんが花瓶の水を替えに行っていて、僕は眠る母さんの手を握ってイスに腰掛けていた。
突然母さんに繋がっている機械が鳴りだし、母さんの呼吸が荒くなったのだ。
「母さんっ、どうしたの母さんっ!!?」
肩を揺さぶって大声を出しても母さんは依然として苦しそうにうめいて、反応をしめさなかった。
「――帆波? 帆波ッ!?」
戻って来た父さんが枕元にあったボタンを押すと、お医者さんと看護婦さんが二人、病室に駆け込んで来たんだ。
「父さんっ、母さんがっ、母さんが!!」
「大丈夫だ!! 凪の母さんを信じろ!!」
僕は不安と恐怖で崩れ落ちそうになる身体を、必死に父さんの身体にしがみつく事でなんとかおさえていた。背中に回された父さんのゴツゴツとした腕が、ギュッと僕を包み込む。
――大丈夫、父さんが大丈夫って言うんだから大丈夫。母さんだって昨日は楽しそうに喋ってたから大丈夫!!
僕に出来たのは自分に大丈夫だと言い聞かせる事、母さんはなんともないと信じる事しか出来なかった。
やがて、機械の音が止まって母さんの寝息が規則正しいものになっていた。
「大丈夫だよね? 母さん大丈夫だよねっ?」
僕は必死で父さんにすがりつく。
「今夜が……山です」
お医者さんの言ってる意味は良くわからなかったけど、その一言で父さんの表情が歪んだ。
「当たり前だ。母さんはそんなに弱くねえよ」
「……良かった。母さんがなんともなくて」
安堵の息と共に、僕の身体は崩れ落ちた。
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