三十四話
「やっぱカシャルに寄れないのは痛いよな……」
現在、俺たちはカシャルを避けて北上中だ。もうアウリスから旅立って二週間以上経過している。
薫は大丈夫だと保証してくれたので補給も兼ねて一度は入ろうとしたのだが、まさか最初に出会った兵士が問答無用で斬りかかってくるとは思わなかった。
「そうですね……魔王討伐まで帰れそうにありません……」
フィアが何やら落ち込んでいるが、この旅に着いて来ることを決めたのはフィアなので何も言わない。
フィアの心情うんぬんは置いておいて、実際問題として補給ができないのは痛い。カシャルの周りには一日以内に辿りつける村が存在せず、どこへ行くにも一日以上は歩く必要がある。
「カイト、食料はどのくらいある?」
「携帯食料はもうあまりありません。途中の村で補給した方が良いと思います」
食料問題はさすがに死活問題なので、カイトも真面目に答えてくる。
「だよな。よし、今日は補給を考えて進もう」
カシャルももう越えて、今俺たちがいるのは薫が滞在したという村の近くにいる。
魔族だか人間だか知らないが魔王軍に与している奴がほぼ確実にいるので、あまり行きたくなかったのだが命には代えられない。
「古典的だが、フードで顔でも隠すか」
「そうですね。私もよく使いますし」
フィアは一国の王女だからな。身分は知られない方が良い。俺の身の安全的に。下手にバレたら俺はさらし首だ。
「……迷ったな」
「そうですね」
「方角が分からないと何とも……」
俺たちの進行ルートで最短を取った場合、森を抜ける必要があった。しかし、森の中はきちんとした準備がないと迷いかねないので、普通なら遠回りしてでも平地を歩くのが鉄則だ。
だが、今回は焦っていた。食料が本当にシャレにならない量まで減っていた。そのため、急ごうとして直線ルートを選んだのがダメだった。
案の定、俺たちは今道に迷っている。
「方向を確かめようにも……あれじゃなあ……」
上を見上げても見えるのは木々に生い茂っている葉っぱだけだ。太陽なんてこれっぽっちも見えない。というか下手したらすでに日が沈んでいる可能性もある。
太陽が出ているかどうかすら分からないほど光が届かない。今だって、星の灯りとも火の灯りとも分からぬ光に頼って先に進んでいる始末だ。
「これはさすがにヤバいな……最悪、森を焼き払って進むか」
環境破壊なのであまりやりたくはないが、背に腹は代えられない。環境なんて曖昧な物のために命はかけられんのですよ。
「静さん、目印か何か付けてないんですか? そうすれば戻れるのに……」
「付けたよ。そこら中の木に剣で傷つけたっての」
「じゃあどうして道に迷うんですか!」
「そんなもん、俺がどの木にどんな目印付けたか忘れたからに決まってんだろ!」
「今回は不幸じゃなくて人災なんですか!?」
ちょっと無節操に印をつけ過ぎたと反省してるんだ。傷口をえぐり返すな。
「あまり話さない方が良いですよ。今はわずかな体力も惜しい」
カイトにたしなめられたので、二人して黙る。食料も乏しい今、無駄な事はしていられない。
「ふう……今は先に進むしかないか」
「静の言うとおりです。とにかく、現在地が把握できないと地図を見ても意味がない」
カイトが真面目で安心できるのだが、変態が真面目にならざるを得ないほど切羽詰まっている事実に気付いてヘコむ。
「……あれ?」
カイトと地図を見ていた時、フィアが小首をかしげる。
「何だ?」
魔物が出たなら俺も気付くし、もっと真剣な声を出す。それがないという事は魔物以外の何かでも見つけたのか?
「いえ、何か……聞こえません?」
「んん?」
全員で黙って辺りの音に注意する。さらに俺は地面に耳を付けて振動も調べてみる。
「……聞こえるな。何か……足音だ」
足音の軽さからして人間大だ。しかもリズムよくタッタッタ、と聞こえるため二足歩行している事も判明した。
「魔物の気配はしませんけど……」
「何事にも例外はあります。警戒はしておいた方が良いかと」
「カイトの意見に賛成。聞こえる方向までは分からなかった」
三人で寄り添うように集まり、それぞれの武器を構える。もう足音は耳を澄まさなくても聞こえるレベルだ。
「フィア、カイト、そっちの方から来るぞ」
来ている方角が分かったので、陣形を整える。カイトとフィアのツートップに俺が支援につく。
バランスは取れている陣形なのだが、いかんせん前衛二人が有能過ぎてこちらの仕事を全部奪ってしまう。俺の負担が減るからありがたい事だけど、どこかやるせない。
草を踏みしめ、土を蹴る音が響く。さあ来い。何が来ても驚かんぞ。
「――っ!」
森の影から人の姿らしきものが見えた瞬間、全員が身構える。敵だったら即座に微塵切りだ。
人の姿がこちらから見えるくらいまで近づいた。それを見て、思わず絶句する。
うっそうとしている森の中でも分かるような銀色の髪。顔の細かい輪郭は動いているため例えにくい。そして動くごとに揺れて存在を主張する大きな胸。思わず目をそらしてしまう。
まあ、これらだけなら俺も驚かないんだ。その完璧すぎるプロポーションにちょっと目のやり場に困るけど、それだけだ。カイトなんて眉一つ動かしていないくらいだ。
……それはそれですごいと思うけど、ああはなりたくない。男が女に欲情しなくなるとか、人類終了だよ?
「な……っ!?」
だから絶句したのには別の理由があった。
耳がやたら長いのだ。
「エルフ……?」
思わずファンタジー用語が口をついて出てしまう。
「た、助けて!」
おまけにどうやら助けを求めている様子。気付かなければ放置してもよかったのだが、今さらそれはできない。
「カイト、その人の介抱頼む! あと……分かるな?」
「静の全てを理解している僕には朝飯前です!」
普通に鳥肌立った。俺はいつこいつにストーカーされた? もう安心できる時がないじゃないか。
それは置いといて、俺が頼んだのは文字通りの介抱だけじゃない。
魔族が人間に化けれると知っている以上、彼女が人間……エルフかどうかを確かめる必要がある。万一敵だった場合、カイトに倒してもらう事になる。
……汚れ役だという事は俺もカイトも承知している。だが、フィアは王女だし、何より平時のフィアは優し過ぎる。何もしていない奴に手を上げるなんてできないだろう。
俺は別に敵と認識すれば女だろうと子供だろうと容赦はしない性質なのだが、近距離からの不意打ちに対応できる反射神経は俺にはない。
つまりフィアは精神的な面で。俺は能力的な面で不可能となっているのだ。必然的にカイトしかできなくなる。
「フィア、とにかく来る奴らを倒すぞ!」
「任せてください!」
フィアが剣を抜き、俺の前に出る。……雰囲気がガラリと変わったのが分かる。狂戦士モードのスイッチが入ったな。
「敵はどこだ!」
「今来るんだよ! 話聞いてた!?」
俺が突っ込んだそばからオオカミのような魔物が三匹ほど飛び出してくる。
「……ウェアウルフか」
何回か戦った事がある相手だった。特徴は牙がやたら長く、爪なども鋭く研ぎ澄まされており、非常に攻撃的である事が分かっている。まさに体全体が凶器というやつだ。
こいつらの弱点は寒さだ。水をかけて体温を奪えば簡単に倒せる相手となるため、倒そうと思ったら罠を張って弱らせるのが鉄則となっている。
もちろん、その寒さを防ぐために毛皮が発達している。モコモコした温かそうな毛皮は俺の鋼糸すら届かない強度を誇る。
「……フィア、イケるか?」
ウェアウルフは単体でDランクの実力を持つ厄介な魔物だ。それが三匹。フィア一人では荷が重いかもしれない。
「余の相手として不足はない。……だが、後ろにいる者を守りながらは難しい」
傲岸不遜の塊である狂戦士モードのフィアでさえ弱音を吐くか。こりゃ相当厳しそうだ。
「……二体、こっちで引き受けるからフィアは一体だけ頼む」
「む? しかし、お前には二匹以上と相対して攻撃を避け切れるのか?」
「させなきゃいいんだよ」
鋼糸で切る事はできないが、縛る事くらいはできる。それすらもダメでも足止めになる。
そして、どんな生物にも必ず弱点は存在する。
「……ふ、では任せるぞ静!」
「任された!」
フィアと二手に別れて、二匹の方に鋼糸をチラつかせて挑発する。
案の定、二匹がこちらに注意を寄せてきた。警戒しているようにジリジリと動くウェアウルフと対峙し、糸を注意深く張り巡らせる。
「……シッ!」
先手を取って糸で全身を絡め取る。ウェアウルフたちも突然体の自由が利かなくなった事に動揺していた。
「そら!」
短剣で目玉を狙ってぶっ刺し、根元まで剣身を埋める。これで一体は倒した。
あわよくばもう一体も同じ方法で倒したかったのだが、短剣が抜けない。抜こうとまごついている間にもう一体からは脱出されてしまった。
「……まあいいか。仕込みは終わってるし」
スプラッタになるけど、まあ俺が死ぬよりはマシだ。
両手を大きく開き、手を伸ばす。
それに合わせたようにウェアウルフの体が膨張し、最終的には破裂した。いや、内部からズタズタに切り裂かれた、が正確か。
「……うえ」
自分でやっておいて何だが、あまりにもグロ過ぎる。思わず口元に手を当ててしまう。
「ふむ……意外に気付かれないものだな。内部に鋼糸を仕込ませるのも」
新発見だ。バレたら吐き出されて終わりだと思っていたのだが。これから有効活用させてもらおう。
「フィア、そっちは?」
「終わってますよ」
フィアが血に濡れた剣を布で拭いながらにこやかに答える。その笑顔と血濡れの剣がアンバランス過ぎてむしろマッチしているように感じてしまう。
ちなみにフィアの下には首がないウェアウルフの死体があった。あの固い皮を一刀両断かよ……。
「カイト、そっちの人は?」
「静さんたちが倒したのを見てから気絶してます。安心したんでしょう」
俺の倒し方に問題があった可能性もあるが、気にしない事にする。
「頭とかぶつけてないよな? 外傷は?」
「どちらもありませんし、痛む個所も特にないと言ってました。精神的な疲労から気絶したんだと思います」
「そうか……」
ホッと胸を撫で下ろし、肩の力を抜く。
「それじゃ、少しだけ移動して休もう。血の臭いが別の魔物を呼びかねない」
俺の提案に二人とも納得し、カイトに女性の体を持たせて俺たちは移動を再開した。
「……見れば見るほど美人ではあるな」
「そうですね。女の私から見てもうらやましいです」
「……静が一番ですよ」
最後の奴が言った事はスルーしよう。女性に言われたのなら嬉しいが、野郎に言われても気持ち悪いだけだ。
カイトの肩に寄りかかって眠っている女性をまじまじと見つめる。
肌は青白いと表現してもいいくらいに白く、背中まで伸びた癖のない髪は綺麗な銀色。血の通りが悪いのか、やや青みがかった唇もこの人相手だと妖艶に見えてしまう。
極めつけは完璧と言っても良いくらいに出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだプロポーションだ。
今はもう何ともないが、初見では誰もが顔を赤らめる事請け合いだ。
「……耳が長いな」
「そうですね。エルフなんて初めて見ます……」
「僕もです。ですが、伝承のエルフは髪が金色だと書いてあったのですが……」
この世界でもエルフは伝説上の生き物だ。昔は普通に存在していたらしいのだが、現在では緩やかに滅びの道を歩んでいるとか。
「多少の食い違いは伝説だから当然として……これからどうする?」
「この森を案内してもらいましょう。補給もできれば理想ですが、とりあえず出口を教えてもらえれば文句はありません」
「だな」
カイトの言葉に全員賛成。全員でエルフ(仮)の顔を凝視する。これでもかってくらいに。
「……ぅうん」
俺たちの視線が効いたのか女性が身じろぎをし、その目をゆっくりと開く。
「ここは……天国?」
体を起こした女性の第一声がそれ。まあ、あの状況で気絶したのだから分からんでもない。
……しかし暗い。儚いイメージとかそんな生易しいものじゃない。この人の周りだけ鬱になるオーラが出ている気さえする。
「違います。安心してください」
「違う……? ふふふ、そうよね。私みたいな奴が天国なんて行けるわけがないわ……ここは地獄、そうに決まってる」
「おーい? もしもーし?」
なんか勝手にネガティブ入ってるんだけどこの人。
「じゃああなた方は地獄の案内人? ……いいわ、どこへなりと案内して頂戴」
「いや、俺があなたに案内してほしいんですけど」
フィアともカイトとも違うベクトルの奴だな……扱いにくい。
「あら? どういう事?」
いや、あんたがどういう事だよ、と言いたくなったがグッと堪える。うかつな一言でまたネガティブ入られたらたまらない。
「ここは地獄でも天国でもありません。あなたは我々に助けを求めて俺たちは応えた。……どこか痛みませんか?」
「痛み……? ええ、あるわよ。何でまだ生きてるんだろう、っていう心の痛みが」
「助けてっつったのあんたなんだけど!?」
敬語を忘れて突っ込んでしまう。なに、何なのこの人!? ネガティブ入るタイミングが読めないんだけど。
「ふぅ……それで、あなたたちが私を助けてくれたのかしら?」
「さっきからそう言ってます……」
この人と話すと無性に疲れる。俺の精神力は早くもレッドゾーンだ。
「助けてくれてありがとう。このお礼はいつか必ずするわ」
「あ、じゃあ道を教えてくれませんか? 俺たち、この森で迷ってしまって……」
普通にお姉さんみたいな反応が返ってきたので、好機と思って聞きたい事を聞く。
「ああ、なるほど。あなたたち、運が良いわね。私に出会わなかったら死んでたわよ?」
「何でですか?」
「この森にはエルフ特有の魔法がかかっているのよ。一度入ったら最後、死ぬまで出られない呪いが」
……エグ過ぎる。せめてどうやって進んでも入口に戻るくらいにしてほしい。
「そうなんですか……では、道案内を頼んでも良いですか?」
「もちろん。いくらゴミ屑の私でも、それくらいはやってみせるわ」
サラリと入っていた自虐ワードに顔が引きつってしまう。なんて言うか……すごく自分を低く見ているのか?
「よろしくお願いします。あ、俺は秋月静です。静が名前ですので、静と呼んでください」
「フィア・グランティスです。フィアと呼んでください」
「カイト・ユリウスです」
全員で名前を教え、自己紹介する。
「私はクレア・リィル・エスティア。リィルはエルフの所属する場所みたいなものだから気にしないで」
やっぱエルフだった。今まで聞いてなかったけど、これで彼女がエルフであると確信した。
クレアと握手をして、俺たちはエルフの里を目指して出発した。
ファンタジーの王道、エルフの登場です。けどネガティブ。
諸事情によりちょっと明日の投稿は無理かもしれません。