47.ルスト
「いけません、姫君! 危険です、ここから先へは……」
「お願い、行かせて! 一体何が起こってるのか、私もちゃんと知りたいの!」
「だめです、絶対に来させないようにと、殿下から固く申し付かっております!」
「でも……!」
「なりません、姫君をお守りするのも、我々私兵隊の、大事な役目でもあります!」
エシュタンドが飛び出していってから、ずっとこんな調子の押し問答が繰り返されていた。
場所をエシュタンドの部屋の前から、なんとかこの離宮前まで移させた空の頑固さには、彼も辟易としてきたようにも見える。
しかし、エシュタンド付き私兵隊、副隊長だと名乗った、このルストという青年も、職務の忠実さでは負けていなかった。
何も教えてもらえず、エシュタンドのところへも行かせてもらえず、一体何が起こっているのか、空は心配でたまらなかった。
魔のモノが捕えられていたことなんて、知りもしなかった自分。
そんなことはおくびにも出さずにいたエシュタンドは、空が付いてくるのを断固として拒んだ。
危険だから、そう言われた言葉そのものが、空がいてもたってもいられない理由だった。
――危険な目に、合わせたくない、だなんて……そんなの、あたしだって一緒だよ!
しっかり自覚した自分の心は、いまや彼の存在で大きく占められているのに。
そんな彼が、今まさに危険な場所にいるのだ。
それなのに、自分だけがのうのうと安全な場所にいて、何の力にもなれない。
打ちのめされるような思いで、空は離宮の扉を見つめた。
固く閉ざされた扉の前には、何人もの守護兵が立ちはだかり、入らせてももらえない。
この地下に、本当に魔のモノがいるなんて、信じられないくらいの静けさが、夕闇に横たわっていた。
あきらめきれずに、扉を見つめ続ける空に、ルストが遠慮がちに歩み寄る。
「姫君、殿下を信じて、どうぞお待ちになってください。姫君の無事こそが、殿下のお望みであられるのですよ」
その言葉が、空から、無言の抵抗を奪っていく。
『大丈夫、私を信じろ』
そう言い切った藍色の瞳を思い出し、空はルストの必死な視線を受け止めた。
唇を噛み締めて、黙り込んだ空に、ルストは幾分安心したかのように息をついた。
「やっと、わかっていただけましたか、姫君。そうです、絶対に殿下はご無事でお戻りになられます。
さあ、夜は冷えます。私と、宮へ戻りましょう」
そう促そうとしたルストに、空は黙って頭を振った。
たとえ何もできなくても、せめて、近くで待っていたい。
それだけは――そんな空の懇願は、言葉に出さなくとも伝わったらしい。
ルストは、仕方がない、というように微笑んで、自分のマントを脱いで、空の肩にかけてくれた。
「あ、ありがとう……」
さすがに申し訳なくなってお礼を言った空に、ルストは優しい笑みを見せる。
「いいえ。大事な姫君が、お風邪でもお召しになれば、殿下に叱られてしまいますから」
「でも、あなたは……」
「私は大丈夫です。こう見えても、鍛えておりますので」
そう言う彼の体は、確かに頑丈そうで、夜風などものともしないように見えた。
少し安心して、ようやく笑った空に、ルストも嬉しそうな顔をした、その時。
今まで固く閉じられていた離宮の扉が、急に内側から開かれ、息を切らした兵が顔を見せた。
そのただごとではない様子に、守護兵たちが駆け寄っていく。
「どうした、何か――」
彼らが言い終える前に、兵が必死な様子で口を開いた。
「殿下が……殿下が、魔のモノによって、傷を――すぐに医師を……!」
彼の言葉が終わる前に、空は駆け出していた。
「あっ、いけません、姫君――!」
ルストがあわてて止めるも、空の動きのほうが一歩速かった。
ざわめく守護兵たちを押しのけて、空は離宮の中へと、まっすぐに飛び込んで行った。
「エシュタンド!」
多くの兵たちに止められながらも、無理やりに辿り着いた地下牢の前で、空は叫んだ。
同時に開いた重い扉の向こうにまず見つけたのは、驚きに見開かれたクガルの瞳だった。
「姫君! なぜ、ここへ――」
戦いの様子を表すかのように、栗色の髪は少し乱れて、額には汗が浮いている。
急いで駆け寄ってきた彼の腕を、空は必死で掴んだ。
「クガルさん、エシュタンドは……エシュタンドはどこ? 怪我って一体――!」
震える手で、クガルの腕を揺らす空に、クガルが口を開こうとした、その瞬間。
暗い通路の角から、硬い靴音が聞こえた。
「ソラ――! ここへは来るなと……」
その声に、振り向いた空の瞳に映るのは、あわてたような藍色の瞳。
「エシュタンド……!」
無我夢中で駆け寄って、飛びついた空を、戸惑いながらも受け止めるのは、まぎれもないエシュタンドの腕。
「ソラ……なぜ来た? あれほど危険だと言っておいただろう」
耳元で響く、低い声に、安堵を覚えながらも、空は確かめるようにエシュタンドの体に目を向けた。
「傷を負ったって聞いて――一体、どこに……?」
空の今にも泣き出しそうな声に、エシュタンドが厳しい顔を緩めた。
「ああ、それは、私ではなく――」
言いかけたエシュタンドの後ろから、しっかりとした靴音が響いた。
「僕ですよ、姫君」
声と同時に現れたのは、数人の兵に付き添われた、エカルドの姿だった。
しかし、白いブラウスの腕に、切り裂かれたような痕はあるものの、その下に除く肌には、傷は見えなかった。
「おっ、王子が? 大丈夫なんですか?」
空のあせった声に、エカルドはしっかりと微笑んで見せた。
「ええ。危うく腕を傷つけられるところでしたが、兄上に救われました」
「エシュタンドに?」
「はい。やはり、兄上にはかないませんね。僕の力など、まだまだで……」
自嘲のような言い方に、エシュタンドが微笑む。
「そんなことはないぞ。お前がまさか、対魔の術をあれほど身につけていたなんて、驚いた。鍛錬次第では、私の上を行くかもしれんな」
そう言ったエシュタンドに肩を叩かれて、エカルドは嬉しそうに笑った。
「いつか、お役に立てるかと……こっそり、習っていたのですよ」
「全く、誰にも秘密であそこまでとは――水くさい奴だ」
笑いあう二人に、空はおそるおそる視線を送った。
「どうした、ソラ?」
エシュタンドに聞かれて、空は遠慮がちに口を開く。
「あの〜……全然、話が見えないんだけど……何が、一体どうなってるの?」
飛び込んできた時の空のあせりが、まるで必要のなかったほどの、穏やかな二人のやりとり。
兵たちもなぜだか落ち着いていて、この狭い通路では、さながら井戸端会議のようになっているではないか。
「魔のモノは? もう大丈夫なの? みんな、無事なの?」
眉を寄せて、あたりを見渡す空に答えたのは、控えていたクガルだった。
「ええ、姫君。幸い、誰にも怪我もなく、無事でございます。ご心配をおかけしてしまって、申し訳ありません」
「そ、それなら、いいけど……それで、魔のモノはどこに――?」
そう空が訊ねようとした、その時。
通路の向こうが騒がしくなり、数人の兵たちが何かを引きずるようにして、歩いてきた。
「殿下、このモノの処理はどういたしましょう」
縄に縛られていたのは、大きな鳥だった。
巨大な鷲のようだったが、その羽根は青く、体の毛は赤茶色で、大きな瞳を見開いて、嘴を開いて、鋭い爪を振りかざしたままの姿で、固まっている。
「こ、これ……死んでるの?」
不気味な姿から、空はあわてて目をそらして、エシュタンドに訊ねる。
「ああ。生かしておこうと思ったが、力の加減も難しくてな、死なせてしまった」
その言い方に首を傾げる空に、エシュタンドは不敵な笑みを見せた。
「まあ、いい。また嫌でも目にすることになるだろうからな」
独り言のように言ったエシュタンドの言葉に、エカルドも神妙に頷く。
「後の処理は、王宮軍の指示に従え。守護竜にでも、処理させるんだな」
兵たちにそう言うと、エシュタンドは衣装の襟を正し、空を見た。
「このまま、父上にご報告に向かう。お前は宮に戻っていろ」
「でっ、でも……」
「大丈夫、大したことではない。すぐに戻る」
「エシュタンド!」
追いかけようとした空に立ちふさがったのは、いつの間に追いついてきたのか、ルストだった。息を切らして、多少恨めしそうな顔で空を見下ろしている。
そしてエシュタンドに指示されたのか、クガルもその隣に並ぶ。
「後は頼んだぞ、クガル、ルスト」
言葉だけを投げて、エシュタンドはエカルドと共に、地下牢の階段を上っていってしまった。
「もうっ、一体どうなってるのよ! あたしばっかり、蚊帳の外で、肝心なことは何にも教えてくれないんだからっ!」
鼻息荒く、テーブルの上に両手を付いた空に苦笑するのは、クガルである。
「殿下は姫君をお守りするために、あえて何も仰らないのですよ」
「だって! それにしたって、何もわからないなんて、あたしだって事実を知りたいもの!」
優しいクガルの言葉に反発する空をなだめるのは、副隊長のルストだ。
「隊長の仰るとおりですよ。いくら暁の姫君とはいえ、女性には危険な場所を避け、安全なところで守らせておこうとお考えになるのは、殿下でなくとも、男性ならば当然の……」
「それはわかるけど……でも、それだったら、あんな化け鳥ぐらいで、大げさにしないでほしいよ。死ぬほど心配したんだから!」
そう、魔のモノが暴れだしたなんて言うから、どれほどの恐ろしいモノかと思えば、出てきたのは、ただ鷲が大きくなっただけのような生き物で。
エシュタンドまで駆り出して、兵たちがあれほど騒然とするほどのことだったのか、空は納得が行かなかった。
その空の言葉に、微妙に表情を歪めるクガルとルストには気づかず、空は大きくため息をついた。
「まあ……みんな、無事だったんだから、よかったけど……」
とにかくそれは本当によかったんだし、と空は無理やりにも、むしゃくしゃする気持ちを抑えることにした。
「あ〜あ、美味しいお茶でも飲んで、気分を変えようかな。ねえ、エマナ?」
いまやすっかり空の部屋ともなった、エシュタンドの部屋に、もう一人いるはずの人物は、存在感がまるでないほど、静かに壁際に控えていた。
振り返って、呼びかけた空にも気づかぬように、ただお盆を握り締めて、俯いている。
「エマナ、エマナってば!」
どうしたのかと声を大きくした空に、ようやく気づいたように、エマナははっと顔を上げた。
「は、はい。姫君、何でございましょう!」
不自然なほどの大声で答えたエマナを、空はたじろぎながらも見上げた。
「あ、うん。だからね、エマナの美味しいお茶でも飲んで、落ち着こうかなって……」
「はっ、あ、お茶でございますね。はい、今すぐ!」
あきらかに挙動不審に、かちこちと部屋を出て行くエマナに、声をかけたのはクガルだった。
「すみませんね、私たちがいて気を遣わせてしまって」
優しい微笑みに、エマナは真っ赤になって首をぶんぶんと振った。
「とっ、とんでもございません。そのようなことは……でっ、では私、行ってまいります!」
「あ、私も手伝いましょうか。お一人では大変でしょう」
空たちのいたテーブルから席を立ち、クガルが近づいていくと、エマナはますます頬を染めていく。
「そっ、そんな……大丈夫です!」
「遠慮なさらずに。さあ」
クガルはそんなエマナを優しく促すように、扉を開けた。
「は、はい……」
消え入りそうな声で答えたエマナが、クガルの後を続いて部屋を出て行く。
その様子を黙って見ていた空は、なんとなくさまよわせた視線の先で、ルストの可笑しそうな瞳を見つけた。
空のいかにも物言いたげな視線に、ルストはあわてて表情を引き締めるが、もう遅い、と言わんばかりに空は笑った。
「ねえねえ、エマナと、クガルさんって知り合いなの?」
怒られるとでも思っていたのか、ルストは空の問いに意外そうな顔をした。
「は、はあ。そりゃあ、お互い、同じ殿下付きの身ですから……顔もよく合わせますし」
答えた赤褐色の瞳を、空はにやにやと覗き込む。
「へえ〜そっかぁ……今のあなたの顔からすると、あなたも気づいてるんでしょ」
「はっ、な、何をでございますか」
あせったような顔で問い返すルストに、空は顔を近づける。
「またまたぁ、そんなごまかさなくてもいいって! エマナの様子、あれ、絶対そうだよね」
微妙に距離を開けるルストは、どうしたらいいか一瞬迷ったような顔をしていたが、空の様子から話してもいいと判断したのか、少しだけ笑った。
笑うと、空とそれほど年も変わらぬように見える。屈強な肉体と、赤褐色の硬そうな長髪とが、彼を年上に見せていたようだった。
「はあ――まあ、あのとおり、誰が見ても、すぐにわかるぐらいですからね」
あえてぼやかした言い方をするルストだが、それで空は確信を得たようににんまりした。ルストと、年の頃が変わらないようだとわかったことで、余計に空は安心していた。
「そうかぁ〜エマナがあの人をね〜」
「ええ。そのようです」
ルストも元々はそう堅い性格ではないらしい。空の気安さにつられたのか、この場にいない相手だからなのか、どことなく楽しそうに答えてくれた。
「で、彼のほうはどうなの? 脈ありって感じ?」
「いや〜それが……そういったことにはうとい方でして、彼女の気持ちにも気づいておられるのか、どうなのか……」
「え〜気づいてなくてあれだったら、結構罪作りだよね」
「そうなんですよ、私兵隊の間でもそれは話題になってまして……」
すっかり肩をよせあって、ぼそぼそと話し合う二人は、そっと扉を開けて入ってきた人物に気づいていなかった。
「何がそんなに話題なんだ?」
「いや、それが……って、エシュタンド! うわぁ〜びっくりした〜……おどかさないでよ、もう!」
背後で響いた低い声に、まさに飛び上がるほど驚いた空は、胸をなで下ろしながら言った。
空の驚きどころではなかったルストのほうは、椅子から飛びのいて、まさに床にひれふすほどに、礼の姿勢を瞬時にして取っていた。
そのルストを、ちらりと見て、エシュタンドがいつもの笑みを浮かべる。
「ご苦労だったな、ルスト。時間外の勤務に、ソラにつきっきりで、特別な警護までしてもらったようで、本当に感謝する」
なんだか全然感謝しているようには聞こえない口調で、丁寧な言葉をかけられ、ルストは青い顔で頭を下げた。
「とっ、とんでもございません、殿下――殿下の大切な姫君に、万が一のことでもあれば大変ですので――」
ルストの大変なあせりように、きょとんとしている空の肩を抱いて、エシュタンドは微笑んだ。
「それにしても、お前がそんなに話し好きだったとは、知らなかった。これからも、ぜひ、我が姫の話し相手になってやってほしいものだ」
ゆっくりと言って、ルストを見つめる藍色の瞳に宿る、恐ろしげな光には気づかずに、空は手を打って喜んだ。
「そうだね! ぜひそうしてよ、ルストさん。また色々教えてね!」
極めつけのようににっこりと笑った空の顔と、優雅な微笑を浮かべたエシュタンドを交互に見つめて、ルストは目を白黒させて、床に頭をつけるほどの勢いで、礼をした。
「はっ、わ、私でよければ……で、では殿下、これで失礼をいたします。どうぞ、ごゆっくりとお休みくださいませ!」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「おやすみなさ〜い」
ものすごいスピードで部屋を出て行くルストを見送って、エシュタンドは片手を上げ、空は気楽に手を振った。
このやりとりを聞いていたエマナとクガルが、扉の前であわてて引き返していたことは、空は知らない――。
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