【#19 流星の射手】
“友を友と呼ぶことに理由など要らない”。
ルーカン・ブラント・シュトラウス。
“ラチル邸襲撃事件”。
違法な奴隷売買を行っていた悪徳商人の屋敷を少数の傭兵が襲撃したその事件が起こってから、王都ではある噂が実しやかに囁かれていた。
男はラチルと間接的に繋がりがあった。だから彼の耳にその噂が飛び込んできたのは偶然ではない。
初めて噂を聞いた時、男は肝を潰すほど驚いた。城の尖塔の天辺から突き落とされたかのように身体に怖気が走り、目の前が一瞬真っ白になった程だった。
その場はなんとか平静を装って凌いだものの、それからは寒気がずっと取れず身体の震えが収まらない。わき上がる不安と恐怖に苛まれながら、なにかの間違いではないか、根も葉もない噂に過ぎないのではないかと無理矢理にでも思い込んで、現実からの逃避を図ったこともあった。
しかしこうして暗い書斎に篭って、掻き集めた情報を分析すればするほど噂の信憑性は高まり、現実はとても無視できないほどに重く圧し掛かってきた。
男は神をも恐れぬ罪人だった。直接手を下した事は未だ無いが、今までに死に追いやった人間の数は数知れない。しかし彼は貧民や平民を何百人殺したところで心を痛めることなく、己の所業に恐怖することも無い。彼が恐れているのは自分に対して復讐の念を持ち、実際にそれを成功しうる人間だった。噂の中心になっている人物はその復讐者になりうる人物だった。
恐怖と共に後悔が募り、この事態を招いた二十年前の自分を心の中で激しく責め立てた。
濁流に消えたという報告だけで奴らが死んだと判断したのがそもそもの間違いだった。正体を曝してしまうリスクを負ってでも死体を探し出し、この目で確認すべきだったのだ。
(いかんな)
いつの間にか不毛な思考をしていることに気づいて男は被りを振った。気分を変えようと、革張りの椅子から立ち上がって窓の外を見る。
王都の夜空には満天の星空が広がっていた。冷然とした蒼天に澄んだ輝きを放つ星々が散りばめられている。まるで暗幕の上にダイヤモンドの粒を撒いたかのようだった。
王都マグメルドはレンスターでも特別に星がよく見える場所に建っていると言われている。そのため王都の夜空を初めて見た者はその美しさに心を奪われて、夜が明けるまで阿呆のように見上げ続けるという。長い棒を持って屋根に上って星を叩き落そうとしたという、笑いを誘う逸話もあった。
そんな多くの者を魅了する星々の海を見て、男は先ほどの恐怖を凌駕する憎しみがわき上がるのを感じた。炯々と輝く星の名は、彼を苛む復讐者を指す言葉でもあった。
そうしてしばらく星を見ていると、腹の底が煮え滾るような憎しみはやがて殺意に変わった。
(待てよ)
恐怖を塗り潰す殺意を自覚したことで、今の状況が決して不利ではないことに男は気づいた。
二十年の時を経て復讐者が現れた原因は、正体を隠しぬくことを選択してしまったことだ。しかしそのおかげでこちらの正体はまだ知られていない可能性が高い。
そのことに思い至った時には、思わぬ敵の出現に対する戸惑いと恐怖は嘘のように消えていた。その代わりに男の中で欲望の黒い炎がめらめらと燃え上がった。
早ければ早いほうがより良いと考えた男は、すぐに執事を呼びつけて馬車の準備をさせた。
今までに集めた情報を資料としてまとめ、それを持って屋敷を出た。
馬車に乗って向かった先は、普段ならば絶対近づかない裏町。スラムの一角にある一軒の酒場だった。
男は通りに馬車を止めさせ、御者に待つように命じて酒場の中に入った。
狭苦しい酒場は見るからに堅気ではない者たちの溜まり場だった。男も女も老人も、生まれてこの方まともな生き方をした事の無さそうな連中ばかり。
彼らの持つありとあらゆる“毒気”の気配に、育ちの良い貴族の男は胸糞が悪くなった。安酒と安煙草、微かに漂う商売女の香水の匂いが彼の不快感をさらに煽った。
(何度来ても慣れん場所だ)
酒を飲みながらカード賭博に興じている者や、水煙草を吸っている派手な女などの間をすり抜けて奥に向かう。明らかに場違いな貴族の男に目を留める者もいたが、彼は当然無視した。
目的の“殺し屋”はいつも通り一番奥のテーブルにいた。前に来たときと同じように化粧の濃い娼婦を一人隣に侍らせていた。
「あんたか。今度は誰を殺すんだ?」
随分と乱暴な挨拶だが、男は構わなかった。そもそも貧民に礼儀など期待していないという事もあるが、一分でも早くこの場から抜け出したい彼には注意する手間すら惜しかった。
懐から資料を取り出して投げ渡す。
「この娘を始末しろ」
「ほう」
資料に目を通す殺し屋が、興味深そうに声を上げた。
「こいつは面白い。まさかとは思うが、二十年前の事件もあんたの差し金か?」
「余計な詮索はするな。金は払う。貴様は黙って仕事をすればいい」
「失礼。だがあまりにも珍しく、面白い依頼なのでつい、な……」
男は殺し屋を睨んだが、それ以上は何も言わなかった。
面白がられるのも無理はない。何なにせ依頼に際して持ってきた資料は、二十年前に大衆の注目を浴びながらも、何一つとして真相が知れなかった大事件の真実を暗示する内容が含まれていた。
しかしやはりプロはプロ。すぐに仕事と割り切ったのか、熱心に書類に目を通し始めた。どんなに奇妙であっても依頼は依頼でしかない、真剣な面持ちが雄弁に語っていた。
「期日は早い方が良いな? ほかに何か希望はあるか?」
「回収して欲しいものがある。むしろそちらを優先してもらいたい」
「わかった。物は何だ?」
殺し屋は奇妙な表情をしながらも聴き返して来た。
その後、こまごまとした打ち合わせを終えて、男は酒場を出た。酒と煙草とクスリの匂いからは開放されたが、外に出たら出たで道端に堆積した汚物の匂いが鼻を突いた。
込み上げて来る嫌悪感を堪えながら馬車に戻る。
席に座ると一仕事終えた安堵からか、深いため息が出た。
「これでいい」
窓の外を夜の街の景色が流れていく。石畳を打つ馬の蹄が規則的なリズムを奏でる。
打てる手は打った。後は結果を待つだけだった。
「珍しいこともあるんだな」
暗殺稼業は長いが、こんな依頼を受けたのは初めてだった。
今までにしてきた仕事と言えば貴族か富豪の暗殺か、そうでなければ逃亡犯の口封じやしつこく付き纏う商売女の始末などだった。しかし今回は標的が平民の傭兵、それもまだ成人していない少女という今までにないケースだった。
平民の子供を殺すのが初めてと言うわけではない。今までにも貴族の相続争いや跡目争いに巻き込まれた妾腹の子を何人か殺している。しかしこの標的はそれらとも毛色が違った。
「しかし依頼は依頼だ。モノは確保する。娘は殺す」
読み終わった資料をテーブルに放る。あまりに乱暴に扱ったせいで束ねる紐が外れ、書類がテーブルや床に散らばった。
「もぅ、しょうがないわね」
隣に座っていた娼婦の女が、ブツブツと文句を言いながらも丁寧な手つきで書類を拾う。
化粧のけばい、見栄えのあまり好くない女だが、こういう妙に甲斐甲斐しいところがあって気に入っていた。こんなところで商売女をしていなければ、嫁の貰い手がたくさんいたことだろうとも思う。
「行くぞ」
「え、ちょっと!」
殺し屋は女の手を引いて席を立った。
女は書類を気にしていたようだが構わない。強引に手を引っ張って引きずるように階段を上り、宿屋になっている二階に上がる。
「可愛がってやるよ」
耳元でそう囁いてやると、女は少女のように顔を赤らめて目を逸らした。
彼女は基本的にこの殺し屋しか相手にしない。仕事を始めた頃からずっと彼のベッドで朝を迎えている。商売女には相応しくない一途さだが、そんなところも気に入っていた。
優しく髪を撫でてやりながら空いた手でドアを開け、部屋に入る。
わだかまる闇を蹴散らす星明かり。かすかな青い光の中に映し出された女の神聖さすら感じさせる出で立ちはまるで女神のようだった。
朝の森には清浄な空気が満ち、深呼吸をすれば身体中の淀みや汚れが出ていくような気がした。
(あの人にも困ったものだ)
草木の間に身を隠すコルトは、口には出さず心の中で一人ごちた。
今頃彼の上司はいつもの女と懇ろに過ごしている事だろう。先週彼が請けた仕事をコルトたちがする羽目になった。金はちゃんと払ってくれるので仕事を回してくれるのは有難いのだが、金が底をつくまでは自分ではまったく働かない上司の姿勢は少々心配になってくる。
(いっそ付いて行く人変えるか?)
コルトは一瞬そう思ったが、すぐに無理だろうなと思い直した。
今までにも何度か同じ事を考えたが、いつも最後にはもとの鞘に納まってしまう。今回もそうに決まっている。
「来ました」
そんなことを考えていると見張りにやっていた部下が戻ってきた。どうやら標的が到着したらしい。
しばらく待っているとそれらしき少女が木立の間に姿を現した。
年の頃は十五、六。髪は栗色のポニーテールで、背中には大きな弓と矢筒を背負っている。体格は標準的で、やや丸みのある輪郭に子猫のような大きな目を持つ愛らしい顔立ちをしていた。
その特徴は資料にあった情報と一致する。彼女が今回の標的で間違い無いようだった。
(あの娘があの……?)
コルトは興味深そうな目で標的を見つめた。
始末すべき標的に興味を抱くなど、本来猟犬たる彼には許されないことだ。しかしあまりにも珍しい任務の内容に、今回ばかりは好奇心が抑えきれなかった。
標的の名はプリシッラ・ヴァレンタイン。表向きには王立ギルド≪ストライダー≫の傭兵となっているが、資料にはある二人の人物との関係が類推されている。
もしもそれが本当ならば貴族たちの社交界は震撼するだろう、とコルトは思った。ちょうど二十年前のある大事件の時がそうであったように。
そしてプリシッラがそんな事情を抱えているからこそ、彼女を始末したいと言う人物が存在する。
(なんにしろ、やることに変わりは無いか)
コルトのすべき事は一つ。与えられた任務を忠実にこなすことのみ。猟犬にはただそれだけが求められる。
狩りの獲物を探しているプリシッラを注意深く観察しながら、部下と共に仕掛けるタイミングを待つ。
相手は腕利きの傭兵。彼らのような暗殺者が正面から戦うには辛い相手だ。
本来、暗殺とは一方的に行われるワンサイドゲーム。相手に反撃の暇も与えず、一瞬で仕留める。それがコルトの知る暗殺のセオリーであり極意である。
故に、暗殺者というものは戦闘になった時点で命運が尽きる。しかし、逆に言えば戦闘にさえならなければ独壇場を築くことができるのだ。
「いつでもいけるようにしておけ」
周囲に散らばっている部下たちに指令を送る。それに伴って部下たちは一斉に弓矢を用意した。
矢の先端は透明の液体で濡れていた。それは掠めただけで動けなくなる強力な痺れ薬だった。いつもは死に至る毒を使うのだが、今回は事情があってこの場で殺すわけにはいかない。
「いい腕してますね」
標的が獲物を仕留めるのを見て部下の一人が漏らした。
たしかに少女の弓の腕前は尋常ではなかった。獲物を見つけてから矢を放つまでの動作が恐ろしく速い。しかも狙うそぶりもほとんど見せずに放った矢が、全てが寸分違わず獲物の急所を射抜くのだ。まだ成人もしていない少女とは思えない程の凄腕だった。
しかしコルトの目はプリシッラの腕前よりも彼女の持つ弓に注がれていた。
彼女の持つという稀少品の弓を回収する。それが依頼人の提示した最優先事項だった。だからコルトには少女を殺す事無く生け捕りにせよとの命が下っていた。毒矢が使えないのはそのためだ。もし彼女が物を持っていなかった場合、殺してしまっていては隠し場所を吐かせるここができない。
痺れ薬を仕込んだ矢で波状攻撃を仕掛け、薬が効いてきたところを捕らえる。これがコルトの立てた作戦だった。矢の当たり所が悪ければ殺してしまうかもしれないが、見たところ問題なさそうだ。彼女ほどの実力ならば手傷を負う事はあっても、殺気の無い矢に急所をい抜かれるようなへまはしない。その証拠にプリシッラの狩りは信じられないほど順調だった。
狩りを行うプリシッラと、それを隠れて追うコルト達は森の奥深くまで来ていた。青々と茂る緑の匂いが噎せ返りそうなほどに強い。
ここに来るまでの間に、プリシッラは兎を一羽、鳥を三羽ほど仕留めていた。いずれも百発百中で、狙った獲物は一匹も逃がしていなかった。
しばらくしてまた兎を一羽仕留めると、背負っていた皮袋が満杯になった。
そしてそろそろ狩りを終わらせようとでも思ったのか、プリシッラは大きく伸びをしながら踵を返した。太い大木の後ろにその姿が消える。
標的は狩りを終えて気が緩んでいる。そう判断したコルトはここで仕掛けることにした。
手を上げて部下に合図を送る。痺れ薬つきの矢を番え、弦を引き絞る。
弦が張り詰めると共に緊張感が一気に高まった。仕掛けるのは木の後ろから出てきた直後。コルトはいつでも指示を出せる体勢をとりながら時を待った。
違和感を持ったのは待ち始めて十数秒後。
標的が大木の後ろから一向に出てこなかった。幹の太い木とはいえ、後ろを通過するのには五秒も要らないはず。
(どうしたんだ?)
コルトが戸惑いを表情に滲ませたその瞬間、魂切るような悲鳴が辺りに響き渡った。
「うわあああぁぁぁ!!」
離れた場所にいた部下の一人の身体が唐突に宙に浮かび上がった。足に絡まったロープに逆さに吊り上げられて、あっという間に枝葉の中に引き込まれてしまう。
「ひぎっ!」
二度目の短い悲鳴と共に、樹上から赤い雨が降った。
それに少し遅れて落ちてきたのは、変わり果てた姿となった部下。首を掻き切られて夥しい血を流し、自らの血に溺れて絶命していた。
「ひぃぃいっ!」
「うああぁぁぁあl!」
コルトが状況を把握する暇も無いまま、森のあちこちから悲鳴が上がった。暗殺者達が次々と樹上に引き込まれ、血の雨を降らしていく。
「お、落ち着け! 下手に動くな!」
コルトは咄嗟に叫ぶが、叫んだ彼自身の声も酷く興奮していて却って逆効果だった。
(あの娘……木の上を移動して!)
少女はコルトの部下達を罠で吊るし上げ、樹上を移動しながら一人ずつ始末している。いきなりの事に、部下達は全く対応できていない。標的だった少女は、もはや恐るべき敵と化していた。
「く……退却するぞ!」
弓の回収どころではない。このままでは全滅は必至だとコルトは判断した。
命令を発してすぐに彼自身も逃走を始める。しかし七人いた部下のうち、付いてきたのはたったの二人だった。
(なんてことだ……!)
腕利きの傭兵だとは聞いていたが、まさか少女一人にここまでやられるとはコルトは思ってもみなかった。
敵はナイフから弓矢に持ち替えたのか、飛来した矢がコルトの耳もとを通り過ぎる。
「ぐぎゃ」
「うっ……」
付いて来ていた二人の部下が悲鳴を上げ、気配が消えていく。残るはコルト一人。
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
孤立したことで恐怖が一気に押し寄せ、コルトは引き攣った悲鳴を上げた。
死にたくない。ただそれだけの思いに駆り立てられ、必死に走り続ける。息が切れても心臓が破裂しそうに鼓動しても、足を止めない。走って、走って走って、走って走って走って、倒れるまで走り続けた。
「ま、一人くらい逃がしてあげるか」
必死に逃げていく暗殺者の背中を見送りながら、プリシッラは一人呟いた。
弓を下ろし、使わなかった矢を筒にしまう。血の付いたナイフも念入りに拭って鞘に納めた。そして大木の傍まで戻って、木登りする前に放り捨てた皮袋を回収した。
あたりを見渡すと森は血に濡れた死体だらけだった。生臭さと鉄臭さの入り混じった血の臭いが嗅覚を刺激し吐き気がする。
しかしプリシッラは目を背けなかった。強い意志を宿した目で、惨劇の場を見つめ続けた。
(とうとう、来た)
プリシッラは自分を狙っていたのが単なる野盗でないことから、己の敵が現れたことを知った。
正体はわからないが強大な敵。それが彼女の命を狙って襲ってきた。プリシッラの本当の戦いの始まりだった。
(そっちがその気なら……いっちょやったろうじゃん)
再びナイフを抜き、大木の幹を削って文字を刻み付ける。敵への宣戦布告のメッセージを。
(来るなら来なさい!)
決意と闘志を胸に秘め、プリシッラは森を出た。
残された大木の幹に、でかでかとメッセージが掘られている。宣戦布告にして抹殺宣告として。
『必ず潰す。首を洗って待つがいい――――――“流星の射手”、“プリシッラ・ティーク・クレメンティ”』
To be continued |