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Silvia 〜冒険者たち〜
作:イオン



【#26 クレメンティの名】


 一瞬、シルヴィアはそれが誰だかわからなかった。 誰であるか気づいても、自分の目で見たことを信じられなかった。いや、信じたくなかった。
 シルヴィアの目の前には一人の少女が呆然と立ち尽くしていた。青ざめた顔で身体を微かに震わせ、どこか追い詰められたような憔悴した目をしている。軽く触れただけで壊れてしまいそうな、そんな危うい雰囲気がある。
 その印象がシルヴィアの記憶にある彼女とはどうしても重ならない。しかし姿形を見れば、目の前の少女はプリシッラ以外の何者にも見えなかった。

「シルヴィア……!」
「プリシッ、ラ……?」

 か細く掠れた声で、互いの名を呟く。しかしその後に言葉は続かない。
 深々と小雨が舞い降りる中、二人は互いに見つめ合ったまま立ち尽くした。
 一週間も探してやっと会えたというのに、聞きたいことが山ほどあったはずなのに、顔を合わせた途端、シルヴィアは言葉が浮かばなくなってしまった。

(なぜ……そんな目で、私を見る?)

 プリシッラがシルヴィアを見つめる目は、いつの間にか責めるようなものに変わっていた。いつも親しげに接してくれた彼女からそんな視線を向けられて、シルヴィアは涙が出そうなほど哀しくなった。

「なんで……?」

 半ば呟くような中途半端な問いに、シルヴィアは微かに肩を震わせた。

「なんで、こんな処にいるの……?」
「プリシッラ。お前を探していた」
「あたしは会いたくなんてなかったよ」

 斬りつけるような言葉を浴びせられて、シルヴィアは己の心が悲鳴を上げるのを感じた。行方を暗ますくらいだから、プリシッラが自分たちに会うことを嫌がるのは理屈の上ではわかる。しかしこうして面と向かって言葉にされると、感情は理屈を越えてざわめいた。

「見つかったならもういいでしょ? だから……帰って」

 突き放すような言葉を投げかけられて胸がずきりと痛む。しかしシルヴィアはその痛みを、歯を食い縛って堪えた。
 理屈の上ではわかりきっているのだ。プリシッラがシルヴィア達をなにかに巻き込むまいとして、わざと遠ざけるような態度を取っていることを。
 ただシルヴィアはそのなにかが何なのかをまったく知らなかった。

(本当に。私はなにも知らなかったのだな)

 密度の濃いこのひと月の間を共に過ごして、少しは気心の知れた仲になれたと思っていた。けれど思い返してみれば、シルヴィアは驚くほどプリシッラのことを何も知らなかった。
 しかしだからこそシルヴィアはここに来た。プリシッラに会い、その真意を問いただすために。だったら傷つけられたくらいでおめおめと引き下がっていられない。
 シルヴィアは心を決め、おずおずと口を開いた。

「プリシッラ。お前に何があった?」

 質問を投げかけた途端、プリシッラの肩がビクリと震えた。まるでその話題に触れるのを恐れているかのようだった。

「お願いだ。教えてくれ、プリシッラ……?」

 痛みすら伴う懇願は小雨の中に溶けていく。
 またしばしの沈黙が訪れた。雨音だけが謡う、静かな刻が流れる。
 シルヴィアの言葉が届いたのだろうか、暫くしてプリシッラは痛みを堪えるような顔で呟くように言った。

「……わかったよ」
「本当にいいのかいプリシッラ?」

 今までじっと様子を見守っていたニコが、確認するように訊いた。
 プリシッラは首を縦に振って頷いた。

「こうなったらもう隠しておけないでしょ。それに……」

 一度言葉を切って、プリシッラはもう一度シルヴィアを見つめる。その不可思議な眼差しに、シルヴィアはどきりとした。
 まるでシルヴィアの目を通して、遥か遠くの大切なものを見つめるかのような目。

「やっぱりシルヴィアには知っておいてもらいたいから……」
「私? どうして私が?」

 自分が特別視されていることをシルヴィアは訝った。
 プリシッラに問い質しはしたが、それは別に特別なことでもない。なぜ自分が特別視されたのか、シルヴィアには全く心当たりが無い。
 だが同時にその特別視を自然に受け入れている自分も存在した。まるでそれが当然であるかのような、遠い昔からそう決まっていたかのような、おかしな感覚すらある。
 相反する心の奇妙な動きに、シルヴィアは戸惑った。
 その戸惑いを払うように、プリシッラが口を開いた。

「シルヴィア。あたしにはね、もう一つ名前があるんだ」
「もう一つの名前?」
「そう。あたしのもう一つの名前は“プリシッラ・ティーク・クレメンティ”。ヴァレンタインの名が嘘って言うわけじゃないんだけれど、こっちが本当の名前」

 “クレメンティ”。その名を聞いた途端、シルヴィアは己の心が打ち震えるのを感じた。驚愕と、歓喜によって。
 無意識のうちに自身の身体を抱きしめる。しかしせり上がるような歓喜は収まらず、身体までもが震えだす。

「“クレメンティ”、だと。まさかそんな……?!」
「そのまさかだよ。あたしは二十年前に滅びたクレメンティ家の末裔なんだ」

 プリシッラの告白はシルヴィアに一つの物語を連想させた。それはこの間ロビーで読んでいた“ルーカンとロビンの冒険”だった。プリシッラの告白はその物語に重要な意味を与えようとしていた。

「わかるよね。あたしたちの血が呼び合ってるのが」
「わかる……わからないはずが、無い!」

 ルーカンとロビンは共に初代女王に仕えた家臣であり、無二の親友同士として広く知れ渡っていた。物語では女王と別行動を取った二人が、数々の冒険を力を合わせて乗り越える様が描かれている。
 クレメンティ家とは、この二人組の片割れであるロビン・クレメンティを祖にする一族。そしてシルヴィアの実家であるシュトラウス家は、もう一人の主人公、ルーカン・ブラント・シュトラウスの子孫である。つまりプリシッラの話が本当ならば、シルヴィアとプリシッラは遠い昔に友誼を結んだ親友達の末裔と言うことになった。
 そしておそらくこの話に嘘は無い。その証拠に、プリシッラの告白はシルヴィアの中に流れるルーカンの血が全力で肯定していた。

「今思うとあたし達が出会ったのも偶然じゃないかもね」

 連綿と受け継がれてきた勇者の血が二人を引き会わせたとプリシッラは暗に言う。シルヴィアもそんな気がしてならない。

「クレメンティの血筋……まさか、宿命と言うのは……」

 プリシッラの正体を知ったことで、シルヴィアにも事態が薄っすらと見えてくる。思い浮かぶのは二十年前にクレメンティ家を断絶に追い込んだ、血塗られた惨劇だった。
 その連想を見抜いたかのようにプリシッラは頷く。

「そうだよ、シルヴィア。全ては、二十年前の事件にあるの。あたしの両親が目の当たりにした惨劇に……」

 そしてプリシッラは訥々とした口調で話し出す。
 彼女の両親の激動の半生と、彼女が己に課した使命を。





 二十年前。レンスター王国がシルヴィア達の生きる時代ほどには腐敗してはおらず、後に共和国となってしまった南方のシリル公国も、健在だった時代。レンスター王国は平和の真っ只中であった。
 戦乱が起こるとすれば東方のアラク自治州の都市国家との散発的な小競り合いくらい。そんな争いの少ないだけに、傭兵は暇を持て余しがちであった。
 その日、昼間から酒場に居座っている童顔の青年もまたその一人。
 彼はたった一杯の蜂蜜酒をちびちびとやりながら、退屈そうに弓の手入れをしていた。最初に頼んだ一杯だけで何時間も粘っているので、店員たちの目は厳しい。だが彼自身はそんな事にはまるでお構いなしだった。
 見れば彼のような者は一人や二人ではない。酒場には他にも退屈そうな傭兵たちの集団が何組かいて延々とカード賭博をしていたり、くだらない愚痴をくどくどと零していた。
 そしてまた二人、似たような傭兵風の男たちが来店した。

「おぃ、見ろよ、あの男……」

 空いているテーブルに着いた二人組の片割れが、声を潜めて相棒に話しかける。彼の視線の先には弓の手入れをしている童顔の青年がいた。

「なんだよ。あの童顔のにいちゃんがどうかしたのか?」
「あいつ、ハインツ・ティークだぜ」
「な……」

 思いもよらぬ名前を耳にして、相棒は驚きのあまり椅子ごと倒れそうになった。椅子の立てた音に驚いて、周囲の視線が集中する。男は軽く手を上げて周りに謝り、上半身を乗り出して相方と顔を寄せる。

「ハインツって、“箒星の射手”か!?」
「ああ。あの童顔はラクシャスで見た覚えがある」

 数ヶ月前、東の砂漠にある都市国家のひとつが、レンスターとの国境に位置するラクシャスに攻め込むということがあった。その戦いで、単独で戦場を突っ切り、敵将を討ち取って見せた若い傭兵がいる。
 それがこの童顔の青年“ハインツ・ティーク”、この平和な時代において、数少ない英雄であった。

「俺にはただの若い傭兵にしか見えんのだが、あのハインツなら戦場に立ったら恐ろしく強いんだろうな」
「ああ、そうだ。特に奴の奥義には凄まじいものがある。たった一発で一個小隊を全滅させてしまうんだ」

 小隊とは軍隊の部隊単位の一つであり、おおよそ三十人から五十人の隊である。
 光り輝く闘気を鏃の先端に集めて光の矢として放つハインツの奥義は、その小隊を一撃で全滅させてしまうと言われていた。放った矢が天空を駆ける箒星のように見えることから、彼は“箒星の射手”と呼ばれて恐れられている。

「おっかねえな……」
「ああ、出来れば係わり合いになりたくねえよ」

 傭兵たちが身を震わせながら頷き合った丁度その時、また一人中年の男が酒場に入ってきた。それを見かけた店員や客達は彼を唖然として見つめた。
 男はそれには構う事無く、店内を見渡す。そしてなにを思ったのかハインツに目を留めて、彼の元に歩み寄った。
 ハインツは男が店に入って来たことにも気づかずに黙々と弓をいじっていた。

「ハインツ・ティーク君、だね?」

 男はやや自信無さげに声を掛けた。
 顔を上げたハインツは即座に眉を顰めた。

「あんた、何者だ?」

 「誰」ではなく「何者」。そう問わなければならないほど、男の風体は奇妙だった。
 男は一見すると貴族のように見えた。髪はきれいに整えられ、身に纏っている服も上質な物だ。
 だがその服が問題だった。元は上質でも相当古いものなのか、染めの色が褪せてきているばかりか、所々が解れており、素人の手で繕われた跡まであった。ある意味、スラムの貧民並みに酷い。
 男も自分の風袋の奇妙さに自覚があったのだろう、ハインツの怪訝な視線を苦笑しながら受け止めて名乗った。

「失礼。私は“テオドロ・フィオーレ・クレメンティ”。クレメンティ家の当主をしている者だよ」
「クレメンティ! あの子爵家の!?」

 驚愕したハインツの叫びは店内の隅から隅まで響き渡った。
 店内の客や店員がざわざわと騒ぎ出す。見る影も無く没落してしまったとは言え、クレメンティ家は伝説の英雄の末裔。レンスター王国ではその名を知らないものの方が少なかった。

「子爵様が、俺に何の用です?」

 ハインツは緊張を孕んだやや硬い声で問うた。
 知らなかったとはいえ無礼な口をきいてしまった事に内心で舌打ちする。貴族の機嫌を損ねる事に、いい事など一つも無い。
 しかしハインツの心配は杞憂だった。

「君に一つ頼みごとがあって……よければ話を聞いてもらえないかな……?」

 テオドロは怒るどころか、申し訳なさそうな顔で歯切れ悪く訊いてくる。本当に貴族かどうか疑いたくなるほどの低姿勢であった。
 ハインツは怪訝な顔でテオドロを見つめた。
 みすぼらしい男が貴族を名乗り、低姿勢で頼み事をしてくるなど、奇妙としか言いようが無い状況だった。一瞬、新手の詐欺かと疑ったが、ハインツはすぐにその考えを破棄した。詐欺にしてはあからさまに怪しすぎた。
 しかしテオドロの目は真摯で、それでいて切実だった。その目を見ていると、この男が自分にどんな頼み事をするのか確かめてみたい気持ちがわいてきた。

「いいっすよ」

 ひとまず話だけは聞いてみよう。そう思ってハインツは頷いた。
 テオドロはホッとしたように深い息を吐きながら微笑んだ。その微笑みには邪気が無く、好感が持てた。

「助かるよ。では私の屋敷に行こうか。ここでは聞かせられない話なんだ」
「わかりました」

 ハインツは席を立ち、テオドロと共に店を出た。

「こっちだ」

 テオドロは王城の方角を親指でさして、貴族達の邸宅が立ち並ぶ“貴人街”に向かって歩きだした。

「あの、馬車は無いんすか?」
「申し訳無いが、馬車は無いんだ。君には悪いが屋敷までは歩いてもらうよ」

 テオドロがまた申し訳なさそうな顔をしたので、ハインツはそれきり口を噤んだ。
 やがて道の両側から商店が消え、代わりに豪奢な屋敷が立ち並ぶようになった。貴族達の住む貴人街だ。クレメンティ家の屋敷も、当然ながらこの区画にある。

「さあ、ここだ」

 一軒の屋敷の前で、テオドロは立ち止まった。そこに建っている屋敷を見て、ハインツは絶句する。
 それはまるで幽霊屋敷のような、ボロボロの屋敷だった。
 塀は崩れ、門扉はさび付き、屋根の一部は剥がれてしまっている。窓ガラスのうち数枚は穴が空いているのか、紙が貼られていた。それでも辛うじて不気味に見えないのは、庭の手入れが行き届いていて、人が生活している気配が感じられるためだろう。

「やはり驚かせてしまったようだね」
「いや……」

 ハインツは首を横に振ったが、なんの意味も無かった。今更取り繕っても、ハインツが驚いたということは、テオドロに気づかれていた。
 テオドロは正面の門扉を開けて中に入る。古い蝶番が嫌な音を立てた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 庭の手入れをしていたのだろう、枝斬りバサミを持った老人が声を掛けてきた。

「ただいまアルバン。イザベッラは家にいるかな?」
「さあ。少なくともお出かけにはなられていませんが」
「そうか。ありがとう」

 テオドロはアルバンというらしい老人に礼を言うと、ハインツを伴って屋敷に入った。
 屋敷の中は外見以上に幽霊屋敷染みていた。
 貴族の屋敷にはつき物の芸術品などの調度の類が一切見当たらず、ホールのシャンデリアは取り除かれていた。正面の階段は手すりが崩れているばかりか、所々に穴が空いている段まであった。

「恥ずかしい話だが、これが今のクレメンティだ」

 そう言ったテオドロの声は、羞恥と屈辱と悔恨を孕んでいた。

「先祖の残した栄光に頼りすぎたのだろうな。数代前から実力に翳りが見え始めて、財産も三代前までに食いつぶし、今ではこの通り、すっかり落ちぶれてしまったよ」

 それが近年、クレメンティが目立たなくなった理由のようだった。
 家門の繁栄と衰退はあっという間の出来事である。貴族の世界においては特にそうだ。クレメンティとてそれは例外ではないだろう。

「君には……」

 テオドロは振り返って、真摯な目でハインツを見つめた。
 真剣な気持ちがその目に宿っているのを見て取って、ハインツはその迫力にほんの少しだけ気圧される。

「クレメンティを立て直す力になってもらいたいのだよ」
「俺が? どうやって?」
「それをこれから話そう。少し待っていてくれるかな。娘を探してくるから」

 テオドロは待っている間屋敷の中を見て回ってもよい旨を付け足して、壊れかけた階段を登って二階の廊下に消えていった。
 一人取り残されたハインツは暫くの間ホールに立ち尽くしていたが、そのまま手持ち無沙汰で待つのも退屈なので、言われたとおり屋敷の中を散策してみることにした。

「見た目はともかく、大きさは立派な屋敷だな」

 かつての栄光の残滓だろう。この古ぼけた屋敷は近所に並ぶ他家の邸宅よりも一回り大きいようだった。
 廊下を歩いていると、屋敷の大きさに見合う広い中庭が窓から見えた。ちょっとした公園のようにも見える。
 日のあたる場所にベンチが置いてあるのを見つけて、ハインツはそこで待たせてもらうことにした。玄関ホールからは大分離れてしまうが、テオドロが自由に見て回っていいと言ったのだから、文句を言われることは無いだろう。
 廊下の先にあった扉から中庭に出る。そしてベンチの傍まで近寄ったとき、ハインツは微かに人の気配を感じた。周囲を見渡しても人影は無い。

「……気のせいか?」

 しかしハインツが勘違いかと思いかけた時、傍にあった木の枝がガサリと揺れた。
 怪訝に思いながら、木のすぐ下まで寄って上を見上げ、そして固まった。

「なっ……!」
「ふえ?」

 一人の少女が枝の上に立っていた。
 スカートのまま木に登っているせいで、真下にいるハインツからは下着が丸見えである。男の悲しい性というものか、虚を突かれて固まりつつも、ハインツの視線はしっかりとスカートの中に固定された。
 乙女の本能からか、少女はハインツがどこを見ているのか敏感に感じ取る。

「きゃ!」

 少女は咄嗟に両手でスカートを押さえた。しかし不安定な枝の上でそんな事をすれば、その後どうなるのかは明白である。

「あ!」
「な、バカ!」

 枝に掴まっていた手を離してしまった少女はバランスを崩して足を踏み外した
 あろう事かハインツの上に落っこちてくる。なぜか尻から。

「あぅ!」
「ぐべっ!」

 少女はハインツの顔面に尻餅を付く形で落下し、押しつぶされたハインツは少女の尻の下で蛙が潰れたような声を上げた。

「あっ……たたた、大変!」

 少女は羞恥に頬を染めながらハインツの顔面から尻を退け、その顔を覗き込んだ。

「あ、あのぅ……大丈夫、ですか?」
「ある意味、幸せ……ガクッ」

 ハインツはなぜか幸せそうな顔で呟いて、意識を手放した。
 それがハインツとイザベッラの、後のプリシッラの両親となる男女の出会いだった。


To be continued








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