それから ~この箱庭よりも大切な人に(涙)~
※最初に扉絵をおくと全力でネタバレする為、四コマと共に、最後に置いてあります。
――それから六年。
彼らの壮大な「償い」は、まだ足がかりすらも出来ていなかった。
けれど少なくともまだ誰一人投げ出さず、それぞれに出来ることをこなして続けている。
今、辺境の地の酒場で椅子に座り佇む女性もその一人。
彼女の旅は、町や村などは拠点としない。
故に、久々に立ち寄った人里では、普段ゆっくりと休めない分ここぞとばかりに休暇を取る。
彼女の旅の連れはようやくありつけた酒をかっ食らっていて、逆に彼女自身は酒など飲まずに、その彼とは少し距離を置いてジュースを飲んでいた。
旅の連れの酒癖はとても悪いので、離れておかないと色々面倒なのだ。
泣き上戸、絡み酒、しかも最終的には服を脱ぐ。
共に旅をするようになり、その旅の連れを悪くない男だと思い始めてはいるものの、酒に飲まれる男はやっぱり駄目だ、と彼女は結論付けていた。
そんなわけで彼女は一人、旅の都合上、頻繁に目を通すことは出来ない新聞を片手に情報収集をこなす。
ついに訪れたその「訃報」に、指を震わせながら。
彼女の耳には鮮やかな青い薔薇のピアス。
そしてブラウスで首元まできちんと肌を隠し、その襟を締めるリボン以外に目立った装飾は無い、上品なドレスを着ていた。
あまり旅に適している服装とは思えないが、あえて挙げるならばドロワーズが下に着こなされていることから歩きにくさはあまり無いのだろう。
デコレートベレーからはヴェールがしな垂れ、顔はあまり見えない。
これは場所が酒場である為、わざと顔を隠しているのだと思われる。
女性ならば自衛として当然のことかも知れないが、現時点で彼女は十分過ぎるほど雰囲気が美しく、顔が隠されていても酔った男に声をかけられる確率は高そうだった。
つまり、顔を隠す意味が全くと言っていいほど無い。
しばらくして、当然と言えば当然、彼女の背後に男が忍び寄る。
その気配に彼女は気付いたが、声を掛けられるのはいつものことである為、放っておく。
もし声を掛けて来た男が食事をおごるなどとぬかしたら、笑顔でおごられてやるつもりなのだ、この強かな女性は。
勿論その先は着いて行く気も無いし、強引に連れて行かれるほど弱いつもりも無い。
だが、その男はいきなり豪快にヴェールを捲くって彼女の顔を確認した。
「おー、やっぱクリスだよな。随分服の趣味変わってないか?」
「……っエ、」
エリオットさん、と言おうとした彼女の喉が、それ以上を発さずに詰まる。
手に持っている新聞にその死と告別式の詳細が書かれている張本人が目の前に居るというのは、裏事情を分かっていようとも驚くことだろう。
男はその長い金髪を耳にかけ、クリスの顔を覗きこんだ。
旅を始めて最初の頃は半年に一度エルヴァンに立ち寄っていたクリスも、少しずつ立ち寄る間隔は長くなり、しばらくこの二人は顔を合わせていなかった。
「最後に会ってから三年だったと思うんだけど、もうガキ扱い出来ねー顔だなぁ」
そう言って軽く笑う。
チェンジリングが解除されたことで順当に成長し、大人びたクリスとは真逆で、エリオットは三年どころか六年前から何一つ変わっていない。
いや、一つだけ違う点があった。
城内に戻っていた時は緑に染めていた髪が、今は地の金髪のままにしてある。
それは、彼が城から去る為に都合が良いからだ。
今、ようやく。
ようやくだ。
彼らはこうして、また二人で旅をする為に再会を果たした。
その再会に、エリオットの顔が柔らかに綻ぶ。
「待たせたな」
これからは二人でこの箱庭の未来を探すのだ。
そこでクリスはようやくその顔をエリオットの正面にきちんと向けた。
愛する人との再会を喜ぶとは程遠い、しかめっ面を。
「待ってませんよ!」
「な、何ぃ!?」
「大体どうしてここが分かったんです! ストーカーですか!? ストーカーなんですか!?」
「お前がやってること自体は分かってるんだから、進行状況にあたりをつければ大体目星はつくだろ!!」
酒場では、雰囲気美人さんが急に大声を上げたことにより、その声の主へと大半の視線が集中していた。
とはいえ内容的には痴話喧嘩の為、聞き耳を立てるくらいで終わっている。
犬の餌にもならぬようなものに首を突っ込む者は居ないのだろう。
……一人を除いて。
「早い合流だったね」
その声質は、耳触りの良いヘルデンテノール。
アルコールグラスを片手に、ふらりと二人に近寄る三つ目の青年。
どうやらまだ酒乱モードに入るほど飲んではいないようで、普通に会話が出来ている。
エリオットは驚愕した。
何故この青年がここに居るのか、という事実を考えて。
偶然とは思えない、この流れはどう考えても……
「お、お前達、いつから一緒に旅してたんだ……」
「最初からだよ。放っておけるわけないじゃん」
「そこは放っておけよ!!」
「相変わらず酷過ぎるよ!?」
旅を始めてから何回かは王都に戻ってきてエリオットに顔を見せていたクリスだったが、その時にフォウは連れて来てなどいない。
二人で旅をしていた事実は敢えて隠していたのだと思われる。
それをクリスが思いつくわけが無いので、フォウが自ら自分の存在を隠していたに違いない。
エリオットがこの事実を知れば、面倒なことになる。と。
そこまでエリオットは考えて、鋭い剣幕をルドラの民に向けた。
「事情は分かった。でももう心配無いだろ、ここの酒代は払ってやるからさっさとどっか行け」
「俺は別にそれでもいいけど」
フォウが見るのは、クリス。
この旅のリーダーはクリスなのだから、クリスが誰を連れて行くのか決めたらいい話だ。
クリスは帽子を脱いで、その髪と顔を光源の下にさらす。
胸元まで伸ばした髪は以前とは違いきちんと手入れをされているようで、綺麗に真っ直ぐ下ろされていた。
少し怒った表情は、昔は男の子のように見えていたが今はそれも無い。
透明感のある肌の大半は隠れているが、それが逆に、その下を見たいと男に思わせる。
元々素材は悪くなかったとはいえ、エリオットの想像以上に成長したクリスは、エリオットの想像以下の言葉を放った。
「私、これからもフォウさんと旅をしますから。エリオットさんは自分一人で頑張ってください!」
――エリオット、六年の時を経て、再度の玉砕である。
「ちょちょちょ、ちょっと、ちょっと待て」
エリオットは今死んだことになっており、まさに何も無い状態だ。
ここでクリスに見捨てられたら、もう世界の行く末などどうでもよくなってしまう。
だがクリスはその怒った表情を崩すことは無く、席を立った。
そのまま酒場を立ち去る。
勘定を払うのは怒らせてしまったエリオット、ということか。
クリスの後姿を泣きそうな目で追い続け、それも見えなくなってから、まだこの場に残っているフォウに視線を移した。
憎悪の篭もったそれを呆れ顔で受け止めている三つ目の青年のほうが、精神面は大人なのかも知れない。
「まさかお前ら付き合ってるとか言うんじゃねーだろーな」
「そんなわけないじゃん! もう……俺はかなりフォローしたんだよ、王子様のこと」
六年も一緒に旅をしておいて、全力で否定するフォウ。
エリオットとしては、むしろそのような関係を未だ続けているフォウに驚いてしまう。
フォウの場合、感情が色となって見えてしまう為に、人と親しくなること以上に恋愛は敷居が高いものなのだが、恋愛というか下心至上主義のエリオットがそれを察するわけも無く。
実はゲイなのか? と思ってしまったとかどうとか。
「とにかく、さっさと追って、さっさと怒られてきなよ」
何を怒られてきたらいいのか分からず怪訝な顔をするエリオットの背中を、強めに押し出す。
この流れではここの勘定は全部自分が出さなければいけないな、と思いつつ、自分がほとんど飲んだのだからそれも致し方無し、と三つ目の青年は諦めた。
そもそも、旅費のほとんどは自分が出しているのだから今更だと青年は思う。
フォウに酒場から追いやられ、エリオットは一先ず周囲を見渡した。
クリスは、あのように去ったくせに酒場の出入り口から見えるところに突っ立っている。
外見が成長したところで、エリオットに対して捻くれているのは相変わらずらしい。
見つけて、声をかけて欲しい、と、月明かりを浴びている背中と態度が物語っていた。
それならば最初から酒場を出たりなどしなければいいものを。
恋愛上手とは程遠い、下手な駆け引きだ。
とはいえエリオットはそんな「女の我儘」で気分を害するような男では無い。
親友にも言っていたように、この男は恋愛の面倒臭さはむしろ好きなのである。
のでいちいち怒りもせず、相手が求めているであろうままに声を掛けてやる。
「クリス」
長い水色の髪の女は、振り返らないし、答えない。
でも間違いなく聞こえているだろう。
エリオットは続けた。
「遅くなって、すまなかった」
出来る限り、早く準備を整えたつもりだった。
予定したよりもずっと早く、事を終えたつもりだった。
だが、少女を大人の女性に変えた六年は、決して短くなかったのだ。
クリスはそこで振り返る。
まだ仏頂面のまま、それでもエリオットと話をする気にはなったのかも知れない。
目を合わせて貰えて、死んだことになっている王子はほっとした。
「クリス……」
怒りが完全に冷めたわけでは無いようだが、それでも、久しい彼女の顔を見ているだけでエリオットにとっては心が昂る一時。
感情が言葉にならず、ただその名前を呼んで、胸を詰まらせる。
が、クリスはそうでは無いらしい。
全く、この再会を喜んでなどいなかった。
その理由をようやく彼女は述べる。
「……っ、浮気者に用なんてありませんから!」
「え?」
ローズの時然り、何だかんだで心だけは一途なエリオットには寝耳に水。
自分がいつ浮気をしたのか、当人の知らぬところで何か噂でも立っていたのか。
思い返してはみるが、思いつかない。
大体において、この六年間は肉体的にも特に浮ついた行動をした記憶が無い。
そんなことをすればクリスが怒るのは目に見えているのだから。
なのに、
「私に浮気するなとか言っておいて……酷すぎます! それを平然とあんな顔でやってきて、意味が分かりません!!」
「俺がいつ浮気したんだ!?」
あまりに心当たりが無さ過ぎて、その点を嘆くように問う。
すると、クリスはわなわなとその肩を震わせ、言うにも憚られるその事実を口にした。
「子供も作っておいて、何を言うんですかー!!」
ずどーん。
クリスが放った大型爆弾は、エリオットの頭の中を木っ端微塵にさせた。
そう、この男には現在子供が居る。
しかも二人も。
一人目は女の子、次に男の子。
婚約し、その二年後には結婚し、即行で妻を孕ませ、一人目が生まれたのが三年前のこと。
しかしそれはあくまで、彼の計画の内だ。
いくらなんでも子供も作らずに死ぬのは、立場上まずい。
一人では心許無いので、もう一人作った。
もしかするとお腹の中にはもう一人居るかも知れない。
エリオット的にはこれは浮気ではなく、自分に課せられた使命である。
……だが、その事情を納得出来るような価値観を、この娘は持ち合わせていなかったらしい。
いや、持ち合わせてなどいないことは、考えればすぐに分かったことだろう。
「だからさ、クリス。言ってるじゃないか、あれは仕方ないんだって」
茫然としているエリオットの後ろから、酒代の支払いを終えたフォウが出てくる。
「仕方ない、で済ませられるほど私は人間出来てないんです」
「……王子様可哀想だよ? 今すっごい傷ついてるよ? 俺が過去に見た悲しみの色の中で一二を争う濃さだよ?」
「一番可哀想なのは、置き去りにされたお嫁さんと子供達です! エリオットさんは自業自得です!!」
流石にフォウはエリオットの事情を汲むことが出来ているらしく、フォローを入れていた。
このフォローはきっと、エリオットに子供が出来た頃からずっとしてくれているに違いない。
先程冷たく当たってしまった、後で謝ろう、コイツはいい奴だ、エリオットはそう思った。
そして一応、言い訳をする。
「リアファルは事情を知っているから、表立っては会えないけどたまには子供も見に行くし……」
「じゃあもうそっちが本命ですよね!」
「どうしろっつーんだよ!!」
どうもしない。
クリスは要するに、お前なんぞ願い下げだ、と言っているのだ。
子供も居るんだからこっちに来るな、そういうことだ。
エリオットも薄々分かってはいるが、その事実を受け止められるほど強くない。
この日の為に、と耐え忍び、努力し続けていた「城を出る手筈」によってクリスに完全に拒否されてしまうのならば、一体この六年は何だったのかと思ってしまう。
これならば全てを適当に放り出して、最初からクリスに無理やり同行したほうが良かったのでは無いか。
何も言葉が出ない。
ずっと見たかったはずの相手の顔を、もう正面からまともに見られなくなっている。
膝を落とし、手を地べたに突き、項垂れたエリオットは本当に泣く寸前だった。
逆に、会いに行く気力すらも無くなっていた三年分の鬱憤を、少しは晴らせてきたクリス。
でも、クリスはいくらなんでも子供が居るような男性とお付き合いをする気も無いのである。
「……着いて来るのは自由です」
その言葉に、エリオットの顔が上がった。
僅かな希望が、彼の金の瞳に灯る。
しかしその希望は、一瞬で掻き消された。
「でも、私は貴方に応える気は一切ありませんから!!」
神なんて居ないと思わせるほどの絶望を味わっているエリオット。
事実、クリスが焼失させたのだからこの世界に神など居ないのだが。
敢えて言うならば、この絶望を味わっている張本人が現時点では神のような存在である。
この箱庭よりも大切な人にエリオットが出来ることは……その想いをすっぱり諦めることなのかも知れない。
【エピローグ それから ~この箱庭よりも大切な人に(涙)~ 完】
※エピローグはいつも通りな彼らですが、次のページからはシリアスですので
見捨てないでやってくだされば幸いです(涙)
章末 扉絵の代わりイラスト↓
第三部第十三章の章末絵は「過去の三人」でしたが、
こちらは「未来の三人」をイメージしてみました。
章末 オマケ四コマ↓ 今回もフルカラー。
フォウが不憫。
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