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タロット企画SS

満月に捧げる青薔薇鏡奏曲

作者: 浅梛 実幻

 薄暗い部屋、錆びれた寝具、青薔薇の芳香に身を委ねた夜更け、私は満月に型どられた手鏡を覗きこんだ。

 日に焼けたことのない肌は白く、長い黒髪は少しばかり癖があって。そして庭で咲く青薔薇と同じ色をした瞳は憂いを帯びていた。


「サミシイ人ね」


 そう笑いかけると、鏡の中の少女も小さく微笑んだ。

 鏡から視線を外して空を見上げる。窓から見える四角い空は絡み合った数多の(つる)で覆われていて、所々に咲く大輪の青薔薇たちが私をじっと見つめていた。


「せめて、月に触れることが出来たら」


 空に向けて手を伸ばす。

 どんな感触なのだろう。ひんやりしてる? それとも温かい? ふわふわかな? 意外とつるつるだったりして?


「このまま一生外に出れなくてもいい。土に足をつけて、日の光や風を体いっぱいに受けれなくてもいい。でも、一度だけ。一度だけで、いいの」


 あのお月様の中を旅してみたい――。


『叔父さん、叔父さん。私、お月様の中を旅してみたい!』

『そうかい。でもね、命あるモノは皆、月の中から生まれてこの世へ降り立ち、その生を終えた暁に再び月の中へ還る。まぁ、つまり生まれた後は、死んだ時にしかお月様へは行けないんだよ』

『そっか……、残念だわ。ねぇ、叔父さんはお月様の中ってどんなお部屋になってると思う?』

『あはは。どうだろうね、私にはさっぱり分からないなぁ。でもね、きっと不思議な場所だろうよ。全てのモノの始まりであり、終わりである場所なんだからね』

『ふぅん、つまんないの。なんだかよく分からないもの』

『そんな顔しないで。じゃあ、いいことを教えてあげよう。君の父さんと母さんは、月の奥深くのように始まりから終わりまで全てを受け入れる優しい子になって欲しい、と願って君を深月(フツキ)と名付けたんだよ』


 振り返っても見えない記憶(ところ)に住む両親に一瞬だけ思いを馳せて目を閉じた。


「せめてあの月が掌にあったら」


 私はここを離れなくても、月の世界へ旅立てるのに。

 ふと、(ここ)に月を写そうと思った。

 このまあるい鏡に写せば、もしかしたらあの月を閉じ込められるかもしれない。それから指ですうっと鏡をなぞると、鏡が水みたいに溶けてしまって私もお月様の中へ行けるかもしれない。

 鏡の中の少女は一気に明るい顔つきになった。まるで両親から貰ったお伽噺を夜更かしして読んでいる時のような、そんな顔つき。

 私はそのまま鏡を高く持ち上げた。少女はどんどん遠ざかっていき、小さくなる。最早顔つきは分からなくなっていた。


 これを裏返せば――。


 くるり、と手首をひねった瞬間、蝶々が一度その羽をはためかせるよりも、花片が(がく)から滑り落ちるよりもゆっくりと鏡が一人でに私の手をすり抜けた。

 割れてしまう、と思った時だった。

 石床に叩きつけられる二秒前、その刹那、鏡一面に写った満月がきらりと輝き、私の瞳を捉えた。


「だめ!」


 手を伸ばす。かすった鏡面、ひんやりした冷たさ、金色の月、なぜかそこに少女は写らなかった。

 触れた指先から、掌から月鏡に飲み込まれる。声をあげる(いとま)などありもしなかった。


 目を開けると、そこは青に染まった世界だった。


 どこからともなくひらりはらりと舞い散る青い薔薇が私の体を優しく包み込んでいく。横たえた体を起こすと髪についていた幾片の花弁が床の花弁に溶け込んだ。


「ここは……」


 はっと顔を上げる。天井は空よりも高く、遥か遠いところから青薔薇を散らしていた。


「月の中……?」


 気付くと居たのは人一人入るので精一杯な鏡の部屋。ぴんと糸が張り詰めたような空気の中に僅かながら幻想的な雰囲気や郷愁的な雰囲気が混じっている。

 ふと壁に目をやる。銀色に滲む"向こう側"、同一性が確立しているはずの世界に少女が一人座り込んでいた。私と同じ髪をした、同じ口をした、同じ鼻をした、同じ目をした少女。でも、少女は私よりも大人びていて、儚げで。


『まぁ、つまり生まれた後は、死んだ時にしかお月様へは行けないんだよ』


 いつかの時にあの人が言っていた言葉がよみがえる。

 すると壁の向こうから少女は悲しい微笑みを投げかけてきた。


「貴女は……誰?」


 私は――この子はどうして私を見て、怖がらないのだろう。どうして不安にならないのだろう。


「私は……誰?」


 確かに私はここにいるのに。

 青薔薇の絨毯、一面鏡の壁、鏡に問うのは存在定義。全てが同じはずの世界がこちらにもあちらにも広がっているはずなのどうして。


「死んじゃうの……?」


 その時、少女がおもむろに口を開いた。僅かに開いた隙間から丸っこい舌が白い歯に触れ、血色(ちいろ)の口唇が言の葉を息吹かせた。


『ワタシは"過去"であり"未来の貴女"』


 静かにワタシはそう告げた。

 目の前にいるワタシは私と同じ姿をしているのに、どうしてこうも違うのだろうか。ワタシは寂しげで全てを悟っているような青い瞳を煌めかす。


「私……死んじゃうの?」

『貴女は死なないわ。でもね、時間は迫ってる』

「時間?」

『そう、時間』


 少女が寂しげに鏡に手を当てると鋭い音を立ててひび割れた。


『月もね、居心地は悪くないのだけれどワタシも貴女も長くは居れないわ。貴女は今夜の会瀬を忘れるでしょう。そしてまた私の存在は大きくなるのでしょうね。でも待ってる』


 既に鏡はヒビが入りすぎてワタシが見えなくなるほどだった。それでも私とワタシは見つめあったまま。私は向こう側の小さな手に自分の手を重ねた。


「待って! 貴女は一人なの? 私どうしたら……!」

『私達は一人じゃない。だからどうか早く帰って。ありがとう。――ずっと待ってるわ』


 ワタシが貴女に還ることの出来るその日まで――。

 ワタシが泣きそうな顔でそう言った途端、鏡の壁が粉々に砕けた。その刹那、ワタシは青い薔薇の花弁となって舞い散り、私は見えない力によって自然と外界に投げ出された。

 目を開けるとそこにはまるく大きな満月。夜の黒が絹糸のような月光で濃紺に染まる中、青い花弁と鏡の破片が私を優しく包み込んでいた。


「貴女は一人じゃない」


 どこからともなく私の体から青薔薇が散った。その花弁はふわりと満月に向かって高く、空高く昇る。月に還るのだろう――。それが月の淡光に溶けたのを見届けて、私は静かに目を閉じたのだった。




  ◯




「フツキ」


 聞き覚えのある声に私の意識は呼び戻された。


「叔父さん?」

「ああ、待って。ベッドから起きないで。鏡が割れているから拾うよ。落としちゃったみたいだね」


 石床に目をやるといつも使っていた手鏡がキラキラした破片に変わっていた。


「いつ落としたかしら」

「おやおや、寝惚けていたのかな?」

「寂しいなぁ。綺麗な満月の装飾は気に入っていたのだけれど……」


 ベッドから体を起こそうとすると頭からひらひらと青い薔薇が一枚落ちた。


「あら?」

「庭から飛んできたのだろうよ、鏡の破片と一緒に捨てておこう」

「ううん、いい」


 何故だか分からない。

 でもその花弁がとても愛しく感じた。


「大事に取っておきたい気分なの」


 私がそれに優しく口付けるとほんの少しだけ艶やかな青色に帯び、空高い月に向かって祈りの歌を届けているようにさえ思えたのだった――。


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