【#20 幕間】
清澄な筈の森の空気は、濃密な血の匂いに穢されていた。
辺りを見れば、緑色に混じる赤、赤、赤。
横たわる死体には恐ろしげな死に顔が刻まれ、彼らが味わった恐怖を物語っている。
部下の知らせを受けて駆けつけた殺し屋、“マティアス・シャリエ・バルドー”はその光景を見て己が目を疑った。
人選に誤りは無かった。差し向けた暗殺者達はよく訓練され、経験も十分に積んだ優秀な者たちだったはずだ。
だが返ってきた結果は任務完了どころか、返り討ちにあって全滅というもの。しかも相手はたった一人の小娘だ。部下の能力を信頼していただけに、俄かには信じ難い結果だった。
しかし実際にこの目で現場を見た以上、信じられない結果でも事実として受け止めざるを得ない。都合の良い妄想に縋ることに一片の意味も無いのだから。
靴の裏でマッチを擦り、紙巻きタバコに火をつける。肺一杯に紫煙を吸い込んで、吐き出す。丁度その時、すぐそばの太い木の幹に目が止まった。
マティアスは、口の端を歪めて嗤った。
『必ず潰す。首を洗って待つがいい――――――“流星の射手”、“プリシッラ・ティーク・クレメンティ”』
幹に刻まれていたのは獲物からの挑戦状。
おかしな話だ。殺し屋はマティアスの方だというのに、相手もこちらを潰すと言っている。
「こいつをどう思う?」
付いて来ていたコルトに訊いてみる。しかしその何気ない問いかけに、彼は大げさに驚いて身体を大きく震わせた。
その反応にマティアスは眉を顰める。
「大丈夫か?」
「いえ、大丈夫です……」
コルトはどちらとも受け取れる、意味の無い答え方をした。
明らかに上の空な様子に、マティアスは内心で嘆息した。
思えばこの森に入ってから、コルトはずっと落ち着かなかった。なにかに怯えるようにあちこちに視線をさまよわせ、ちょっとした物音にも敏感に反応している。
彼がそんな様子なのも、無理もないかもしれない。コルトは今朝の敗北から生還した唯一の当事者だ。おそらくここで起こったことが原因で心に恐怖を刻み付けてしまったのだろう。色々話を聞こうと思って連れてきたのだが、これでは役に立たなそうだ。もしかするとこのまま一生使えないままになってしまうかもしれない。
マティアスはコルトとの会話を諦め、舌打ちしながらタバコを吐き捨てた。
「帰るぞ」
「は、はいっ!」
捨てたタバコを踏み消して踵を返す。
(さて、どうするか)
マティアスは森を戻りながら、これからの行動について考えた。
頼まれた仕事はキッチリとこなすつもりだが、依頼人にはとりあえず一度申し開きをしておいた方がいいだろう。もちろん舐めた真似をしてくれた小娘はこの手で必ず殺す。でなければ裏の世界で面子を保つことはできないし、それに――――――
(なにより俺の誇りが許さない)
マティアスは胸元に手を当てる。硬い鉄の感触が服を通して伝わってくる。
次の手はもう打ってある。念のためにと仕掛けておいた遊びのような布石であったが、上手く機能してくれれば役に立つだろう。
(潰すのはこっちの方だ。闇の貴族に逆らう事がどんな意味を持つのか、思い知らせてやる)
王都、マグメルドの街角は今日も騒がしい。
特に四つあるメインストリートの中で最も賑わう北門通りは、今日も多くの人で賑わっていた。
狩りを終えて王都に戻ったプリシッラは、人混みを避けてメインストリートから一本外れた道に入った。獲れた獲物を満杯に詰めた皮袋を肩から下げ、いつも獲物を引き取ってもらっているヴィセンタール商会を目指す。
ラチル邸での事件から約半月。
事件の際の命令違反で謹慎をくらったプリシッラは、森で狩りをして獲れた獲物を売り払うことで生計を立てている。おかげでいつも獲物を売りに行くヴィセンタール商会の人々とはすっかり顔なじみになっていた。
(それにしても、今朝は怖かったなぁ)
通りを歩きながら、プリシッラは今朝の戦闘のことを思い出す。
矢を放ってきた謎の集団、あれはどう見ても盗賊の類ではなかった。一方的な展開でほとんど見ることはできなかったものの、彼らの動きはよく訓練されたものだったように見えた。少なくとも寄せ集めの盗賊団の動きではない。手口から見て正体はおそらく暗殺者、それもプリシッラ個人を狙っている者たちのようだった。
(今になって考えてみると、結構ヤバかった)
結果的には一方的な大勝利だったが、プリシッラが思うに実際のところはそれほど楽勝でもなかった。
数日前から監視されているのに気づき、狩りをするふりをして少しずつ罠を仕掛けていたからこそ今回は勝てたのだ。もし暗殺者の監視に気づいていなければ、もしこちらの罠に気づかれていたら、その時は間違いなく命は無かった。
(これからどうしようかな?)
襲撃はプリシッラ個人を狙ったものだ。一度撃退しただけで終わるとは到底思えない。こちらを狙う者がいる限り襲撃は続くことだろう。だから次の襲撃のことを考えて、慎重に行動しなければならないとプリシッラは感じていた。
(受け身に回ったままはまずいよね)
狙われる側でいるのには限界がある。正体不明の相手に常に狙われ続けるのは体力と精神力の消耗が激しく、常に後手で戦わなければいけないため危険度も大きい。この先プリシッラが生き残るためには、攻めに回らなければならないだろう。
しかし攻めに回るには一つ問題があった。それは敵の正体がわからないということだ。どこの誰を潰せばいいのかわからないのでは攻めようがない。
(心当たり多すぎるしなぁ)
プリシッラは苦い表情で頭を掻く。心当たりを考えてみても、多すぎて絞り込めやしなかった。上手いこと敵の正体を知る方法を考えてみるが、それも上手くいかない。
結局、何の考えも浮かばないままヴィセンタール商会の搬入口に着いてしまった。
プリシッラは瞬時に頭を切り替え、焦りと苛立ちを飲み込んだ。
「こんちはー!」
いつもどおり元気よく挨拶すると、搬入口にいた人々が一斉に振り向いた。
「よう、プリシッラちゃん」
「今日も獲物を売りにきたのかい?」
作業の手を止めた男衆がすぐに集まってくる。可愛い女の子が来た途端に目の色を変えた男どもを、女性たちが憮然たる面持ちで注意するが、彼らはまるで耳を貸さなかった。
しかしそれはいつものこと。女たちはすぐに諦めて呆れたように嘆息すると、男どもと一緒にプリシッラの元に寄って来た。
「今日は大猟だよ」
そう言ってパンパンに膨らんだ皮袋を掲げて見せると、周囲から感嘆の声が上がった。プリシッラは得意げな顔でえっへんと胸を張った。
「それじゃあ、スザンナを呼んでくるよ」
若者の一人が素早く反応し、店の奥に駆け込んでいった。先を越された男たち恨めしそうな目つきで若者の消えた方を見つめ、やっかみの声を上げた。
しばらくすると奥から若い女性が出てきた。彼女が来たのを見て、周りに集まっていた人々はそれぞれ自分の仕事に戻っていった。
「いらっしゃいプリシッラ。今日も獲物の換金かしら?」
「うん。今日はいつもより多いよ」
スザンナと呼ばれた女性はヴィセンタール商会の従業員だ。プリシッラが商会に出入りし始めた頃に入ってきた新米で、歳が近いこともあって二人は仲が良い。そのこともあってプリシッラが商会に持ち込んだ獲物を換金してくれるのは、いつもスザンナだった。
プリシッラはいつもと同じように、獲物の詰まった皮袋をスザンナに手渡した。するとスザンナは驚いたように目を瞠った。
「すごい大猟ね。早速計量してみましょう」
「うん。お願いね」
スザンナは受け取った皮袋の中身を台の上に出すと、種類別に分けてそれぞれ秤にかけていく。その手つきは実に丁寧で慎重だった。また、それを見守るプリシッラの目にも油断が無い。
そんなお互いの用心深さは、商売の世界が如何に虚実入り乱れているかを、暗に物語っていた。商売は物と金のやり取り、価値と価値の交換。その中で不正を働こうとする連中は後を絶たない。
たとえば今のように猟で獲れた獲物を換金する場合、獲物の価値は重さで決まってくるのだが、売る側が獲物の中に予め重りを仕込んで価値を水増しするという不正が存在する。逆に買う側が秤に載せる錘の重量を誤魔化して価値を釣り下げるということもある。
こういった不正が無いように、価値の計量はお互いにお互いを見張り合いながら行う。それが売り手と買い手の自衛手段であり、信用の形なのだ。
スザンナはすべての獲物の重さを測り終えると、今度はその重さと現在の相場を踏まえて算盤を弾いた。
「これで全部ね。この金額でどうかしら?」
やがて計算を終えたスザンナが明細を渡してくる。それを受け取って見たプリシッラは、驚きに目を瞠った。
「うえぇ! ちょっとなんなのこの金額!?」
叫んだ声が裏返った。
最初は思っていた金額の半分に見えた。しかしよくよく見てみると、桁が一つ多い。つまり明細に書かれていた金額は、プリシッラが想像していた金額の約五倍だった。驚きを隠せないのも無理は無い。
プリシッラの混乱する様子を見て、スザンナは眉の端を下げて困ったように言った。
「それがね。今朝からお肉がほとんど市場に出回らなくなってしまったの。それで今はどんなお肉でも普段の相場の五倍以上の金額なのよ」
「うわ、なにそれ! 肉屋とか困ってんじゃない?」
「ええ。今朝は大混乱だったわ」
そう言ってスザンナは深い溜息を吐いた。よく見ると彼女は少し顔色が悪くて、ひどく疲れているように見える。
「なんだってそんな事になってんのさ?」
「噂では、どこかのお大尽が市場のお肉をすべて買い占めてしまったそうよ」
どこの金持ちかは知らないが、実に迷惑な話だ。下手をすれば王都中の肉屋や飲食店がバタバタと潰れるかもしれない。
しかし肉を売ろうとしているプリシッラには、その迷惑な話も都合がいい。商会には気の毒だが、商売の原則に従って市場の相場に見合った金額を払ってもらうこととしよう。
「じゃこれでお願い」
「わかったわ」
せめてもの気遣いとして値段を釣り上げる交渉は無しにして、プリシッラは獲物を換金した。
スザンナの手から渡された貨幣には、いつも換金する時には無い銀貨が混じっていた。
ヴィセンタール商会を後にしたプリシッラは、買い物をしながらマグメルドの“北東区”に向かった。
マグメルドという都市は五つの区画に分かれている。
王国の行政の中心となっているマクリール城を中心に、それを取り囲むようにして存在するのが“貴人区”。瀟洒な屋敷が立ち並ぶ貴族達の区画だ。
その外縁の一般区画は東西南北それぞれに向かって走るメインストリートによって、四つに分断されている。その中の一つ“北東区”は平民達の住宅が密集する区域だ。王立ギルド≪ストライダー≫の本部や隊員寮もここにあった。
プリシッラが胸に抱えている紙袋には、お菓子が一杯詰まっていた。それは“見舞い”のための差し入れだった。
「およ?」
メインストリートから二本道を外れて寮がある通りに出たプリシッラは、二十メートルほど先を歩く女性に目を留めた。錆色の髪をうなじの後ろで纏めた髪型、身長がやや高くほっそりとしたその後姿には見覚えがあった。
「カレーン!」
大声で名前を呼ぶと、女性は立ち止って振り返った。
前を歩いていたのはカレン・ハスキル。ジルの古い知り合いで、“南東区”のスラムで孤児院を経営している人だった。
プリシッラは小走りで駆け、カレンの隣に並んだ。
「あら、プリシッラじゃない。今帰り?」
「うん。カレンは二人のお見舞い?」
「そうよ。ちょっとジルの様子を見に行くところ。無事に退院したけど、まだ大変みたいだし」
事件後からずっと本部の医務室に入院していたシルヴィアとジルは、三日ほど前に無事退院していた。
しかしすぐに仕事復帰とはならない。ジルの身体はまだ本調子には程遠く、寮に戻っても療養生活が続いている。加えてプリシッラやニコと同じく謹慎中の身でもあるので、たとえ無理をしても仕事を回してもらえない状態であった。
「たしかに。怪我はほぼ治ったみたいだけど、生活苦しそうだもん」
「そう思うならもうちょっと気の利いたもの差し入れてあげなさいよ、あんたは……」
カレンはプリシッラが大量のお菓子を抱えているのを見て、深いため息を吐いた。
半月前の事件の折に知り合って、今日のように見舞いに来るたびに顔を合わせているが、カレンはプリシッラがお菓子以外の差し入れを持ってきたところを見たことが無かった。
それでもシルヴィア達のところに持っていくのならばまだいい。問題なのは孤児院に遊びに来る時にもお菓子を持って来る事だ。甘いお菓子を食べた子供たちに虫歯に罹る子が急激に増えてきていて、カレンの悩みの種となっている。
「あれ?」
「なんだか騒がしいわね」
やがて寮の近所に差し掛かった二人は、寮の前が妙に騒がしい事に気付いて、怪訝そうに顔を見合わせた。
十数人の隊員たちがたむろしている。皆揃って旅装をしているところを見るに、どこかに遠出するようだった。
「ウィル兄、ウィル兄。なんかあったの?」
事情を訊こうとしてプリシッラが声を掛けたのは、腰の両側に二丁のボウガンを装備した青年。“ウィリアム・フェイルノウト”、クライドとミラに次ぐ、≪ストライダー≫ナンバースリーのベテラン隊員である。
声を掛けられたウィルは隣のカレンには聴こえないように声を潜めて答えた。
「昼前に城から緊急の通達があったんだ」
「それって大事件ってこと?」
「大事件も大事件さ。南部防衛線の駐留軍から機密が盗まれたんだから」
ウィルの話した事件の内容には流石のプリシッラも息を呑んだ。
レンスター南部は十年前から分裂状態が続いている。南部地方を南北に分けるようにあるクゥエン山脈を境界にレンスター王国が北側を、平民たちで組織された反乱軍が南側を支配しているのだ。
そのためクゥエン山脈を北に抜ける唯一のルートであるラインハルト峡谷は、南方公爵の擁する“碧玉騎士団”が厳しく監視し、女王直属の帝威騎士団の一部もそれに参加していた。
故に防衛線には王国でも中央に次ぐ戦力が集まる。そこから機密が盗まれたならば、王国の存亡に関わる大事件であった。
「俺とマスターはこれから南部に向かうよ。君達も十分気をつけるんだぞ」
「準備は済んだかっ?」
話が終わった丁度その時、自らも準備を終えたらしいクライドが寮から出てきた。
「今回は危険な任務になる可能性が高い。十分気を引き締めていけよ!」
『了解!』
「よし。行くぞ!」
クライドを先頭に、隊員達は続々と厩に駆けて行く。
「俺達がいない間に問題を起こさないでおくれよ」
「ぬな!」
言うだけ言ってウィルも後に続いて駆けて行く。
「いつもいつも、あんたは一言多いわーー!」
そう叫んだプリシッラの声は、隊員たちに気を取られていた通行人たちが一斉に振り返るほど大きな声だった。
To be continued |