【#22 泥棒騒ぎ】
屋根の上に登ると、湿った風が頬を撫でた。
辺りを見渡せば立ち並ぶ家々の屋根が遥か遠くの城壁まで続いているのが見て取れた。その中でも一際目立つのはやはりこの国の中心たる王城だろう。その堂々とした威容は他の家々を圧倒し、女王の権威の大きさを物語っている。
女王が人々の王であるように、王城は家々の王であるということかもしれない。そんなことを考えながら、コルトは隣の建物に視線を戻した。
レンガで組んで造られた頑丈そうなその建物は、王立ギルド≪ストライダー≫の隊員寮だ。王国がバックにあるだけあって、その建物は四階建てと大きく、周囲の住宅より頭一つ分飛び抜けて高い。
コルトはこれからこの建物に忍び込み、目的を果たさなくてはならなかった。もし果たせなければ彼に明日は無い。後が無い事から生まれる焦燥感が、コルトの胸をじりじりと焦がした。
暗殺者の世界というものは堅気の人間が想像する以上に苛烈極まりないものがある。
生きるためには常に組織の役に立ち続けなければならず、一度でも役立たずと認識されれば、それは即座に死に直結する。コルト自身も今日まで組織から下される任務を忠実にこなし続け、時には仲間を蹴落としてでも生き延びてきたのだ。
しかし今朝の失態で彼は致命的な失敗を犯してしまった。どうにか命だけは拾ったものの、上役のマティアスには失望の目を向けられた。
上役からの失望は死を意味する。おそらくこれから数日もしないうちにコルトは組織によって拘束され、組織の伝統に従ってひよっこ達への見せしめとして処刑されることだろう。コルトが命を繋ぐには、自らの働きで失点を取り戻すより他に無い。
(プリシッラ・ヴァレンタインを単独で始末するのは不可能。だが……)
任務はプリシッラ・ヴァレンタインの暗殺と、彼女の持つ稀少な弓の奪取。優先すべきは弓、というのが依頼人の意思だ。ならば本人を殺さなくても弓さえ奪取することができれば、十分に失点を埋め合わせることはできる。
だからコルトはこれから寮に忍び込み、弓を奪取するつもりだった。
傭兵ギルドの寮に盗みに入るのは非常に危険である。下手をすれば命を落しかねない。しかしなにもしないでいても死を免れないのならば、分が悪くても賭けに出るほうがはるかにマシだった。
(……よし)
決行直前まで考え抜いたすえに腹を決めたコルトは、肩に掛けていたロープを手に取った。その先に括りつけられている鉄の鉤を回転させ、勢いを利用して隊員寮の屋上に投げ放つ。鉤は軽い金属音を辺りに響かせて、屋上の淵に引っかかった。
二、三度強く引っ張ってしっかりと掛かっていることを確かめると、コルトはロープを強く握って屋根の淵から跳んだ。振り子の原理に従って路地の上を滑るように飛び越え、隊員寮の外壁に着地する。
壁に足を着いたコルトはレンガの凹凸に足を掛けながら、するすると外壁を登っていった。一つ間違えば命は無いが、暗殺者として十分に訓練をつんでいるコルトには押し込み程度の事は造作も無い。その証拠に彼は壁を登り始めて一分も経たないうちに屋上に辿り着いた。
念のため屋上から通りを見渡してみるが、深夜の住宅街だけあって人影はまったくない。壁を上っているところを見られたというような心配は無さそうだった。
寮の屋上は洗濯物を干すのに利用されているのか、物干し竿がずらりと並んでいた。近頃の曇りの天気のためだろう、夜になっても乾かなかった洗濯物がいくつか引っ掛かっている。そのせいか、屋上は湿気の嫌なにおいが微かにした。
コルトは屋上を横切って階段室の扉に手を掛けると、出来るだけ音を立てないように慎重に押し開いた。古くなった扉が微かに軋んだ音を立てた。僅かに開いた隙間から内部に入る。
四階に下りると、階段の左右に非常に長い廊下が現れた。一度に百人以上収容できる巨大な建物だけある。階段は長い廊下のちょうど中点あたりにあった。事前の調べによれば、寮の部屋割はそこで男女に区切られており、向かって右側が男性、左側が女性の宿舎になっている。
プリシッラの部屋はこの四階の一番奥。コルトは女子の住む左の廊下を進んだ。
薄い壁の向こうから、人の寝息が微かに聴こえる。コルトは眠っている者たちを万が一にも起こさないようにと、より慎重に歩を進めていく。
そして奥から三番目の部屋の前に到達したその時――――――
「何をしているのです?」
女の声とともに、全身が芯から凍りつくような殺気を背中に感じた。
「こちらは女子の部屋です。貴方の部屋はこちらには無いと思いますが」
「あぁー、いやぁ……」
頭の中を「失敗」「警告」「口封じ」「逃走」、などの言葉が次々と過ぎった。
見つかってしまってはもう目的は果たせない。隙を見て女の口を封じ、急いで逃げるしかない。そう心に決めたコルトは、女を刺激しないようゆっくりと振り向いた。
「ひぃ……」
しかし背後にいた女を見た途端、喉の奥から引き攣った悲鳴が漏れた。小柄な女の姿をした“獣”がそこにいた。
短く切りそろえられた亜麻色の髪。露出の多い着衣から覗く浅黒い肌。腰の両側にくくりつけられた二つのチャクラム。無表情だが、強烈な眼光を放つライトパープルの瞳。
元インペリアルナイツにして王立ギルド≪ストライダー≫の副長、“砂漠の黒豹”、ミラ・アルハザード。城下でも指折りの戦闘能力を持つと言われる凄腕がそこにいた。
「見かけない顔ですね。新人でもないようですが……何者です?」
「あ、あ……」
面と向かい合っただけなのに、コルトは身体が動かなくなった。ミラの放つ剥き出しの殺気がそれだけ尋常のものではなかったということだ。まるで腹を空かして気が立っている魔獣の目の前に立たされているかのようだ。
絶対的な強者を前にしたコルトの戦意はあっさりと折れた。残ったのは絶望的な死の恐怖。
それを前にした人間にできることなどただ一つしかない。
「あ、あ、ああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
心が折れたコルトは訳がわからなくなって喚き、何も考えないまま全力で逃げ出した。
ミラに背中を向けて転がるように廊下を走り、大きなガラス窓を突き破って外へと身体を躍らせる。割れたガラスの破片が身体に傷をつけるが、恐怖で麻痺した感覚はコルトに痛みを感じさせない。
バランスを崩しそうになりながら隣の住宅の屋根に着地し、屋根の上を突っ切って隣の屋根へと跳び移る。次も、そのまた次も同じように屋根伝いに逃げていく。
しかし必死の逃走とは裏腹に、圧倒的な追跡者はいとも簡単に追いついてきた。
「質問に答えないまま行ってしまった上に窓ガラスまで割るとは……貴方、死にたいのですか?」
ミラの静かな声は質問ではなく確認であった。
コルトは自分でもわからない何かに突き動かされ、反射的に腰の短刀を抜いた。
乾いた金属音が夜の街に響くとともに、激しい衝撃がコルトの腕に伝わってきた。
短刀によって弾き返されたチャクラムは、ヒュルヒュルと音を立てながら緩やかな弧を描いて、主の手元に戻った。
「勘がいいですね」
戻ってきたチャクラムを右手でキャッチすると、ミラは屋根を蹴って高く跳躍した。
黒豹と称される女は空中でしなやかに回転し、左手のチャクラムを叩きつけるように振り下ろす。
「う、おあぁぁ!!」
脳天を目掛けて落ちてきた戦輪を、コルトは屋根の上を無様に転がることで躱した。
着地したミラは膝を曲げて勢いを殺しながら、右のチャクラムを投げて追撃する。空を切り、猛スピードで迫るチャクラム。
それを再び短刀で弾いたコルトはまた隣の屋根に飛び移り、間合いを取った。
「逃がしません」
コルトが僅かに気を緩めたその時、ミラは冷徹に宣言した。
弾かれて戻ってきた右のチャクラム。ミラはそれを受け止めず、左のチャクラムで打ち返した。
「なっ!」
あまりにも予想外の出来事にコルトは驚愕に目を見開いた。
凶悪に輝く戦輪が顔面に迫る。
完全に予想の外を突かれたため、コルトは躱すことができない。反射的に短刀を振り回して顔面ギリギリのところでチャクラムを弾き返す。
しかしそれを読んでいたミラは既に次の手を打っていた。
残っていた左手のチャクラムがいつの間にか放たれ、大きく弧を描いてコルトの右側面に迫ってきていた。先程の一撃を捌いた直後で余裕の無いコルトは、これを躱すことが出来なかった。
チャクラムに弾き飛ばされた短刀が夜空に舞った。
武器を失い尻餅を付いて呆然とするコルトに、ミラはチャクラムを回収しながら歩み寄る。
「これで落ち着いて話が出来ますね」
深々と降る細雪のような、静かで冷たい声。冷徹さの中に優しさと熱さを孕んだ不思議な声だった。
「丁度良いところで皆も到着したようです」
「え……?」
そう言われてコルトは漸く気づいた。何処からか大勢の足音が近づいてくる。
しばらくすると王立ギルド≪ストライダー≫の傭兵達が家々の屋根伝いに駆け付けた。
総勢五十人ほどの隊員がコルトとミラを取り囲んだ。部屋で眠っていたところを起きだしてきたのか、寝巻きや部屋着のまま武器だけを持っている者が大部分を占めていた。
「遅くなりました」
傭兵達を率いてきたのはアマンダだった。彼女もやはり寝起きなのか、ネグリジェ姿に呪杖という奇妙奇天烈な格好をしている。
「ご苦労様です」
ミラは頷き、コルトの前にしゃがんで目線を合わせた。
獣のような迫力のある目がコルトを射抜く。
「では質問に答えていただきましょうか。貴方は何者です?」
「……」
コルトは目を伏せて答えなかった。いや、答えられなかった。敵に捕まった程度のことで自分の正体を明かすような暗殺者は何処にも居ない。
ミラの目が「言わないとぶち殺しますよ」と殺気全開で言っていてかなり怖かったが、一度負けて諦めの境地に達していた彼は先程のように我を失うこと無く堪えることができた。
目を伏せたのはその場にラチル邸襲撃メンバーがいたからだ。当然その中にはプリシッラも混じっている。一瞬でも彼女を見てしまえばその視線で目論見を気取られてしまう可能性がある。
暫く待って無駄と悟ったのか、ミラは少し考えるそぶりを見せて再び質問してきた。
「では何が目的で寮に忍び込んだのですか?」
「……」
コルトはやはり答えなかった。
相手も無駄とわかっていてした質問だ、答えなかったところで損はしないだろう。と考えての事であったが、しかしミラの思考は彼の想像を遥かに超えた展開をみせた。
「まさか、下着泥棒ではないでしょうね?」
「は?」
これには沈黙に徹するつもりだったコルトも間抜けな声を出してしまった。
何がどうなって下着泥棒になるのかまったく理解できず、コルトは口をぽかんと開けたまま固まった。
その態度を肯定と取られたのか、周囲にいる女性隊員の殺気の篭った視線が集中する。
コルトは我に返って慌てて弁解しようとしたが、どう言えばいいものかまったく言葉が出てこなかった。まごまごと言葉を探していると、コルトは本当に下着泥棒をしたかのような気分になってくる。
「まったく、あんな下着一枚で興奮できる男の人の気が知れません」
ミラが呆れたように言って周囲の部下の見渡すと、男性陣が一斉に目を逸らした。
レンスター王国は女王が治めている国。それだけにこの国は女性がかなり強い。
「まあ、下着で興奮云々はさておいて。この男どうしましょう?」
「ぶち殺しましょう」
アマンダの問いに、ミラは躊躇も逡巡も見せず平然とそう言ってのけた。
その言葉に本気を感じ取ったコルトの顔から血の気が引いた。自分に先が無いとは分かっていたがこんなにも早く、しかも屋根の上なんかで始末されるとは思ってもいなかったのだ。もちろん覚悟も十分にはできていない。
しかし皆が絶句する中、ミラは無表情に付け足たした。
「……というのは冗談です。ふん縛って屯所に突き出しましょう」
「冗談に聞こえませんでしたよ……」
アマンダの言葉に、周囲の隊員たちが「まったくだ」とでも言うように頷いた。正直コルトもそうしたい気分だった。
やれやれと息を吐いた隊員の一人が何処からかロープを取り出してコルトを縛りにかかる。
しかし丁度その時、視界の端で何かが光るのをミラは見た。
「危ない!!」
ミラは叫びながら、ロープを持った隊員を突き飛ばす。
次の瞬間、彼が一瞬前まで居たところを何かが通り抜け――――――
「ぎっ!」
コルトの肩に突き刺さった。
「が……ぎ……あがあああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!」
途端、コルトは周囲の酸素がすべて消滅してしまったかのような、激烈な息苦しさを感じた。
ぐにゃり、と足元がたわんでバランスが崩れる。身体が勝手に痙攣し、視界が急激に狭まった。
闇が侵食してくる。
(死ぬ……)
話に聞く走馬灯だろう。今まで過ごしてきた日々の記憶が激流のように押し寄せてきた。
その直後、激烈な苦しみから開放され、今度はなにも感じなくなる。自分の身体が屋根に倒れる音も聴こえない。
その時には既に、コルトは絶命していた。
侵入者の男は飛んできた何かを肩に喰らって白目を剥き、口から泡を吹きながら倒れた。屋根の傾斜を、ゴロゴロと転がり落ちていく。
それに誰よりも早く反応したのはシルヴィアだった。彼女は転がっていく男の前に躍り出ると、屋根から落ちる前にその身体を受け止めた。
「大丈夫!?」
「私は大丈夫です。ですがこちらは……」
駆け寄ってきたアマンダに、シルヴィアは苦虫を噛み潰すような顔で頷いた。ジルの助けを借りて身を起こし、男の身体を横たえる。
男は口から大量の泡を吹いて痙攣していた。白目を剥いた眼窩には何も映していない。
「毒ね」
アマンダは男の首筋に指を当てたが、脈はもう無かった。これでは解毒のしようも無い。アマンダは強力な治癒魔法の使い手だが、死者を生き返らせることなど出来るはずが無かった。
「やられましたね」
ミラは飛び道具の飛んできた方を見たが、そこには誰も居なかった。飛び道具を放った者は既に逃げてしまったらしい。隊員たちの間に動揺が広がった。
寮に侵入した泥棒を捕らえたと思ったら、すぐに何者かによって殺されてしまった。ちょっとした泥棒騒ぎのように見えた事件がそんな不可解な展開をすれば、戸惑いを覚えてしまっても無理はない。副長のミラですら混乱しているのだから。
「戻った方がよさそうですね」
これ以上ここにいるのは得策ではないとミラは判断した。
五十人を越える傭兵の目を掻い潜ってまでつけた以上、今夜の騒ぎにはなにか裏があるに違いない。だとすれば死体を回収しに新手がやってくる可能性も捨て切れない。ここは検証を後回しにして、死体を本部に収容した方がいいだろう。
ミラは死体を運ぶための人員として二組のペアと、自分の補佐をするアマンダを残し、残る四十余人には寮に戻るように指示した。
副長の指示に従い、ストライダーの面々は即座に動き出す。あまりにも怪しすぎる展開に皆混乱していた。
故に、寮に戻るプリシッラの顔が異常に青褪めていた事に気付く余裕のある者は誰もいなかった。
その夜、プリシッラ・ヴァレンタインは姿を消した。
To be continued |