ある朝、タンスの向こうに(58/75)PDFで表示縦書き表示RDF


お待たせしました。
剣舞の始まりです! 
ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



58.剣舞


 全身に降りかかってくる水飛沫、足元の岩を濡らすのも、ただの透明な水であるというのに、目の前の大きな滝の流れは、まるで光を集めた宝石のような、不思議な色合いをしている。
『白水晶の滝と呼ばれる、所以でございますよ』
 そんなリゴトの声が聞こえてきそうな、美しい水晶の束にも似た、目の前の滝を見つめながら、空はゆっくりと深呼吸をした。
 ハルトの剣――そう呼ばれる聖剣は、両手にずっしりと重い。かなり古く、錆びついて、鞘から抜けないというこの剣は、空が見ても、ただの骨董品にしか見えない。それでも、その内から、何か不思議な力のようなものが、伝わってくる気がした。 
 儀式の練習に使った仮の剣とは、全く違う感覚に、空はためらいながらも、そんな素振りも見せぬよう、表情を引き締めた。
 頭の中で数日に渡る特訓を思い返しながら、空はその剣を胸に抱きしめ、観衆に向かって、一礼をした。
 水の匂いを含んだ、涼しい風が、薄い藍色の衣装を揺らしていく。
 ――まさか、こんな風に使う時が来るなんてね。
 あの東の聖殿で、ディーラにもらった、ラウレカの形見である衣装。
 力にあふれた巫女であったという、彼女に見守っていてほしい、そんな気持ちで持ってきただけだったこの衣装に、助けられた形になって、空は改めて不思議な気持ちでいた。
 誰があんな嫌がらせをしたのかなんて、目に見えている。どんなことをしても、自分の儀式の失敗を願っているのだろう。
 けれど、こんなことで、あきらめるわけにはいかない。自分にだって、この儀式を成功させたい、理由があるのだから。
 ――そうだよね? エシュタンドのお母さん。
 記憶の中に鮮やかに残る、肖像画の彼女、その微笑を思いながら、空は頭を上げた。
 
 鞘がついたままの剣を、滝に向かって、両手で高く捧げ持つ――これが、剣舞の始まりを告げる合図。
 清冽な水の流れを見上げて、瞳を閉じる。
 ――滝の精さん、本当にいるのなら、どうかこの儀式が成功するように、見守っていてください。
 そんなことを思いつつも、一応、剣舞の理由である、ミディス王国の繁栄と、豊かな収穫への感謝、そして人々の幸せを祈って、空は目を開けた。
 そのまま、重い剣をなんとか縦に持ち直して、滝に向かって、一礼する。
 大きな滝の音で、惑わされないよう、自分の中でリズムを刻んで、足を動かす。
 教わったとおりの剣舞、独特の動きを一つ一つ、こなしながら、空は心臓が高鳴り出すのを感じた。
 ――なんだろう、今頃緊張してきたのかな。
 衣装を破られたりしたせいで、負けるものかと、かえってやる気が出て、落ち着いたと思っていたのに。
 足元の水に、滑らないように細心の注意を払いながら、空は剣を振りあげ、また下ろし、決められたポーズを取っていく。
 気持ちと裏腹に、どんどん速くなる心臓の鼓動と、熱くなる頬に、少しふらつきそうになるのを、必死で堪えた。
 あともう少しで、この剣舞も終わる。
 そう思いながら動かしている自分の体が、まるで別人の物のように、重く感じる。
 ――おかしいな。なんか、熱でもあるみたい……。
 疲れが出たのか、風邪でも引いたのだろうか、そんなことを考えながらも、空は最後の回転を終えて、動きを止めた。
 また体が傾ぎそうになる。今度こそ、大きく揺らいだ体をなんとか止めるも、背後で巫女たちがざわめいているのが聞こえた。
 滝の音で聞こえないが、下でももしかしたら心配しているかもしれない。
 頭に浮かんだ藍色の瞳に、大丈夫だと伝えるつもりで、空は段々言うことを聞かなくなってきた体をなんとか立て直す。
 そして、最後の力を振り絞って、剣を構えなおした。
 ぼやけてきた視界に、滝が迫ってくるような気がする。
 先ほどまでとは違う、威厳のようなものに圧される体を、無理やり動かして、空は一気に滝の流れを真横に切った。
 一瞬だけ、遮られた流れを、取り戻すかのように水が落ちて、何事もなかったかのように、滝の姿を取り戻す。
 ――終わった……!
 思わず手から離れそうになった重い剣を、空がなんとか握りなおした、その時――。
 いきなり目の前の滝から、何かが突き出て、空の体を捉えた。
 声も出せないまま、必死で自分の体を見て、その何かが、水そのものであることがわかった。
 今まで流れ落ちていた滝が、まるで意志でも持ったかのように、水の腕で、空を鷲づかみにして、引き入れていくようだった。
 たちまち騒ぎ出す巫女たちの前で、空の体はやすやすと持ち上げられ、滝の中へ引き込まれていく。
「エシュタンド――!」
 怒涛のような流れに飲み込まれそうになりながら、なんとか呼んだ名前は、届いたのかどうか――。
 滝つぼを見下ろすことも叶わないまま、空は次の瞬間、まるで滝に吸い込まれるように、姿を消したのだった。
 



 *


 はらり、と風に乗って落ちてきた空のベールを手にとって、エシュタンドは目の前の滝を信じられない思いで見上げていた。
「ソラッ! ソラ――ッ!」
 何度も名を呼びながら、滝つぼに足を踏み入れようとするエシュタンドの背中を、クガルとルストが押さえつけた。
「殿下、殿下! どうか、落ち着いてください。どんな魔の手によるものかもしれません! 
 殿下までも、危険な目に合わせるわけにはまいりません――!」
 必死で止めるクガルの声に、振り返った藍色の瞳は、どこにも向けられない怒りに燃えていた。
「何を悠長なことを言っている! 現にソラが危険な目に合っているんだ、あいつに何かあったら――!」
 いつもの冷静さがかけらも見えぬほどの勢いで、そう叫んだ彼の肩に手を置いたのは、王その人だった。
「すぐに王宮軍に調査させよう。とにかく、少し落ち着きなさい」
「父、上――」
 灰褐色の静かな瞳に見つめられ、いきりたっていたエシュタンドの体から、力が抜けていく。両側から必死に押さえつけていたクガルとルストも、少しほっとしたような表情を浮かべた。
「あなたがそんなに取り乱すなんて、珍しいこともあるものね、エシュタンド」
 周囲のざわめきなど気にもせぬように、立ち上がった王妃は、嫌味なほど優雅に扇を振っていた。
「母上」
 途端に鋭くなった藍色の瞳をかわすように、微笑みまで浮かべて、王妃は滝を見上げた。
「それにしても、こんな恐ろしいことが起こるなんて……やはり、巫女でもない娘に剣舞をさせたりしたから、滝の精の怒りを買ったのでは……」
 眉をひそめて、扇の影で呟いた王妃を、エシュタンドが堪えきれないように睨み付けた。
「何を仰るのです! ソラは、きちんと与えられた役目をこなした。儀式をやり遂げたではありませんか!」
「おお、怖い。そんなに噛みつかずともよろしいではありませんか。私はただ、可能性を述べているだけ――。
 現に、あの娘は滝に飲み込まれた。あれが、儀式の成功に見えて? それに、あのようにふらついて、剣舞とも言えぬ様な見苦しいものを……」
 藍色の瞳を見開いたエシュタンドが、言い返そうとする前に、またも肩に手をかけ、止められた。
 またクガル達かと苛立たしげに振り返った彼を見つめるのは、王であったのだ。
「リダネア、そのぐらいにしておきなさい。あの娘が、決められた儀式をやり遂げたのは、確かなことだ。
 成功と見なすかは、彼女が無事に、帰ってきてから決めること。それまでは、このことで言い争うべきではない」
 珍しく王に咎められて、王妃は、驚きを隠せないままに、視線を逸らした。
「それに、エシュタンド――お前が、どれほどあの娘を大切に想っているかはわかった。我々にとっても、大事な娘になるやもしれん。
 必ずや、王宮に取り戻そうぞ。全軍、滝へ! 入り口を探すのだ! 一刻も早く、あの娘を助け出せ!」
 王の命を受けて、兵たちが集まり、滝つぼへ足を踏み入れていく。
 その様子を見てから、エシュタンドは父の姿をしばし驚いた顔で眺めていたが、すぐに気を取り直したように、クガルのほうへ振り返った。
「私兵隊全員で、滝の回りも捜索してくれ。どこでソラが見つかるやもしれん。草の根を掻き分けるつもりで、頼んだぞ――」
「はっ!」
 膝を折り、すぐに兵に指示をするクガルを横目に、エシュタンドは自分の白いマントを脱ぎ捨てた。
「殿下、どうなさるおつもりで――?」
 あわてて訊ねるルストに、エシュタンドは落ち着きを取り戻した顔で、振り返る。
「勿論、私も捜索に参加する。私なりのやり方でな」
「殿下――」
 心配そうに追いかけようとするルストを、藍色の瞳がすぐさま止めた。
「ソラは私の大事な婚約者だ。私が、必ず救い出す。滝の精などに、渡すわけにはいかんからな」
 その瞳に浮かぶいつもの光を、ルストは一瞬嬉しそうに見つめてから、無言で頷き、私兵隊に合流していった。
 

 滝つぼにあふれかえった兵たちが、いくら探しても滝の中につながる入り口どころか、空間のようなものさえ、見つけられずにいた。
 流れ落ちる滝の中には、すぐに硬い岩が突き出しているばかりで、水によって磨かれた岩の表面を登ることも困難を極めていた。
「殿下、滝の周囲は捜索いたしましたが、どこにも姫君の姿はありません」
 戻ってきたルストの報告を受けて、エシュタンドも表情を厳しくする。先ほど、自ら探索した周囲のどこにも、魔の気配すら感じなかったのだ。
「兄上……」
 隣で心配そうな目を向ける弟の肩に手を置いて、エシュタンドは軽く微笑んだ。
「心配するな。必ず見つける」
 そうは言いながらも、自分の手に嫌な汗がにじみでるのを止められない。エシュタンドは、唇を噛んで、目の前にそびえる滝を睨みつけた。
「陛下、岩の上からも調査いたしましたが、何の手がかりも見つかりません!」
 先ほど空たちが立っていたあの大岩から降りて来た兵の一人が、王に報告する。
 渋い表情をした王が、何事かを思案する様子を見せる。それをも待ちきれぬように、エシュタンドが前に進み出た。
「エシュタンド、何をするつもりだ」
 追ってきた王の声に振り向いたエシュタンドが、苛立たしげに滝を見上げる。
「このままでは、らちが明きません。私の、魔の力で……」
 言うなり、彼を包む空気が別の流れを生み始める。それを見て、王はあせったようにエシュタンドの腕を取った。
「しかし、ここは仮にも聖域だぞ! 魔の力で汚すような真似は……」
「おや、父上がそこまで信心深いお方だったとは、存じませんでしたね」
 沈黙を守っていたエーデレードの言葉が響いて、王は鋭い目を向けた。
「どういう意味だ、エーデレード」
 静かに、低い声で問い返した王に、エーデレードは優しく微笑みを返した。
「言葉どおりの意味ですよ。今、大切なのは、何よりも姫君の命のはず。そうではないのですか?」
 冷静に、滝を指し示して逆に問い返す、その同じ色の瞳に、王は唇を引き結んだ。
「あ〜あ! もういい加減、疲れてきたな。私には関係のないことです、先に帰らせてもらいますよ、父上」
「エルファンド!」
 その場の緊迫感をものともせずに、伸びをしながら立ち上がった第二王子は、手にしていた酒杯を置いて、にやりと笑った。
「何としても助け出すか、それともこのまま見捨てるのか、好きになさるといい。どっちみち、誰のせいでもないことだ。
 そうではありませんか」
 お気楽な調子で肩をすくめて、歩き出すエルファンドを、苦い表情で見送った王の隣で、王妃も続くように立ち上がった。
「私も帰らせていただきますわ。この場にいては、どんな危険が降りかかるかわかりませんもの。さあ、エカルド、あなたも帰るのですよ」
 無理やり王妃に引っ張られて、エカルドはきつい瞳でその手を振り払った。
「いやです! 僕も残って、姫君を――」
 言い返しかけたエカルドに、王妃は目を剥いて立ち止まった。
「何を言っているの! あなたに何ができると言うのです! おかしなことをして、あなたにまで何かあったらどうするの!」
 真剣な顔で、叱り付けるその顔は、息子を心配するもの以外の何物でもなかった。
 その様子を黙って見ていたエーデレードが、咳払いをして立ち上がる。
「エカルド、私と一緒に王宮に戻っていよう。無事を祈って待っていることも、大事な役目だぞ?」
 まるで小さな子供に言い聞かせるようなその言葉に、エカルドはただ悔しそうに視線を下ろした。
「陛下、あとは王宮軍に任せて、一緒に王宮へ戻りましょう。陛下の御身に何かあったら、国民はどうするのです」
 横に並んだ王妃を見下ろして、王は戸惑ったように滝に視線を戻した。
「父上、母上の仰る通りです。あとは私が……」
 エシュタンドも言葉を重ねようとした、その時、王が強い瞳で彼の手にしていたベールを見つめた。
「いや、私ももう少し、ここに残ってみよう」
「陛下――!」
 抗議の声を上げる王妃に瞳を向けて、王が静かに微笑んだ。
「晩餐会までには、戻ることにしよう」
「父上……」
 驚きの目で見るエシュタンドと王妃を交互に見て、王はいつもの表情を取り戻した。
「少し、気になることがあるんでな。ただ、それだけの理由だ」
 悔しそうに震える両手を握り締めていた王妃は、水色の瞳を怒りに燃やしながら、王を見上げた。
「私は、認めませんわよ……あんな娘、晩餐会までに戻らなければ、絶対に何も認めませんから!」
 エシュタンドにも視線を移してから、王妃は耐え切れぬようにその場を後にする。
 相変わらずの飄々とした笑みを浮かべたエーデレードが、優しくエカルドも連れて歩き出す。
 礼をして見送ったエシュタンドが、隣に並んだ父の顔を見上げたその時、背後から近づいてきた人物に、二人とも驚いたように振り返った。
「メセル殿……お帰りになったはずでは――」
 確かに先ほど、危険だからと兵に送らせたはずの彼女が、こうして戻ってくるとは思いもしなかった。
 表情にそんな考えをそのまま見せたエシュタンドに訊ねられ、メセルは両脇に並んだ巫女たちと共に、微笑んでみせた。
「殿下の大事な姫君の危機、見過ごせるはずがございません。私どもにも、いえ、私どもにこそ――何かお役に立てることがあるかと存じますが」
 薄い緑色の瞳に、わずかに自信の色が垣間見える。
 そこから何かを読み取ったように、エシュタンドは笑みを浮かべて頷いた。
「そうか、ここは聖域――魔よりも、聖なる力の分野だというわけか」
 二人のやりとりに、王もようやく納得したように言葉をかける。その声に頷いて、メセルは滝に向かって歩み寄った。
「長にまではかないませんが……私も巫女としての鍛錬を積んできた身。この滝を支配する、聖なる力を感じます。
 とてつもなく、大きい力――今までの白水晶の滝とは比べ物にもならないほどの、恐ろしいほどの清らかな空気が、滝の周囲を守っている。
 これは、まさか、本当に――」
 滝を見上げながら、両腕を高く差し伸べるようにして、瞳を閉じていたメセルは、そこまで言うと、信じられないように言葉を止めた。
 エシュタンドのほうを振り返った彼女が、何かを言おうとするのと、ふいに強い風が吹いたのとが同時だった。
 吹きつけてくる風に全員が瞳を閉じた、その瞬間、突如大きな音が響いて、滝の流れが止まったのだ。
 今まで勢いよく流れていた水が、まるで突然凍ってしまったかのように、その動きを止め、周囲にいた兵たちも驚きに飛びのいた。
 皆を強い光で照らし返すような、水の塊となったそれは――まるで、巨大な白水晶のように見えた。

 


続きは少しお待たせするかもしれませんが、ゆっくり待ってくださると嬉しいです。











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