【#10 ラチル邸】
ラチルの屋敷は王都から馬車で一時間ほど東に向かった“イクルス”という小さな町にあった。
畑と農家ばかりの長閑な田園風景に囲まれているこのイクルスだが、中心部には立派な石畳が敷かれ、石造りの建物が立ち並ぶ王都にも負けない町並みがあった。いずれも比較的近年になってから作られたものだった。
王都の近くにあるということを除けば、何も無い田舎町だったイクルスが今の姿になったのは、一代にして巨大な富を築き上げた商人がこの町から出てからである。その商人こそがデニスン・ラチルであった。
故にラチルはこの町では故郷に貢献した名士ということになり、ラチルに敵対する者たちにとってはイクルスと言う町そのものが敵地に等しかった。
イクルスに到着したシルヴィアの表情が固いのはそのせいだった。誰かが怪しい動きをしたらすぐに対処できるようにと、まわりをしきりに気にして歩いている。しかし端から見ているとそうしてピリピリしている彼女自身が不審人物そのものだった。
ニコが苦笑しながらシルヴィアの脇腹をつつく。
「シルヴィア、顔怖いよ」
「だが注意する事に越した事は無い」
「それじゃ逆に怪しいって。過ぎた緊張感は相手に伝わるんだ。ほら、リラックス」
「む……」
そう言われてもできないのが人間の性というものである。試しに深呼吸してみてもシルヴィアの緊張は解れない。それどころか落ち着こうとすればするほどシルヴィアの顔は強張って行った。怖い顔で深呼吸する様は不審人物を通り越して危険人物に見える。
普通にリラックスさせるのは無理だと悟ったニコは、意味ありげなプリシッラに意味ありげな視線を送った。合図に気づいたプリシッラはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
プリシッラはさり気無く気配を消し、シルヴィアの背後に迫る。プリシッラが弓使いのスキルを無駄に発揮したため、シルヴィアは全然気づかない。
「うりゃ!」
「ひゃんっ!」
いきなりわき腹をくすぐられて驚いたシルヴィアは、面白いほど可愛い悲鳴を上げた。
ぐりんと首を回してプリシッラに振り向く。
「プリシッラッ!」
阿修羅のような顔でシルヴィアは拳骨を落とした。
プリシッラは笑いながらひょいとそれを躱し、ダッシュでジルの後ろに逃げ込んで盾にした。
「まったく……!」
怪我人の周りで騒ぐわけにもいかず、シルヴィアは追うことを諦めて荒しい鼻息を吐いた。いつの間にか緊張が解れていることには気づいていない。
ニコはジルの陰に隠れているプリシッラにウインクしてみせ、プリシッラもそれに答えて親指を立てる。盾にされたジルは眉間に皺を寄せて盛大な溜め息を吐いた。
石畳の道をしばらく歩いていると、やがて左手に鉄の格子で作られた塀が現れた。それがシルヴィアたちの居る角っこから北と東に向かって伸びていた。
格子の向こうには巨大な屋敷が鎮座している。これがラチルの屋敷だった。
「塀高っ! 庭広っ! 屋敷でかっ!!」
プリシッラが率直な感想を大声で口にする。他の三人の感想も概ねその通りだった。
ラチル邸の敷地を取り囲む塀は高かった。鉄の格子で出来ていてその隙間から中が見えるため閉鎖的には感じないが、もしこれが石で出来ていたら刑務所のようになるだろう。
また格子の間から見える庭は広大で、その先の屋敷も巨大だった。ラチルの経済力の大きさが嫌でもわかる。塀が格子状なのは威圧感や閉塞感を無くすためではなく、屋敷を見せびらかすためにそうしているのかもしれない。
「見せびらかされているような感じは受けるが、屋敷は思いのほか趣味の良いデザインをしているな」
「建築家のセンスが良かったんだろ」
シルヴィアの口にした感想に、ジルがいい加減に答えた。
また少し歩いて敷地の南側に回ると巨大な門が現れた。塀と同じ格子状の門の向こうに、屋敷へと続く広く長い道が伸びている。道の両側には花壇が備えられていて、色とりどりの花が咲いていた。建築家だけでなく庭師のセンスも良かったようだ。
「立派な屋敷だ」
「な〜に言ってんの、シルヴィアんちのほうが全然デカいじゃん」
それは事実だ。シルヴィアの実家は屋敷ですらない、“城”だ。
シルヴィアはアヌウン地方領主のシュトラウス伯の娘である。
アヌウン地方は海に面したレンスターの西の果てにあり、中心都市の“貿易都市・エレスサル”は西の新大陸との貿易の拠点ともなっていて、一地方都市としてはかなり大きかった。そしてそのエレスサルを支配するシュトラウス伯の権力と財力は公爵に匹敵するほどであった。
「それもそうだが、それでも立派だと感じるのだから仕方あるまい」
アヌウン地方から王都まで徒歩で二週間。そしてギルドの寮で暮らした分もあわせれば城を離れてから一ヵ月経っている。寮での生活にも慣れ始めたせいか、シルヴィアの感覚はやや一般人に近づきつつあった。
門に近づくと、門番の二人が立ち塞がった。
おそらく二人とも私兵なのだろう。彼らの印象は兵士と言うよりも、チンピラのそれに近かった。
「何か用か?」
右の門番が「やんのかゴルァ」とでも言いたそうな極めて非友好的な態度で問う。やはり元・傭兵、礼儀のれの字もない。
それを気にした様子も見せず、シルヴィアは一行の一歩前に進み出た。
「シルヴィア・ローハンとジルベール・ハンネマンが先日の仕事を受けに来た、とラチル殿に伝えて欲しい」
「んあ? なんだそういうことかよ。ちょっと待ってな」
こういった事は初めてではないのだろう。左の門番の対応は慣れたもので、すぐに屋敷の方に走っていった。
それからしばらく経って、彼は先日シルヴィアたちが会った下僕の少年を連れて戻ってきた。
「ようこそおいで下さいました。旦那様がお待ちです。こちらへどうぞ」
少年の指示で門が開かれる。シルヴィア達は彼の後について庭を横切り、屋敷に入った。
ラチル邸は中身も立派なものだった。
吹き抜けのエントランスの天井には大きなシャンデリアがあり、所々に誰が見ても高価とわかる調度品が見られる。それらが見事な調和をとって、気品ある雰囲気を演出している。正面の壁にラチルをモデルにした趣味の悪い肖像画が掛かってさえいなければ、歴史の深い貴族の邸宅と同等の格式高さを感じることが出来るだろう。
(これだから成金は……)
明らかに場の調和を乱している欲望と慢心の象徴たるこの肖像画に、シルヴィアは怒りを通り越して呆れ果てた。
主が居るという奥の部屋を目指して五人は長い廊下を進んだ。その途中、カートを押して歩くメイドの一団とすれ違った時、プリシッラが犬のように鼻をヒクつかせた。
「お……!」
どうやらカートに興味を持ったらしい。彼女の視線は、カートの上の物を隠すように掛けられた布に注がれていた。
怪しいものかもしれないと思い、シルヴィアは小声で訊ねた。
「どうかしたのか、プリシッラ?」
「パンのいい匂いがした」
「はぁ?!」
反応したのが食べ物である事がわかり、シルヴィアはがっくりと肩を落とす。そして心底呆れた。
「さっき昼食を摂ったばかりだと思うのだが?」
「お腹は減ってないよ。でもいい匂いはいい匂いなの。あのパン絶対美味しいよ〜」
あくまでもパンに興味を示すプリシッラに、会話を聞いていたらしい下僕の少年が苦笑しながら訊いてきた。
「なんなら少し包んでもらいますか? 多分、ライ麦パンですから、本来ならお客様に出すような物でもないですけれど……」
「お、気が利くじゃん!」
「済まぬがそうしてもらえるか」
シルヴィアの頼みを了承した少年は、その先で出会ったメイドにパンを用意するように命じた。
「大丈夫かいジル? いつも以上に口数が少ないけど?」
「大丈夫だ」
ニコにはそう答えたもののジルの状態は最悪に悪かった。傷が熱を持って身体が熱く、意識も朦朧としてきている。大口を叩いたこともあって、無様に倒れることはしないが歩いているのもかなり辛かった。
だが彼のそんな痩せ我慢に気付いていたシルヴィアは、心配そうな顔で時折彼を振り返っていた。
屋敷の主たるラチルは、応接室のソファに深く腰掛けて待ち受けていた。
相変わらず悪趣味な格好をしているが、応接室の内装が似たり寄ったりな趣味の悪さを持っているせいで、前ほど気持ち悪くは感じない。
しかしそれでも初めてラチルを見たプリシッラが、小さく「うげげ……」と声を出した。
「今日はワタクシの依頼を受けてくださると言うことですな?」
「その通りだ」
ラチルの問いに、シルヴィアが頷いた。
「ヌフフ、これはまたどういった心境の変化でしょ?」
「詮索は好かないよ」
ニコはわざと高圧的な態度をとって言い捨てた。
相手は稀代の大商人だ。こちらが弱みを見せれば確実に付け入られる。だから本調子でないジルは黙し、余計な事を口走りそうなプリシッラにはおとなしくしてもらって、比較的学のあるシルヴィアとニコが交渉を引き受けたのだった。
「これは失礼。ヌフフフ……」
「早く本題に入ってもらいたいのだが?」
「そうでした。今回皆様方には荷物の運搬をしていただきたいのです」
ラチルは仕事内容について説明を始めた。
胡散臭いなりをしていても流石一流の商人だ。説明の内容は簡潔かつ要点をよく押さえており、シルヴィアたちの質問にも淀みなく答えた。
説明された内容は大体こうだ。仕事は馬車で街道を東に数日行った先の街への商品の運搬。そのための幌馬車と積荷の用意をさせているので、準備ができ次第出発して欲しいとの事だ。また運搬の際に積荷の中身は確認しなくてもいいらしい、むしろ中身を見られたくないようだった。
報酬は銀貨二十枚、そのうちの三割が前金で残りは後日という事になり、シルヴィア達は六枚の銀貨を受け取った。
「では早速出発しよう」
仕事の内容を聞き、報酬の相談が終えたシルヴィアは立ち上がった。ラチルが下僕の少年に四人を馬車の元に案内するように命じる。
丁度その時、プリシッラがせがんだパンの包みを持ったメイドが部屋にやってきた。出来立てのライ麦パンの香りが、応接室に漂う。
「ご要望の品物をお持ちいたしました」
「ありがとね!」
喜色満面でパンを受け取るプリシッラに、ニコは呆れて呟く。
「……ちゃっかりしていると言うか、せこいと言うか……」
「なによー。冒険者は逞しくなきゃやってらんないでしょー」
「まあ、そうなんだけどさ」
だとしてもいい匂いに釣られて食べ物を強請るのはやりたくない。
プリシッラ以外の三人はそう思ったのだった。
イクルスの中心街を、一人の女が歩いていた。
細身だががっしりとした身体つきと、野性味溢れる顔つきが野生の捕食動物を思わせる女だった。シルヴィアとジルが見れば、先日ソーニャを攫った二人組の片割れだと気づくだろう。
この女、“アネシカ・シンドラー”は主の屋敷に帰る途中だった。ついさっきまで酒場で相棒の“ゼノン・ハディア”に付き合って飲んでいたのだが、先日仕事で嫌な思いをした彼の荒れ様に嫌気が差して逃げてきたのだった。
(まったく、困ったもんだね)
路地を歩きながら、アネシカは盛大にため息を吐いた。
ゼノンが荒れたくなるのもわかる。先日の失敗はアネシカにとっても屈辱的だった。相手に傷は負わせたが、顔を見られたまま殺せなかったのは今後の仕事にも響いて厄介だ。おかげで暫くは大人しくせよとの命令が、ラチルから出ていた。
(本当に忌々しい……。見つけたらただじゃおかないよ!)
そう思って表通りに出てきた時だった。一台の幌馬車がアネシカの前を横切って、東へと向かっていった。
その御者台に座っている二人のうち一方を見て、アネシカは目を見開いた。
(あいつ……!)
黒い外套を着た、黄昏色の髪と金の瞳を持つ男。それは先日仕事の際に邪魔をしてきた男女の片割れだった。
アネシカは咄嗟に物陰に身を隠し、遠ざかっていく馬車を見送る。幌の中にもう二人の人物が乗っているのが見えた。
そして何より目を引いたのは幌馬車の後方に付けられたエンブレム。それはラチル商会所有の印だった。
(じょ、冗談じゃない! こいつはやば過ぎるじゃないか!!)
瞬時に事態の深刻さを悟り、アネシカは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
湧き上がる焦燥感に突き動かされるように走り出した。
「ヌフ、ヌフフフフフ……」
シルヴィアたちが出て行った後、一人応接室に残ったラチルが気持ちの悪い笑いを浮かべていた。
これで私兵団はより一層強化される。そう思うと笑いが止まらない。
しかしその時、その笑いを吹き散らすような勢いで部屋に飛び込んできた人物がいた。
「旦那!」
「ひぃ!」
突然のことに驚き、ラチルはぎくりとして笑いを止めた。
先日の失敗から待機を命じていたアネシカが、息を切らせて応接室に入ってきた。
「悦に入ってるとこ悪いんだけれど、残念な知らせがある」
「なんです? それはいきなり応接室に飛び込んでくるだけの話なのでしょうね?」
「ついさっき仕事を頼んだ連中がいるだろ? あいつら、この間あたし等と闘り合った奴等だ」
その報告を聞いて、ラチルの目がぎろりと動いた。狂気すら孕んだ瞳でアネシカを見据える。
「なん、ですと……本当でしょうな?!」
「こんな嘘ついてどうなるのさ!」
「ぐ……」
ラチルは太ってほとんど無いに等しい顎に手を当て、考える様子を見せた。その額に脂汗が浮かんでいる。彼もアネシカ同様、事態の深刻さに気づいていた。
「どうする? 殺るかい?」
「惜しいですが、そうするしかないでしょうな。エイワズ、ドミンゴ、バノッサとあと数人に出ていただきましょう。装備は好きなように持って行って構いません」
「こりゃまた太っ腹だねぇ、旦那」
「事態が事態です。手段は選んでいられません。事が露呈するのを防げるのならば安いものですから」
アネシカの言ったことが本当ならば、先程仕事を頼んだ四人は商会に探りに着た可能性が高い。先日の現場には、アネシカの鞭とゼノンの篭手を残してきてしまっているから、商会に疑いが向いてもおかしくなかった。
だとすれば、彼らは十中八九積荷を見る。中身を警吏やギルドに知らされては、厄介どころの話ではない。最大級の戦力を投入してでも早急に始末をつける必要があった。
「それじゃあ、あたしは三人に声をかけてくる」
そう言ってアネシカは出て行った。
再びひとり応接室残ったラチルは、今度は大きなため息を吐いた。
「欲しい物というものは、思うとおりに手に入らないものですね。残念な事です」
To be continued |