番外編その三 後編 綺麗な終わり、なんてのはそうそう存在しない
倉庫街に到着し、三人でピリピリとした雰囲気を出す。さすがに敵地でのんびり笑い合える余裕はない。
「……薫、気配は読めるか?」
「……すまない。置いてある物が多過ぎてハッキリとは分からない」
「じゃあ、ぼんやりとなら分かるんだな? それで良いから教えてくれ」
正直、俺には気配のけの字も分からないから。
「それなら……向こうの建物に少なくとも十人以上は固まっている」
「本当かよ」
俺たちを狙っているにしてはずいぶんと大がかりじゃないか。薫の存在がイレギュラーだとしても、たった三人を潰すだけに待ち伏せやら、こちらの倍以上の人数を用意するなんて。
「冬月薫の言う通りだ。あそこには相当な人数がいる」
「サンも気配が分かるのか?」
そうなるとこの中で気配が読めないのは俺だけになってしまう。それは結構――いや、非常に情けないのではないだろうか。
「ああ。だが、私の方でも冬月薫と同程度にしか読めない」
「……この場合、暗殺者並みの気配探知ができる薫がすごいのか? それともその程度しかできないお前がダメなのか?」
そして少なくとも俺がへっぽこなのは確定だ。
「私はこれでも自信があった方だ。冬月薫の才能には舌を巻く物がある。冬月薫を褒めるべきだろう。……というか、秋月静には読めないのか?」
「……そうだよ」
…………落ち込んでなんかいない。俺はここで不変の真理である一言を残そうと思う。
――女は強い。
「と、とにかく進もうじゃないか。どうせ私たちには進むしかできないのだし」
俺が落ち込みの底なし沼に足を踏み入れたと思ったのか、薫が明るい声を上げて先に進む事を提案する。
そしてそこそこ良い事を言っている気もするが、進まざるを得ない状況に俺たちがいる事を思い出してほしい。ここで逃げたらデッドエンド確定だから。
「……薫は先頭。サンは俺の後ろで」
「分かった。……静、大丈夫か?」
それは俺を現在進行形で落ち込ませている奴が言っていいセリフじゃない。
「大丈夫だって。こんなのいつもの事だし」
慣れる事は未来永劫あり得ないだろうけど。この幼馴染は何度俺のプライドを破壊すれば気が済むのだろうか。
……もう破壊されるプライドなんて残ってない、と毎回思いながら、それでも破壊される俺のプライドは一体いくつあるのだろう。
「それならいいが……無理はするなよ?」
本気の色が見える気遣いだった。ちょっと心配かけ過ぎたかもしれない。
「しないっての。無理無茶無謀はお前の専売特許だろう?」
薫だけで無茶はお腹いっぱいだ。俺までそれに付き合ってたら身が持たないって。
「……ハハッ、だったら私はお前の腹が破裂するほどに無茶をしてやろうじゃないか。そうすれば、お前は無茶しないのだからな」
別にそんな事しなくても、俺はできる事しかしないつもりなんだが。
「へいへい」
しかし今のやり取りで元気が出てきたのは事実。その点に関しては少しだけこいつに感謝してやってもいい。
「……二人とも、先に進まないのか?」
「――っ! い、行くぞ薫! 早く先行け!」
「わ、分かっている!」
サンが俺たちのやり取りをじっと見つめており、それに気付いた俺と薫はなぜだか知らないが、猛烈な羞恥に襲われて顔を背けた。
「……?」
非常に居心地が悪いが、サン自身は訳が分からないとばかりに首をかしげていた。本当に言葉通りの意味しかないのが逆に気まずかった。
「ここにいるのか?」
「ああ、この距離なら間違えようがない」
薫と俺、そしてサンで集まり適当なコンテナに身を隠す。俺たちの視線の先には倉庫が一つ、その口を開けて立っている。
まるで奈落の底へ続く穴みたいだな、とぼんやり思う。それもあながち間違ってなさそうだから性質が悪い。
「それでどうする?」
「突入……と行きたいところだが、まずは武器の確認だ。俺は急いできたので着の身着のまま。薫は?」
「ん? 静が持ってきているんじゃないのか?」
「え?」
お互いに顔を見合わせ、脂汗をダラダラと流す。ヤバい。何がヤバいって修羅場が予想されている場所に手ぶらで来ている俺たちがヤバい。
「私は最悪、素手でもある程度はできるが……。鉄パイプでもあると楽だったのは否定しない」
鉄パイプはどちらかというと悪役の使う武器だろ、と突っ込みを入れたかった。それに鉄パイプってお前の馬鹿力で打ったら相手死ぬぞ。
「それに本当にマズイのはお前だ。どうするつもりだ?」
薫が俺に聞いてくる。確かにこの中では武器がなければ戦闘能力が八割減の俺が一番ヤバい。だが俺だって武器の有無はどうしようもない。
「とは言ってもなあ……武器なんて探せばあるもんでもないだろ。というかここは気を利かせてお前が何か持ってくるところだと思う」
「う、うるさい! だいたい、いつも準備の良いお前がそんな単純な事忘れると思うわけないだろう!」
俺の追及に対し、薫が逆ギレ気味に叫び返す。
「えぇー? 俺のせいなの?」
用意が良いのは不測の事態に備えての事だから別に間違ってないけど、その俺だって警官を殴って逃亡なんて予想できるわけない。
「そうだ! お前が悪い!」
「……まあ、俺が悪いかどうかはさておいて。サンは何か持ってないか?」
ギャーギャー言い合っていてもラチが明かないので、サンに話を振る。
「……これくらい」
サンが手元から出したのは鋼鉄製のワイヤーだった。……おかしいな。俺はこんなのを買い与えた覚えはないぞ。
「護身用に持っていた」
「それ使って俺を殺せる機会なんていくらでもあったんじゃないのか?」
寝込みを襲えばそれこそ一撃だろうに。
「……どうせ顔が割れた時点で失敗だった。それにお前ほどの実力者が私ごときの攻撃を見切れないわけがない」
明らかに過大評価だ。俺だっていきなり攻撃されればすぐに反応するのは無理だし、サンとだってガチでやり合ったら八割以上負けるはず。身体技術の差で。
だが、その過大評価のおかげで命を救われているのも事実。訂正するのはやめておこう。
「そのワイヤー、貸してくれないか?」
糸繰りに使えそうだ。糸繰り用の手袋があればそれぞれの指で操れたのだが……、それは高望みか。
「分かった」
サンは快く了承してくれたため、俺の武器が手に入った。これでだいぶ楽になるぞ。
「他には?」
「……もう持ってない」
サンの首が力なく振られる。ワイヤーを持っていてくれただけでも収穫なのだから、別に気にする必要ないのに。気にすべきは……、
「な、なんだ静。そんな目で見るな」
他力本願なこいつだろう。俺も人の事を言えないが、俺の場合は不可抗力だ。
「……はぁ。行くぞ」
起きてしまった事をいつまでも引きずってられない。今は前を見よう。
「分かった。私が先頭か?」
「いや、ここはサンに行かせようと思う」
倉庫内に明りが点いている様子はない。俺や薫よりも夜目が利くサンが行った方が良いはずだ。
「……別に構わないが、冬月薫は入らない方がいい」
「なぜだ? 私も行くぞ」
サンの言葉に薫が不服そうに顔をしかめる。サンの言いたい事が分かった俺もサンの意見に賛同する。
「パーティーに招かれてるのは俺たちだけって事さ。……分かるな?」
「……っ! 仕方ないな。私は裏方で料理でも運んでいよう」
アイコンタクトと暗喩一つで意思疎通ができるのは、数少ないこいつと一緒にいるメリットだ。俺の言いたい事をしっかりと理解してくれる。
「うし、準備は良いな?」
「もちろんだ」
サンが力強くうなずいたのを見て、俺も歩き出した。
「……やっぱ暗いな」
中に入る前に目をつむる事であらかじめ暗闇に慣らしておいたのだが、それでもぼんやりとしか見えない。
かろうじて分かるのが、中にはどれだけのコンテナが置いてあり、どんな配置になっているかぐらい。それにしたって闇の濃さで何とか見分けている状態だ。
「そうだな。……止まれ!」
はっ? と振り返ろうとした瞬間、足元にチュイン! という何か固い物が高速で地面にぶつかった音が聞こえ、立ち止まらざるを得なくなった。
この聞き慣れたくなかったけど聞き慣れてしまった音はもしかしなくても……。
「よく来たな。秋月静」
俺の視界を真っ白な光が埋め尽くされる。その強烈な明りに目を細めつつ、何とかして人影の数を特定させようと目に神経を集中する。
その結果、捉えたのは俺の正面に立つ大柄な男と、そいつの後ろにズラリと並んだ七人以上の男たちだった。おまけに光に眩んだ俺の目でも分かる拳銃をそれぞれが持っていて、いつでも俺に対して撃てる状況。
「……パーティーに招かれたんだ。行かないのも失礼だろう?」
背中ににじむ冷たい汗を意図的に無視しつつ、皮肉げな笑みを浮かべてやる。ついでに手をひらひらとさせて何でもない事をアピール。
「それはそれは……。人生最後のパーティーは楽しめそうか?」
その言葉に俺はどこか違和感を覚えた。何だろう。この背伸びした子供が精いっぱい頑張っている虚勢的なものは。
「ああ、なかなか楽しめそうだ。その物騒な物をしまっていただけるともっと楽しめそうなんだがね」
「それはできない相談だ。……最後に言い残す事はないか?」
組織の長である男の言葉に俺は大仰に肩をすくめることで応える。どうしてだろう。ああ、こいつ無理してるな、という思考が自然に沸いてくるのは。
「おいおい、そんな急ぐなよ。時間はたっぷりあるんだ。もうちょっと楽しんでいこうぜ」
正直、こちらは手の打ちようがない。ワイヤーの仕込みも一応済ませてあるんだが、今発動させても意味がない。
「……い、いいだろう。では、話す事はあるのか?」
妙に引きつった声を出してボスらしき人が許可を出す。どうやら俺の寿命はもう少し延びるようだ。
……割と適当に言っただけなのにラッキー極まりない。やっぱこういう時の悪運は強いな俺。
「まず一つ。この子と顔が同じ奴がいるな?」
疑問系の形を取った断定。ボスは鷹揚にうなずく事で答える。俺と話すのがそんなに嫌か。
「……あー、聞きたい事は他にはない」
サンがどうして俺の家に来たのか、とか色々と聞きたかったのだが、ここに至って全部どうでもよくなった。面倒くさくなった、と言った方が近いかもしれん。
「それでは……無惨に死ね」
銃を構えた人間は後ろに控えたまま、何人かの男がこちらに歩み寄ってきた。どうやら徹底的に痛めつけてから殺すつもりらしい。
「テメェ……さっきはよくもやってくれやがったな!」
何やら俺と面識があるような男が一人、いきり立ってやってきた。申し訳ないのだが、俺は名前も知らない人の顔を覚えていられるほど記憶力は良くない。
「……誰?」
「覚えてねえのかよ! 俺だよ俺!」
ひどくショックそうな顔をする男。しかし覚えていないのは思い出しようがない。そして今さらだけど、皆さん日本語で話してくれてありがとう。おかげで言葉が通じます。
「オレオレ詐欺は間に合ってます」
「さっき会ったばかりだろうが!」
おかしいな。常識的な対応をしたつもりなのに、キレられた。……でも、この声ってどこかで聞いた事あるような……、それにさっき会ったって言ってるし……。
「……………………あああっ! 俺が殴った警察官!」
おお、それに気付いたら後ろの取り巻きたちも見た事ある顔ばかりじゃん。警察で働いてなんていなかったんだな。でなきゃ警察署とは顔パスの俺が顔を覚えられないはずがない。
「ようやく思い出してくれたな。あれは効いたぜ。たっぷりお礼してやるからな!」
「っしゃあ!」
つまり俺は指名手配犯になってないって事だ。サンが追われた理由は知らないが、とりあえず俺が犯罪者になってないだけでも僥倖だ。
「ってなに喜んでんだよ!?」
俺が無罪放免になった事に決まってるじゃないか。断じて殴られる事を喜んでいるわけじゃない。むしろ俺は殴る方が圧倒的に好きだ。
そして目の前の男が呆気に取られているチャンスを逃すつもりはない。
「サン!」
相変わらずの無表情で立っている我が家の居候を左腕で抱きかかえ、右手であらかじめ用意しておいたワイヤーを手首の返しを利かせつつ全力で引っ張る。
俺が中に入った時に仕掛けたものだ。天井部分にチラッと見えた廃材置き場。そこの床を支えるパイプをワイヤーで切断し、廃材が降ってくるようにする。
ワイヤーなんて戦闘用じゃないし結構太いからできるか心配だったのだが、上手くいってよかった。
「な、何が起こっている!?」
腕の中のサンが珍しく狼狽した声を上げる。もしかしたら初めて聞くかもしれん。
「黙ってろ! 走れるなら出口向かって走れ!」
後ろからは廃材の落ちる轟音と男たちの悲鳴が倉庫内に響き渡っている。耳が痛い。耳栓でも用意しておくべきだったか。
「くっ! 秋月静、耳栓ぐらいないのか! 私の聴覚では鼓膜が破れかねないぞ!」
「うるせえよ! こっちだって今気付いたんだ!」
耳の奥がワンワン鳴っていて非常にうるさい。それにどうにも三半規管がやられてきたみたいで、今走っている地面が傾いているように見える。
「秋月静!?」
マズイ……どうも本当に倒れかけているみたいだ……。いっつも詰めが甘いな俺も……。
「まったくだ。助ける身にもなってみろ」
完全に地面と接地する直前、力強く柔らかい何かに腕を掴まれる。それが何なのか、細かく認識する前に足が地面から離れる。
「うぅ……気持ち悪い」
視界がグニャグニャして目が回る。音というのはそれ単発でも立派な凶器になる事を学んだ。
外に出て、何度か深呼吸する事で視界がようやく直ってくる。それでもまだ強烈な目まいがして気分が悪いが。
「……薫、さっきは助かった」
まずは助けてくれた薫に礼を言う。今回は完璧にこいつに助けられる形になってしまった。
「気にするな。私もいつもお前に助けられている。お互い様さ」
それでも俺が助けた回数の方が多い気がする。まあ、今回の借りはいつか返す事にしよう。
「話を戻すけど、何かしたか?」
「これを調達してきた」
そう言って薫はバイクを指差す。……おかしいな。俺の目には白バイに見えるんだが。
「……どこで調達した?」
ウソでありますように、と念じながら聞いてみる。それでも答えは変わらなかった。
「道の横に停めてあったのを借りてきた。近くに警官がいたのできちんと声もかけておいたぞ」
「ダメだろ! 立派な窃盗罪じゃん!」
結局俺は犯罪者になる運命なのか……!
ちょっと人生に絶望しかけていると、後ろからガラガラと瓦礫の崩れる音が聞こえてきた。ヤバ、もう出てきたか。
「……非常事態だから目ぇつぶってやる! 行くぞ!」
二人を急かし、白バイに向かって駆け出す。だが、それはできなかった。
サンもどきが白バイに向かってナイフを突き立てたからだ。
「――っ! 逃げろ!」
的確にエンジン部分にナイフが突き立てられて黒い煙を上げ始めた白バイを見て、俺と薫はヤバいと判断して即座に踵を返す。その途中でサンも拾っていく。
十メートルほど走ったところで、爆音とともに破片が後ろから叩きつけられる。しかし、爆発する前に距離を取ったのが功を奏し、当たったら命に関わるような大きな破片は飛んでこなかった。
「みんな、意識あるか!?」
爆風で転がされてゴロゴロと地面を転がる。あちこち擦り傷だらけになりながらも立ち上がる。
「な、何とかな……あいたたた」
薫は受け身に成功したのか、俺よりも少ない傷で立ち上がった。チクショウ、何であんな状況で受け身が取れる。
「ん、私も大丈夫だ」
サンに至っては傷を負った様子すらない。俺が空中で放り投げたので、そこから体勢を立て直したようだ。
……こうして見ると俺が一番重傷な気がする。これで二人をかばった、とかなら気分的に落ち込まないで済むんだけど。
「とりあえず……逃げろ!」
サンもどきが無傷でこちらにやってくるのを見て、一斉にダッシュ。開けた場所にいたら格好の的になってしまう。
「薫、途中で合流!」
「了解!」
そう言って、別れ道を別々の方向に進む。サンは俺にくっついてきた。
「冬月薫は大丈夫なのか!?」
「この辺は俺とあいつのホームグラウンド!」
サンが心配そうに聞いてきたが、この辺で俺と薫二人を相手に鬼ごっこできるのはかなりの上級者だ。地元民のレベルが。
その俺たちが外国から来た連中に負けるわけなどない!
「後ろに私とよく似た顔の奴がピッタリついて来ているんだが……」
「何で俺たちの方に来る!?」
サンに言われて振り返ってみると、サンもどきが嬉々とした様子で俺たちを追いかけて来ているのが分かる。二手に分かれたのだから、少しくらい動揺してくれてもいいのだが。
「もともとあいつの標的はお前だろう! だったら迷う必要などない!」
「ぐっ……、とにかく逃げるぞ!」
サンの説明がもっとも過ぎて反論できず、走る速度を上げる事でごまかす。しかし、どう考えても向こうの方が足が速い。
「まったく……俺の周りにいる女どもはバケモノか!?」
少なくとも高校生の平均よりやや上くらいの体力はあるつもりなのだが、周囲の女性たちはそんな俺の身体能力を軽々と越えるから男のプライドがズタズタだ。
「……秋月静」
「何だよ!? 今全速力だから手短に!」
肺がキツイ。あそこでバイク破壊されたのは痛かった。
「私が足止めをする。お前は先に行け」
「んなことできるかバカ! 明らかにお前が不利だろ!」
思考に留めておく価値もないセリフだ。そんなことされるくらいなら俺も一緒に残る道を選ぶ。
「しかしだな! このままじゃ体力の尽きた時がこっちの最期だぞ! だったらお前だけでも……!」
「しおらしい事言ってもダメなのはダメだ!」
それに殊勝なセリフはお前に似合わない。もっと泰然自若と眠そうにしていろ。
「じゃあどうする気だ!? このまま仲良く二人で心中か!?」
「倒す方法ならある! とにかく今は走れ!」
俺の一喝が効いたのか、サンも黙々と走り始める。後ろからは嫌な気配が漂ってくる。それもどんどん近付いてきており、まるで洞窟の中で大きな岩が転がってきているみたいだ。つまり追いつかれたら死あるのみ。
「もう追いつかれるぞ! お前の方法とはなんだ!?」
サンに言われて後ろを見ると、非常にヤバそうな笑みを浮かべたサンもどきが接近しているのが視界に入った。おそらく、あと十秒足らずで追いつかれる。
「もうすぐだ! あそこを曲がる!」
「何かあるのか!?」
「行けば分かる!」
この作戦を成功させるにはギリギリまでサンもどきを引きつける必要があるのだが……これ以上引きつけたら背中からザックリやられそうなので、すでにその条件は満たしている事になる。
全力に必死に決死の勢いで感覚のほぼ消え去った足を動かす。似たような言葉が三回使われたが、それぐらい切羽詰まっているという事だ。
「……っ、跳べ!」
サンに指示を出した瞬間、前に転がるように跳躍する。先ほど擦りむいた傷の上をコンクリートがガリガリと削って滅茶苦茶痛い。
「死ぬ気か!?」
サンも同じように前に跳んでいるが、きちんと着地している。良いバランス感覚してるじゃないか。俺なんてもう足がガタガタだよ。
「いいや、死なないね」
だって、あのバカがサンもどきを殴り飛ばしているのだから。
「冬月薫……? どうしてここが……」
サンは何が起こったのか分からないように目を瞬かせている。分からないのも無理はない。俺と薫は特に作戦を話したわけではないのだから。
「私と静が別れて、最短で合流できるポイントがここって事さ。そこまで静が誘導するから――」
薫が曲がり角を指差す。倉庫の隅が角になっているのでは横の相手など見えない。
「静が通り過ぎた瞬間に私が出て叩けばいい。簡単な作戦だろう?」
「確かに簡単だが……いつ話した? 私に気取られずにどうやって?」
まあ、四六時中一緒にいたサンがいぶかしむのも無理はない。この作戦を決めたのは――
「さっきの別れ道でな、目が合ったんだよ。その時に決めた」
「そういう事だ」
薫がそれにうなずく。伊達に物心ついた頃から一緒にいるわけじゃない。この程度のアイコンタクトは造作もなかった。
「……私は二人を見誤っていたようだな。お前らは、二人揃っていた方が強いのか」
「まあ、否定はしない」
薫がいると取れる選択肢がグンと増えるのは事実だ。
「それより、今は急いで退却しよう。直に警察も来る」
警察か……白バイ……破壊しちゃったしなあ……。俺も捕まるのかなあ……?
「待ってほしい」
「サン?」
とっとと退散しようと痛み体に鞭打った時、サンが俺たちを引きとめる。
「彼女、まだ動けるようだ」
サンの見ている方向に視線を向けると、確かにサンもどきが立ち上がろうとしているのが見えた。おかしいな。薫が全力で殴れば、骨の一本や二本は軽く折れているはずなのだが。
「仕方ない……ここは完全に気絶させるか」
俺と薫で目配せし、後頭部を強打して気絶させる事にする。実行しようと少女に向かったところ、
「……二人とも、私にやらせてくれないか?」
「サン?」
いつものサンらしくない申し出に驚いてそちらを見てしまう。どうしたんだ一体。
「秋月静にはさっき、自分のやりたい事を探したいと言った」
「ああ、言ったな」
数時間前に言った言葉のはずなのに、ずいぶんと昔に発言した気がする。それだけ濃密な時間を送ってきたという意味だが、もう少し密度が薄くてもいいと思う。
「……私は、自分の成した事にケジメを付けたい」
「……できるのか?」
こいつの付けるケジメは重過ぎる。人殺しのケジメなんて、自害するか彼女の死を願う奴に殺されるかの二つぐらいだ。
俺個人としては、すでに亡くなっている見ず知らずの人などどうでもいいと思っている。やはり重要なのは目の前にいるサンだ。
「彼女を見て、ようやく気付いた。一歩間違えていたら、自分がこうなっていたのだと」
サンもどきは体がズタボロにも関わらず笑っていた。サンの笑顔とは全然違う、狂った笑顔を。
「あはっ、あははははははははっ! あははひははははははははは!!」
壊れた機械のように笑い続けるサンもどき。ここまで来ると哀れにしか思えない。
サンがどこかで道を踏み外していたら。そんなIFの結末がこれか……。
やり切れない思いが胸を満たす。このサンもどきも、どこかで助けを求めていたのではないだろうか。俺たちはその手を知らず知らずのうちに振り払ってしまっていたのではないだろうか。
考えても仕方のない事だ。すでにこの少女が壊れているのは確定で、俺たちにはどうしようもないのだから。
「……それで、どうするつもりだ?」
今の俺たちにできるのはサンの決意を聞く事だけ。とはいえ、自害する道を選んだら止めるつもりだが。
「……助けようと思う。まずはこの少女を。それが終わったらまた別の人を」
「分かった。じゃあ……」
薫と一瞬だけ視線を交わし、サンもどきの体を背負う。一応、武器の有無も確認してある。
「すまない。迷惑をかける」
「今さらだっての。これくらい気にしないさ」
百の迷惑が百一になるくらいだ。どうってことない。
サンもどきを抱えた俺たちは再び走り出した。パトカーのサイレン音も聞こえるから、もう追っては来ないだろう。
「……では、行ってくる」
サンが荷物を持ち、サンもどきと一緒に並んで立つ。
あの事件から三日が経過した。幸いにも俺とサンは明らかに被害者側なので、無罪放免となった。それでも白バイ一台を盗んだ上に破壊したため、しこたま怒られて俺はしばらくタダ働きをさせられる事になったが。
サンもどきは徹底的に隠し通し、全てはあの組織の犯行という事にして責任を押し付けた。サンの願いはサンもどきを救う事。それができなくならないよう、多少の手助けぐらいは俺だってやる。
「元気でな」
今日でサンとはお別れだ。サンは世界中を回って自分と同じような人を助けたいらしい。警察などに入ればいいと思わなくもないが、それでは動けるようになるのが最低でも一年以上は先になってしまう。彼女は今すぐに動きたいので、こうして旅立つ次第となった。
その旅にはサンもどきもついて行く。未だに名前が付いてないのだが、サンが道中で良い名前を付けてくれるだろう。今まで殺伐とした人生を歩んでいるのだから、せめて名前だけでも優しい名前であってほしいと思うのは何も知らない人間の傲慢だろうか。
サンもどきの事だが、武器を完全に奪って組織の人間が助けに来ない事を伝えると、ウソのように大人しくなった。サンがいつの間に手なずけたのかは知らない。ちなみに顔は整形させられたようだ。落ち着いて観察して見ると、表情に不自然なぎこちなさがあった。
「秋月静。今まで世話になった」
「気にすんな。俺もお前に助けられた」
丁寧に頭を下げてくるサンに苦笑する。こいつと一緒の生活はなかなか楽しかった。それだけでも十分お礼になっている。
「冬月薫にも、世話になった」
「気にしないでくれ。困っている人は見過ごせないだけだ」
さすが薫。一般人なら恥ずかしくて言えない事をサラリと言ってのけた。そこに痺れも憧れもしないが。
「……そろそろ行ってくる」
さっきそのセリフは言ったような気がする。しかしそこはお気遣いの紳士である俺。突っ込みませんよ。
こうして、彼女たちはどこかへ行った。
二度と会わないだろうとは思う。でも、きっと大丈夫と言えるような無責任な確信があった。
――と、ここで終われば綺麗に話は済んだだろう。
「……ん? 手紙?」
ある日、俺のところに一通の手紙が届いた。宛先不明の手紙だったため捨てようとしたのだが、差出人がサンである事が分かったため、すぐに薫を呼んで手紙を開けた。
手紙とはいうものの、中身は写真の詰め合わせだった。どれも二人が楽しそうに笑っており、それを見た俺と薫は苦笑するしかなかった。
……ただ、どこの国かも分からない場所の写真を送ってこないでほしい。元気なのが分かって安心できるけど、同時に不安になるから。というか地雷原の看板が背景の写真ってなにさ。
四日ぶりとなります。アンサズです。
ちょっと時間が開いたため一日投稿がしたかったのですが、量がやたらと増えてこんなに遅くなってしまいました。というか一万文字突破ってなにさ。
そして最近になって気付いたのですが、番外編の形を取ると話が終わらなくなってしまいます。どこで終わらせよう……。
次回は薫視点のお話を頑張ってみようと思います。よろしくお願いします。