【Prologue 雨の森】
大粒の雨が激しく大地を叩いていた。空は厚い雲が垂れ込め、暗い影を落していた。
森の中ともなれば尚更だ。鬱蒼と生い茂った木々に微かな日の光は遮られ、昼間だというのにまるで夜のように暗かった。
盗賊たちが襲いかかってきたのは、そんな暗闇の森でのことだった。
真っ先に殺されたのは御者台に座っていた父と義兄だった。次に幌の中に居た母と姉が引きずり出され、散々犯されてから殺された。
家族が次々と命を落としていく中、少年は幌馬車の荷物の陰で毛布に包まり、漏れ出そうになる悲鳴を必死に抑えながらその身を震わせていた。
雨音に混じって聞こえてくる母と姉の悲鳴がどうしようもなく恐ろしくて、目を閉ざし耳を塞いだ。
両親と姉夫婦を殺した盗賊たちは、馬車の積荷を物色し始めた。
荷物を乱暴に馬車から下ろし、袋や箱を開封していく。その中身を見るたびに盗賊たちは下卑た薄笑いを浮かべた。少年の家族は旅から旅の行商一家で積荷にはかなり高価な品物もあったのだ。
積荷が降ろされるにつれて狭かった幌の中は徐々に広くなり、隠れ場所は徐々に減っていく。少年は追い立てられるように奥へ奥へと逃げて、必死に身を隠した。
しかしやがて限界は来た。荷物が八割方降ろされたあたりで、少年はついに見つかってしまった。
「おい見ろよ、まだガキが居たぞ!」
「ひ……っ!」
少年は見つけた男に肩を掴まれ、馬車の外に引きずり出された。バランスを崩してぬかるんだ道の上に転がる。
転んだ少年のまわりを盗賊たちは取り囲んだ。そして互いに顔を見合わせて、何かの相談を始めた。少年は恐怖のあまり正気を失い、盗賊たちの間で交わされる言葉の意味が理解できず、ただ恐怖に震えていることしか出来なかった。
しばらくして相談が終わったのか、盗賊の一人がニタニタ笑いながら剣を抜いた。他の者たちも同じような下卑た笑いを浮かべて少年を見下ろした。
本能的に危険を感じた少年は咄嗟に逃げようとしたが、取り囲む盗賊の一人に蹴り飛ばされて、再び泥の上に転がされる。
仰向けに倒れた少年はブーツの裏で肩を踏みつけられ、鼻先に剣を突きつけられた。雨に濡れた刃が微かな光を受けて、ギラリと凶暴に光った。
鉄の刃の冷たく暴力的な迫力に圧倒されて少年は身体を硬直させる。
少年の恐怖する様を見た男は一際醜悪に笑い、剣先を少し横にずらして、少年の左肩に刃を突き入れた。
少年は一瞬何が起こったのかわからなかった。肩に冷たい異物が入り込んできた直後、焼きごてを強く押し付けられたような熱い痛みが走った。
「ひ、ぎっ、あああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
肩を刺された少年は獣のような悲鳴をあげた。興奮した盗賊たちが大きな声を上げて嗤った。
「おい、俺にもやらせろよ」
他の男が剣を抜いて、痛みでのた打ち回る少年の右腕を突く。
「ああああああああぁぁぁぁっ!!!!」
少年は更に大きな悲鳴を上げた。
そしてまた別の男が右の腿を刺した。そのまた次は左の膝だった。少年は刃に貫かれる度に引き攣れた悲鳴を上げて悶え、盗賊たちはその都度声を上げて嗤った。
やがて痛みと出血で少年が身動きすら取れなくなると、急速に興味を失った盗賊たちは再び鼻先に剣を突きつけてきた。
剣先から滴った少年の血が自らの顔を赤く汚す。
今度こそ殺される、と少年は死の恐怖を感じた。
怖くて痛くて堪らなかった。全身が震え、刺された痛みで逃げる事すらかなわなかった。死にたくないし、死ぬのは怖い。しかしこの状況で助かるとは到底思えず、少年は絶望に嘆いた。
せめて死ぬ瞬間だけは怖くないようにと目を瞑る。その時、少年は絶望に屈した。
雨とは違う暖かい液体が身体に降りかかったのはその直後だった。
「ぎゃっ」「ぐぁっ!」「がふ……」
雨音に混じって悲鳴が次々と聴こえた。雨とは違う生温かいものが少年の身体に降り注いだ。
異変を感じた少年は、恐る恐る目を開ける。
剣を突きつけていた男が地面に倒れていた。頭が忽然と消えてしまっている。その代わりに頭を失った首元からは、赤い液体が噴水のように噴き出していた。
倒れた体勢のまま強引に首を持ち上げて見回すと、まわりにいた盗賊たちは既に一人残らず倒れていた。代わりにその場に立っていたのは盗賊とは明らかに違う一組の男女だった。
二人とも丈の長い真っ白なコートを着ていた。その腕には大きな腕章をしている。黒地に白銀の剣の刺繍が入ったそれは、女王直属の騎士団“帝威騎士団”に所属する者の証であった。
騎士達は盗賊を殲滅した事を確認すると、それぞれの得物を納めた。
女の騎士が少年に駆け寄り、コートに血が付くのも厭わず彼を抱き起こす。男の方の騎士は少年の家族の遺体を一人一人丁寧に並べていった。そして全員を川の字に並べ終わると、胸の前で十字を切って祈りを奉げた。
その時、抱き起こされた少年は自分が助かったのだということを悟った。しかし素直に己の無事を素直に喜ぶことなんて到底出来なかった。
少年は自分自身に激しい怒りを覚えた。家族が殺されるのをただ見ていることしか出来ず、母と姉が陵辱されている間もひとり馬車の中で震えていた自分が許せなかった。何も出来なかった無力な自分が憎かった。
「う……あああああぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーーーー!!」
湧き上がる衝動に任せて啼き叫ぶ。
悔しさと怒りと哀しみと憎しみが入り混じって、頭の中はグチャグチャだった。叫ばなければ狂ってしまいそうだった。
少年は自分の弱さを呪った。自分の臆病さを憎んだ。
だから強くなりたいと願った。強くなろうと思った。強くあろうと心に誓った。
この日、少年は弱かった自分を殺した。絶望に屈してしまった自分を殺した。
To be continued |