ある朝、タンスの向こうに(44/75)PDFで表示縦書き表示RDF


続けて更新します。
あと一話くらいは、また連続投稿できそうです。

ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



44.ラキス


 腕まくりをしたエマナがまず始めたのは、収穫祭の本を読む手助けだった。
 どちらかというと休憩に入りたかった空も、熱心なエマナに申し訳なくて頑張って聞いていた。
「というわけで、収穫祭というのは、大切な行事なのでございますわ。おわかりですか、姫君?」
 既に先生のような口調で説明する姿が微笑ましくて、空が思わず笑いそうになったのを、エマナは見逃さなかった。
「何がおかしくていらっしゃるんです?」
 きらりと光ったエマナの瞳に、空はあわてて笑いを引っ込める。
「ううん、何でもない、何でもない。えーと、だから、あれだよね。農作物の収穫を神に感謝して、始まったお祭りってことだよね?」
 基本の基本を繰り返した空に、エマナが大きく頷いて微笑んだ。
「そうでございます。ですから、先ほども申し上げたように、農耕技術や天候に左右されて、昔は一定の量を収穫することも難しかったこともあり、作物を無事収穫できた時には大変な喜びであったのです。その時代に比べると、今ではかなり技術も進み、収穫も安定してきたのですが、その頃の名残もあり、収穫祭は伝統として引き継がれているのでございますわ」
「ふう〜ん……」
 スーパーなんかであふれた食料品を目にしている空からすると、まだまだこの世界の技術というのは進んでいなさそうだったが、そのへんのことは口にしないでおくことにした。
 聖殿からの帰り道に目にした、農夫たちの収穫作業を思い出したからだ。
 大体、移動手段が馬車であったりすることからして、空の世界とは違いすぎるのだけれど。
 空がぼんやりしはじめたのを目ざとく見つけて、エマナが声を少し大きくする。
「まあ現在では、収穫への感謝というよりも、お祭り騒ぎといった感が強いですけれど。
各地の村なんかでは、夜通し踊ったり、飲んで騒いだりして、普段の憂さ晴らしをして、楽しむのが、収穫祭と皆が思っているくらいですわ」
「そうなんだ」
「ええ。ですが、王宮ではやはり伝統行事として、定められた儀式を行っております。その後は晩餐会などもございますが……」

 エマナの言葉に、空はわずかに表情を曇らせる。儀式、そう言われるものの中には、空が行うことになっている、剣舞とやらもあるのだろうから。
そのことについて聞いてみようかと一瞬思ったものの、今はもう少しエマナとの会話を楽しんでいたかった。
 視線を本に戻して、挿絵などを目で追っていた時、気になるものを見つけた空は、顔を上げた。
「ねえ、これは何?」
 空が指差したのは、何かの虫らしい挿絵である。儀式の様子や、踊り、収穫した農作物などの挿絵から少し場違いなように見えて、目が止まったものだ。
「ああ、ラキスでございますね」
「ラキス?」
 不思議そうに問い返した空に、エマナがああ、とでもいうように微笑んだ。
「姫君はご存知ないのですね。ちょうど収穫祭を過ぎた頃に現れる、虫ですわ。綺麗な泉を好んで集まるといわれております。
 こう、お尻のところが光るんです。淡くて、優しい青白い光で、とっても美しいんですよ」
 エマナの言葉に、空が思わず腰を浮かせる。
「それって……ホタルだ!」
 空の大声に驚いたエマナは、目をぱちくりさせている。
「あ、ごめん。まさかこっちの世界にもいるなんて思わなくて、嬉しくなっちゃって」
 照れたように空が再び腰を下ろすと、向かいの椅子で、エマナが興味がわいたように空の方へ体を寄せてきた。
「まあ、姫君のいらした世界にもラキスがいるんですか?」
「うん! ああ、名前はホタルっていうんだけどね。でも日本じゃあ、ホタルは夏に出てくるはずだけど……綺麗な川にしかいないから、田舎のほうじゃないと最近は……」
 言いかけてから、空は何かが頭の端にかすめた気がした。
 そう、田舎の夏。ホタルをいつも見に連れて行ってくれて――浴衣を着せてくれて、手を引いてくれた、優しい皺くちゃの笑顔の―ー。
「……おばあちゃん……」
 小さく呟いた空の声に、エマナが不思議そうな顔をした。

「――姫君? どうかなさいまして?」
 じっとしたまま動かない空に、心配そうに問いかけてくる。
 エマナの顔が間近に覗き込んできて、はっとしたように空は顔を上げた。
「姫君? 何を考えていらっしゃったんです?」
 問いかけられて、空は思い出したように手を叩いた。
「そう、夢だ! 昨日、夢を見たの!」
「夢、でございますか?」
 いぶかしげなエマナに、空はすっきりしたように笑った。
「そう! おばあちゃんの夢。最近すっかり見なかったのに……久しぶりに夢に出てきたんだ」
 ようやくほっとしたように、エマナも微笑んだ。
「まあ、おばあさまの夢を?」
「うん。小さい頃、夏になると田舎のおばあちゃん家に行ってね、おばあちゃん家の近くには、水がとっても綺麗な川があって……いっつもそこへ連れて行ってもらったんだ」
 懐かしい、昔の記憶が思い出されて、空の顔も優しくなる。エマナもどこか嬉しそうに見ている。
「それでね、その川にはホタルが――こっちでいう、ラキスと似た虫がいっぱいいて、とっても綺麗だったの」
「まあ、ラキスがたくさん? それは素敵でございますね。私も今まで何度か目にしたことはありますが、数はそんなに多くはなくて……」
残念そうにそう言ってから、エマナは思いついたように両手を合わせた。
「そうですわ、姫君! ラキスにまつわる言い伝えをご存知ですか?」
 きらきらした亜麻色の瞳で見つめられ、空はためらったように首を傾げる。
「言い伝え? ううん、知らないけど……」
 ラキスばかりでなく、ホタルにも言い伝えなんてものは、少なくとも空は聞いたことがなかった。
 エマナは嬉しそうにまた乗り出してきた。
「ラキスはですね、恋人たちの想いを伝える虫だと言われているんですよ」
「恋人たちの……?」
 ロマンチックな響きに、空も無意識に身を乗り出していた。
 空の反応を満足そうに見て、エマナはとっておきの秘密を教えるかのような笑顔で頷く。
「あの光が、恋人たちの想いを運ぶと言い伝えられているんです。その年最初のラキスを一緒に見た相手とは、永遠に結ばれる、いつからかそういう風に言われていて――
ですから、若者たちの間では、この収穫の季節は、恋の季節とも呼ばれているんですよ」
「へえ〜そうなんだ……」
「素敵な言い伝えでございましょう?」
 空の純粋な感嘆の顔を共感ととったように、エマナはうっとりと遠くを見ている。
 その様子に、空が何かを思いついたように、にやりと笑った。
「エマナは?」
「はい?」
 きょとんとしたような彼女の顔を、空はいたずらっぽく見つめる。
「エマナは誰かと見たことあるの? その年最初のラキス」
 途端にエマナはその白い頬を染めた。
「わっ、私でございますか? 滅相もない、そんな相手はまだ――」
 可愛いぐらいのうろたえぶりに、空は笑った。
「まだ? ってことは、誰かいるの? ラキスを一緒に見たいような、素敵な人」
 空の好奇心いっぱいの質問に、エマナは不自然なぐらいに視線を泳がせて、どんどん真っ赤になっていく。
「そっ、そんなことは……私は……」
 どうやらエマナは嘘が全くつけない子らしい。空はまさに林檎のような頬で困っているエマナの肩を、笑いをこらえながら叩いた。
「いいよ、いいよ。ごめん。そんなに困るなら聞かないでおくから」
 空の言葉に、ようやくエマナはおそるおそる視線を上げる。目を合わせて、思わず笑いあってから、空は嬉しくなった。
 こんな風に好きな人の話をしたり、笑いあったり、こういう時間は、本当に久しぶりで――目が潤みそうになるのを、危うくこらえた。
 そんな空を、いつのまに気を取り直したのか、エマナが間近で覗き込んでいた。

「なっ、何?」
 亜麻色の瞳に宿る、いたずらっぽい光に、今度は空がためらう番だった。
「姫君はよろしいですわよね……もう決まったお方がいらっしゃるんですもの」
 どことなく恨みがましいような目で見上げられ、空の顔にたちまち動揺が浮かぶ。
「え? あ、あたし?」
 言われた途端に頭に浮かんだ面影に、思わずどきっとする。
 空のためらいを何ととったのか、エマナはにやっと笑った。
「殿下が姫君に大変ご執心であられるのは、見ていてもよくわかりますわ」
「そ、そんな……」
 いきなり矛先が向いてきて、空はあわてて何か言おうとするも、言葉が浮かばなかった。
 その間にも、エマナの攻撃はやまない。
「本当にうらやましいぐらい仲がおよろしくて……なんといっても、あの氷の殿下が、数多くの姫君を退けて選ばれたほどの方ですもの。
 それだけご執心なのも、当然ですわよね」
 自分たちのどこがそんなに仲がよく見えるのか、空には思い当たるところもなかったが――それよりも聞き捨てならない単語が耳につく。
「あのう……エマナ?」
 元来おしゃべりな気質らしく、放っておけばまだまだ語りそうなエマナを、遠慮がちな空の声が遮った。
「あ、すみません。氷の殿下っていうのは、私たち侍女の間での通称で……ついつい口に出てしまいましたわ」
 あわてて口を押さえるエマナに、空はああ、と返事をしながら視線をさまよわせる。
 氷の殿下――今までに聞いたエシュタンドの過去の話から、大体理由は想像できる。
 そんな呼び方をされるほどの、今までの彼の姿を、もっと知りたい気持ちはある。
けれど、それよりも今聞きたいのは……。空が戸惑いに口をつぐんでいる間に、エマナは窓の外に目をやって、あわてて立ち上がった。
「まあ、もう日があんなに高く……申し訳ありません、姫君。ゆっくりしすぎてしまいました。すぐにお食事をお運びしますわね」
「えっ、う、うん……」
 そういわれてみれば、もうそんな時間かと一緒に立ち上がるが、まだすっきりしない何かが残る。
 空の様子に気づかないように、エマナはいそいそとテーブルの上を片付け、扉のほうへ小走りにかけていく。
 呼び止めたいのをなんとか飲み込んで、見送ろうとした空に、エマナが一度振り返った。
「な、何?」
 もしかして自分のおかしな心に気づかれたかと、空が身構えた時、エマナが満面の笑顔を浮かべた。
「お食事の後は、リゴト様との勉強会だそうですので、どこへも行かれないよう、お願いいたしますね」
 くしゃっと笑った、花のような可愛いエマナが、悪魔のように告げた一言に、空はその場に崩れ落ちそうになったのだった。













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