全人類をハゲにするウィルスとそれを発明したハゲの天才
とある天才がいた。幼少から神童と謳われても、決して驕らず、凡才に落ちず、権威や才能を保ち続けた。
神は彼に明晰な頭脳だけでなく、どんな女性をも魅了する麗しい顔立ちも与えていた。彼が成人になる前には恋人となった女性は百人を超えた。研究の傍らで女性と交際し両立させるのもお手のものだった。
しかし成人を迎えた頃には七歳から続いた恋人づくりをぱたっと止めてしまう。
それは何故か。それは、彼のおでこが五本指が入るほど広くなってしまったからである。
神は明晰な頭脳だけでなく、明々な頭も与えたのだ。
若ハゲに悩むようになってから天才で繊細な彼は人が変わり、研究に没頭するようになった。
研究内容は毛を生やす技術だった。
長く親しんだ同級生からハゲと笑われ、かつて恋人だった女性たちにハゲと笑われ、その屈辱を侮辱してきた者にぶつけるのではなく、結果で見返そうとした。
彼は寝る間も惜しんで努力した。土日だろうと、祝日だろうと、GWだろうと、盆だろうと、正月だろうと、誕生日だろうと彼は欠かさず励みに励んだ。
その結果、齢が三十を超えた頃には頭髪は……全滅した。
だが髪は見放しても神は決して見放しはしなかった。
彼の研究の成果は無駄ではなかった。
人間の毛という毛を抜けさせるウィルスの発明ができた。そのウィルスは空気感染し、瞬く間に地球上に広がっていくウィルスだった。
そのウィルスの入った試験官を開放するのには、さすがの天才でも躊躇うが、しかし、
「私はこれから1つの差別を無くすのだ……これはリンカーンを超える偉業なはずだ……」
そう言い聞かせて試験官の蓋を開けて、ウィルスを開放したのだった。
ウィルスは計画通り、予定通りに地球上に広がり、全人類がパニックとハゲに陥った。
その後警察の捜査により、天才は捕まり裁判にかけられ無期懲役刑になった。
刑務所の中からでも博士を侮辱する大きな声は聞こえた。夜が明けてもその声は鳴り止まない。
それほど全人類が天才を憎んだ。しかしいくら憎んでも髪は帰って来なかった。
ハゲの自分が受け入れられず、髪のないストレスに耐えきれず、一人の人間が自己防衛の一環でハゲの素晴らしさを訴え始める。その訴えはすぐに地球上に伝播した。その速度はウィルスを超えるほどだった。
全人類がハゲになって一ヶ月頃。天才を侮辱する声は消え、逆に称賛の声が上がるようになり、刑務所からの開放を望まれるようになった。
元々不当な裁判だったため、あっさりと天才は外に出ることが出来た。
外に出るとすぐに表彰をされた。人類史上最高の功績とされ、彼のウィルスは21世紀の全人類の生活を一新させたことになり、その功績でかのアインシュタイン博士と一緒に五本指に入るほどにまで上り詰めたのだった。
表彰式で天才は予定のないスピーチをする羽目になる。それでも頭の良い彼は即席でも聞いてて惚れ惚れする素晴らしいスピーチをこなす。その最後に本当は隠すつもりだった真実を話す。
「皆さん聞いて下さい。このウィルスは未来永劫残るものではありません。一年後には次第に髪の毛が生えてきます。だからご安心下さい」
そう付け加え、降壇する。会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
その一年後、天才の計画通り、予定通りに人類に髪は戻ってきた。
しかし天才の髪だけは元々なかったため、ハゲのままだった。それでも帽子を被らずに外を歩くことは嫌いではなかった。今日も帽子を被らずに、復縁した恋人に出会う。
その日の天気はとても良かった。沢山の人が出歩いている。
天才は歩いているとふと視線を感じた。周りの人間の目を集めているような気がしたが、それは自分が有名人だからだろうと結論を付けて、特に気にせずに待ち合わせのカフェに向かう。
待ち合わせのカフェは賑わっていた。休日の昼だからか、酒を飲んでいる客もいる。
窓際のテーブル席に恋人はいた。彼氏との待ち合わせ前だというのに彼女は重い表情をして、何も頼まずに座っている。
天才は向かいの席にひと声かけてから座る。
「やぁ、お待たせ。暗い顔して、何かあったの」
「……」
「どうしたんだい、何か悩みかい。恋人の僕に何でも話してくれよ」
「……えぇ、悩みね。恋人があなただから話すわ」
「どんな相談でも聞くよ、何でも言って」
「それじゃあ、言うわ。別れてほしいの」
「…………え、なんで?」
「だって、あなたハゲじゃない。私、あなたがハゲだった理由がずっとウィルスのせいだと思ってたの……」
「なんでさ、ハゲの何が悪いんだよ! 君もハゲだったのにそういうことを言うのか!」
「嫌なものは嫌なの! いつまで経っても毛の生えないあなたと並んで歩いて、一緒に笑われる私の気持ちを考えてよ!」
恋人は泣きながらカフェを出て行った。天才は呆然と席に座ったままだった。
静まる店内。しばらくして店内の誰かがポツリと呟く。
「毛のない彼と付き合う気は毛頭なかった、てか」
その呟きはくっきりとはっきりと店内の全員に聞こえ、天才を抜いた誰もが吹き出して笑う。
爆笑の渦を見て、天才はようやく気付いた。
この世には神などいない。そう気付いた。
天才は怒髪天を衝き、カフェを出た。出てすぐに走った。恋人を追いかけるのではない。家に帰るのだった。
天才の家は居住だけでなく、研究所も兼ねている。これはウィルスを発明していた頃、少しでも研究の時間を増やすための工夫だった。
そのため冷蔵庫の中にはアイスだけでなく、ウィルスも保存されている。
ウィルスはさらに手を施され、未来永劫残るものに進歩していた。
「哀れな人類よ、僕が君たちの神になってあげよう」
天才は今度は躊躇わずに、試験管を叩き割ってウィルスを開放した。