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第一章 -3-
その日の夜――、

唯がいつものようにベッドで本を読んでいると携帯が鳴った。



(……あ)

着信表示を見て、思わずドキリとする。



「……も、もしもし」

呼吸を整え、声を発する。



『もしもし、えっと……篠原だけど』



「あ、うん」



『明日、朝迎えに行くって言うの忘れたから、いつも何時頃家を出てる?』



「え? い、いいよ、そんな篠原くん大変でしょ?」



『大丈夫だよ。それに怪我させちゃったの俺なんだし』



「たいしたことないから別に気にしなくていいのに……」



『……やっぱ、俺が迎えに行くと迷惑?』



「そ、そんな事ないっ」

和磨の声が少し沈み、唯は慌てて否定した。



『じゃ、何時に家を出るか教えて?』



「……え、えっと……七時四十五分くらい」



『ん、じゃ、その時間に神崎さん家の前で待ってる』



「う、うん……。あ、あの……ありがとう」



『い、いや……これくらい当たり前だし……』



「……」



『……』



二人の間に沈黙が訪れる。



(ど、どうしよう……、な、何か話さなきゃ……)

「……」



『……』



(でも、何話したらいいのかわかんないよぉ……っ)

「あ、あの……っ」



『うん?』



「そ、それじゃあ……おやすみなさい……」



『う、うん、おやすみ』



(はぁー……結局、切っちゃった……)

唯は少しヘコみながら携帯を持ったまま、まだ耳に残る和磨の声を思い出していた。



(初めて聞いた時からずっと思ってたけど、篠原くんて声もいいのよね……)

艶っぽさがあってそれでいて甘すぎず、携帯越しだったが耳元で聞くといつまでも聞いていたいと思える程だ。



唯はまだドキドキしている胸に携帯を抱いた――。





     ◆  ◆  ◆





――翌朝。



「いってきまーす」

唯は玄関先まで見送りに出た母親に手を振りながらドアを開けた。



「あら?」

すると唯の母親・真由美が開けられたドアの向こうに見えた人影に視線を移した。



家の前に和磨が立っていたのだ。



「あ、おはようございます」

和磨は真由美に軽く会釈をした。



「おはよう」

真由美は柔らかな笑みを和磨に返すと唯に視線を移し、

「唯ちゃん、王子様が迎えに来てくれたわよ♪」

からかうように言った。



「お、お母さん!」

唯は“王子様”という言葉に反応してか少し顔を赤くしている。



(確かに……王子様みたいだけど……)

そんな事を思いながら、

「お、おはよう……」

和磨に向かって言うと、

「お、おはよう……」

彼もまた顔を赤くしていた。



「えっと……篠原和磨です。昨日、俺の不注意で唯さんに怪我させちゃって……本当にすみませんでした。

 なるべく早いうちに両親と一緒にまた改めてお詫びに伺わせて頂きます」

お互いぎこちない挨拶を交わすと、和磨が申し訳なさそうに真由美に深々と頭を下げた。



「あ、いいのいいの。たいした怪我じゃないんだし、それにこの子いつもボーッとしてるから、
 
 こんな怪我しょっちゅうなのよ」

すると、真由美はだから気にしないでね――、という風に和磨に笑みを向けた。



「でも……」



「それにね、実はうちのお父さん、今日本と海外を行ったり来たりしてるから、

 篠原くんのご両親にせっかくお時間を取って頂いても結局、私としかお会い出来ないかもしれないし、

 そうなったら、逆に申し訳がないわ」



「そうですか……」



「さぁさぁ、それより早く行かないと遅刻しちゃうわよ?」

和磨が沈んだ声になると真由美が空気を変えるべく明るく言った。



「いってらっしゃい、気をつけてね♪」

そして、にこやかに二人を送り出した。





(それにしても、しょっちゅう……て)

和磨はそんなに唯がいつもボーッとしているのかと思い、隣にいる彼女をチラリと横目で見た。



その時、風がふわっと駆け抜けて唯の長い黒髪をサラサラと撫でた。

柑橘系のシャンプーの香りがして和磨はあまりにも綺麗なその横顔に思わず見入ってしまった。



「いつも香奈と一緒に行ってるの。ちょっと待っててね」

唯の家から徒歩三十秒。

不意に唯の声が聞こえ、自分の方がボーッとしていた事に気が付いた。



(やばい、やばい)

一人慌てている和磨を余所に唯は香奈の家のインターフォンを押した。



すると、家の中から香奈が足音をドタバタと響かせながら叫んだ。

「ごめーん! 唯、先行っててーっ!」

いつもなら待たされてから聞くセリフだ。

だが、今日はすぐにこのセリフが出て来たという事は本気で遅刻しそうなのだ。

その証拠にいつも以上に焦っている様子が声だけで窺い知れた。



「わかったー」

唯はクスクス笑いながら「先に行こ」と和磨の方に視線を移した。



「うん」

和磨にも香奈の叫び声が聞こえたらしく笑っていた。

その横顔に今度は唯がドキ――ッとした。



(篠原くん、笑った顔、意外と可愛いかも……)





     ◆  ◆  ◆





和磨と二人、しかも昨日と同じ様に腕を借りた状態で登校していると学校に近づくに連れ、段々と女子生徒の視線を感じてきた。



(また、いろいろ訊かれるのかな……)

唯は和磨に気づかれないように小さく溜め息を吐いた。





そうして学校の正門をくぐったところで香奈が二人に追いついた。



「……ハァ、ハァ……お、おはよ」

今日も相変わらず全力疾走をしてきた様だ。



「おはよ。今日は一段と寝坊?」



「ハァ、ハァ……う、うん……、まぁね……あ、後で話す……ハァハァ……」

そんな香奈の様子が可笑しくて唯はまたクスクスと笑った。

和磨はそんな唯の笑顔を見てまたドキリとした。

元々少し童顔な彼女はもっと幼く見えて、本当に同級生なのかと思うくらいだった。

それがなんだかとても新鮮で可愛かった。



(男子に人気があるのも頷けるよなぁ……)



唯は香奈の背中を優しく擦って息が整うのを待った。





「ふぅー、もう大丈夫、行こうか」

しばらくして香奈が大きく息を吐き出して言った。



三人は並んで校舎に向かって歩き始めた――。





     ◆  ◆  ◆





「じゃ、また帰りに」

和磨は唯を教室まで送るとそう言って自分の教室へ向かった。



(え? “また帰りに”……て?)

唯はポカンと口を開けたまま、和磨の後姿を見送った。



その直後、二人の様子を眺めていたクラスメイトに再び質問攻めにあったのは言うまでもない――。





「お前等いつの間に一緒に来る約束したんだよ?」

和磨が唯を教室まで送り、自分の教室に入るとさっそく拓未が絡んできた。



「ん、昨日夜」



「抜け駆けかよー」



「違う、言い忘れたから夜電話したんだ」



「ふぅ~ん」



「……なんだよ?」



「んじゃ、俺も明日から一緒に登校していい?」

拓未は和磨の顔を覗き込んだ。



「いいんじゃね? 後で神崎さんに訊いてみろよ」



「おっし!」



「てか、上木さんも一応いるぞ」



「“一応”ってなんだよ?」



「いつも一緒に来てるらしいけど、上木さんの準備が終わってない時は先に行ってるらしい」



「ほほー、けど俺にとっては好都合♪」



「どういう意味だ?」



「唯ちゃんと登校できる上に、香奈ちゃんも一緒なんて一度で二度おいしい♪」



「そーゆー意味か」

和磨はわかっていた事だけど……という顔だ。



「ん? 他に何が?」

拓未はニッと笑った。





     ◆  ◆  ◆





――昼休憩。



唯はお弁当を食べながら香奈の寝坊の理由を聞いていた。



「昨日の夜ね、拓未くんとメールしてて、なーんか盛り上がっちゃって♪」



「それで、嬉しくてなかなか寝付けなかった……とか?」



「当たり♪」



「あはは、ファンだもんね」

そして唯が笑っていると、

「ところで唯、いつの間に篠原くんと一緒に登校する約束したの?」

香奈が周りに聞こえないように小声で訊いてきた。



「あ……、なんか昨日夜電話が掛かってきて……」

唯も周りを気にしながら答えた。



「へぇー」



「『朝、迎えに行くから』……って」



「それから?」



「それだけだよ?」



「そ、それだけ?」



「うん」



「他に何も話さなかったの?」



「う、うん」

(というか、話せなかったんだけどね……)



「まぁ、がんばれ」

香奈はそう言うと唯の肩をポンポンと叩いた。



唯は何を? と言う顔で首を傾げていた――。
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