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ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



52.想い


 収穫祭の、前日がやってきた。
 侍女が扉を叩く前から、目覚めていた空は、あちこち痛む体に、驚いていた。
「ダンスって、思ったより、筋肉使うんだ……」
 一人呟きながら、思い出すのは、昨日ずっと親身になって教えてくれた、エカルドとの練習だった。
 舞踏会だと聞いて、テレビで見たような、すごい動きの社交ダンスとかを想像していた空にとって、思ったよりも覚えやすく、簡単なものだった。
 ゆったりとした動きで、女性と男性が向かい合って、お辞儀をすることから始まり、差し出された手を、女性がとって、男性は女性を支えること。
 その後は、ずっと似たようなステップと、ゆるやかな回転が続く、それが基本のダンスらしい。
 ――確かに、王宮の舞踏会なんだから、あんまり激しい動きがあるわけないか。
 男性はともかく、女性はいつも、細めの靴に、ドレスを着ているわけだから、そんなに速い動きができるはずもなく、高度な振りがあるわけではないのだ。
 だからといって、楽なわけでもない。大事なのは、一番に優雅さと気品だそうで、特に女性はいかに美しく、慎ましく、男性にリードされるか、そして、始終微笑んでいること、それがポイントだそうだ。
 そのためにも、微笑みっぱなしで、更には、背筋を伸ばして、決められた姿勢をとっていないといけないので、ゆっくりとしたダンスであっても、意外と疲れるものだった。
「あーあ、まったく性に合わないったら……」
 体を動かすのが好きだとはいっても、こういう優雅な、いかにもお姫様、といった動きには慣れていないし、どうにも気疲れしてしまう空だった。
 ちょうど寝台をおりて、思いっきり伸びをしていた、その時。扉を叩く音に、空は振り返りながら返事をした。
 途端に勢いよく入ってきた人物に、空の顔は輝いた。

「エマナ! わぁ、戻ってこれたんだ!」
「姫君! しばらくお世話ができずに、申し訳ありませんでした!」
 ほぼ同時にそう言いあって、二人は微笑み合う。
 収穫祭が終わるまで会えないものだとあきらめていた空は、嬉しい驚きを隠せなかった。
「準備のほうは、もういいの?」
 久しぶりの、エマナの亜麻色の瞳を見て、空はいそいそと問いかけた。
「ええ。もう後は、他の者たちで、間に合うそうで……このような大変な時に、おそばにいられなくて、本当にすみませんでした」
 頬を紅潮させて、それでも申し訳なさそうに謝るエマナに、空は首を振った。
「ううん。いいの、いいの! マルカや他の侍女の皆がよくしてくれたし……」
 そこまで言ってから、空は少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「でも、やっぱりエマナが一番だけどね! よかったぁ、やっぱりちょっと緊張してたから、エマナの顔が見られて、少しほっとしたよ」
 空の言葉に、エマナも嬉しそうな笑顔になる。そして、手に持っていた衣装を思い出したように、あわてて寝台の上に広げていった。
「こちらが、今日のお衣装、そしてこっちのほうは、舞踏会で着ていただく衣装になります」
 エマナが並べたのは、淡いピンクの日常使いのドレスと、あきらかに豪華な、舞踏会用のドレスだった。
「うわぁ〜すごい! でも、この刺繍に、宝石……かなり手間がかかってるんじゃない?」
 驚いた空に、満足げにエマナが笑ってみせた。
「ええ、勿論! 第三殿下の、ご婚約者である姫君の、初めてのお披露目ともいえる舞踏会ですもの! 衣装係りにも、特別に豪華なものを用意するようにと、念を押して、作らせたものですわ」
 自慢げにエマナが手で示すドレスは、華やかな黄色の、ふわふわした生地で、何重にも重ねられた裾が膨らんだ、可愛らしいデザインだった。
 明るい色に似合うような、輝く宝石がちりばめられ、レースの中にも、丁寧に刺繍が施されている。
「あ、ありがとう……」
 もちろん綺麗なのだが、あまりの豪華さに、空は思わずたじろいでいた。
 エマナや、この衣装を用意してくれた人たちの、舞踏会にかける意気込みが、なんだかずっしりと迫ってきた気がしたのだ。
 そんな空の表情には気づかないように、エマナはにこにこしている。
「聞きましたよ、末の殿下に、舞踏会の練習相手を務めていただいたんですって?」
「あ、う、うん……」
 迫ってきたエマナに、少しだけあとずさってしまう空だったが、エマナは顔をくしゃっとゆがめて、笑った。
「末の殿下は、ダンスがお得意なんですよ。その殿下に、お墨付きをいただいたのなら、心配もいりませんね!」
 どうやら、エマナは、空が意外と早くダンスを覚えたことが、嬉しくて仕方がないらしい。自分が褒められたかのように、喜んでくれているようだった。
「他の姫なんか、蹴散らして、見せ付けてやってくださいな! 殿下には、姫君が一番お似合いだって、わからせてやりましょう!」
 やはり、王妃の企みは誰の目にも明らかなようで、他の空付きの侍女も、空を応援してくれていると、昨日マルカが言ってくれていた。
 みんなの気持ちは、嬉しい。応援してくれる人たちがいることは、何よりも心強いことだった。
 それなのに、何かがかけている。そのかけているものが、今の空にとって、一番求めているものだった。
 さすがに、笑顔を続けられなくなった空に、エマナが表情を変えて、近づいてきた。

「どうかなされました? 姫君……?」
 途端に心配そうに覗き込まれて、空は力なく笑った。
「あたし、本当にそんな場に出て、いいのかな……」
 ぽつりと呟かれた言葉に、エマナが不思議そうな顔をする。
「どういう……意味ですの?」
 優しい亜麻色の瞳に、空は支えを求めるように、顔を上げた。
「そんな場所で、みんなの前で、あたしがエシュタンドの婚約者だって、自信持って言えそうにないよ……だって、きっと他の姫たちは、あたしなんかより、もっと綺麗で、ダンスも上手で、優雅な姫君としての教育も受けてて、そんな中で、あたしなんか浮いちゃうよ」
 何を言うのかと、口を開きそうなエマナを見つめて、空は一瞬迷った後、本音を口にする。
「それに……何よりも、エシュタンドが本当に、あたしを選んでくれるのか、自信ないの。きっと、何かの気の迷いだったって気づいて、あたしなんかより、他の姫を選んじゃうんじゃないかって、そんなことまで考えちゃって……」
 弱々しい、空の独白に、エマナはついに耐え切れなくなったように、空の腕を掴んだ。
「姫君! そんなことはございません!」
 眉間に皺を寄せて、エマナは真剣な目で見上げている。
「エ、エマナ……?」
 あまりの剣幕に、空は言葉を止めた。エマナは、空の腕をしっかりと掴んだまま、口を開いた。
「殿下は――本当に、姫君を愛しておられます! それは絶対に、気の迷いなどでは、ありません!」
 瞳だけで、どういうことかと問う空に、エマナは少しだけ表情を緩めた。
「実は私、聞いたんです……クガル様から」
「クガルさんから……?」
 一体何を、と空が聞く前に、エマナが微笑んでみせた。
「殿下が、ずっと宮を空けておられた、理由ですわ」
「宮を空けてって……魔のモノの探索、とかが理由でしょ?」
 訝しげに訊ねると、エマナは頷く。
「ええ、確かにそれはそうなんですけど……殿下が、何か悩んでおられると――その原因はわからないけれど、姫君を想うからこそ、悩んでおられるようだと。
決して、遠ざけたくて、そうされていたわけではないと……そう、クガル様が、私に教えてくださったのです」
 その言葉に、空は、引き寄せられるように黙った。
「昨夜、わざわざやってこられて、どうか姫君に伝えてほしいと……私なら、姫君と親しくさせていただいているから、と。
 クガル様が、殿下に内緒でそこまでされるなんて、よっぽどのことですわ。あの方が、殿下を思われるお気持ちは、本当に深いのです。
 だからこそ、主の恋を、応援されたいと思われたんですわ。今までクガル様が、そんなことをされたことはありませんもの。
 それは、殿下が、姫君をとても大事に想っているのがわかったから、そうではありませんか?」
 懸命に、まるでクガルが伝えてきた様子が想像できるほどの、熱心さで、エマナに言われて、空は言葉が出せないでいた。
 ――本当に? 嫌われたわけじゃなかった……?
 突然の態度の変化に、恐れていたことを、はっきりと否定してくれたクガルとエマナの優しさに、空の中に巣食っていた不安が、少しずつ消えていく。
「ですから、どうか元気を出して、いつもの笑顔で頑張ってくださいな」
 そう優しく言って、両手を握られて、空はようやく心の中が晴れていく気がしていた。
「だって、私……姫君の笑顔が、大好きなんですもの!」
 エマナの言葉で、空は恥ずかしそうに笑った。遠慮がちな、それでも久しぶりに心から出た、笑顔だった。そして、エマナの小さい両手をしっかりと握り返す。
「ありがとう、エマナ! あたし、頑張れそうな気がしてきた。よーし、じゃあ、早速着替えないとね!」
 嬉しそうに頷いたエマナに、着替えを手伝ってもらいながら、空は、ようやく暗闇から浮上していく心を感じていた。
「では、姫君、念入りに櫛を入れさせていただきますね。今日もまた、西の聖殿の巫女殿との練習がおありだそうですので」
 腕まくりをして、櫛を取り出すエマナに、空も表情を引き締める。
「うん、今日が最後の練習なんだ。明日は本番だし、気合入れていかないとね! それと午後は、ダンスの最終練習。
 王子が、また付き合ってくれるって」
 笑顔で相槌を打つエマナをまっすぐに見て、空は今度こそ、晴々しい顔で笑った。
「それが終わったら――あたし、エシュタンドに会ってくる。やっぱり、ちゃんと顔見て話したいし」
 力強い空の言葉に、エマナは瞳を優しくして、極上の笑みで応えてくれた。








 手にしていた紙の束を、テーブルに叩き付けたエシュタンドに、クガルは目を向けた。
「王妃様からの、使者でしたか」
 静かに訊ねるクガルをちらりと見て、苛立たしげに息を吐くと、エシュタンドは乱暴に金髪をかきあげた。
「ああ。今夜の舞踏会に招待した姫君の名を、全て記してあるそうだ。家柄に、趣味まで書き添えてある。ご丁寧なことだ」
 眉をひそめて、紙の束を睨みつける彼を、クガルは気の毒そうに見つめた。
「この家柄全て、王妃の息がかかった者たちだ。私と結婚したとしても、裏から操ろうという魂胆なんだろう。そのうち婚約者を決めなくてはいけないのは、避けられんからな。
あわよくば、ソラをなんとか婚約者の座から引きずりおろして、自分に都合の良い娘を代わりに、という見え透いた作戦だな。
 万が一にも、ソラが本当の暁の娘だった場合を恐れているんだろうよ」
 吐き捨てるように口にすると、エシュタンドは長椅子に腰を下ろした。額に手を当てて、ため息をつく彼に、クガルが戸惑いがちに声をかける。
「それにしても……どうにも妙ですね。舞踏会を開くことには、何も知らない姫君に恥をかかせる、という単純な目的のためだけとは、どうにも思えないのですが――」
 納得が行かないような栗色の瞳に、エシュタンドも頷いてみせる。
「ああ――私の懸念もそこだ。一体、何を企んでいるのか……とにかく、ソラの警護だけは怠るな」
「はい。それは勿論――侍女の一人から、毒見役にいたるまで、姫君の周囲には、我々の手の者を手配してあります」
 クガルの答えに、藍色の瞳がわずかに和らいだ。
「まあ、お前のことだ。心配はいらんだろうがな」
 その言葉に、クガルは笑みを浮かべて、頭を垂れる。
「お任せ下さい。殿下も、十分お気をつけになりますよう――」
 そのまま退出したクガルを見送ると、エシュタンドは一人、窓際へ歩み寄った。

 広く、静かな自分の部屋――この場所に、今ではなくてはならないものとなった、少女の笑顔を思い浮かべて、エシュタンドは瞳を閉じた。
 既に夕闇が迫り始めている。もうすぐ始まる舞踏会のために、大広間へ行かなくてはいけない。
 それでもこの場所から動けないでいるのは、何か確信めいた思いだった。
 きっと、会える。きっと、待っていてくれる。
 そう思うからこそ、エシュタンドはわずかな時間の合間を縫って、自分の宮へと戻ってきたのだった。
 逃げていた、避け続けていた自分を、見捨ててはいないだろうか。
 こんな情けない自分に、愛想をつかしてしまわなかっただろうか。
 まるで少年のように、怯える心に、エシュタンドは思わず自嘲めいた笑みを浮かべる。
 地平線に沈みゆこうとする、鈍い太陽の色を、藍色の強い瞳が受け止める。
 それでも、伝えなくてはいけないことがある。
 大切な、大切なただ一人の少女に――。

 小さな、遠慮がちな音で、扉が叩かれた。
 侍女が呼びに来たのかと、振り返ったエシュタンドの目が見開かれる。
 そこにいたのは、待ち焦がれていた、黒髪の少女だったのだ。
「――ソラ」
 心の高鳴りをおさえて、ゆっくりと名を呼んだ彼に、一歩、一歩、確かな足取りで近づいてくる。
 まだ舞踏会用の衣装も着ていない、化粧もしていない、そんな彼女が、例えようもなく美しく見えた。
「本当は、もう着替えに行かなきゃいけないんだけど……こっそり、抜け出してきちゃった」
 舌を出して、そう呟く空に、エシュタンドは微笑んだ。
「私もだ。今頃、衣装係が捜している頃だろう」
 久しぶりに、きちんと言葉を交わしている。そんな事実に、どこか緊張しながらも、胸が少しずつ温かくなっていく。
 どんな想いでいるのか、目の前の黒い瞳は、静かに、優しく瞬いていた。
「ソラ……ずっと、一人にして――」
 すまなかった、そう続けようとしたエシュタンドの口を、手袋をした空の手が、そっとふさぐ。
 言葉を止めた彼を、微笑んだまま、見つめる。
「いいの。もう、今はそんな言葉、言わなくていいから」
 そう言うと、言葉の意味を問い返そうとしたエシュタンドの胸に、空は自分から飛び込んだ。
 思いがけない空の行動に、藍色の瞳が大きくなる。
 彼の戸惑いも、驚きも、どこかへ追いやってしまおうとでもするように、空は強くしがみついた。
 その背中に、ゆっくりと回った腕は、段々と強く、空を抱き返した。
「エシュタンド……会いたかった」
 彼の胸に顔を埋めたまま、告げられた言葉に、エシュタンドは心臓を掴まれたような気がしていた。
「あたし、あなたの為に、頑張ったの。儀式の勉強も、準備も、舞踏会の練習も、全部――あなたに喜んでほしくて……
 あなたに、よくやったって、こうやって、抱きしめてほしくて――」
 胸の鼓動が、力を得たように激しくなる。ぎゅっと抱きついてくる少女が、どうしようもないほどに愛しくて、たまらなくなった。
そんな自分に戸惑うエシュタンドに、顔を上げた空が笑った。
「これで、元気百倍! 舞踏会も、明日の儀式も、頑張れるよ」
 黒い瞳に、先ほど揺れて見えた悲しさも、痛みも、全て拭い去った笑顔が光る。
「だから、ちゃんと見ててね! あたし、精一杯やってみせるから――」
 それだけ言うと、腕の中から抜け出して、手を振って、扉の方へ駆けていく。
 止める間もないほどに、素早く廊下を走っていく、軽やかな足音に、エシュタンドは思わず口を開けて、しばらく佇んでいた。
 すっかりと音が聞こえなくなってから、浮かんでくるのは、いつもの微笑み。
「本当に――あいつは……」
 大きく息を吐いてから、可笑しくてたまらないような顔になる。
 自分の泥々した葛藤も、情けない躊躇いも、何もかも洗い流すような彼女の行動に、エシュタンドは思わず負けを認めていた。
「これだから、欲しくてたまらなくなるんだ」
 わかってるのか、ともういない面影に問いかけて、エシュタンドは笑った。
 伝えようとした言葉も、想いも、何もかも先回りして止められて、ただ純粋な微笑みを返されて、かえって、彼の背中を押したことに――彼女は一生気づくまいと。
 まっすぐに上げた藍色の瞳には、揺ぎ無い想いが宿っていた。
 そして、エシュタンドは歩き出す。大切な彼女に、大切な言葉を、伝えるために――。




いよいよ、この次から舞踏会シーンへ突入です!
できるだけ早く更新しますので、どうぞお楽しみに!











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