後日談その一 だから私はこいつを手放したくないと思う
「…………何だよ。何か用でもあるのか?」
私はジッと相手を見つめたまま動かない。
「……だからなんだよ薫」
相手はまだ怒った様子がない。とはいえ、青筋が浮かんできているから秒読み段階になっているのが分かる。
こいつは顔に出にくいタイプだと言われているが、そうでもないと思う。よく見れば微妙に引きつっている個所があるのだ。
そんな静の様子が面白くて、つい身を乗り出してその目を見つめてしまう。さあ、もっとうろたえた姿を見せて――
「いい加減にしろ!」
「あぅっ!?」
頭をそれなりの力で叩かれた。ちょっと引き際を見誤ってしまったようだ。次からは気を付けよう。
「あいたたた……相変わらず手加減しないなお前も……」
女の頭を容赦なく叩くなんて、こいつの辞書にフェミニズムとかレディーファーストとかの言葉はないのか?
「お前に手加減する気などサラサラない」
頭を押さえて苦言を言ってみたのだが、取り付く島もない。しかも私以外の人には手加減するような発言までしてくれた。
「私以外なら手加減するのか」
「相手による。フィアとカイトには手加減しない。クレアは思いっきり叩くとヤバそうだから手加減する」
クレアに手加減するのは納得してしまう。あの人、ちょっと強い刺激を与えると自殺に走りかねないからな……。例えるならいつ導火線に火が付くか分からない爆弾。
「フィアにも手加減しないのか?」
これは意外だ。普段の彼女は優しいから、静も手加減するものだとばかり思っていた。
「俺と二人旅の時は毎回のようにストッパーが俺だったから……」
急に虚ろな目になってしまった。どうやら私は押してはいけないボタンを押してしまったようだ。
「そ、そうか……。大変だったんだな……」
一緒にいなかった私にはその苦労を完全に理解する事はできないが、強く生きてくれ。
「……それで、人のトラウマ抉ってお前は何がしたいんだ?」
わずかな時間で目に光を取り戻した静が胡乱げな顔でこちらを見てくる。相変わらず切り替えの早い奴だ。
「特にないが?」
ただ、お前の顔をジッと見ていると意外と変化に富んでいて飽きないから見ているだけだ。
「目をつぶって歯をくいしばれ」
思った事を素直に言っただけなのに、静は素晴らしい笑顔で拳を作り始めた。冗談じゃないのだが。
「ちょ、ちょっと待った! これ以上殴るのはやめてくれ!」
「じゃあ蹴ってやる」
「あ、痛っ! ほ、本当に蹴る奴があるか!」
本当に容赦ないなお前! それが長年一緒にいた幼馴染に対する態度か!?
「人を十年以上厄介事に巻き込み続けた奴に対する態度だ」
くっ……言い返せない。
「そこで黙るな! 事実を見せつけられて泣きたくなる!」
いや、素直にうなずいてもお前は殴るだろう。どっちの答えを望んでいるんだお前は。
「それはさておき、用件がないなら仕事に戻れ。子供たちが待ってんじゃないのか?」
「残念。みんなお昼寝中だよ。クレアもそれに付き合っている。なぜか泣き寝入りだったが」
あれを見た時には冷や汗をかいた。何か悪い夢でも見ているのだろうか。
「クレア……夢ん中までネガティブかよ……」
静はそれを聞いて頭を抱えていた。口では悪く言っても、一緒に魔王を討伐したかけがえのない仲間だ。心配しているのだろう。
「今度、リラックス効果のある香草でも送ろうか?」
「やめとけ。あいつエルフだから植物関係に軒並み耐性がある。あいつ相手に普通のリラックスは効果がない。やるとしたら一般人がラリッてしまうくらい強烈なものが必要になるぞ」
昔試した事があるのだろう。いやに詳しい情報だった。私が思いつく事など、こいつはすでに思いついて実行しているか。
「……クレア。無力な私を許してほしい」
さすがにそこまで濃縮したのは送れないな……。うっかり子供たちが吸ったら大惨事だ。
「まあ、止めれば思いとどまってくれるんだし、現状維持で良いだろ」
「それもそうか」
子供たちも頑張ってくれてるし、私たちにかかる負担が減っているのは事実だ。
「……でさあ、お前はこうやってグダグダと雑談するためだけに来たのか?」
「そうだぞ? たまにはこういう日もいいじゃないか。それに私たちだけというのは珍しいからな」
ここ最近は子供たちの相手に忙しかったし、それがなくても孤児院経営のノウハウを学んだりで大変だった。二人だけになれるのなんていつ振りだろう?
それが分かったのか、静が非常に嫌そうな顔をする。
……待て。何でそこで嫌がる。
「いや、お前と二人だけになった時って大抵ロクな事にならないから……」
「ほぅ? 具体的に言ってみようか」
「親衛隊に襲われたり、リーゼに襲われたり、キースに襲われたり、魔物がわいてきたり、狙ったかのように盗賊に襲われたり」
全部襲われてるな……。というか、そんなに襲われていたのかお前は。それでも大して気にした様子のないこいつの生命力は計り知れないものがある。
「お前の苦労は同情するが、」
「お前が原因だから離れてくれ。そうすれば俺は何も言わない」
「それは断る」
一人になってもやる事がないんだ。だから付き合え。
「ったく……」
嫌そうな顔は変わらないが、それでも付き合ってくれる姿勢を取ってくれるこいつはつくづくお人好しだと思う。私だって何度も迷惑かけられた相手にはそれなりの態度を取るぞ。
静は確かに私を邪険に扱うが、決して見放したりはしない。いつだって文句を言いつつも私と一緒にいてくれる。
知ってるか? そういうのって結構嬉しいものなんだぞ?
「ありがとう。静」
いつも私の隣にいてくれて。いつも私を助けてくれて。
「あ? 何でいきなりお礼なんて言うんだよ?」
当然、私の心の中など分からない静は怪訝そうな顔をする。
「日ごろの感謝、かな」
「日ごろの感謝ねえ」
静は分かったような分からないような顔をして、何度かうなずいた。
「そうだ。今の私は何でもやってやるぞ」
大盤振る舞いじゃないか私。さあ、どんな用事でもドンと来い。
「クレアに『お前なんて生きる価値ねえんだよ』と言ってこい」
「無茶だから」
クレアを殺すつもりかお前は!? そんな事言ったら取り返しのつかない事になるだろうに。
「まあ今のは冗談だ。さすがの俺も仲間を殺す趣味はない」
「さすがの私も仲間にトドメを刺す趣味はない」
あいつは精神状態は年中無休で崖っぷちなんだから。繊細に扱わないとエライ目に遭うぞ。
「……っつーか、本当に実のない話してるな俺たち」
「そうだな。今までの会話を要約せよと言われても私にはできない」
話題に統一性もないし、とりとめのない話とまとめられるほど高尚な話題でもない。
「奇遇だな。俺もだ」
お互いにうんうんとうなずく。その時、私は静の目に視線が向かった。
「……ん? どうかしたか?」
静の声に耳を貸さず、私はその目に釘付けになって知らず知らずのうちに身を乗り出してしまう。
別に不思議な色をしているわけじゃない。日本人らしい黒い瞳だ。強いて言えば、やや薄めで光を受けると茶色に見えなくもないのが特徴だ。
そんな事は些事で、私の視線が固定されたのはその目の光だ。
明るく、力強い輝きを放つ瞳。絶望や汚れを知らない無垢な瞳に見えて、それらを内に秘めている不思議な光だった。
だが、私はそれを優しい光だと思う。自分の納得した事しかしない奴だが、いつだって誰かのために戦っている。この世界で勇者などともてはやされた私よりも、彼の方が勇者にふさわしい気さえする。
……まあ、静の事だから嫌がって逃げるだろうがな。
「お、おい? 大丈夫か?」
静は近寄ってくる私に背中をのけぞらせながら、いつもと違う私を気遣った声をかけてくれる。
「……なあ、静」
「な、何だよ」
目と目がくっつくくらいの距離まで近づいてから、私は静に話かける。静の息が顎の部分に当たってくすぐったい。
「もし、お前の恋人と大勢の人、どちらかしか助けられない場合お前はどうする?」
「は? ここまで近づいていったい何言って――」
「いいから答えてくれ」
静の言葉をさえぎり、返答を促す。動揺したように瞳が揺れ、すぐに落ち着きを取り戻す。
「……両方助ける道を模索する」
「どちらかしか助けられないと言ったのに?」
「それは俺が決める事だ」
ほら来た。予想通りの答えに思わず頬が緩んでしまう。
「絶対に、最後の最後まで諦めない。全ての選択肢を模索して全ての問題を排除して全てを助ける」
理想論にしか聞こえない言葉。しかし、静は理想を現実に引きずり下ろすエキスパート。そのためには手段を一切選ばない。
静はそれを『俺は弱いから、できる事が限られてるんだよ。その中で目的達成のためを考えると、なりふり構ってられないだけ』と言っているが、私は違うと思う。
こいつは心が強いからだ。いや、いっそ強過ぎると言ってもいい。自分の決めた事――つまりワガママのようなものだから――と言って助けた相手に何も求めない。謝礼も受け取るし、怨嗟の声だって受け止める。ただ、自分からは何も言わない。
「……静は強いよ。私が保証する」
だが、そんなひどく歪な存在だからこそ、私には必要だと胸を張って言える。
「どうしたんだよいきなり。お前本当に大丈夫か?」
話の脈絡が見えないのか、静が困惑した声を出す。
「ああ、大丈夫だとも。お前が私にとってどれだけの価値があるのかを再確認していただけだ」
「大丈夫みたいだな。とりあえず離れろ」
にべもなく突き放されてしまう。相変わらず張り合いのない奴。これでもそこそこ見れた顔と体をしていると思うんだが……。
「それにしてもどうしたんだお前? いつも変だけど、今日は輪にかけて変だぞ」
「ずいぶんと失礼じゃないか」
私ほど品行方正な輩はそうそういないはずだ。私を非常識人のように言わないでほしい。
「いや、なんというか……あれだ。やたらと馴れ馴れしい。いつもの距離感がない」
「本当に失礼だな静……」
む、良い事を思いついた。こいつの動揺する顔が楽しみだ。
「私だって女だ。親しい男と近づきたい時くらいある……」
しなを作って静にすり寄ろうとする。並大抵の男なら落とせる自信があるぞ。試した事はないが。
「………………」
だが、当の静は非常に冷めた瞳でこちらを見てきた。マズイ、居た堪れなくなってきた。
「……バレ、てる?」
「当然だボケ。いきなりそんな事されりゃ、誰だって不審に思うっての」
はぁぁ……、と静が心底疲れきったようなため息をつく。もはや怒る気力もないらしい。疲れさせた私が言うのも何だが、苦労していると思った。
「次からはもっと上手くやろう。期待していてくれ」
だからと言って手心を加える気は毛頭ないが。もはや静の突っ込みなしでは生きていけないのだ。
「それはそうと静、この前こんな事があったんだが――」
「へぇ、そんな事があったのか。あ、俺の方は先日行った街で――」
そんな風に私たちは適当にグダグダと話した。昔は当たり前だったこんな時間を、今はひどく懐かしく――楽しく思う。
やはり静は最高だ。こいつ一人いるだけで、なんて事のない日々が光り輝いて見えるようになる。
静は何かに縛られない。それでもこいつを冬月薫という鎖で縛り付けてしまいたいと思うのは私の傲慢だろうか。
「――静」
「んだよ?」
「一緒にいような……これからもずっと」
最後の方はある種プロポーズのようにも聞こえてしまうため、小声になってしまった。
「あ? そんなの当然だろ。子供たちに片親だけってのは悪いしな」
意味が完璧に通じたわけではないだろうが、それでも静は私の欲しい答えをくれた。お前はエスパーか?
「――静」
「だからなんだよさっきから」
辟易した顔をした静に私は自己ベストの笑顔を作り、
「――忘れるな。お前の相棒は私だけだぞ」
そう、告げてやった。
ついカッとなって書いてしまった。後悔はしている。反省もしてる。
二人がうららかな午後に取りとめのない話をする一枚絵が頭に浮かび、気付いたら書き上げていました。
自分の文章力と構成力のなさにビックリです。そしてネタが尽きてきました。
次回のネタは思いついたら書きますので、少し遅れるかもしれません。