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第四章 -2-
――翌朝。



Juliusのメンバー四人とマネージャーの菊本弥生は巷はまだ通勤中という時間に空港に着いた。

みんなで軽く朝食を済ませ、国際線の出発ロビーのイスに座っていると、パリ行きの搭乗案内がアナウンスされた。

和磨は無意識にパリ行きの搭乗ゲートの方に視線を移した。



すると、グレーのスーツを着た長身の男性と、背の低い長い黒髪の女性の後姿が目に入った。



(……あ……唯だ)

和磨は顔も見えない女性の姿を見て直感した。

根拠は何もない。

ただの勘。

だけど、あれはきっと唯だ。

そう思うと無意識に足が二人に向かって動いていた。



「和磨?」

ふらりと立ち上がった和磨に拓未が声を掛けた。

和磨は拓未の声が一応耳に届いていたものの、振り向く事はしなかった。



ゆっくりと恐る恐る足を進め、二人に近づく。



二人との距離が後少しになったところで、和磨は思い切って声を掛けた。

「……唯?」



その女性はゆっくりと振り向いた。



(やっぱり……唯だ)

振り返った女性は和磨の直感通り、唯だった。



「唯っ!」

和磨は思わず唯の左手首を掴んだ。



「……っ!」

声も出せず驚く唯。



どこか懐かしいような聞き覚えのある声。

だけど自分が知っている声よりも少し低い。

長身で薄いサングラスをかけ、深くかぶったキャップからは茶色かかった髪が見えていた。



(あ……)

唯が和磨の顔を見上げると彼が左耳にしているピアスが目に入った。

見覚えのあるピアスに唯はハッとした。



あのアレキサンドライトのピアスだった。



少し開いたシャツの間からはあのペアネックレスが見えた。



「……か……、篠原くん……?」



“かず君”と呼んでもらえない事がズキリと胸にくる和磨。



すると少し前にいた唯のマネージャー・橘が近付いて来た。



「神崎さん?」

そう言って唯の横に来ると、左手首を掴んでいる和磨の手を取り、

「放して貰えませんか?」

先程よりも低い声で言った。

和磨が怪しい人物だと思っているらしい。



「……あ……橘さん、大丈夫です。高校の時のクラスメイトなんで……」

唯は慌てて橘を制した。



元クラスメイト……そう今は……。



「先に行っててください」



「……わかりました」

橘は唯にそう言われ、納得すると和磨を一瞥して踵を返した。



(クラスメイト……か。唯の中では俺はもうただのクラスメイトなのか……)

俯く和磨。

すると、唯の左手の薬指にきらりと光る物が見えた。



(指輪……?)



唯の左の薬指には青く輝く指輪がはまっていた。



(サファイア?)

宝石には詳しくない和磨だが、それが唯の誕生石のブルーサファイアだという事、

そして、それが何を意味するか一瞬でわかった。



(恋人がいるのか……)



唯は和磨と向き合い、一体何を話せばいいのかと考えていると、左の手首を掴んでいた和磨の力が

ふっと弱くなったのを感じ、和磨の顔を見上げた。

薄いサングラスをしているけれど、和磨は明らかに唯の左手の薬指を見つめていた。



(あ……っ!)

唯は咄嗟に左手を引っ込めた。



見られてしまった……。



「もう、行かないと……」

唯は俯き、逃げるように踵を返すと少し離れた所で待っていた橘に駆け寄り、搭乗ゲートの先へと消えていった――。





(私……どうして指輪を見られたくらいで動揺してるんだろう?)



もう和磨の事は忘れたと思っていたのに……。



香奈と孝太に指輪の事を訊かれた時も、恋人はどんな人なのかと訊かれた時もはっきりと答えられなかった。

というより答えたくなかった――。





唯と橘が立ち去った後も和磨はしばらくその場を動けず、立ち尽くしていた。



(唯は……もう……)



「和磨」



「っ」

拓未の声でハッと我に返った和磨。



「そろそろ行くぞ」

ゆっくりと振り返った和磨に拓未は早く来いと目で促した。



「……あぁ」

和磨はパリ行きの搭乗ゲートの先をもう一度振り返り、拓未の後を追った――。





     ◆  ◆  ◆





それから飛行機の中でも、パリに着いてからもずっと唯は無言だった。



橘も話し掛けては来ない。





橘は唯をアパルトマンまで送って行き、部屋に入ると後ろからそっと唯を抱きしめた。



「……まだ、忘れられないのか?」



耳元にそう囁かれ、その言葉に唯は一瞬びくりとした。



「さっきの……空港にいた男か……? 君の忘れられない人っていうのは……」



唯はすぐに否定する事が出来なかった。



「……そうなのか?」

橘は唯を自分の方に向かせると真っ直ぐに見つめた。



「……違います」

忘れられない人なんてもういない……。

そう言い聞かせながら唯はすぐに橘から視線を外した。



橘とは去年の年明けから付き合い始めた。

パリに来てからの唯の様子がおかしい事は橘も気が付いていた。

まるで何かを忘れたいが為にピアノと仕事に没頭していたからだ。

そんな唯に同情した訳ではないが橘の中で徐々に唯の存在が大きくなり、ついに想いを告げた。



“忘れたい人がいるなら、俺が忘れさせてやる”



そう言った橘の押しの強さに負け、唯は首を縦に振った。

唯の左手の薬指に光る指輪は、去年の唯の誕生日に橘が贈ったブルーサファイアの指輪だった。



「……唯」



橘に名前を呼ばれた瞬間、唯は涙が溢れた……。



なんでだろう……。



和磨の事は忘れたんだと強く思えば思うほど涙が溢れる……。



橘は親指で唯の涙を優しく拭うと、きゅっと唯を抱きしめて唇に深くキスを落とした――。





     ◆  ◆  ◆





ニューヨークへ向かう飛行機の中、和磨はずっと唯の事が頭から離れないでいた。

隣に座っている拓未もそんな和磨に気遣ってか話し掛けては来ない。



“唯にはもう新しい恋人がいる”



それを証明するかのようなあの指輪。



(あれからもう三年も経っているんだし、当たり前と言えば当たり前か……)

だが、その事実を突きつけられても和磨はピアスもバングルもそしてネックレスも……

外す気にはなれなかった――。



三年前、唯がパリに旅立った日から和磨はまた唯から貰ったピアスとバングルをつけていた。

あのペアネックレスも。

その後しばらくして、香奈がそのピアスとバングルは一点物なんだと言った。

唯の親戚がシルバーアクセサリーのショップをやっていて、自分でデザインを描いて持ち込めば創ってくれるらしい。

唯が“特別なプレゼント”をする時にたまに頼んでいたそうだ。

週刊誌がよく和磨が身に着けているアクセサリーについていろいろと調べまわっていたが、

あのピアスとバングルだけは同じ物が見つかった事がないのはそういう事だったのだ。



“特別なプレゼント”



だから余計に外す気になれないのかもしれない。



(それでも俺は唯を諦められるのだろうか……?)

諦める……と言ってもどうやって?

昔みたいに来るもの拒まずで唯を忘れるまでやり過ごすか?

そんな事も考えたりした。

だけど、もちろんそんな気になれる訳もなく、和磨はどうすれば唯を諦められるのか、

どうすれば忘れられるのかわからないままだった――。





     ◆  ◆  ◆





ニューヨークでのレコーディングは順調に進み、プロモーションビデオの撮影も無事に終わった。



だが、予定よりも早く帰国した和磨を待っていたのは予想もしていなかった出来事だった――。



「あの時の唯ちゃんだったんだな?」

事務所のソファーで新聞を読んでいる和磨に拓未が週刊誌のとあるページを見せた。



「え?」

顔を上げてその週刊誌を受け取る。



(っ!?)

開かれていたページのスクープ写真を目にした和磨は思わず言葉を失った。

それはあの日、空港で和磨が唯に声を掛けていてところだった。

しかもよりにもよって和磨が唯の腕を掴んで見つめ合っているところをバッチリ撮られていた。



(拓未に気を付けろと言われたばかりだったのに……)



「その写真自体は隠し撮りつっても空港のロビーで堂々と声を掛けてるところだから

 たいした問題じゃないだが……」

拓未は和磨の隣に腰を下ろすとさらに次のページを捲った。



「これ……」

次のページには男性と二人きりで楽しそうに食事をしている唯の姿がスクープとして載っていた。



「パパラッチが唯ちゃんの事も追い掛けてパリまで行ったらしい」



「なんで、唯を……」



「そりゃあ、今をときめく新進気鋭の大人気ピアニストだからだろ。

 今までは共演した事のあるアーティストとか知名度の低いアイドルの事務所がお前とスキャンダルになれば

 知名度が上がるだろうからって、態とアイドルの子を近付けさせたりしてたから、

 たいして面白くもない記事になってたけど、今回はクラシック界のスーパーアイドルだからな。

 そりゃ追っ掛けて行きゃスクープは撮れなくても“パリでの私生活を覗き見”くらいは出来ると思ったからじゃないのか?」



「ところが思わぬスクープが撮れたって事か……」

その週刊誌によれば、唯とその男性はしょっちゅうお互いの部屋を行き来しているらしい。

唯よりも四つ年上の男性は、同じ音楽院で指揮の勉強をしているとか。



(て事は、この男が唯の新しい恋人なのか……?)

ピアニストと指揮者。

同じクラシックの世界に身を置いている者同士。



(ロックをやっている俺なんかよりずっと話も気も合うんだろうな……。

 年上なら尚更頼れる存在なんだろうし、いや、そんな事よりも今は

 俺と唯が撮られた事をどうするか……だな)

和磨は思わず深い溜め息を吐いた。





そして和磨がマネージャーの弥生とこの一件についてどうするか話していると、

唯のもう一人のマネージャー・山内から電話が掛かってきた――。
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